189話 黒の使者
よろしくお願い致します。
◇◇◇
──目の前の光景にサァっと閃光が横切った。そんな気がして、私は目を細める。
瞬間、視界は真っ白な光に満たされて、最早眩しさで目が開けていられなくなっていた。
───
……くっ!
私は咄嗟に両腕で顔を覆い隠し、目をギュッと閉じてそれに耐える。
やがて視覚が戻ると、そこは周囲を深い森林に囲まれた空間──
そう、つまりは“迷いの森”だったのだ。
そして──
私とクリスの直ぐ目前には、黄金に揺らめく翡翠色の髪、ツインテールの少女。即ち地の大精霊の姿があった。
───
「これは一体どうゆうこっちゃねん。僕らは、一体今まで……」
「……どうやら私達は幻覚を見せられていた? いや、あれは過去の記憶か──」
私とクリスの言葉に、地の大精霊は口を開く。
『さすがに鋭いですね。風が貴女の事を俊傑なる者と、そう称賛していました。そうです。今まで貴女達が体験していたのは、わたくしの追憶の回想となるものです。四精霊達の過去を、より明確に知って貰いたかったので──そして何より口で説明するよりも、かなり時間を短縮できた事でしょう』
そう微笑みを浮かべる地の少女。
『それでは話を続けましょうか──』
「少しばかり待って頂きたい!」
地の大精霊を制止する言葉を、私は思わず叫んでしまっていた。
それは話しの続きを聞く前に、どうしても確認したい事があったからだ。
『何かあるのでしょうか──?』
「先程の貴女様の記憶の中。零の精霊に名を与えた人物がいたとの事でした。“黒い長髪の男”。それに何か心当たりはございませんか?」
私の頭の中で、レオン──“レオンハルト”の姿が思い浮かぶ。
その私の問いに、地の大精霊の少女は、頭を小さく横に振った。
『残念ながら存じません。そもそも大精霊と呼称される者の中に於いても、零の精霊だけは、わたくし達でもほとんど何も分かってはないのです。それどころか知らない事の方が多い。未だ未知となる存在なのですよ。何故ならば、彼の者は“自我”を持たない……よって何も語る事はなかったから──』
「……そう、でしたね。確かにそう伝承にもありました……」
───
それに私もどうかしている。ただ黒く長い髪の男というだけの情報で、仲間であるレオンを勘繰ってしまうとは……。
───
『それでは、逆にわたくしの方から質問します。フォステリア・ラエテティア。貴女は零の──黒の精霊が創り生み出すという『滅ぼす者』とは、どういった存在だと考えますか?』
地の大精霊。その問い掛けに、私は──
「それはおそらく、零の精霊、それの『守護竜』。そう“定義された存在”だと、私は推測します」
『ふふ、さすがに“俊傑”たる者、風。彼女にそう言わしめた人物だけの事はあります。正直驚きました。わたくしもおおよそ同じ見解です。が、確証はありません。何故なら、審判の決戦に破れ、『滅びの時』によって世界が滅亡を迎える時。わたくし達、四精霊もまた、それぞれの精霊石を破壊、もしくは効力を奪われ、精霊界に閉じ込められて現世に直接干渉する手段を失うから──なので『滅ぼす者』。その姿は、“滅び無くなり逝く者”でしか目にする事ができないのです──』
「……そう、でしたか……」
そして地の大精霊の少女はこう付け加えた。
『なので、もしかすればわたくし達と同様、零の精霊にも『守護する者』──そう“定義されている存在”。それもまた、実在しているのかも知れません──』
「………」
───
「……フォス姉、大丈夫?」
心配そうな表情で私の事を覗き込むクリス。
「すまないクリス。それと話しの腰を折ってしまい、申し訳ありませんでした。どうぞお続け下さい」
その言葉に、地の大精霊の少女は静かに頷いた。
『では──あれから四大精霊の報告、立案会以降。わたくし達は、レイという名の人格を形成する事によって、より明確に感じ取れる様になった零の精霊。その気配を注視しながら通常の活動を行っていきました。そんな時、ある事件が起こったのです』
地の大精霊。ツインテールの少女は、頭を少しうつ向かせながら自身の胸に、そっと手のひらを押し当てた。
「……事件?」
『そう、ある忌々しい事件。それにより今の……四度目のアースティアに、破綻が生じ始めた──』
「そ……それは一体どんな事件なん?」
最早、大精霊を敬う物言いすら忘れて、癖の強い方言でクリスが問い掛ける。
それに答える地の大精霊の少女。
『わたくしの管理地ロッズ・デイクに於いて、“狂傲の魔導士”。そう呼ばれる者が、国家に大損害を与える程の無差別大量虐殺を行ったのです。彼の者の動機は、“己が持つ極限の力を以ての強者との対峙”。つまりは当時、冷徹にて至強と噂されていた、わたくしの『守護する者』。“殲滅のテラマテル”の抹殺──それによりひとりの少女が、その囮として利用されました。彼女の名は“イオ”。わたくしが創り出した我が子。テラマテルのたったひとりの友人だった“イオ・ジョーヌ”──』
「「──!!」」
私達ふたりは、もう完全に言葉を失っていた。
『戦いは始まり、テラマテルの手によって、狂傲の魔導士は肉片の一片も残さずこの世界から抹消され、また。彼の者がもたらした災いもそれによって鎮圧されました。そして辺りは一辺焼け野原の焦土と化した──やがて夜となって、その地から頭を半分失った少女を抱きかかえたテラマテルが、迷いの森にある、即ち時世に於いて“桃源郷”と呼ばれる空間に常在していた、わたくしの元へと帰還してきたのです──』
地の大精霊。テラマテルと同じ容姿だという、まだあどけなく端正な顔が、悲しくその表情を曇らす。
『わたくしの元に帰ってきたテラマテルは、終始無言で、ひたすらに頭を半分失った友人。イオを抱き締め続けていました──その時。テラマテルの人工知能には、確実に“感情”は発生していた。そんな彼女が、何故この様な悲劇を体験せねばならなかったのか……わたくしは運命を呪いました……彼女の人工知能となるものが新しく学習した“感情”。それはおそらく、哀愁、虚無、そして激昂──全て“負”となる感情です』
「地の大精霊様。心中お察し致します。さぞやお辛い思いをなされた事でしょう……」
「うん。それとそのテラマテルって子もやな……」
『……心遣い、ありがとう……』
地の少女は、少し陰りを残しながらの笑みを溢す。
そして続けた。
『テラマテルがわたくしの元へと戻った時。彼女が連れ帰ってきた少女イオは、奇跡的に辛うじて生きてはいましたが、頭を大きく欠損する事により、既に脳死していました。それはイオという少女の意識、人格、即ち“精神の死”──本来ならば、わたくしは最早、生存する為だけの僅かに残された脳の破壊。それを行い、彼女に安らかな肉体的死を与えてやるべきだったのでしょう。ですが、無表情の虚ろな瞳で、ただ呆然とイオを抱き締めているだけのテラマテルの姿に、わたくしは禁忌とされる術を用いてイオ。彼女の身体に延命の処置を施しました』
「禁忌の術やてっ!?」
「大精霊様の間にも“禁忌”とされている事はあるのですね?」
地の大精霊はコクリと頷く。
『はい。わたくし達大精霊は、死ぬべき運命に陥った命を、みだりに救うべきではない。その事を“禁忌”としていました。とはいえ、失った命までは救えませんが……少し大仰ですけどね。それに、その延命の術自体がまさに禁忌となる条件を必要とするものですから……』
「その条件とは、如何なるものなのですか?」
私のその質問に、クリスも小さく喉を鳴らす。
『それは、最低限となって脳の活動を停止した彼女の身体に、定期的に魔力を以て特殊な方法で生成した“人間の体液”を与え続ける事。それが途絶えぬ限り、彼女は成長する事なく永遠にその象を留める事ができる──』
私は大体の事情を把握し、言葉を発した。
「それで『守護する者』、テラマテルがその条件となる所業を担ったのですね?」
地の少女は小さく頷いた。
『はい、その通りです。テラマテル。彼女はその時を境に、再び感情──“心”を無自覚に封印し、イオを生かし続ける為だけに、条件となる人間の体液。それを求めて、ただ寡黙に“断罪の執行”に邁進しました。おそらくは、彼女の人工知能自体がそれを円滑に行うに、感情なるものは不要と判断したのでしょう』
「成る程……」
「……成る程って……フォス姉! 僕、あんまり理解できてへんでっ! メッチャおいてけぼりやんけっ!」
「……とか言いつつ、大体は把握しているのだろう?」
「にゃはは。やっぱり分かってしもた? いや~、こういう堅苦しい場を和らげるのも、やっぱ僕の仕事やん?」
ふっ、全くクリスのやつめ──
私は思わず口元を緩める。
そんな私達の姿を和やかな表情で眺めつつも、地の大精霊は顔を引き締めて先を続けた。
『そしてその事態に、ある者の存在にも変化が生じました……』
「──あっ!……それはもしや……」
『そう、わたくし達が監視を続けていた零の精霊。即ち“レイ”の存在です』
「確か、レイという人格はテラマテルと意識を共有しているとの事でしたね?」
私の言葉に。
「はい。それは即ちテラマテルが体験した事を、同時にレイ。あの子も“体験した事”となります』
「………」
私達はまた重い雰囲気に包まれる。
───
『あれは忘れもしません。魔導士を討ち滅ぼした焦土の地でひとり、テラマテルが、全く動かなくなったイオの身体をひたすらに抱き締めていたその時。わたくしに感じた、かつてない震撼する程の驚異的な“怒り、憎悪”の気配を一瞬、監視を続けていたレイから感じ取ったのです……が、それはほんの瞬間的な出来事で、再度レイの気配を確認しましたが、その時には既に、特に異常は感じられませんでした』
私とクリスは地の少女の言葉を待つ。
『ですが、異常を感じたのは事実です。事態が事態だけに、わたくし達は管理地を離れる事なく、念話による緊急となる会合を行いました。結果、わたくしを含め、四精霊全ての者がそれを感じ取っていたのです。やがてそれ以降、特にレイの気配に異常を感じないまま、幾ばくかの時が過ぎました。そして近時になって、今のアースティアに於いて生じた破綻。それが明確になる時がきたのです』
私は息も詰まりそうな雰囲気の中。辛うじて彼女に問い掛けた。
「その明確な変化とは……?」
そして私は耳を疑う言葉を耳にする。
『人の世の存続を裁決する『審判の決戦』。それに使用される武具、“罪枷の審器エクピアシオン”が、わたくし達、四大精霊に関する事なく生成され、具現化したのを感知しました。そして暫くの後、『滅ぼす者』の導き手として『黒の使者』の発生も確認するに至りました──そう、今のアースティアは、今までにはあり得ない事態に陥る事になった。そう確信した時でした──』
──!!
四大精霊に於ける想定外の事態、そのいくつかの事柄。
──“審判の決戦”、“審器エクピアシオン”、“滅ぼす者”──
地の大精霊が発したいくつかの言葉に、私の身体に衝動が迸る。
だが、そのどれよりも──
その直後、私はその中のひとつに過剰に反応していた。
『“黒の使者”!……そ、それは、まさか……』
地の少女の瞳だけが、私の姿を捉えるべく横へと動く──
───
『──はい。“黒の使者”──それは貴女方が“黒の魔導士”。そう呼称する者です──』