155話 私の事、好き?
よろしくお願い致します。
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俺達デュオは暗闇の中、声のする方へと辿って行く。
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「──故に……だ……」
「──はい……レオンハルト様」
近付くに連れ、断片的だった言葉が明確になっていく。
どうやらふたりは、途中で宴席から席を外し、先ほど俺達がいたテラスから真正面となる遠く離れたテラスへと移動していた様だった。
そして今は、ふたりきりで何やら話し込んでいる様子だった。
『ノエル?』
『うん、分かった。アル』
俺達デュオはふたりに気付かれぬ様、細心の注意を払ってそのテラスとベランダの境目へと移動する。
次に屈み込んだ体勢で、ここからテラスにいるふたりの様子を伺った。
そこには──
ベランダの手すりに手を掛け、暗い夜の虚空を見上げ立つレオンと、その直ぐ後ろで両手を前に出して、青色のドレスのスカートの前で組み、付き従う様にして立っているキリアの姿が確認できるのだった。
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「宴席が始まる前、俺はアレン王に正体を明かし、かつ事情を説明し、その上で和解となる盟約を交わした。これでノースデイ国とミッドガ・ダルは争う事はなくなるだろう」
「はい」
軽く両目を閉じた顔で、静かに応じるキリア。
「ティーシーズ教国の実質上、指導者であるシスティナ司教とは、俺がまだ王である時に休戦と不可侵条約を交わした。まあ、無論それでは不定確なので、ここに旅立つ前に、俺がもう一度システィナ司教の元へと赴き、同時に席を同じく『守護する者』エリゴル公と共に直に話を付けてきた。よって彼の国も問題はないだろう」
「はい」
キリアは変わらず、静かに相づちだけを打つ。
「次に一番の大国であるアストレイアだか、王、リオス公。まあ、お前の弟となる者なのだが、実はリオス王とは、以前俺がまだミッドガ・ダル戦国なる国を興す前に、一個人として面識もあり、俺自身の目指す目的となる物も知っている。キリアには言ってはなかったがな? 彼ならば理解してくれるだろう。然る後、勿論アストレイアへと使者は送ったのだな?」
ここでようやくキリアが言葉を発する。
「はい、レオンハルト様の仰せの通り、御出立の後、私キリアが使者としてアストレイアへと参りました……ふふっ、いつぞやアストレイアにとって、脅威となっていた強大な魔物、“狂乱のベヒモス”を討ち倒したのが、後に彼の国、ミッドガ・ダル戦国を興した王と同一人物だと知って、弟も驚いてましたよ。うふふっ、レオンハルト様も本当にお人が悪い──」
少しだけ笑みを溢しながら答えるキリアに一度目をやると、レオンは再び前へと視線を戻した。
「さて、残るはあとひとつ、ロッズ・デイク自治国だけだが……」
そこまで言うと、レオンは今度は完全にキリアへと振り返った。
それに応じる様に、キリアがニコリと静かな笑みを浮かべる。
「はい、承知しております」
「うむ。俺はデュオ達と共に向かう。残された場所は、地の大精霊がいるとされているロッズ・デイク自治国だ。前にも言ったが、すまぬがキリア。お前はミッドガ・ダルに帰還して欲しい。我が義弟、ストラトスとエドガーの力になってやってくれ。ミッドガ・ダルには、まだお前の力が必要なのだ」
レオンのその言葉に、キリアはそっと目を閉じる。
「はい、承知致しております。我が君……いいえ、愛する私の旦那様──」
そして目を開けた彼女の目は、涙でうっすらと滲んでいた。
酒によってほんのりと赤く染まった頬。
少し媚びる様な目付き。
先程のフォリーにも劣らない酒を帯びた女の色香を漂わせたキリアは、レオンの方へとゆっくりと近付いて行く。
「むう……だから、俺は独り者だと何度言えば──」
その姿にレオンにしては珍しく、少し驚きながらも彼女から無理矢理目を逸らした。
そんな彼の右手を、キリアが両手でフワリと包み込む。
そしてその包み込んだレオンの手を、青いドレスを纏った自分の胸に押し当てた。
「キ、キリア。お前、酔っているのか?」
少し狼狽えた様子のレオンの声に、
「いいえ、旦那様。私、嬉しいのです」
「嬉しい……とは?」
レオンの問いに、キリアは押し当てていた手を両腕で抱きかかえ、愛しそうにその手を自らの頬に、何度も頬擦りを繰り返していた。
「“この地での目的を達成する”、その事を見届ける事ができたのが、嬉しいのです」
「キリア……」
「そしてデュオさんを含め、フォステリア様。クリスさん。様々な人と巡り合い、色々な体験を得る事ができました。それはそう。全て私の生涯の宝物となっていく事でしょう。その事が嬉しいのです」
「………」
レオンも、最早無言で真剣な面持ちとなる。
「本日を以て私はレオンハルト様の命に従い、明日この地を去ります。ですが、最後にこんな素敵なドレスを纏わさせて頂き、美味しいお酒と料理。そして何よりも“最愛”の人と同じ時間を共有できた事。“今のこの時”、それが嬉しいのです」
キリアは慈しむ様に、レオンの手を自分の頬に当てたまま、潤んだ瞳で彼を見上げる。
「キリア……」
「貴方様が生涯妻を娶らない。そんなお考えの御方なのかも知れません。ですが、いつかきっと私の事を迎い入れて下さる時がくる──そう信じています。私の最愛の人、レオンハルト様……」
キリアの潤んだ瞳から一滴の涙となって、彼女の赤く染まった頬を伝う。
その涙を、空いた手の指でそっと拭うレオン。
「……そうだな。俺は妻を娶り、子を成す。即ち家族となる者を持つ事を由としなかった」
「レオンハルト様……?」
今度はキリアが、彼を見上げながら、問い掛けの声を漏らした。
「“家族”。それは人によって大きな力に成り得るが、同時に最大の弱点ともなるからだ……だが、そうだな……」
レオンは空いた手で、キリアの菫色の美しい髪を掬う。
「俺の中に掲げた“己の目的”、それが達成できた時がきたのならば、俺はキリアを選ぶだろう。お前は、俺が唯一心奪われた女なのは、紛れもない事実なのだからな──」
「──レオンハルト様っ!」
───
そしてレオンとキリア。どちらからともなくふたりその唇を重ねた。
──ぐふっ!
これで彼等のこの行為を目にするのは、俺は三度目だが、前回はレオンの背中に背負られた状態から、即ち正面だけからの視点だったが、今回は真横から……つまりはレオンとキリアの唇が重なり合っているのが、ダイレクトに目に飛び込んできた!
……ってかさ……ノエルはなんで、手で顔を覆い隠すとか目を背けるとかしねぇーんだよっ!
他の人の事とはいえ、良く知っている人同士がやってるんだぜ!
……は、恥ずかしくはないのかよっ!?
ずっとガッツリじゃねぇーかっ!!
『ノエル……』
「………」
……へ、返事がねぇ……。
『ノ、ノエル……??』
『──ちょっと黙って、アルっ!!』
……ちょっと黙ってって……お、お前……う、うっわあぁぁ~~~っ!!
…………正直、引くわ~~っ……。
───
レオンとキリアはまだキスを続けていた。
しかも深いキス。いわゆるディープキスと呼ばれるやつだ。
……多分、良くは知らんけど……。
それにしても……。
レオンとキリアは、互いの唇を貪る様に口を重なり合わせ、うごめかせている。
時には耳を塞ぎたくなる様な、淫靡とも取れる音も聞こえてきた。
いつも目にしているふたりの今の行為が、とてもじゃないけど信じられないって感じで、逆にその事が恥ずかしいっていう、今の俺の気持ちを倍増させていた。
多分、俺が身体の支配権を握っているのなら、この場から即刻逃げ出すか、少なくともこの光景が目に入らない様、様々な努力は必ず行っていた事だろう。
事実。今、俺は恥ずかしさで胸がいっぱいなのだ!
身体があったのならば、顔から湯気を出して真っ赤になってるのは、最早間違いない!
……っていうかさ。ノエルはさっきから、なんで目を逸らさず凝視しっぱなしなんだよっ!
「……ゴクリ……」
……ゴクリって、生唾を飲み込むんじゃねぇーよっ!─ってか、さっきから瞬きひとつしてねぇじゃねぇーかっ!?
ホントに、一体どうしちまったんだよおおぉぉ~~~っ!!
───
やがて──
「……ぷはぁっ──」
キリアの荒い熱の帯びた吐息と共に、重なり合っていた唇が離れ、ようやくレオンとキリアの接吻という行為が終了したのだった。
……ふう……やれやれ……。
おいらは心底疲れたよ……。
「……ゴ、ゴクリ……」
……って……だから生唾飲み込むのは止めてくれぇーーーっ!!
ホントに一体全体どうしちまったのっ!?
やがて顔をうつ向かせたキリアが、レオンの腕をそっと取る。
「……レオンハルト様。暫しのお別れに、今宵は私の事を愛して下さります……よね……?」
レオンはその手をじっと見ていた。
「ノースデイの地酒とやらは、相当な名酒の様だ。まさか媚薬の効能まであろうとはな……」
キリアは手に取ったレオンの腕をギュッと抱き締めながら、ゆっくりと身を委ねる。
「…………抱いて……」
レオンは応じる様に、キリアの身体を抱き寄せた。
「魔性の酒か……? 了承した。何故か俺も今宵はそんな気分だ……」
そしてふたりは肩を寄せ合い、歩き出す。
「……嬉しい……旦那様……」
やがてふたりの姿はいずこかに移動し、俺達の視界から消え去って行ったのだった。
───
……なんか最後、すっげぇ展開になってたけど……
取りあえず、何とか終わって良かった~~っ!!
─と、俺が思った矢先だった。
突然、手にしていたヒールを履き直したノエルが、まるで何か急いでるように、ヒールの踵をカッカッと響かせながら、小走りに歩き出した。
……??
『おい! 一体どうしたんだよ。ノエル!?』
「………」
彼女はそれには答えず、無言でただヒールの音だけ響かせる。
まずひとつめのバルコニーで扉を見付け、中に入ろうとノブを回す。
──ガチャガチャ
……どうやら鍵が掛かってるらしい。
ノエルはプイッといった感じで、違う場所へとヒールの足を早める。
『……お、おいノエル。黙ってないで何とか言ってくれよっ!?』
「………」
暗闇にヒールの音だけが響く。
行き先は全く以て不明だ……。
ハッキリ言って何故かメチャクチャ嫌な予感しかしなかった。
───
やがて次のバルコニーに辿り着き、部屋に通じる扉のノブを回す。
カチャリ──ギィ
今度は運良く開いていたみたいで、中へと入るノエル。
どうやら会議室となる部屋みたいだった。
ノエルはひとしきり部屋中を見回すと、何やら目的の物が見付からなかった様な感じで、そのまま部屋を通り過ぎ、城内の廊下へと出た。
そして次は、行き先を自分の中でもう決めているのだろう。
何の迷いもなく、躊躇のないと取れるヒールの力強い音が、カッカッと廊下に響き渡った。
やがてひとつの部屋の前に立ち止まる。
そこは俺達が衣装替えをした大部屋とは別の、たしかイザベラって人が出てきた、少し小さめとなる衣装部屋だった。
ノエルはカチャリとノブを回し、中へと入って行く。
そして前を見たまま、後ろ手でバタンとドアを閉めた。
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俺達の目の前に映る部屋の中の様子は、やはり外観から察するに余り広くなく、中央に小さなテーブルと椅子がふたつ。そして両脇の壁に立て掛けられた衣装棚。
中でも一番目立ったのは、部屋中央壁に取り付けられた全身を映す大きな見鏡だった。
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……ノエルのやつ、何でこんな場所にきたのか? 訳が分からないけど、ホントに大丈夫なのか?
もしかして、まだ酔っ払ってんじゃねぇーだろうな?
「──アル!」
急にノエルが、思い詰めたかの様な凛とした声で、俺の名を呼んだ。
『は、はいっ!』
「──私の事、好き?」
『は……は、い……??』
…………???
……ちょ、ちょっと待てっ!……一体、こいつは何を言ってんだ??