171話 負の連鎖
よろしくお願い致します。
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「──!?」
ふと、何かの気配を感じ、テラマテルはゆっくりと振り返る。
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「……ふぅーーっ! ふぅーーっ! ふぅーーっ!……」
それは、息も荒々し気に剣をこちらへと向けるアンナの姿だった。
「──」
髪は大きく振り乱れ、身に纏ったドレスは、我が愛娘リーザの鮮血によって真っ赤に染まっていた。そしてその表情は狂気で大きく歪んでいる。
「ふぅーーっ! ふぅーーっ!………殺してやるっ! 殺してやるっ! 殺してやるっっ!!」
アンナは両手に持った剣を大きく振り上げた。
「あんたもあの子と同じ様にして、殺して──ぶっ殺してやっるううぅぅーーっっ!!」
剣を大きく振りかぶったアンナが、目に狂気の光を宿らせてテラマテルへと襲い掛かった。
最早、今の彼女の中にあるのは、自らの意識さえ捉えられた“復讐心”のみ──
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──ズッシャァァッ!
剣を振り下ろす音と、斬り裂く音──
そしてゴトリと何かが地面に転げ落ちた。
続いてドサッとドレスを纏った小さな身体が、打つむせに倒れ伏す。
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平凡な一般人としての存在である人間の女性、アンナ。
ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通に育ち、そして青年実業家、ドルマン・ラチェットに見初められ、彼と恋仲になり、時をあまり経たずしてその姓をラチェットと変えた。
やがて、ふたりの間にリーザという一子をもうけ、ドルマンの事業も順調で、かつ近時。夫となる彼は、行政を執り行う議会代表者にも推薦された。
まさに明るい未来を約束された、順風満帆となる一家の筈であった。
そんな自分が、まさか今のこのような惨状にまみえる運命だったとは──
そう考えたアンナは、咄嗟に近くにいた傭兵の腰から剣を奪った。勿論の事、そんな物を手にするのも初めてであったし、使い方も全く以て分からなかった。
だが、これも狂気に囚われた人間の成せる業の術というものなのだろうか?
彼女が振り下ろした剣の切っ先は、少女テラマテルの白くて細い首を確実に捉え、そして斬り裂いたのだった。
アンナ・ラチェットという名の一般人──
そういった“定義”の存在である彼女の行為によって、選ばれた特別な存在である『守護する者』──その“定義”の者、テラマテルの首が切断され、地面に転がり落ちる。
そんな更なる白昼夢の様な光景に、周囲の者はただ、ただ、皆一様、呆然とするしか術はなかった。
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「……な……ぜ……何故何故何故! 何故! 何故! 何故! 何故!── 一体、何故なのよおおぉぉぉーーっ!!」
アンナは手に持っていた剣を、まるで穢らわしい物でも投げ捨てるかの様に地面に放り投げ、頭を両手で抱えながら身震いさせていた。
「『守護する者』テラマテル……あなたみたいな存在の者が、なんで私なんかに殺られるのよおおぉぉーーっ! こんなのって絶対におかしいじゃないっ!……『守護する者』に対して剣を振るったのよっ! 私はこれで殺される……これで……これで……やっと、私も夫と娘の元に逝ける……そう思ってたのにいぃぃーーっ!…………こ、こんのなの……こんなのって──」
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そうなのだ。剣を初めて握る──素人であるだだの一介の婦人。アンナの腕で、絶対に『守護する者』テラマテルが倒されるであろう筈がない。
彼女はわざとそれを行い、そして死ぬつもりだった。
だが、現実はそうはならず、剣を振り下ろすアンナに対し、テラマテルは構えるどころか、むしろ狙いやすくなる様、まるで首を差し出す様に微動だにしなかったのだ。
そして実際にテラマテルは首を切り落とされ、地面に倒れた──
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アンナは崩れる様にその場で両膝を着き、忌々し気に両手で地面をバンバンッと叩く。
「──こんなのって酷過ぎるじゃないいぃぃぃーーっ!!!」
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「テラ言った。“人を殺めた者でないと、テラは──ママは人を殺さない”と──」
「──!!」
不意に聞こえてきた声に驚き、アンナがその方へと目をやる。それは──
切断され、まるで地面から垂直に生える様に、転げ落ちて首だけとなっていたテラマテルだった。そして驚くべき事に、こんな惨状にも関わらず、彼女の身体近辺一帯には、ただの一滴の血も伴っていなかったのだ。
アンナを含め、そんな光景を目の当たりにする全ての者が、驚愕に心を奪われる。
「テラは“人じゃない”から──」
地面に落ち、首だけとなったテラマテルの口から、そう言葉が発せられる。まるで信じられない悪夢のような光景──
だが、首だけとなったテラマテル。彼女は変わらずの無表情だったが、両の目の黄緑色の瞳だけは澄んだ光を宿していた。
そんな存在が、今もなお言葉を発し続けている。それはまるで生命を持たない“人形”の首を連想させた。
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「……テラマテルっ!……あなたは……あなたは一体っ……!?」
そのアンナの声に、首となったテラマテルが答える。
「アンナ。キミ、テラは“人”じゃないので、”自らの命を以て人の命を奪った自らの罪を償う”──今回のこの行為は、それを免れる事ができた」
「!!──う、ううっ……」
漏れるアンナの怯え、狼狽える声。
「だけど、娘リーザの命を奪ったテラを、キミはさっき実質上殺した。それこそ元来人が、今まで何回も繰り返してきた負うべき罪となるモノ。そんなキミに聞く──今のキミの中には何が残った?」
「……ううっ……うああぁっ!」
「“奪った者”の命をいくら“奪っても”キミの元に夫であるドルマン。娘であるリーザは絶対に戻らない。決して何も残らない。復讐心は満たされても、得るモノは何もない。そう、今キミの中にあるのは、ただ虚しいだけの虚無感──そして何も残らないだけばかりではなく、それは新しいモノを確実に生み出す──」
淡々と語る首だけのテラマテルに、視線を釘付けとなったアンナが、目を逸らす事なく、まるで駄々っ子のようにイヤイヤと頭を激しく振る。
「それは更に“奪われた者”となった新たな復讐という“ココロ”──今回はテラだったケド、本来ならばキミの手によって殺された者の“復讐心”を持つ者によって、アンナというキミは、いずれ命を奪われる運命となったのかも知れない。そしてその“復讐心”は更に次の者に引き継がれるコトになる──」
「……うっ、ううっ!……嫌!……嫌っ!……嫌っ!!──」
アンナはテラマテルの澄んだ瞳を見つめながら、激しく頭を振り続ける。
「そしてそれは“負”の連鎖となって永遠に途切れる事はない。だから──」
「──い、嫌あああぁぁぁーーっ!!」
「テラが、地の大精霊が、それを例えほんの少しでもキミ達、人に知らしめる──認知させる為に、“命を以て命を奪った罪を償わさせる”、今の様な執行行為を繰り返し執り行っている。そしていつか、それを理解してくれる時がくれば、ママはきっと喜んでくれる──」
「──嫌あああああああああぁぁぁーーっ!!」
テラマテルの紡ぐ言葉に、アンナは堪らず絶叫の声を上げた。
やがて、徐々に地面に落ちているテラマテルの瞳の光が、消え失せようとする。
「──ヒト──それを─忘れ─ないよう─にして─欲し──い──それが、テラと──ママの──責務──」
「──嫌ああああああああああああああああーーーっっ!!!───」
大絶叫の後、気を失ったアンナがその場に崩れ落ちた。そして──
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「──最後に──地の大精霊──がキミ達に──伝えたい事がある──らしい──」
地面に落ちているテラマテルの澄んだ瞳──それに宿っていた光も完全に失われるのだった。
周囲を囲む者達からは、この現実とも思えぬ光景に心を奪われ、皆身動きできずにいた。そんな中──
やがて、地面に転がった最早瞳が白濁としたテラマテルの頭から、今度はその小さな口が動く事はなく、言葉となる“念話”が発せられ始める。
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『──かよわき脆く、なんとも愚かな存在。だけど、最も愛しくもある人間──わたくしは永きに渡り、罪を罪で積み重ねる愚行。それを、あなた達人間に最も愚かな行為だと感付いて貰える様。時には冷徹に、時には厳しく、死には死を以て報いる──処刑の断行を何度も繰り返し、執り行ってきました。全ては“負の連鎖”、その断ち切る方法を、人間。あなた達自らの手で見出だして貰うが為に──けれど……』
瞳の光を失ったテラマテルから、辺りに響く様な念話の声が澄み渡る。
『時既に遅し──“滅びの時”、それは既に始まってしまいました。だから、今は次に創造される世界に罪による“負の連鎖”が、成り立たない様。あなた達人間に是非ともその解決の糸口を、例えほんの僅かでも見出だして欲しいと願うものです──残された時は、もうあまり長くはありません。勿論の事、わたくしも“それに”対して徹底的に抗うつもりです。だから、次に創造される時に於いては、今度こそ“負の連鎖”を断ち切る──その方法を必ずや見出しなさい。それこそがわたくしの望まんとするものです』
やがて地面に伏せていたテラマテルの身体と、言葉となる念話を発していた頭が微かな光──地の精霊を象徴とする黄色となる色の光を徐々に帯びていった。
『──決して同じ過ちを繰り返さぬ様……わたくしは、わたくしが愛した愛しい者──その全てが滅び逝く様を、もう見たくはない──』
そしてそれは、より一層輝きを増して金色の輝きとなる。
『それでは、またいつの時か──再び逢うとしましょう。愛しき我が子、“人間達”──』
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温かくもあるが、冷徹ともとれる毅然とした口調。
その言葉となるものを最後に、金色の閃光と共に、大地に転がっていた地の大精霊を『守護する者』テラマテルの姿は、夢幻の如く掻き消えるのだった。
◇◇◇
──今より時を遡る事、数刻──
ロッズ・デイク共国領内にある、未知なる深い樹海。『桃源郷』と呼称されている地に於いて、一体の年老いた巨竜が横たわっていた。
金色に輝く鱗の、あまりにも大きな巨体。
──『地の守護竜』
かつて、そう呼ばれた古代竜のひとつ。今は唯一、この世界に於いて現存する残された最後の一体。
──鳴地竜ウィル・ダモス。
樹海の地面に埋める様に着けたその巨大な頭の目は閉じられていた。
おそらく、今は眠っているのだろう。
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『──!?』
何かの気配に気付くかの様に、巨竜。ウィル・ダモスの閉じられた目が見開かれる。
金色の巨大な瞳の瞳孔が、ギョロリと蠢く。
その瞳に映ったのは、自身の鼻先の地に立つ、漆黒の鉄仮面で頭を覆った黒い法衣姿──おそらくは、“人”の様だった。
そんな魔導士を彷彿とさせる風貌の者から、不気味な声とも音とも取れる言葉が発せられる。
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『我が名はアノニム。地の『守護竜』ウィル・ダモス。汝が“魂”、“存在”。それを貰い受けにきた──』