15話 悠久の二人組
よろしくお願い致します。
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俺の上げた怒声に、少女が驚愕の表情で自身の右手にある魔剣、即ち俺の事を凝視する。
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「わわっ、剣がしゃべった!」
『何をしようとしていたんだっ!』
「う、腕も動かせない……」
『………』
「も、もしかして、あなたって、悪魔なの……?」
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どうやら、かなり混乱している様子だ。まあ、この状況じゃ当たり前か、いきなり両腕が勝手に動き出したり、剣が言葉をしゃべり出したらなぁ。
俺もちょっと頭に血が登ってたようだし、ここは取りあえず一旦、落ち着かせなければ。
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俺は魔剣を持つ彼女の右腕を、大きく天に掲げた。
『はーいっ、この剣に注目! 気が動転しているのは承知致しておりますが、まずは一度、深く深呼吸をして下さーいっ!』
「!?」
俺のその言葉に、怪訝そうな表情を浮かべる彼女。
『はーいっ、それじゃ、深呼吸行きますよ~~。すーーっ、はぁーー』
「………」
『すーーっ、はぁーー』
とは言っても俺は深呼吸する事ができないので、口に出して言ってるだけなのだが。
『すーーっ、はぁーー』
「………すぅーー、はぁーー」
それでも俺に合わせて、なんとかしてくれている様子だ。
それを何回か繰り返した。
『どう、少しは落ち着いた?』
「う、うん……」
彼女は呆気に取られて、ポカンとしている。
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『では、簡単に自己紹介を致します。え~っと、俺は訳あって今はこんな姿になっちゃってますが、元は多分、人間だったと自覚しております。悪魔などでは決してございません。現在は人間になろうと必死にがんばっている所存でございます。まあ、極端に言ってしまえば、要は言葉を話せる事ができる、ちょっとだけ怪しいだけの剣です。見た目は黒くて不気味ですが、その辺はどうぞご了承下さい。以上、簡単ではありますが、これを以て俺の自己紹介を終わらさせて頂きます。どうぞ、よろしく』
「……ぷっ、くすっ……何か可笑しい」
彼女は軽く笑った。どうやら落ち着いてくれたらしい。
『じゃあ、今度は君の事を話してくれる?』
彼女はそれには何も答えずに、振り返りながら歩き出した。
湖から上がり、近くの木にもたれるように座り込む。
しばらくの間、彼女は無言のまま、月明かりに照らされている湖の方へと目をやっていた。俺は彼女が言葉を発するのを、じっと待つ。
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やがて彼女はポツリと話し始めた。
「……私はね、そこの港街にある娼婦館に住んでいる奴隷なんだ。それで明日から、初めてのお客を取らされる事になるの……」
『………』
「あっ、え~っと、今はまだ大丈夫だよっ! 誰にも何もされてないっ! 貞操厳守!! ここすっごく重要!! 全くの新品だよっ!!─って、私、今日会ったばかりのあなたに、何言ってんだろ? しかもしゃべる剣に。ホント、私ってバカだね~」
『それでか?』
「ん?」
『それで、さっきみたいな事を?』
「すぅーー、はぁーー」
俺の問い掛けに、彼女はもう一度、大きな深呼吸をする。
「少し話し長くなるけど、いい?」
『ああ……』
すると彼女は夜空を見上げながら、思い出話しを語るように話し出した。
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「私ね、生まれてきた時から捨て子だったんだ。でも、運良くある老夫婦に拾われて、自分達の子供として育てられた。とてもやさしい、良いおじいちゃんとおばあちゃんだった。だけど……私が五歳になった頃に流行り病でふたり共、死んじゃった……」
『………』
「次にある娼婦さんに気に入られて、その人が私の事を拾ってくれたの。でも、それも長くは続かず、恋人ができたその人にある日、突然、追い出されちゃった……」
『………』
「それでその後、今度も運が良くてある裕福な家庭に、養子として向かい入れられる事になった……でも、その家の人達は私の事を自分の子供として欲しかったんじゃなくて、実のひとり娘の遊び相手として欲しかったみたい……私はその両親に必要とされていなかったのは分かってはいたけれど、また捨てられる事になるのが怖かったの……その実の娘さんの良い妹として、無理に必死になってがんばってた。だけど……」
彼女は視線を地面に落とし、うつ向き加減になった。
少し間が空く。
「ある日戦争が起こった。私達が暮らしている街にも、たくさんの兵士が攻め込んできて、皆、巻き添えに……私達は必死になって逃げ出したけど、怖そうな兵士の人達に囲まれてしまって……でも、その時、ある人が私達を……私の事を助けてくれた!」
彼女の語調が、少し強くなる。
「その人は自分は冒険者だって言った。その人も私と同じような境遇の生い立ちの人で、今は一介の冒険者として生計を立てていて、ある宿屋さんにお世話になって下宿させて貰ってるとか……そんな彼が良かったら一緒にこないか?─って、私の事を誘ってくれたの。私は迷う事なくその人の誘いを受けた……それからの三年間の生活はとても楽しかった。簡単な冒険に付いて行ったり、お世話になっている宿屋さんのお手伝いをしたり、そして何よりも、彼を含め、周りの人達が私の事を、本当の家族のように接してくれるのがなんといっても一番嬉しかった……生まれてきてから一度も感じた事のない暖かな感情……私にもやっと、本当の家族って呼べる人ができたって、もうひとりぼっちじゃないんだって……だけど……」
彼女の身体が震え出し、さらに語調が高ぶってくる。
「……だけど、その人はある冒険の旅に出て、そのまま帰ってはこなかった」
さらに彼女の言葉に、熱がこもる。
「私はその人の痕跡を追って旅に出た。ずっと、ずっと探し続けた……そしてその人の事を最後に見たっていう街に辿り着いた。でも……でも、そこで知った。その人がもう生きてないっていう事を……」
『………』
「……私はもう、どうしていいのか分からなくなった。あの人の事、これからの事、頭の中がごっちゃになって、ただ、ああ、私はまたひとりぼっちになっちゃったんだな……そんな事を考えながら、呆然と街をさ迷ってた……多分、その時だったんだろうな……気が付けば盗賊に拐われ、奴隷商に売られていた……」
今度は目の前の湖を真っ直ぐに見つめる。そして遠い目をしながら、呟くように言った。
「私は信じてないんだ、あの人が死んでいるだなんて……今でもずっと待っている。あの時のように私の事を助けてくれるって……いつか、約束したから、絶対に私をひとりにしないって……だから、ずっと待ってるの……」
『………』
ふと彼女に目をやると、綺麗な青い瞳から涙が溢れ、一筋の水滴となってその頬を伝っていた。彼女は再びゆっくりと話し出す。
「……でも、もういいんだ……疲れちゃった。ひとりぼっちでいる事に……だから、もう……」
俺は改めて彼女の姿を見る。
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茶色がかった色の、一見ショートヘアーだが、良く見ると、後ろでおとなし目の三つ編みの髪を下ろしていた。
特徴的な大きなくせ毛が前に向かって大きく垂れ下がっている。青く澄んだ色の瞳。あどけなさが残る可愛い顔立ちをしている。
そして何よりも本来ならば、きっと元気で活発なんだろうな──何故だかそういった印象を受けた。
そんな少女が今、その表情を暗く沈めている。
そして自分で自分の命を断とうとしていた。
──不憫な子だ。
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『………』
俺に邪な考えがよぎる──
そうだ、ちょうどいいじゃないか。これなら、今なら、あまり罪の意識を感じずに人の身体を手に入れる事ができる。
そう、彼女は死ぬ事を望んでいるのだから……自殺は絶対に許せない行為─って、あれ? 俺はそう思ってた筈じゃ……。
矛盾を感じながら俺は彼女に言った。
『……それじゃ、どうせ死ぬつもりなら、その身体、俺にくれないか?』
「えっ……?」
少女は驚いたように、青い瞳の目を見開く。
『俺には自分自身のやるべき事がある。そう考えている。まずはその事を確かめる為に、俺には人の……人間の身体が必要なんだ。だから、君のその身体を俺にくれっ!─って、これじゃまるで本当の悪魔だな、俺は……』
「………」
俺のその言葉に、彼女はそっと目を閉じた。
そして──
「いいよ、剣の悪魔さん。私のこの身体、あなたにあげる。どうせそのつもりだったから……死ぬ。つもりだったから……」
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よし、本人の了承は得た。後は何も考えずに、この残りの触手の鉤爪を突き立てて、身体を支配し、彼女の精神を消滅させるだけ。自責の懺悔は後ですればいい。
──覚悟は決めた!
『じゃあ、貰うよ……ごめん』
鉤爪の触手を、彼女に向かって振り上げる──そして……後は……後は!……後はっっ──!!
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この少女の精神を消滅させ身体を奪う──その事に対して覚悟を決めたつもりだった。彼女に対して感じる罪悪感に悩まされる事になるのも承知の上だ!
だけど、どうしても、俺にはできない! というよりも俺の中の意識が、彼女という存在に手を出す事を無意識の内に拒んでいる──でも、な、何故?
なんで──“できないんだ!?”
行動できずに頭の中で自問自答を繰り返す──そんな時。
───
「──い、嫌だああああぁぁーーっ! やっぱり死にたくないっ!……どうして、どうして、助けに来てくれないの?……私、待ってるのに、ずっと待ってるのにっ!……もう、ひとりぼっちは──嫌だあああああぁぁっ!!」
彼女は号泣しながら叫んだ。
夜の湖畔に絶叫の声が木霊する──
───
そうか、それが君の本心なんだ。死にたくないって……この子は寂しいから死にたいんじゃない。“死にたいくらいに寂しい”だけなんだ──
───
彼女は泣き続けている。
嗚咽が弱まるのを待って、俺は彼女に話し掛けた。
『……それじゃさあ、何か、未だに俺が悪魔みたいな事になってるし、予定を変更して俺と契約しないか?』
「……契約?」
『うん。そう、契約。俺に君の身体を貸してくれ。そうだな、その代償として、俺が君の家族になってあげる……人じゃなくて剣だけど。ずっと、君と一緒にいてあげる……まあ、触手によって繋がる事になるから離れたくても、離れられなくなるんだけどね……どう?』
その言葉を聞いた途端、彼女の嗚咽が止まる。
「……家族……ずっと一緒……私、ひとりぼっちじゃない?……ほ、本当にっ?」
『ああ、約束する』
少女は涙を流しながら、その表情を満面の笑みへと変えた。
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「うんっ! その契約、のった!!」
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そして立ち上がり、右手にある剣である俺に、コクンと頷いて見せる。
『それじゃあ、決まり。え~っと、ちょっと概要を簡単に説明するから』
彼女は神妙な顔付きで頷いている。
『まず、既に君の右肩に繋がっている触手、それによって支配しているので、もう君の意思では自身の両腕は動かせない』
続けて彼女は神妙な顔付きで頷いている。
『そして残りの鉤爪の触手二本、一本で身体全体の支配。最後に残った長い触手の方が相手の精神を消滅させ支配する。今回はその内の一本で君の身体だけを支配する。残った長い方は、取りあえずは繋げるけど、使用はしない。それで、おそらくは君のひとつの身体に俺と君とのふたつの精神が存在する事ができると思う。まあ、いわゆる魂の共存ってやつかな?』
コクン、コクンと彼女は神妙な顔付きで何度も頷く。
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う~ん、この子、ホントに分かってくれてるのか?
「良くは理解できないけど、何だか、とても難しいっていう事だけは分かるよ」
……ま、まあ、いいか。
『取りあえずはそれくらいかな、君自身の身体の支配権は残るのか? その場合、俺との支配権の切り替えはどうなるのか? やってみなければ分からない事ばかりだけど……後の事は一体になってから考えよう!』
その言葉に対しても、彼女は何度も頷いてみせる。
あ、こりゃ全然分かってないな……。
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『あっ、そういえば、名前まだ聞いてなかった』
「私? 私はノエル……ノエルって言うの。あなたは?」
『俺、実は名前、思い出せないんだ─っていうか、名前があったか、どうかさえも分からない。だから、今の俺に名前はない……』
すると彼女、ノエルは少し考えるような仕草をする。
「それじゃあ、私が、あなたの名前つけてもいい?」
『ああ、それは別に構わないけど』
「……『アル』─っていうのはどうかな?」
ん? 何かあるのかな?
ノエルは目を軽く閉じながら話す。
「アル。この名前は私がずっと、待っている人の名前……嫌かな?」
『いや、どうせなかった名前だし、君がそれがいいって言うなら、俺はその名前でいいよ。『アル』、うん、短くて覚えやすいし』
「えへへ~、それじゃあ、アルで決定ね?」
ノエルが笑顔で明快に笑う。
明るい子だな、これが本来のノエルっていう女の子なのかな?
『じゃあ、そろそろいくよ』
「え?……う、うん」
『多分、痛みはそれほどないと思うけど、それなりの心構えはしといて』
「は、はいっ!」
ノエルはその言葉に、何かに備えるようにして両目を閉じた。
よし、準備は整った。後は他に何か忘れているような事はないかな?
──!?
『あっ、そうだ!』
俺の突然の大声にノエルは何事っていう感じで目を見開く。そして剣の俺に、怪訝そうな視線を向けてきた。
『いや、これからこのノエルの身体に、俺と君とでふたつの精神が共存する形になるんだけど、ややこしいじゃない? だからこの形のノエルにも、何か別の名前をつけたいな~、なんてさ』
「……いいね、それ」
彼女も賛成のようだ。
『何か、いいのあるかな?』
ノエルは再び考え込む。そして──
「デュオ……『デュオ・エタニティ』なんて、どうかな?」
彼女は俺に分かるようにして、ゆっくりとした口調で問い掛けてきた。俺はその名前を復唱する。
『デュオ・エタニティ……何か、綺麗な響きだな、意味はあるのか?』
「遠い何処かの国の言葉で私のお気に入り。そしてその意味は──」
『意味は?』
ノエルは悪戯っぽい微笑みを浮かべながら言った。
「意味は、ひ・み・つ。また今度、教えてあげるね!」
──Duo・Eternity = 悠久の二人組──
ノエルは再びゆっくりと目を閉じる。俺は彼女の右肩に、残りの二本の鉤爪の触手を突き立てた。
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「!!……」
『ノエル! 大丈夫か?』
「……う、うん、大丈夫だよ。これからよろしくね。アル」
『こちらこそ。ノエル』
『そして──『「初めまして、デュオ・エタニティ!」』
俺はノエルの精神を消滅させずに彼女の身体だけを支配する。
◇◇◇
ふたりにデュオと呼ばれた少女がゆっくりとその目を開く。
左目はノエルという少女が持つ本来の青く澄んだ色の瞳だったが、その右目はあの例の血の色を連想させる紅い色の瞳だった。
──妖眼『オッドアイ』
少女の持つ漆黒の魔剣からは、鉤爪の触手がのたうつように蠢きながら、右肩へと向かって伸びている。
──月の明かりによって湖に映し出されたその姿は、まるで人在らざる『魔人』を思わさせた。