167話 殲滅のテラマテル
よろしくお願い致します。
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(……な……ぜ……な……ぜだ……?……リー……ザ……)
既に命の光が尽きかけようとしているドルマン・ラチェット。彼の目に映るのは、己の意識が辛うじて認識する事ができる我が最愛の愛娘リーザ──
そんな彼女は今。長い金色の髮を振り乱しながら、うつ向いていた。
やがて──
───
──ヒュンッ
一度大きく手に持つ剣を横に振り払うのと同時、バッと顔を上げる──
──乱れた金色の髪。
そしてやはり、かつてその美しかったエメラルドグリーンの瞳は既に光を失い、白濁しており、全く生気が感じられなくなっていた。
作られた人形のような無表情。
ただ感じられるのは、まさに──虚無。
だが、その光がない瞳の両目尻からは、頬へと伝う様に流れ出る涙が──
(……ぐうっ……リ……リー……ザ……?)
「た……助けて……い、嫌だっ!……お父……さん。死ん……じゃったら……死ん……だら…………や……だ……」
乱れた金髪の少女。リーザは無表情のまま、ただ、ただ、涙を流していた。
(……はぁはぁ……う、うぐっ……リーザ……お、お前……もし……かして……何かに……操られて……いるの……か……)
「……か、身体が……身体が動かないのっ!……やだ……嫌だっ!! 死なないでっ……死なないでっ! お父さんっ! お父、さん……おと……う……さん……お……と……さん……お──おとうさんおとうさんおとうさんおとウサンオトウサンオトウサンオトウサンオトウサンオトウサン──コロスコロスコロスコロスコロす殺す殺す殺す殺す殺す殺す─ぶっ殺すっ──!!」
涙を流しながら、ただ嘆きとなる言葉を発していた少女が、徐々に狂っていき、最後は狂気となる大絶叫へと変貌した。
身体を激しく捻らし震わせ、金色の髪を大きく振り乱す。
「……メツ……めつ……滅──ホロブホロベホロブホロベホロブホロベ滅ぶ……滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ──全て滅亡せよっ!!」
──ガバッと上半身を起こし、血が滴る剣の切っ先を、天に向かい掲げた。
(……リ……ィ……ザ……)
そしてこの光景を最後に、リーザ・ラチェットの父。ドルマン・ラチェットは事切れたのだった。
───
ズズ……
何かが地面を這うような音が聞こえた。
「お……おい、あれを見てみろよっ!」
「……あ、あれは……あの黒いものは何だ?……か、影……?」
館を守る傭兵達が、疑念の声を口にする。
傭兵達が目にするもの。
それは突然、地面から滲み出るように涌き出た真っ黒な染みが多数確認でき、それが雄叫びを上げた少女の方へと、まるで渦巻くようにして集まっていく様子だった。
──ズズ……ズズズッ
やがて、彼女の足元に集結したそれらは、少女とは形の異なった異形の彼女自身の影となって、再び形を象る。
次にその影が足元から這い上がり、彼女の身体を蝕む様によじ登っていく。
最後に黒い影の様なものは、少女の身体の中に、まるで溶け込む様に消えていったのだった。
それと同時に、生気のない少女の両目の瞳が真っ赤に染まる。
───
「──こ、今度は何だ!?」
「……じ、地面から……聞こえてくる……?」
地面に微かに揺れが発生し、何処からか獣の咆哮にも似た声が響いてきた。
──オオオオォォーーンッ──
赤い瞳の少女が、クワッと目を見開きながら、今一度。雄叫びとなる絶叫を放つ!
「──全て無くなってしまえ!!!」
───
──ズ……ズズ……ズズズッ
──ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ!──
───
「……あぁ……あ、あ……」
「……な、何なんだ?……こいつらは……」
「……く、黒い骸骨戦士……だと……?」
傭兵達が口々に、驚愕の声を上げる。
「──あっはははははははははははははははあぁっ──!!」
狂乱の少女が嘲笑うかの様に吠えた。
──カタッ、カタッ、カタタッ──
それは突如として地面から競り上がる様に突き出し、姿を顕にした滅びの兵──『黒い不死者』のおびただしい数の姿だった。
赤い瞳──
狂乱の少女リーザは、自らの父親の血で染まった剣先を、館を守る傭兵達。残された自身の母親アンナ。
否──
この場にいる、全ての生ある“人間”に対して振りかざした。
「あはははははははははははっ! さあ──『滅びの時』だ!!」
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首都インテルラルラ。オーラント商工会館付近──
首都内で最も背の高い建築物である時計塔。兼見張り台を兼ねる鉄塔の尖った頂点。
そこに片足だけの爪先立ちで立つ、ひとりの存在があった。
その存在はオーラント商工館の今の光景を、まるで状況を把握する様にジッと見下ろしていた──
───
「うん、分かった。了解、ママ──」
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翡翠色の足元まで届く美しい長髪を、両耳の上で結わえツインテールとなって下へと下ろしたものが、風に吹かれ大きくなびく──
──無表情で無垢を感じさせる少女。
飾り気のない素朴なワンピース姿。
手には何も武器らしき物を所持している様子はない。
少女は言葉を発する。
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「今回の任務を明確に認識。ママの障害物となる者を多数発見。元凶となる者は、年齢15の人間の女性。リーザ・ラチェット。標的を確認。『守護する者』として、直ちに行動を通常行動より、戦闘行為に移行する──」
フワリと鉄塔から少女が舞い降りる。
「 テラ。これより障害物の全てを──“残らず殲滅”する──」
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──カタッカタッカタタッ……カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタッ──
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オーラント商工会立館前で警備に当たっていた傭兵団の周囲を囲む様に、突如として地面から姿を現した黒い骸骨の大群が、まるで嘲笑うかの様な骨の軋む音を立てる。
「……一体、何なんだ? こいつらは……」
「……黒い……黒いが、やっぱり、骸骨戦士?……いや……ち、違う……き、牙が生えてやがる……それになんだ? このバカげたデカさはよおぉ……!?」
「くそっ!! ただのスケルトンじゃなく、訳の分からない化け物っていう訳かよっ!」
「……か、敵う相手なの……か? 俺達の力で……」
傭兵達がそれぞれ武器を手にしながら、身構えもち、皆一様に疑念の声を口々に漏らしている。
その中央には、先程我が娘によって亡き者とされた、このオーラント商工会の主であるドルマン・ラチェットの妻の姿が──
今にも夫の亡骸にすがり付こうと、飛び出しそうとしてる彼女の両手を警備兵が捕み、制止させられている彼の妻。アンナ・ラチェットの姿があった。
「──あなたぁぁぁーーっ!! あなたぁっ!……あなた……あ……なた……ど、どうして……どうしてこんな事に……リーザ……あなた……何故……何故……どうして、こんな事をっ!!……うっ……ううあっ……」
──“最愛の娘の手によって、最愛の夫を殺される”──
信じられない様な絶望の光景に、最早立つ気力もなくその場で泣き崩れるアンナ。
「あはっ! あはははははははははははははははあぁぁっ!!」
黒い化け物の中央に立つ少女が、狂った様な笑い声を上げた。
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金色の長髪に真っ赤に染まった瞳。
かつて幼くとも美しかった顔が、虚ろ気で無表情ながらも、何故か狂気に歪にゆがんだようにも感じる。
身体には先程の影に取り憑かれる様な異変と同時に、本来付けていた革製の軽鎧から、歪な形状の黒い甲殻の様な鎧に変化していた。
「あははははははははははははははあぁっ──!!」
自らの父親の鮮血を滴らせた剣の切っ先を天にかざしたまま、虚ろな表情で笑い声だけをずっと上げ続ける。
だが、その赤い瞳の両目尻からは、とめどなく透明な澄んだ涙が溢れ、少女の両頬を伝い続けていたのだった。
おそらくリーザ──彼女の本来の意思など、全く関係ないのだろう。
何者か? 第三者によって取り憑かれ、操られているのは、誰の目から見ても最早、明確だった。
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「……ううっ……リーザ! あなた、あなたまで失ったら……私、私っ!!……お、お願いっ! お願いします!! リーザを……リーザを殺さないで頂戴!! あの子を……あの子を助けてあげてっ!!」
その事に気付いたアンナが、周囲にいるオーラント商工会お抱えの傭兵団の兵士達に懇願する。
「……アンナ奥さん……分かってる、分かっちゃいるがよ。リーザお嬢ちゃんが何者かに操られ、まともじゃないって事くらいはよ……だ、だがよ……」
「……ああ、悪いが奥さん。その願いは叶えてやれそうもねぇ……」
「おう、全くだ……俺達自身もどうなるか……この場にいる俺ら傭兵団356名の命共々もよ……」
アンナの周りにいる傭兵達が、少女に対して剣を構えながら、それぞれ呻くように呟きの声を漏らした。
「……そ、そんなっ……!」
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最後に少女の振り上げた剣さえもが、黒い殻の様なものに覆われ、歪な形状の大鎌となる。
──“ゴルルアアアァァァァッ!!”──
同時に、新たに頭部や腕などが複数ある、異形となる5メートル級の黒い巨人が三体。大地を突き破る様に姿を現した。
「──おおっ……な、なんて、なんて事だっ……!!」
「……お、俺達は全員、ここで殺られちまうの……か……?」
清らかな涙を流し続ける少女が、虚ろな赤い瞳で自身の目の前にいる獲物となる者達を、なぶる様に一度視線を走らせた。
「ふふっ──あはははははははははははははあぁぁーーっ!」
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「……ひっ、ひいぃっ! た、助けてくれっ!!」
「ま、まだ……まだ死にたかねぇ……!!」
そんな様相に怯える傭兵達。
かつてリーザと呼ばれた少女。
今は死神の様を呈した存在が、手にする大鎌をブンッと振り下ろす。
『さあ、処刑執行だ!──皆、全て“滅べ”!!』
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──ドガッ!
「な、なん……だ……?」
傭兵のひとりが突然、空中から落ちて地面に突き刺さる様な音に驚き、声を発した。
それに合わせ、皆その場所へと視線を送った。
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──ピシッピシッと、それの足元の地面に衝撃による小さな亀裂が走る。
驚いた事に地面にめり込ませたその両足は、素足に膝元まで編み込まれた革製のサンダル姿だったのだ。
次に目に入ってくるのは、翡翠色の足元までに長い髪を、両耳の上で結わえたツインテールの頭。
それを下へとうつ向き、屈んだ白い無地のワンピース姿の少女──
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「……空から降ってきたのか……?」
「……あ、あれは……お、女の子??」
「……翡翠色の髪の大きなふたつのおさげ……って、確か何処かで聞いた事……あるよな……?」
「ああ、それってまさか……」
「……地の大精霊を『守護する者』……」
「……確か……執行の妖精だったか……?」
「ああ、そうだ。間違いない……」
「「「──殲滅のテラマテル──!!」」」
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興奮する傭兵達がそれぞれ声を上げる中。地面に着地し、屈んでいた少女が、むくりと立ち上がった。
そしてゆっくりとその目が開かれる。
先程のリーザを思わさせる全く感情を感じさせない虚ろだったが、それとはまた別の──清らかな澄んだ黄緑色の瞳。
やがて、少女が一言ボソッと呟いた。
──「テラ。“殲滅”を開始──」
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『ふふっ、来よったな。精霊の犬めが──』
最早、黒い死神の様な化け物と化した金髪の少女。リーザが、赤い瞳の目をギョロリとテラマテルと呼ばれた少女に向ける。
そして軽い嘲笑と共に嘯いた。
『ふふっ、そうだな。まずは貴様から亡き者としてやろう──滅せよ!!』
リーザという少女を象った死神。
それが手にする大鎌が、妖しく揺らめく──