143話 赤と黒
よろしくお願い致します。
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──他のものは一切現存せず、灼熱の炎だけがただ燃え盛るだけの空間。
そこに己が持つ殆どの力を奪われ、身体のあちらこちらを欠損させ、弱体化した巨大な竜が横たわっていた。
それは──
灼熱の覇者──劫火竜エクスハティオ。
今やその存在は、先程、彼の若い娘の剣士が扱う剣の力によって、己の力、身体、最早存在その物を吸い取られ、今は大きく衰弱しきっていた。
漆黒の剣を持つ少女。否、おそらくはこの世界とは干渉せざる異なる『存在意義』の者が、何の因果か、エクスハティオという存在と関わりを持つ事によって──
そしてその力により、己が存在のほとんどを奪われた赤い竜は、この空間に逃される様に、再び舞い戻るに至った今も、彼の力によって、身体を蝕まれ、そして吸収され続けていた。
──己が存在がなくなる──
かつて四守護竜の中で最も最強と謳われた劫火竜エクスハティオも、いずれはこのまま、灼熱の空間で躯をさらす事になるのだろう。
─────
『……グルルゥゥゥ……おのれ……おのれ……』
怨念の言葉を、まるで呪詛のように繰り返す、地面に着けた劫火竜の頭の前に、突如として現れるひとつの黒い影。
『ぬうっ!……うぬは──』
『火の守護竜、劫火竜エクスハティオ ──汝が魂、存在。私が貰い受けにきた』
姿を現したひとつの影。それは、黒の魔導士アノニムだった。
─────
ここは常世、幽世となる精霊界と呼ばれる場所。
その中でも灼熱の炎だけが存在し、燃え盛るだけの空間、“獄炎界”と銘付けられた世界だった。
現世では、絶対にあり得ない無限に広がる炎の世界に、たったふたつの存在だけが、今、ここで相見える。
───
『グルルゥゥッ……うぬは!?──そ、そうか! 貴様は、最も憎むべき忌々しき我が創造主たる四大精霊……否! 五大精霊のひとつとなる者だな!? 斯様な所まで追ってくるとはっ!!』
鎌首をもたげ、憎々し気に唸るエクスハティオに、その目前に立つ黒の魔導士は無言で何も答えない。
『………』
続けて巨大な赤い竜が猛る。
『貴様が我が魂、存在を得て、如何様な目的なるをものを欲す!?──その様な虚ろな存在の分際で、この虚空なる世界の先に、如何な逝く末を描いておるのだ!!』
その激昂の問い掛けに、アノニムは少しうつ向き加減になっていた頭を上げ、巨竜を下から見上げる。
そんな黒い魔導士の鉄仮面に象られた目のような紋章に、妖しく赤い光がぼんやりと灯った。
『フフッ──』
アノニムの発する軽い笑みのような声に、エクスハティオの金色の目が大きく見開かれる。
『き、貴様!……そうか、うぬが我が魂を欲するは、彼の奴の定義を生けとし者の存在として、現世に具現化するが、うぬが描く願望か!?』
アノニムは静かに嗤う。
『フッ、フハハハハハハッ──察しの如く、事は私が企てた通りに滞りなく運んだ。我らの手を以てしても、もて余す守護竜。その中に於いて最も強大な力を持つ“劫火竜エクスハティオの弱体化”──それを、あの想定外なる“異端の力を持つ者”の手によってな!──然る後、成すべき私の欲するは、“彼の者”の具現化! それが達成されれば、汝が望むこの世界の滅亡も叶う事と相成ろう──さあ、汝が魂を私に捧げよ!』
黒の魔導士が放つ言葉に、巨大な赤い竜がひとしきり無言で金色の目で見下ろしながら黒の魔導士を睨み付ける。
やがて赤い竜、エクスハティオの形相が激しい怒りを顕にし、眼下のアノニムに向かって激昂の咆哮を上げた。
『グヌッ、グヌハハハハハハハッ! 如何にも忌々しき創造主が創った全てのものを滅亡成されるが、我が望む物──なれど!!』
赤い竜の金色の目に、怒りの光が宿る。
そして放たれる激しい衝動を伴う大咆哮!
『──己が憎悪に満ちた劫火を以て焼き尽くし、創造主どもと彼の者が創造した全てのものを、自らの手を以て、滅却するが我が望み!! その事こそが我が今この世界に於て存在する己の定義也!!』
エクスハティオの上げる咆哮に呼応するかのように、周囲に燃え盛る灼熱の炎が、勢いを増し渦巻く。
『……汝、我が望みを汲み得ぬか?』
『何だと! 知った風な口を……まだ痴れ事をほざくか!!』
アノニムの嘆息の様な物言いに、エクスハティオは再度怒りを顕にする。
『──フフッ、四守護竜をして最強と言わしめた火の守護竜、劫火竜エクスハティオも、今となっては憐れだな。己が存在が、未だに“残された”事にすら気付いておらぬとは……』
『な、何だとっ!……うぬは、も……もしや……!』
黒の魔導士が放った言葉の意味を察したエクスハティオが、驚愕に金色の目を大きく開く。
『ハハハハハハッ──“劫火竜エクスハティオ“── 汝は本来ならば、既にそう銘打たれた存在は、疾うに滅していたのだ。施された封印を私が打ち砕き、解き放たれた汝が、まさに復活を成さんとする時。あの者によって己の心臓に漆黒の剣を突き立てられた──』
『ぐっ! ぐぬぬっ……!!』
ギリリッとエクスハティオが牙を鳴らす。
『漆黒の剣──“異端なる力”によって、既に汝はあの時に自らの存在を滅っする事が決定付けられていたのだ。だが、それでは私の描く先の逝く末に支障をきたす──が故に、汝の存在が消滅しきる前に、私が汝をこの場所へと逃がしたのだ』
『──ぐ、うぬうっ!』
ギリギリと歯軋りをしながら、絶句となる息を漏らす赤い竜。
その身体は部分的に、今も尚、徐々に崩れ続けている。
『だが、やはり“異端なる者”の力、まさに恐るべしだな。まさか幽世となる炎の精霊界、“獄炎界” に至るまで、その力が及ぼうとはな……フフッ』
『──!! ぐっ! ギギギギイィィッ! う、うぬはっ!!』
そう憤るエクスハティオの身体からは、断片的に今も細かい肉片となり、それが更に砂となって崩れ落ちている。
『さあ、汝が『存在意義』を我に寄越せ。代わりに、我が汝に新しい『存在意義』を与えてやろう──』
怒りで無言になって、身体を打ち震わせているエクスハティオを整然とした様で見上げながら、静かに言葉を放つアノニムに──
──グルルルルウゥゥゥ──
『──グルガアアァァァァァーーッ!!──我を侮るな! 再度繰り返す!──創造主が創りしもの、世界、そして創造主たる全てのものを、“我が手”によって滅亡するが、我が存在する“意義”にて、我が“望み”也! 例え今の己が大きく力を失っていようと、如何に我を創りし創造主のひとつといえど、我を倒す事は到底敵わず!!』
エクスハティオが天に向けて上げる大咆哮に、渦巻いた灼熱の炎が、劫火竜の巨大な身体を包み込むように駆け巡る。
『グルルオオォォォォォーーッ!!!』
咆哮を上げ続けるエクスハティオ。それに応じるかの様に、赤い巨竜の欠損した部分が次々に修復されていく。
瀕死だった赤い竜が、再び完全な劫火竜エクスハティオとしての姿を象る。
そんな光景を目の当たりにし、アノニムは小さく言葉を吐く。
『やむ得ず。己が残った全ての物を使い尽くすか?……それもよかろう。ならば、力ずくで貰い受けよう──』
黒の魔導士アノニムは、そう言いながら、おもむろに自らの右手を前へと突き出した。
そして次に例の無機質な声が轟く。
『参れ、我が手の元に! 我は“契約者”──さあ、その名の命に応じよ!』
黒の魔導士は明言する。
『我が名は──【ーーーーーー】!!』
その瞬間、アノニムの突き出した右手が、黒となる輝きの閃光を放った。
次に槍のように長い剣の形状をした発光体が、アノニムの手に突如として出現するのだった。
黒の魔導士はそれを確かめるかの様に、一度、右手にある黒く輝く光の武器を振るった。
──ヴゥォンッ
黒くも目映い光が、灼熱の炎に包まれた赤い空間を切り裂き、黒い閃光の尾を引く。
『──!? ま、まさか、それは、“罪枷の審器”──エクスピアシオン!! な、何故に貴様が……!?』
それを目にしたエクスハティオが一瞬怯んだが、結局それは一時であった。
『グルルルッ! グルガアァァァァァーーッ!! 貴様が何者であろうと、最早構わぬ! 我こそ創造主の大精霊のひとつを守護する存在にて、同じく、“屠る”存在也!!』
巨大な竜が上げる猛々しい怒りの咆哮に、黒の魔導士アノニムは黒く輝く光の剣を胸の前で掲げ、それに応じる。
『さあ、汝が魂。今、我が貰い受ける──全ては、“滅ぼす者”の肯定に於て──』
──ヴゥゥンッ
そして構えた。
最後に灼熱の炎を纏った赤い巨竜が吠える。
─────
『我は全てを焼き尽くす地獄の劫火──エクスハティオ也!! 例えこれを以て我が存在が滅しようと、今こそ貴様を! 創造主を! 世界を!──最後に我が身さえも、全て! 全て!──全て焼き尽くしてくれる!! 己が『存在意義』を今こそ知らしめてくれるわっ!!!