187話 レイ
よろしくお願い致します。
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──『まま──』
突然、真っ白な空間に響く、今まで耳にした事がない聞き覚えのない声。
四つの精霊以外いる筈のないこの空間に、聴覚として明確に感じ取れる、誰もが一度は耳にした事がある名詞。
それは即ち、いる筈のない五体目となる者がこの場で言葉を発した事実。
そして現に、地はその声が聞こえてくると同時に、簡素なワンピース姿。そんな自分の太もも辺りを、何かがギューッと抱き締めてくる感触を感じるのだった。
──“間違いなく、いる筈のない誰かがいる”──
地が、咄嗟にそう考えると、もう一度足元から一層抱き締める力を強くしながら、“何者”かが再び声を発してきた。
『……まま、まま、まま、まま、ままあぁ~……ぐずっ、う、ううっ……うあっ──』
そして──
『──びいいいいいぃぃぃぃぃぃーーー!!!』
それは大号泣に変わるのだった。
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火、風、水も、あり得る筈のないこの異常事態に、迅速に声の聞こえた方。
即ち、地の席の方へと集まる。
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『──びいえええぇぇぇぇぇんっっ!!!』
そこには、テラのワンピース越しの右足に、必死にしがみ付く様にして顔を埋め、わんわん泣いている素っ裸の幼女の姿が、三人の目に確認できるのだった。
『……って、おいおい……一体何なんだ……こりゃよ?』
『う~ん? 女の子……5歳くらいだねぇ』
『背中くらいまでの髪……あれは白いのでしょうか?……って、いや、ほんの少しだけど、黒ぽいっていうか暗いですね。“灰色”、アッシュブロンドって髪でしょうか?』
火、風、水がそれぞれ観察する中。やがて泣き疲れたのか、幼女の嗚咽が徐々に弱まっていく。
そんな幼女に、地はしゃがみ込み、足に抱き付いている彼女の両肩にそっと手を乗せると、少し引き離して幼女の顔を除き込んだ。
地の目に、涙で不思議な色で揺らめく瞳の、幼い女の子の姿が映る。
水の言う通り、白と黒の中間色。いわゆる“灰色”のアッシュブロンドの髪が、肩まで伸びていた。
風も言っていたが、年齢は物心がつき始める4歳か5歳くらいか。
涙でまぶたが腫れていたが、顔立ちが整った可愛らしい女の子だ。
地はまず、肩に乗せていた右手のひらを、彼女の胸に当てる。
瞬間、素っ裸だった幼女の小さな身体が、地と全く同じ形状のワンピースに包まれた。
『まずは、これからね。さすがに女の子が素っ裸じゃまずいもんね』
そしてくしゃくしゃと彼女の小さな頭を撫でるのだった。
それを受け、嬉しそうに二回程、ピョンピョンと小さく跳び跳ねる女の子。
『まま、まま、ままっ、ありがとっ!』
そんな幼女と地の様子に、何か言おうとした火だったが、風がそれを止める。次に水にもアイコンタクトを送った。
“暫くふたりの様子を見守ろう”と──
やがて、頭を撫でていた手を再び幼女の肩に置き、地は口を開いた。
『貴女はわたくしの事を“まま”って呼んでくれているけど、ごめんなさい。わたくし、貴女の事全く知らないの。だから、教えて頂戴。貴女は誰? 何処からきたの?』
その言葉に幼女はビクッとして、一瞬怯えた表情を浮かべる。
『え?……だって、まま、まま。うん。それに間違いないもん。大体、わたしがままよって、ままがあたしに言ったんだよ~~っ』
『──え?』
全く要領を得ない地をよそに、幼女は言葉を続ける。
『え~と、つみをさばく? だんざい? ままを守るもの? とか、いろいろ教えてくれたし、それに、すっごく大きなぴかぴか光った、りゅうだっけ。そのりゅうっておじちゃんと仲良くなって、そのおじちゃんもそう言ってたもんっ!』
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(──これは一体どういう事だ……)
地はを思考を巡らせる。
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『ひとつ教えて欲しいんだけど、貴女が“今ここにいる”って思ったのはいつくらいなの?』
『え? まま。なにそれ、よく分かんないよ~』
さすがに抽象的過ぎるか? そう考えた地はもう一度問い掛けた。
『ごめんね。じゃあ、今の貴女の姿ができたのはいつくらい? つまり貴女が生まれたっていう時になるのかな?』
すると、今度の問い掛けには、幼女は、にぱーと満面の笑みを浮かべた。
『あーーっ、それなら分かるよ。いつかままにもお話したよね。あたし、オトモダチができたの。その時に、なんだかお胸が熱くなって、ぱぁーーって、周りが真っ白に輝いたんだ。そしたらね。今の“あたしがあった”の!』
(これはもしかして──)
地は、はやる気持ちを押さえながら、再度問い掛けた。
『そのお友達の名前は“イオ”だったのよね?』
『うんっ!』
幼女は更にニッコリと笑った。そして続ける。
『それまでの事は、ホントはあまり覚えてないの。ただ真っ暗な所で最初は、ままの声やりゅうのおじちゃんの声が聞こえるだけだった。そしたらね。だんだんぼんやりだけど、ままの姿やりゅうのおじちゃん。それにお外の風景が見える様になってきたんだ。それでね。イオちゃんとオトモダチになった時に、この身体ができたの』
徐々に核心に迫るのを感じながら、地は更に質問を重ねた。
『それじゃ貴女は今まで何処にいたの? さっき、一体何処から出てきたのかな?』
すると彼女は振り向いて、ひとつの場所を指差した。それは──
『あそこだよ』
(……やはり)
幼女が指差す場所。それはこの白い空間に置かれた、四大精霊がさっきまで囲んでいたテーブル。その少し離れた場所に、会合を見渡せる様にしてそびえ立つ巨大な半透明の水晶。
即ち、零の精霊だった。
───
『ホントはね。この身体ができてから、直ぐにままに見て欲しくて、ずっとお外に出たかったの。でも、どうやっても出口が見付けらんなくて。でも、なんでかな。さっき、ままが泣いているのを見て、“ままに会いたい!”って、強く思ったら、お外に出れちゃったよ~~っ!』
そして再び、幼女はしゃがんでいた地に両手を広げて飛び付いた。
それを胸の中に受け止め、そっと抱き締める。
『最後にもうひとつ質問いい?』
『なぁに? まま』
『貴女のお名前は何ていうの?』
幼女は地の胸に埋めていた顔を上げ、彼女を見つめた。
不思議な虹色に揺らめく瞳──
『あたしのお名前は“レイ”──レイってつけて貰ったの』
『──!!』
(……ああ、またひとつ核心へと近付いていく──)
『それは、誰につけて貰ったの?』
『この身体ができた時。あたしの事を守ってるっていう、黒くて長い髪をした男の人につけて貰ったの。でも、その時は、お外には出られなかったんだ~』
(……黒い長髪の男……)
『………』
今まで穏やかだった地の瞳が、一瞬ギラリと鋭い光を宿らせる。
(──“誰”だっ!?──)
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『ままー、ままー、ままー、ままー、ままー、ま──え?』
地に抱き締められて、その胸にずっと頬擦りを続けていた幼女、レイ。
突然その声が途切れると、不意に地の腕をすり抜けて立ち上がった。
『どうかしたの?』
レイはうつ向いている。
『ごめんね、まま。今日はもう帰ってこいって……』
『帰るって、何処に?』
『あそこ……』
そう言って、レイは大きな水晶。即ち零の精霊を指差した。
その半透明の色は、よく見ると、どんよりうっすらと黒く濁っている様にも感じる。
『あそこって……ねぇ、誰がそんな事を言ってるの?』
レイはニコリと小さく笑うと、肩を落としながら振り返った。
そして歩いて行く。
白い空間に直立する零の精霊の元へと──
『誰もなにも言ってこないよ。ただ、“帰ってこい”って、字だけが頭に流れ込んでくるの……』
ふたりの距離はどんどん離れ──
『今日はバイバイ。また今度、い~っぱい甘えさせてね! まま──』
『──レイ』
そしてアッシュブロンドの小さな女の子は、少し淀んだ水晶の中に消えていくのだった。
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暫くその場に力なくへたり込んでいた地の元に、三体の大精霊達が近付いていく。
彼女らは少しの間、地が自ら顔を上げるのを待っていたが、やがて赤髪を逆立たせた女性、火が堪らず声を掛けた。
『んじゃよ。まずは納得のいく説明を、あたしらによろしく頼むわ──』
その声に、地はゆっくりと顔を上げ、皆の方へと振り返った。
そんな彼女の顔に──
『……お前。そりゃ一体どうしたんだよっ!?』
『地、もしかして泣いてるの?』
『……そう、あの子とお別れするのが悲しかったんですよね?』
三名がそれぞれの思いとなる問い掛けを口にする。
無理もない。地、今の彼女の両目からは止めどなく涙が溢れ、頬へと伝っていたのだったから──
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地。今、彼女は泣いていた。
確かに水が言った通り。自分の事を“まま”と慕ってくれる幼子、レイと別れる事が悲しく感じて涙が溢れ出たのかも知れない。
だが、それ以上に“自身が長い時を掛けて、模索していた答えとなる手懸かり”。
つまりは“人間”。彼の存在が、自らの手によって“感情”を持つ存在を創り出す。その可能性に──
そしてそれにより、例え僅かでも今までとは違う未来に繋がる光明となるものが、垣間見えた様な──そんな気がして……。
──涙したのだ。
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やがて、地は立ち上がると、手で涙を拭い、皆に声を掛けた。
『ありがとうございます。ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です。それでは説明致しますので、どうぞ皆さん。今一度席の方へ──』
そして少し涙で目を赤くした地が、皆をテーブルの方へと招くのだった。