176話 究極の愛剣嗜好家
よろしくお願い致します。
───
とはいえ、いつまでもこうしてても仕方がない。
という訳なので──
『全く話が進まないもんな……』
『だよ~。がんばれ、アル!』
………。
……って。やれやれ、ノエルってホントに呑気なやつだよ……でもまあ、俺としてもそろそろ本気で先を進めないとな……。
──さあ、ばっち行くぜっ!!
───
「コ、コホンッ──そういえばふたりの姿が見えないけど、フォリーとクリスは一体、どうしたの……?」
帰って部屋のドアを開き、入ってきた俺の姿をチラリと一瞥しただけで、特に何事もなかったかの様に自身の剣に砥石を用いて研ぐという作業をし続けるレオン。
それは俺が買い出しを終えた大量の荷物を、「ふぅ~っ」と声を漏らしながら部屋の床にドサッと下ろしている最中も止める事はなかった。
そして今、ようやく俺がそう声を掛けると初めてその手を止めたのだった。
「ふむ。帰ったか、デュオ。思いの外羽を伸ばしてきたようだな?」
こちらを見ずにそう声を発したレオンは、直ぐに研ぐ作業に再び戻る。
───
……ってかさぁ。さも今気付いた様に言わないでくれる?
ずっと前から分かってた筈でしょーーがっ!?
だがしかし、俺達自身の責任で思いの外時間を食ってしまった事は、否めない事実な訳であって。
実際、レオンに頼まれていた聞き込みの件は……ううっ、ホントに申し訳ないけど……色々と事情が重なって、からっきし……っていうか、全くと言っていい程できなかったもんな~~っ。
一方のあんたは、ずっと砥石による刃研ぎをし続けていたみたいだけど……疲れてはないのかな?
……っていうか、むしろ今の方が絶好調に見えなくない??
───
「ああ……ま、まあね……ちょっと運悪く、複数のイザコザに巻き込まれちゃってさ……あは……あは……あはははは……」
渇いた笑い声で、何となくだけど、ごまかしたつもりの俺。
すると、剣を研いでいたレオンが再度動きを止め、正面の自身の剣を見据えたまま、スッとこちらへと手を伸ばしてきた。
「はい?」
「デュオ。砥石だ」
「あっ……勿論買ってきてるよ。え~っと、砥石、砥石と……」
俺は部屋に置いてある、レオンに頼まれて新たに50個購入した物が入った革袋を、ゴソゴソとし始めた。
そして考える。
───
……砥石って……確か、朝。ここから出る時に、レオン。今から剣の手入れを始めるって、テーブルの上に軽く確認しただけでも30個くらいは並べてあったよな?
……ま、まさか……いくら何がなんでも……。
そんな事を考えながら、俺は革袋から砥石を三つほど取り出し、レオンに手渡した。
「うむ。ご苦労──」
俺は渡しもち、チラリとテーブルの上を目で確認する。
だが、テーブルの上に白い砥石の姿はひとつ足りとも視界に捉える事ができなかった。
───
「!!──マ、マジでっ!? ホントにキッチリ使い切ってしまってるやないかあぁぁーーーいっ!!」
思わず手を上げ、そうツッコんでしまう。
そう、テーブルの上にズラッと並べられていた筈の砥石は、全てきれいさっぱりなくなっていたのだった。
──シャッシャッシャッ
俺の上げた大声など、全く気にせずに、レオンが俺から受け取った新しい砥石で早速、研ぎの作業をまたもや再開させていた。
「え、え~っと、つかぬ事をお伺い致しますが、レオンさんや。今朝ここに並べてあった、たくさんの砥石さん達は、今はどこに行っちゃったんスか……?」
──シャッシャッシ……
俺の問い掛けに、一瞬だけ研ぎ作業の音が止まった。
──シャッシャッシャッ
そして再び聞こえ始める。
「ふむ……それならば俺の足元にある箱の中だ。既に使い果たしてある」
……マ、マジか……よ……?
その言葉を聞いた俺は、屈み込み、レオンの足元をそっと確認した。
そこには彼の言った通りに、小さな木箱の中にてんこ盛りにされた白い砥石の最早、豆粒程の大きさまで磨り減った使いカスの姿が確認できたのだった。
『……う、嘘っ! さすがに冗談……だよねっ……!?』
ノエルの震える声が頭の中に響いてくる。
さもありなん。彼女が例え言ってなかったとしても、おそらく俺が──
「う、嘘っ! さすがに冗談……だよなっ……!?」
……って、俺も実際、声に出して言ってしまってるやないかあぁぁ-ーーいっ!
「まあ、研ぐという作業。その大筋の概要は、刃が磨耗し、先端部分がダレて丸みを帯びてしまい、切れ味が低下している状態を、粒子が細かい石。即ち砥石という用具を用い、磨耗してダレた刃先を擦り、摩擦する事によって、その細かい粒子で刃先の金属を削ぎ落とし、再び鋭利な刃先を再生する作業の事だ」
「……そ、その通りなんだけど、え~っと、その……ちょっと説明が長いです……」
『……へ、へぇ~……そ、そうなんだ……』
「刃先を研ぐ──元来それは、砥石を用いて己の持てる最大限の技術を駆使し、指先の感覚だけで剣先の千分の1ミリ単位の金属を削ぎ、均等に均し刀身の切れ味全体を高める。即ち、高精度が求められる超特技能があればこそ、成される事ができる高技術作業の事なのだ」
「……そ、そうなんスね……?」
『……そ、そ……っていうか、何言ってんのか、もう私には訳分かんない……』
──シャッシャッシャッ
「だが、我が銘刀ハバキリに於いては、この刃研ぎの作業が中々特殊でな。あまりに過剰となる鋭利な刃故に、刃研ぎを施しても刃先は、ほぼ全く擦り減る事はなく、逆に通常の倍以上の速さで、むしろハバキリの鋭い刃先によって、砥石の粒子の方が一方的に削ぎ落とされる事となるのだ」
「……お、俺……じゃない、私も最早何の事か……訳分かんなくなってきたわ……」
『……は、はぁ~?……もう、どうでもいい……よ?』
──シャッシャッシャッ
「まあ、要約するとだな。我が剣、ハバキリがあまりに銘刀過ぎるが故、砥石による刃研ぎ作業が、あまり意味を成さぬ。そう言いたいのだ。なので見ての通り、砥石ばかりが磨り減り、この様に使用済みとなって俺の足元の箱の中に多量に転がっている訳だ」
「……何それ。だったら、今のやってるそれも意味ないじゃん……っていうかさ。前からずっと思ってたんだけど、レオン。ハバキリって、凄い名剣なんだろ? そんな剣に刃研ぎってそんなにマメにする必要あるの? 私に言わせるとレオンがいつもやってるのは、全く無駄な行為に思えるんだけど……?」
『……う~ん……やっぱり、もうどうでもいいよ。さっぱり訳分かんないよ……』
──シャッシャッシャッ
「そんな、ただ無駄と思える様な行為を俺がすると思うか? そうだな、まあ、刀身にこびり付いた僅かな汚れや滲み跡等を摩擦によって落とす事が主な目的となってはいるが、この行為によって俺が得る事のできる最大の喜びは──」
「……ゴ、ゴクッ……最大の喜びは──?」
『……私……何か眠くなってきたよ……』
──シャッシャッシ……
レオンは研ぐ作業をピタリと止め、俺へと振り向いた。
「剣の“表情”だ──」
「──へっ……??」
『ん……ムニャ……って、ん、んんっ……??』
「剣が醸し出す表情。それは即ち、俺が砥石を用い、刀身を磨く事よって、こいつの放つ白銀の煌めく輝きが、その都度。実に色とりどりの異なる色の揺らめきとなって、俺に『銘刀ハバキリ』──その己が自らの存在をより明確に示してくれるのだ。その様な多数の揺らめきとなるものが、言わばハバキリの“表情”──俺はそれを感じ取る事によって、実に満ち足りた充実感を得られる事ができるのだ」
「……うんっ! よく分かったよ……!」
つまり……。
『レオンさんって、結構な変態さんって事……?』
『……だーーっ!! “変態”って言うなーーっ! レオンはスッゴくカッコ良くて、己の確固たる信念を重んじる尊敬に値する人物なんだぞおぉ~~っ! 特に男にはなっ。女には分からない男だけが感じる浪漫ってもんがあるんだよっ!』
『だって、現にそうじゃない?』
………。
……そ、それは………。
……その通りですね……はい……。
『……で、ですよねーーっ!……ぐすんっ、レオン。実に残念過ぎるよ……』
『はいはい。よしよし、泣かない泣かない。ノエルさんが慰めて上げるからね~。アルはホント、いい子だよ~~っ!』
『……うん。ぐすんっ……あんがと……って──なんでじゃっ! 俺、全く関係ないじゃんっ!!』
───
とか何とか、くだらないやり取りを続けていると──
──ガタッ
音が聞こえ、レオンが椅子から立ち上がる。そして。
──チャリ。チンッ─
自らの愛剣。銘刀ハバキリを腰の鞘に納めた。
「まあ、冗談はさておいてだな。先程のお前の問いの答えはここにある」
そう言いながら、この部屋の奥にあるもうひとつの小さな部屋の前へと歩いて行き、俺にこいとばかりに、クイッとあごをしゃくって見せた。
それに従い、俺がそこに行き、奥の部屋の様子を伺う。
「──あっ……!!」
『フォリーさんっ、クリス君っ……!?』
───
そこには狭い部屋に横に並べられたベッド。
それらふたつの上に、それぞれ仰向けになり、毛布を胸元まで掛けられたフォリーとクリスが、まるで泥の様に深い眠りに陥っている様子が目に入るのだった。
「フォリー、クリス……一体、何があったんだ……?」
『……フォリーさん。クリス君……ふたり共大丈夫なのかな……?』
俺達が呟く声に──
「ふむ……詳しい事情は後で説明するとして、まず、取りあえずは腹ごしらえだな」
レオンがそう言葉を発した。
それと同時に。
──ぐうぅ─きゅるるる─
……へ……?
『ああ~~っ、アルってば、お腹の音なんてならしてるっ! はっしたないんだ~~っ!』
『ぐぐっ!……って、仕方ないだろっ! よく考えたら、ルッカさんと食べたフランだっけ? あれからほとんど何も食べずに今まで、ずっと這いずり回ってたんだからさっ!!』
『まあ、そうなんだけどね』
『それにお腹なってんのは、ノエル。お前自身の身体じゃねぇーかよっ!』
『……にゃは。確かにそうだったね。すっかり忘れてたよ……にゃははは』
『─ったくよ……』
そんな俺のお腹の音に気付き、レオンがボソリと呟いた。
「ああ、そういえば、俺も朝から何一つ口にしてなかったな。少しハバキリの手入れに邁進が過ぎたようだ。以後気を付けるとしよう」
「……マジかよっ!!」
『……マジですかっ!!』
レオンはそう言うと振り返り歩き始めた。
「どうした。行かんのか? この冒険者宿。華山亭の食堂は、何でもこの街一番の肉料理を出す事としても有名な名店らしいぞ?」
と、その声に。
──ぐうぅぅ~きゅるるるるる~~っ─
「是非お供致しますっ!!」
『─っていうか、是非お供させて下さいっ!!』
───
もう一度豪快にお腹の音をならせた俺達デュオの姿が、シュタッと素早くレオンの後に移動するのだった。