178話 なびく金色の髪
よろしくお願い致します。
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くそっ! こんな時にまで黒の魔導士アノニム──やっぱり奴が絡んでくるのかよっ!!
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「それじゃあ、良い知らせとは?」
間髪入れずに俺は問い返した。
「良い知らせ。それはフォリーとクリスの試みによって、暴走する魔性の森の所在が分かった。いや、正確にはフォリーが知り得る事となった様だ。まあ、詳しくまでは分からんがな。そしてそれが事実ならば、それは即ち桃源郷の場所を特定できた結果となる。ただ──」
「迷いの森が魔性の森に変貌した事によって、中に入るのが、ほぼ完全に不可能となった。それで、後は……今はとにかく眠りについたふたりが、目を覚ますのを待っている──そういった所かな?」
その俺の言葉に、レオンが分かってるではないかとばかりに、口元からフッと軽く声を漏らした。
「まあ、そういう事だ。そうだな……あれはフォリーとクリス。ふたりが桃源郷探索の試みとなる“精霊界への意識剥離による遠隔侵入”──その行為状態に入ってから大体五刻くらい、昼を少し過ぎた頃だったと思う──」
◇◇◇
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剣の刃研ぎ作業をしている今の俺と対面する形で、テーブル各一個の椅子にそれぞれ座り、フォリーとクリスのふたりは、大きく背を預ける様に背もたれにもたれながら、仰向けたその顔は、共に目を閉じている。
そんなふたりの身体からは、それぞれフォリーは黄緑色の光を。クリスは赤色の光を微かに発光させている姿があった。
そしていくらか時間が経った後、ふたりの表情は微かに薄目を開けた状態となり、周囲から僅かな風を帯びる様に、共にその髪はなびいていた。
俺はその状態がおそらくは──“精霊界への意識剥離しての探索”
それが異常をきたす事なく、順調な状態なのだと自身の中で定め、我が剣ハバキリの手入れを行いながら、ふたりの様子を見守っていた。
やがて、正午も大分過ぎ、ハバキリの手入れの手を休めた俺は、ふと正面のふたりにチラリと目をやる。
その時もフォリー、クリス。ふたりの状態は、変わらず“順調”の様に思えた。
それを確認した俺は再び自分の手元に視線を戻し、ハバキリの刀身に白い砥石を宛がった。そんな時──
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「──うっ!!……うああああぁぁっ!!」
「──ん、んんんんっ!!」
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突然、苦しそうな吐息とも取れる悶絶となる声が聞こえ、俺はハバキリを右手に、前方にいるふたりの様子を確認した。
そこには──
「──ううあぁっ! ああああああああぁぁーーーっ!!」
「──んっ、んんんんんーーーっっ!!」
比較的穏やかな表情で椅子に背中を預け、目を閉じていた筈のフォリーとクリスのふたりが、今は立ち上がり、それぞれの身体からは、まるで吹き荒れるかの様な突風が吹き荒んでいた。
ふたりの目はカッと見開き、ただ虚ろと感じる瞳で虚空となる天を見上げている様にも感じた。
「──むう!?」
これはいかんっ!
即刻そう判断を下した俺は、用意していた物を手元に取り出した。
そして速急に括られていた紐をほどき、ババッと宙を游がせるように広げた。
「“昏睡より覚醒”──」
俺の手から離れた“それ”は空中を漂い、やがて強烈な青白い閃光を放つ。
そう、それは魔法の巻物であった。
今使用したのは、意識が遠退く。即ち昏睡状態に陥った者を覚醒させる魔力を発揮させる巻物。
製作及び、魔力となる詠唱を刻んだのは、高司祭としての力も計り知れないあのキリアだ。
彼女の魔力が刻まれたこの巻物ならば、必ずやふたりを無事に、現実世界のこの場所へと連れ帰ってくる事だろう。
俺はそう確信していた。
ちなみにいうと、俺は魔法を使用する事はできない。なのでこういった魔法でしか対処できない場面に遭遇した時の対応の為。何種類かの巻物を常に所持していた。
まあ、あくまで補助的な物ばかりで、攻撃系はほとんど持たぬのだが……。
やがて、宙に浮く巻物が放つ光を浴びたふたりの身体から、徐々に吹き荒れる突風の様なものが和らいでいき、その苦悶に歪んだ顔の表情も、徐々に穏やかとなっていった。
最終的に完全な無風状態となり、それぞれ放っていた黄緑と赤の光を纏ったふたりの身体から、その光がフッと突然消え失せる。
同時にフォリーとクリスの身体が、糸が切れた人形の様に地面に崩れ落ちようとするのを、俺は咄嗟に移動し、自身の右腕と左腕とでそれぞれ抱き支えた。
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ふう、やれやれ。とにかくだ。
キリアの魔法によって、フォリーとクリスの意識は無事に帰ってくる事ができたようだ。
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やがて、ふたりの目がそれぞれ開かれた。
ふたり共にその目からして、かなり疲労困憊している様子が伺える。
「……す、すまぬ、レオン。私達を呼び戻してくれたのだな……?」
「……あかん……お兄ぃ。僕、体力も魔力もすっからかんや……もう限界の限界やわ……悪いけど、このまま休まさせて貰うで……詳細は……フォス姉から……聞いて……」
そして左腕で抱き止めていたクリスが、俺の腕から抜け出し、力なくフラフラと奥の寝室となる小部屋へと向かって行く。
「……ほな、僕、寝るわ……自分が起きるまで起こさんといてや……メッチャクッチャ消耗してるさかい……取りあえず……寝て……回復……する──」
そしてボフッと、そのまま自分のベッドの上にうつむせになって倒れ込んだ。
「──わ…………すぅーーっ、すぅーーっ……」
倒れ込むなり早速、寝息を立てるクリス。
余程体力を消耗し、疲れ果てていたのだろう。
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「……クリスにはすまぬ事をした。迷いの森は元来、我が主。風の大精霊の所轄なる領域……対となる火の属性のクリスには、かなりの負担を掛けてしまっていた様だ……」
俺の右腕に寄り掛かったままのフォリーが、力ない声でそう言葉を発した。
普段の毅然とした彼女にしてみたら、今の俺に自らの身体を預けるこの状態など、全く考えられない状況だ。
彼女も相当衰弱しているのだろう。
「まあ、今の状態を鑑みるに、フォリー。お前もそうではないのか? 俺としては、お前にも即刻休む事を提案するが?」
「……すまない。それではレオン。クリスの横のベッドを私に貸しては貰えないだろうか? 実はと言うと、直ぐにでも横になりたいのだ……」
……まあ、俺は別に構わぬのだが……。
「いいのか? それは昨晩俺が使ったベッドだぞ?」
「ふっ……彼のレオンハルト王なる者がそんな小事にこだわるのか? ふふっ、私は別に構わんよ。そなたが嫌なら、私はこのまま床に寝転がってもいい……」
「ふん、馬鹿を言う──」
俺はフォリーの肩を支え、奥の寝室へと向かった。
次に彼女をクリスの右隣りのベッドへと降ろす。
「すまぬ。悪いがマントを外してはくれないか?……情けない事だが、もうほとんど力が残ってないのだ……肩当てとマントは一体となっている……」
「了承した」
俺はベッドの上にキョトンと座る彼女から、見るからに窮屈そうな肩当て付きのマントを外してやった。
「胸当てはどうするのだ?」
俺のその問い掛けに──
「……ブ、胸当ては自分で外すよ……す、すまない……」
少し顔を赤らめる風の『守護する者』、悠久の時を生きる事が許された存在。ハイエルフのフォステリア。
フッ、まあ、彼女も結局は女という事だ──
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──カチャカチャと音が聞こえ、やがて胸当てを外し終え、緑色の軽やかな肩紐服姿となったフォリーが、俺に声を掛けてきた。
「レオン、クリスがうつむせになっていて可哀想だ。すまないが仰向けに寝かしてやってくれないか? 後、あいつはいつも法衣の下に軽鎧を着込んでいる。できたら外してやって欲しいのだ」
「了承した」
いつもより覇気が衰えたその声に、俺は素直にクリスの元へと行き、身体をまさぐった。
「──ぬぅ!?」
「どうかしたか? レオン!」
「……いや、クリス。法衣の下に軽鎧など付けてないぞ?」
「……えっ?」
「見ろ。こいつの法衣の下は、下着となる薄手のチュニックのみだ」
俺は眠っているクリスを抱きかかえ、法衣の首元を掴んだ。そして、それをわざと宙ぶらりんにして、フォリーにもよく見えるよう、彼女の方へとクリスの頭を向けてやった。
宙ぶらりとされている事によって、大きな白い法衣の首元がダラリとだらしなく垂れる。
その空間に軽鎧の“ラ”の字もなく、ぶかぶかの肩紐チュニックのみで、ほぼ肌色一色だった。
「ふっ……はははははっ、クリスめ。あいつ、実戦じゃないからってサボったな……」
俺の手によってぷら~んと宙に吊るされ、ゆっくりと回転しているクリスの身体。
その間にもクリスの口からは、「くか~っ、くか~っ」という寝息は途絶えない。
かなり深い眠りに陥っている様子だった。
まあ、無理もない。今の今まで生命在らざる者が決して踏み入れる事ができぬ領域。
常世、幽世なる“精霊界”へと赴いていたのだから──
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……ふむ。まあ、それは別として、クリスがこう宙ぶらりんとなってる絵。市場に吊るされた食用の子ブタに見えなくもないな……。
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「──ぷっ、あははははっ! レオン。頼むから今のクリスをこっちに向けないでくれっ! はははははっ!……まあ、吊るされた子ブタの様に可愛くはあるがな……」
「了承した」
どうやらフォリーも俺と同じように感じたらしい。
俺は宙吊りにされたクリスをくるりと回転させ、頭をこちらへと向けると、腕に抱きかかえた。
それを確認したフォリーが再び、俺に話し掛けてくる。
「度々すまないが、クリスの法衣を脱がしてやってくれないか? そして仰向けに寝かして布団を掛けてやってくれ」
「了承した」
フォリーの要望通りにクリスの身体から白い法衣を引っぺ返した俺は、下着姿となったクリスを仰向けに寝かせ、最後に胸元まで布団を掛けてやる。
「ありがとう──」
その声に振り向くと、ベッドの上で腰の辺りまで布団を掛け、上半身を起こした肩紐の緑色の服を纏った金色の髪の美女が、微かに笑みを浮かべながらそう言うのだった。
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「──さて」
俺は短く彼女に声を掛ける。
「ふふっ……実はと言うと、私も心身共に既に限界なんだ。今直ぐにでもバタッと寝ちゃいたいくらいだ。だけど、クリスティーナに報告お願いって、言われちゃてるし……な?」
「……で、俺は次に何をすればいいのだ?」
「ふふっ、すまない。じゃあ、椅子をひとつ。こちらの部屋に持ってきてくれないか?」
「了承した」
俺は部屋を出て椅子をひとつ持ち込んでくる。
「次に私の隣に椅子を置いてくれ」
「了承した」
ゴトリと、俺はフォリーが上半身を起こしているベッドの隣へと椅子を置く。
「そしてその椅子にレオン。そなたが腰掛けてくれ」
「了承した」
ギシッと微かな軋む音を椅子が立て、俺はフォリーの隣に腰掛けた。
そんな俺を確認すると、フォリーはもう一度、ふふっと柔らかな笑みを浮かべる。
「ふふ……まあ少し重苦しい内容となるが……私の意識がまだはっきりとしている間に説明しておかねばな。デュオが帰ってくる頃には、おそらくは私とクリスはまだ深い眠りに陥ってる最中だろうから……」
「分かった。了承だ──」
俺は椅子に深く座り込み、背を預け、両腕を胸の前で組んだ。
そんな俺の様子に、フォリーは無言でコクンッと一度だけ頷く。
そして口を開いた。
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「では話そう。私とクリス。風と火を『守護する者』たる者、ふたりが精霊界に於いて想像し得なかった体験談を──」
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風が通る筈のない窓が閉じられた寝室。そんな無風の場所にいるフォリーの美しい金色の髪が、何故かサラリと少しだけなびいた──




