170話 贖罪
よろしくお願い致します。
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首都インテラルラ。オーラント商工会立館付近となる周辺地一帯。
そこに於いて『守護する者』と黒い者達。ふたつの存在が激しくぶつかり合い、戦闘を繰り広げ、そして戦いは終結したのだった。
辺りは今、議会となる者達が雇った各傭兵団。または一般人などの群衆が群がり、多数の人だかりとなって集まっている。
にも関わらず、誰ひとりとして声や音を一切発しもせず、周囲は不思議とも取れる静寂な空間となっていた。
そんな中。
何処かで聞こえてくるふたりの女性。そのすすり泣きとなる声──
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「……うぐっ……ううっ、うあっ……うう、ああっ……お母さあぁんっ!……お母さあぁんっ!……あ、あたし……あたしっ、なんて……なんて取り返しのつかない事をっ!……うっ、ううっ……うああぁぁっ……!!」
「……リーザっ! ああ、リーザっ!……あなたは操られていたの!……だから、だから……あれは、あれは……あなたがやった事じゃない! ドルマンは……あの人はっ!……う、うう……うううっ……」
今、群衆が見入っているのは──
先程まで首なし騎士。ジョクラトルに取り憑かれ、死神となって操られていた少女。リーザ・ラチェットと、その母親であるアンナ・ラチェットが互いに抱き締め合い、慟哭している光景だった。
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「……お母さん……ごめんなさい!……本当にごめんなさい! あたし、あたし……どうしたら……一体どうしたらっ!……お父さん……お父……さん──」
その傍らには、物言わぬ遺体となった彼女らの愛する父親であり、夫であるドルマン・ラチェットが、死に際に見開かれた目を閉じらされ、胸の上で両手を組み合わせ、仰向けに寝かされている姿があった。
「その事はいいのっ!……もういいの……あなたの……リーザの意思なんかじゃない。あなたに責任は何ひとつないの。だから……だから、リーザ。あなたが無事で本当に、本当に良かった……あなたまで失ったら……私、私……うっ、ううぅっ……うああぁっ……」
「……お母さん。お母さん……お母……さん……ママ──」
抱き締め合い、互いを慰め合う母娘。そして亡き者となった、彼女ら最愛のひとりの家族。
無情とも取れる情景に変わってしまった家族三人の姿を、見入る様に周囲の者達が見守る中。彼女らの元に近付くひとつの存在の姿があった。
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翡翠色の地面に届く程の長いツインテールを揺らし、静かな足取りで、ゆっくりと歩み寄ってくるワンピース姿の少女。
そう、地の大精霊を『守護する者』──テラマテルだった。
彼女は相変わらずの虚ろ気な無表情で、黄緑色の瞳だけが、ずっとリーザという少女の姿を捉えている。
周囲の者達の目に映るそれは、いつの間にか人間としての腕へと形を戻し、翡翠色の大きなふたつのおさげにワンピースを纏った小柄な少女の姿──まるで妖精さながらのようだと、皆は感じるのだった。
そして近付くテラマテルの姿に、周囲を囲む者達は、無言で彼女の行く先となる道を次々と開けていく。
やがて、その姿に気付いたアンナが、リーザを抱き締めたまま声を上げた。
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「──ああっ、『守護する者』テラマテル様! この度は娘を救って頂き、本当に、本当にありがとうございました!」
その声に、彼女の胸に顔を埋めていたリーザの身体がピクリと動き、そして振り向いた。
「あたし……あたしを救ってくれた……人?」
そう声を掛けられた少女。テラマテルは何も答えず、ただ無言でゆっくり母娘の元へと、更に近付いて行く。
やがて辿り着き、立ち止まった。
「そう……なんですね。あたし……あたしは、あなたに救って頂いた……ありがとうございます……」
アンナに肩を抱かれ、立たされたリーザが、涙混じりの声でそう言葉を発した。
それを傍らで支えるアンナが言葉を続ける。
「本当にありがとうございました。テラマテル様──」
そこでようやく口を開く『守護する者』テラマテル。
「礼はいらない。テラはママの言い付け事。テラのするべき任務を実行したマデのコト──」
テラマテルはそう答え、そしてボソッと呟いた。
「それに、テラの任務。まだ終わっていない──」
そこでアンナは、テラマテルがずっとリーザだけを見ている事に気付く。
「……テラマテル様?」
訝しがるアンナの声。
「ママは言う。感情を持つ人間。それには、常に罪という枷が付けられている」
「……テラマテル……様?」
「──え?……どうしたの。ママ……」
不安がるリーザの声。
「目には目を。歯には歯を。命を奪った者は命を。ママは罪という枷を課せられた人の行為を、常に監視している。だから──」
「!!──あ、あなたは……一体何をっ……!」
「──ママ……」
テラマテルは小さく口を動かした。
「右腕擬態化──剣」
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──ヒュンッ
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「──あっ……」
「えっ──」
風を切る音が辺りに響く。
同時に金髪の少女。リーザの首が、血しぶきと共に宙を舞った──
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「テラ。今回の任務完了──」
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「──あああああああぁぁーーっ!……嫌あああああああああぁぁーーっ!!!」
絶叫となる声を上げ、アンナが地面に転がる、先程まで確かに生きていた我が娘の首を拾い上げる。
その切断された少女の顔は、驚きの表情でカッと目は見開かれていた。
「……いっ──嫌あああああああああああああああああああぁぁーーっ!!!」
狂った様な雄叫びを上げながら、頭だけになってしまった我が娘を、項垂れ地面にへたれ込み、血塗れとなって腕の中に抱き締めるアンナ。
「嫌あああああああああああああああああああぁぁぁーーっ!!!」
想像も付かない予想外となる顛末の光景。
周囲の者達は一言も発せず、ただただ、見入るのみだった。
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「嫌あああああああぁぁーーっ!! 嫌あぁぁ……嫌ぁぁ……嫌……嫌……嫌……嫌……い……や……」
首となってしまった我が娘──数刻前までは、親娘三人で一家団らんとなる食事を共に楽しみ、可愛らしい笑顔を自分にくれた最愛の娘。
先程までは共に抱き締め合い、互いの無事に生きている温もりを感じ合った、最早自身の命よりも大切だった存在。
そう、リーザはさっきまで確かに生きていたのだ。
だが、今は──
腕の中で物言わぬ首となってしまったリーザを、抱き締めた血塗れのアンナが、うつ向いたまま怨嗟となる言葉を吐く。
「……な、何故! 何故! 何故!……何故リーザがこんな惨いめにっ!!……リーザは!……娘は!……操られて父親をっ! 人を殺めたのよっ! 自分の意思なんかじゃない! リーザに罪はないのよっ!……なのに、なのに何故、何故こんな……こんな……こんな惨い事をおおぉぉぁーーーっ!!」
テラマテルは右腕の形状を元に戻しながら、無表情の顔で答える。
「ナゼ?──ナゼ彼女に罪がない? リーザ・ラチェットは、ドルマン・ラチェットという人を殺した。よって、これは罪──」
「……だ、だから……だからあぁぁーっ! 娘は操られていたのよっ! あの子の意思なんかじゃないのおぉーーっ!! あの子に罪なんてないっ! 罪なんてないのよおおぉぉぉーーーっ!!」
狂った様に泣き叫ぶアンナに、無表情なままで見下ろしながら、テラマテルは続けて問い掛ける。
「ナゼ? ナゼ罪にならない? 自分の意思じゃなくても、“リーザ・ラチェット”というひとりの人間は“ドルマン・ラチェット”というひとり人間の命を奪った。それは事実──」
「!!──だっ……だからあぁ……」
アンナの声を遮る様に、テラマテルは言葉を続ける。
「例え操られていたとしても、人を殺したのは彼女という“人間”としての存在自身。それにより、ドルマン・ラチェットという、ひとりの“人間”の未来が奪われた」
「──!?」
「愛する自らの妻と娘、共に幸せに暮らす未来──」
「あ──」
「自身の事業を成功させる事を夢見る未来──」
「うっ………」
「自らがまだ経験していない事を、経験できる筈だった未来──」
「………」
「この世界に存在する権利を、“人間”として存在していた彼女は“人間”として奪った──どんな理由があったとしても。どんな事情があったとしても。それを行ったのは彼女という“人間”としての存在。だから、これは“リーザ・ラチェット”の罪。よって、彼女には命を奪った償いとして、命を以て償わさせた──それだけのコト」
虚ろな表情で、全く感情を感じさせないテラマテルの言葉に、アンナはもう声も発する事さえできずに、ただ、ワナワナと身体をうち震わせるのだった。
「人が感情を持つ──その時点で既に“罪“、テラはママの言う通りにしてるダケ。ママは罪の枷をした人間。それが行った行為に対して、同等の行為を施す洗礼の執行者──テラはその代理人」
その言葉に、うずくまっていたアンナがガバッと顔を上げた。
「……ええ、あなたは死刑の代理人!……だったら、だったら!……私を!……私も殺してっ!!……愛する夫と娘を失って、私はもう生きていたくはない! だから、お願い! お願いよっ! 私を殺して! あの子の様に……あの子と同じ様に私の首もはねて頂戴よっっ!!」
半ば狂乱となって叫ぶアンナに、テラマテルは答える。
「それはできない」
「……何故──なんでよおぉぉーーっ!!」
テラマテルの小さな口から、諭す様な言葉が発せられる。
「アンナ・ラチェット。キミは“人を殺していない”。だから──」
「──!?」
その言葉を聞き、アンナは再び地面にうずくまり、慟哭の声を上げるのだった。
「──おおおおおおおおおおおおおぉぉーーっ!!」
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そんな姿を見下ろしながら、テラマテルはボソッと呟いた。
「──うん。分かった、ママ」
そして慟哭するアンナへと言葉を発し始める。
「いつもなら、咎人の亡骸は、テラが回収する。だけど、ママが言ったので今回は回収はしない。ここに置いておく。処理はキミの好きにすればいい」
「……おおおおおおおおお……」
「それと死にたいのなら、自身の手で死ぬ事をテラは推奨する」
「──おおぉぉ……?」
そしてテラマテルは振り返る。
「誰かに頼んで殺して貰ったら、ママの仕事が増えるダケだから──」
その言葉に声を詰まらせたアンナが絶句し、思わず顔を上げ、テラマテルの後ろ姿を凝視する。
だが、それは再び慟哭の声へと変わった。
「──おおおおおおおおおおおおおぉぉぉーーっ!!!」
そんな雄叫びを背後に、地の大精霊を『守護する者』。翡翠色のツインテールの少女が、この場から立ち去る為に歩き出す。
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「今回はあの子の『食事の』材料は手に入らなかったケド──」
誰もが呆然とする中。小柄なワンピース姿のテラマテルが、この場から立ち去って行く。
「さあ、帰ろう。イオとオーサが待ってる──」
そう呟くテラマテルの頭に、自身の事を待つ、イオ。オーサ婆や。そして親代わりでもある巨大な竜、ウィルの姿が思い浮かんだ。
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──「おお、お帰り。テラマテルや」
──『テラ。今日もきてくれたのだな。会えて嬉しいぞ』
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──“テラちゃん”──
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そしてそれは、先程の母娘の姿と重なる。
互いの無事を確かめる様に、涙を流しながら抱き締め合うアンナとリーザ。
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──「ああっ……リーザっ! リーザあぁぁっ!!」
──「ううっ……お母さあぁん!……ママぁぁっ!!」
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そして最後に昔の情景が浮かんでくる。
手を伸ばし合うふたりの少女──
優し気な微笑みを自分に向けてくれる小さな女の子──
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──「……ふふっ、テラちゃん──」
──「ん、イオチャン──」
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「──」
「ん、なに? コレ──」
不意に立ち止まり、彼女は目尻に手を添えた。
「冷たい。コレは──“ナミダ”?」
そう、彼女の呟く通り、変わらず虚ろなだけの表情の両目から、およそ不釣り合いとなる涙が、今は確かに頬へと伝っていたのだった。
◇◇◇
「ウィル。テラには『ココロ』っていうモノがない。だから教えて、『ココロ』──気持ちっていうモノを──」
金色の竜の巨大な頭に身を寄せた少女。テラマテルが、囁く様にその巨竜に問い掛けている。
『……テラや……それでは、お前が大切にしている少女。イオが最後に言葉を発した時の事を思い出してみよ──』
「イオのコト?」
『……そうだ』
その言葉に、テラマテルは巨竜に身体を預けたまま、そっと目を閉じる。
やがて、浮かんでくる少女イオ。
彼女の事を、唯一『友達』と読んでくれた小さな女の子と別れる事になった最後の思い出──
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「──ダメえぇーーっ! こっちにきちゃダメええぇぇーーっ! テラちゃんっっ!!」
こちらへと手を伸ばし、絶叫の声を上げる少女の背後から、彼女をテラマテルをおびき寄せる為の囮とし、解き放った邪悪なる魔導士の手から、迸った目映い魔力の光線が迫る。
「イオ──チャン?」
「──!!……テラ……ちゃ──」
光線が直撃し、小さな女の子の頭半分が消し飛んだ──
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「──イオチャン??」
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やがて、地の大精霊を『守護する者』──テラマテルによって、辺り一帯は、邪悪な魔導士率いる魔物郎党共々、見渡す限り一面の焼け野原となった。
全てが無となり、唯一残った者は、頭半分を失った少女を大切そうに抱き上げながら、虚ろな目でじっとその姿を見つめている翡翠色のツインテールの少女の姿があるのみだった──
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──イオチャン──
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「なに? コレは──」
金色の巨竜に身を寄せていた少女が、疑問となる言葉を発する。
その目からは、流れる一筋の涙が──
巨竜は答える。
『テラや……お前も涙を流す……それが気持ちを感じる。即ち、『ココロ』を持つという者の証明だ……お前に『心』が存在せぬ訳ではない。お前は、ただ感じ方を知らぬだけなのだ……』
少女テラマテルはそっと目元に手を触れて、涙の感触を感じ取る。
「コレが“ナミダ”? コレが『ココロ』──?」
『そうだ。テラや……それが心──『感情』だ──』
◇◇◇
──ウィル。
テラマテルはそっと目尻を拭い取った。
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──「任務に時間を掛け過ぎた。今日はもう遅い」
──「ウィルの所に行けなかった」
──「明日にでも行こう」
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──「お休みなさい。ウィル──」
そしてテラマテルは、帰路に向かって歩を踏み出す。
色々と考察すべき事はあったが、取りあえず今回、自分に課せられた任務は全うできたのだ。
──だが、まだ事態は完全に“結”とはなっていなかった。
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それを確証するかの様に、テラマテルの背後へと迫る何者かの姿が──