136話 黒い憎悪と嗤う少女
よろしくお願い致します。
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──ギュアオオォォォーーン!!
奇声を上げる黒い怪物。
上半身は人の形を象ってはいるが、その下半身は昆虫の六本の持つ巨大な蟷螂を連想させた。頭部となるものは見当たらず、数えきれない程の歪な複数の腕。そして身体から飛び出すように、あるいは逃れようと足掻くように、蠢く多数の黒い者の姿が──
「……この化け物は一体!?」
アレンから、思わず出る呻き声に、オルデガは無言で怪物を睨み付ける。
「………」
──────────
『これは……当初の概要とはかなり様子を違ってるようだが、黒の魔導士、アノニム殿は如何にするつもりか?……アレンの確保が目的ではなかったのか?』
オルデガは、心の中で、自身の中にいるもうひとつの存在、“中核”に、疑問に感じた事を問い掛ける。
『──フフッ、さあ、黒の御君の崇高なるご考察は、わたくしなどに理解すべく筈もありません。ですが、そうですね。きっと、我々の境遇も含め、今の現状を興じておられるのでしょう』
『……で、我々はどうする?』
オルデガの問いに、中核は失笑の言葉を漏らす。
『フフフッ、何も変わる必要はありません。わたくし達は、アレンなる者を護る事と致しましょう』
『……了解した』
『ですが、少々厄介ですね。あの“黒い者”は、おそらくは、わたくしと同じ『滅ぼす者』の眷族となる存在。くれぐれも油断する事なきよう──』
『──ああ』
──────────
『──ふふふふふっ』
巨大な怪物の足元に立つ少女が、嘲るように笑う。
「君……いや、お前は一体何だ!? 今まで私を幻想に引き込んで、悩ませたのはお前なのか?」
アレンの上げる声に、ワンピース姿の少女が答える。だが何故か、その目は閉じたままだった。
『ふふっ、私は、ただ楽しいと感じた事をしたいだけなの』
「な、何?」
剣を構えたアレンが少女を睨み付ける。
『私は、何故自分がここにいるのかが分からない。何故この世界にいる事になったのかも知らない。私という者がどういう存在なのかも……』
───
──ギュルルルルル。
巨大な怪物が、黒い瘴気を放ちながら、徐々に様相に変化が生じてくる。まず──
──グバァッ!
胴体から、頭らしき物が突き出してきた。ヌラリと滴る何らかの液体で湿った黒い表面、頭髪の一切ない男性と思われる形。
だが、目と口は何かで縫い合わされて塞がれており、両耳と鼻も削がれていた。
───
『ふふふふっ、この子はね。名前を『憎悪』って言うんだって、何でもすっごく強いらしいよ。さっきお友達になったんだ~。うふふっ』
「……お前は、これから何をするつもりなんだ……?」
剣を少女に向けて構えたアレンが、再び問い掛ける。
『私?……そうだな~。お兄ちゃんって、確か弟がいるんだよね?……コリィだったっけ』
「な、何を……」
──バギャッ! バギャッ!
激しい異音と共に、黒い怪物の身体から、鋭い爪を持つ巨大な両腕が突き出してくる。
────
『ふふっ、少し前だけど、私、お兄ちゃんになって欲しいなって思った男の人の事、殺しちゃったんだ。だって、すっごくお腹がすいてたんだもん。だから、今はお腹はいっぱいなの』
「……お前は……」
剣を握るアレンの手に、汗が滲む。
『私言ったよね? 遊ぼって、その弟さんの代わりに私があなたの兄妹になってあげる。だから、そのコリィって子の事は忘れて──いいよね? ふふっ』
ボロボロの白いワンピースを纏った、プラチナブロンドの少女は目を閉ざしたまま、自身の右手を真横へと突き出した。
開いた手のひらから、伸びるように大剣クレイモアが出現する。
『ふふふふっ、これは前のお兄ちゃんが愛用としてた物。これを使って、これから私とい~っぱい、楽しいと思える事をしようよ──』
──グギュアオオォォォーーンッ!
再び轟く黒い怪物の咆哮。
──クチュッ、ニュル─クチュッチュ──
聞こえてくる嫌な異音そして
──ズボッ! ズボッ! ズボッ! ズボッ! ズボッ! ズボッ! ズボッ!
怪物の上半身から、ヌラヌラとした人の上半身が、次々と突き出すように姿を現す。
「──うぬっ……!!」
アレンから漏れる、決死の声。
──グギュルアオオォォォーーンッ!!
(──!!)
『──シニタクナイ!シニタクナイ!イタイッ!イタイッ!コロセッ!コロセッ!チクショウッ!チクショウッ!チチウエッ!チチウエッ!ムネン!ムネン!シャリー!シャリー!──シャリイィィーッ!──』
怪物から突き出る様々な黒い者から、呪詛のような雄叫びが、次々と発っせられる。
『──コロシテ!コロス!コロシテ!コロス!コロシテ!コロス!コロシテ!コロス!──』
巨大な怪物は両腕を振り上げる。
『──コロスコロスコロスコロスコロス──“コロスウゥゥゥゥ”!!』
───
『うふふふふふ、あはははははっ!──さあ、お兄ちゃん。遊ぼ』
少女は閉じた目を、ゆっくりと開いた。
眼球がない眼窩に赤い血が滴る。
『──お兄ちゃん。私とひとつになろう。皆と一緒に混ざろうよ──』
───
自身の丈よりも、遥かに大きく長いクレイモアを、右手で宙に浮かすように振りかぶりながら、眼球のない美しい少女が、アレンに向かって駆け出してきた。
「ぬう! そうはさせぬ!」
オルデガは周囲のスケルトンを蹴散らしながら、アレンの元へ急ごうとする。
──ガギイィィィン!
「──ちぃ!!」
鳴り響く激しい激音。それは巨大な怪物、『オディウム』が放った腕の一撃を、オルデガの長槍で打ち合った音だった。
オディウムは、まるでアレンの元へ行かせまいというように、オルデガの前に立ち塞がる。
『──コロス、シンデ、コロス、シニタクナイ……コロスコロスコロスコロスコロスウゥゥゥ──!!』
意味不明な声ともとれない、言葉を発しながら、オディウムの縫い付けられ見えない筈の頭が、まるで睨み付けるようかのように、オルデガに向けられる──再び振り上げられる怪物の大きな腕。
「むう!」
オルデガはそれを横にかわし、怪物の身体に向けて、槍の連撃を繰り出した。
だが──
「──何だと!」
それは怪物の身体に触れる事なく、オディウムの上半身から突き出した様々な手によって、絡み付くように払われてしまう。
間髪入れず、オディウムは下半身の尖った鋭い足をオルデガに向けて振り下ろした。
「ふん──ちっ!」
後方に跳んでかわすも、連続で放たれる足の攻撃をかわしきれず、オルデガの漆黒の鎧が浅く切り裂かれる。
僅かながらも流れる赤い血。
『……ふむ。さすがにまずいですね。思った以上にやつは、わたくし達と近い力を持つようです』
──ドガガッ!
再び放たれる足の攻撃を跳躍してかわしたオルデガは、舌打ちをする。
「ちぃ! では、どうするのだ。こやつを倒さぬ限り、我らはアレンの元へ近付けぬ! あやつはなき者になってしまうぞ! アノニム殿が『中核』に命じたものはアレンを護り、“鍵なる心臓”を誘き出す事ではなかったか!?」
『……さて』
────────
『うふふっ、さあ行くよ、お兄ちゃん。上手く受け止めてね?』
二つの目の空洞から、血を滴らさせた少女が、右手で宙に浮かせた大剣クレイモアを、アレンに駆け寄りざま振り下ろす。
「──くっ!!」
──ガギィィィン!
辛うじてそれを受け止めるも、その強力な力の斬撃に、アレンは手に持つ剣を弾かれる。
「くっ、くそ!!」
『ふふふふっ、あはははははっ!!』
少女は宙に浮かせたクレイモアを操るように、次々にアレンに向けてクレイモアの連撃を浴びせた
──ギイィィン! ギイィィン! ガギィィィン!
「──くうっ! ぐっ……うう──はあ、はあ……くっ!」
少女の繰り出す攻撃を、受け止める度に、手に持つ剣ごとアレンの腕が、大きく後ろにのぞける。
『ふふっ、お兄ちゃん。中々上手だね? 私、今すっごく楽しいよ。だけど、これならいかが?』
大きく踏み込んで、跳躍しながら両手を振り上げ、少女はアレンに向かって、クレイモアを振り下ろす。
「──くっ!」
あまりに早い、予想を遥かに上回る斬撃に、かわしきれないと悟ったアレンは、後の事は考えず、横っ飛びにかわした。
「ぐっ!……ううっ」
身体を激しく地面に打ち付けられ、アレンの意識は朦朧とする。
地面に倒れたアレンの元に、クレイモアを宙に浮かせた少女が近付く。
『お兄ちゃん。まだまだ死んじゃうには早いよ。もっともっと、いっぱい遊ぼうよ──ふふっ』
頭を振り、意識を鮮明とさせた仰向けに倒れるアレンに向かい、少女が大きく右手を振り上げる。それに追従するように宙に浮遊するクレイモア。
『それとも、もう生きるのやめちゃう?──うふふふふっ』
振り下ろされようとするクレイモア。
(──くそっ、私は……僕は、まだこんな所でやられる訳にはいかないんだ! クリス。コリィ、ふたりが僕の事を必要としてくれている限りは!!)
──────────
「──お兄ちゃん!!」
不意にアレンの耳に届いてくる聞きなれた声。ここにいる筈がない懐かしい声。大切な自分の本当の家族と思える声。
「コ、コリィ……コリィなのか……?」
今にもクレイモアを振り下ろされようとする剣が、ピタリと止まる。
アレンは、声がする方へと目をやった。
彼の目に映った者。それは──
──────────
「お兄ちゃん! アレンお兄ちゃん!!」
レオンに抱き抱えられたコリィが、その名を大声で連呼する。
「……アレン。良かった。間に合って……ようやく会えたで……」
クリスは俺の横でそっと呟く。そんなふたりの言葉を耳にしながら、レオンは、アレンと対峙している少女に目をやり、続けて前方の強力な黒い怪物へと順に視線を送っているようだった。
「王都、バールに辿り着き、展開している筈の王国軍の代わりに、黒い不死者の軍勢が待ち受けてたと思えば、まさかこのような状況になっていたとはな──」
レオンの声に、俺は応じた。
「うん。何か異様と思える事になってるけど、これはおそらくは黒の魔導士、アノニムの企み……」
「ああ、おそらくそれに違いないだろう──今、王都バール周囲や都内に溢れかえっているアンデットの相手は、キリアとフォリー。そして彼女ら率いる火の寺院の者達に抑え付けるよう頼んである」
「ああ」
「大分様相に変化が生じたが、王都バールに、地下牢獄に向かったのは、当初の予定通り、クリスとコリィ。そしてお前。我々四人──ならば、するべき目的も違わぬ」
前方を見据えたまま言葉を続けるレオンに、俺達は相づちをうつ。
「そうだな!」
「ああ、そやで、ここまできたんや。絶対に助けるで!」
「はい! 待ってて、直ぐに行くよ、お兄ちゃん!!」
レオンは声を放つ。
「さあ、今こそ我ら小さな王子の小さな反乱! その目的を果たす時──では参るぞ!」
───
少女の形を象ったおそらくは不死者、それに対して窮地に立たされているアレンに向かい、皆。俺、デュオを先頭に駆け出した。
──ギイィィィンッ!
不意に迫りくる何かの予感に、俺はそれを魔剣で受け止めた。
ギリギリと軋む音が耳に届く。
それは視界にはかなりの距離が離れていた筈の、黒い怪物が放った足の鋭い一撃だった。
「な、なんだって! ええいっ、邪魔をするなよ!」
力任せに、それを弾き返す。
「化けもん! 今はゆっくりと付き合ってる暇はないんだよ!」
俺は黒い怪物に向かって大きく跳躍する。
「ちっ! 頭は無理か─」
怪物の首を直接狙おうと考えていたが、高さが足らなかった。
魔剣を振り上げ、真下に見えるその胴体目掛けて、切り裂きながら地面に着地する。
──アオォォォン!
怪物の頭からではなく、胴から聞こえてくる悲鳴。
振り返り、怪物を見上げると、俺の斬撃で赤い血を吹き出しながら、バックリと開いていた大きな傷口から、まるでその箇所を補い、埋めるようにして、黒い人のような上半身が、次々と生えるように、蠢きながら飛び出してくる。
──アオォォォーッ
怪物の上半身に生えたひとつの黒い人のような者が、声ともとれない雄叫びのような音を発した。
同時に俺の頭の中に、複数の言葉が流れ込んでくる。
─────
──イタイ!コロサナイデクレ!シニタクナイ!コロサナイデ!ヤメテ!ヤメテクレ!オネガイダ!オネガイ!イヤダ!イヤダ!イヤダ!イヤダ!ヤメロ!コロサナイデクレ!コロサナイデ!コロサナイ……コロ……サ……ナイ……デ……コロ……
──コロスコロスコロスコロスコロス!──
──“コロスッ”!!──
─────
男も女も……いや、まだ幼い子供や、しわがれた老人の声も入り交じる、訴え掛けるような多数の悲鳴。
───
「な、何なんだ!やっぱり、こいつも『滅ぼす者』の同族となる者なのか!?」
『アル! 嫌な予感がする……気を付けて!』
怪物の流れ込んでくる悲鳴とは別に、ノエルの注意を促す、聞き慣れた声が頭の中に響いてきた。
『ああ、分かってるよ。だけど、一刻も早くこいつを倒さないと、アレンがまずい! あの大剣を操っている少女も、おそらくは恐るべき化け物だ!』
『うん。ごめんなさい。余計な事言っちゃって……』
ノエルが、か細い謝罪の言葉を頭の中で言ってくる。
『ううん。謝る必要なんてないよ。俺の事、心配してくれてるんだしな……』
『ありがとう』
───
ノエルとやり取りをしながら、俺はアレンのいる方角へ目をやった。
そこには、辛うじて立ち上がり、例の少女に向かい、剣を構えて対峙するアレンの様子が伺える。
─くっ、急がないと!
「──大爆発!」
後方からクリスの声が響き、同時に巨大な怪物の身体で大爆発が発生する。
辺りに轟音が轟く!
飛び散る黒い肉片と鮮血! だが──
「──な、なんやて!?」
クリスが驚愕の声を上げる。
──アオォォォォン!
再度、怪物から放たれる悲鳴のような異音。
クリスの放った魔法によって、えぐられるように大きく開いた穴が、奥から飛び出してくる複数の黒い人間のような者が、おり重なり塞いでいく。
「くそっ! こないなったら、そのド頭に直接ぶっ込んだるわ!」
クリスは手に持つ長杖の穂先を、怪物の頭に差し向けた。
浮かび上がる赤い魔法陣。
「いてまえ!──大爆発!」
今度は怪物の頭部で激しい爆発が起こる。
爆炎と硝煙に包まれ、よくは確認できなかったが──
「──えっ! ウソやろっ!」
再度、クリスの驚きの声が俺の耳に届く。
「くそっ!──爆発!」
「──爆発!」
「──大爆発!」
クリスの発する魔法の詠唱と共に、再び怪物の頭部で爆発が連続で発生する。
──!?
今度は俺にも、ハッキリと確認できた。
爆発から守るように、怪物の頭部周囲に浮かびあがる、複数の黒い魔法障壁──
そしてそれは、出現しては不可視化し、連続で起こる爆発からの破壊の力を、完全に頭部から遮断していた。
「そ、そないなアホな……ど、どうしたらええんやっ!!」
「そう熱くなるな、クリス。それでは冷静な対処なぞ望めぬぞ? お前は、自身の大切な者を救いたいのではなかったか?」
頭を抱え、苦悶の声を上げるクリスに、コリィを片手で抱き抱えたレオンが、彼に近付きながら、諭すように問い掛ける。
レオン自身も、名剣“ハバキリ”を用いて、怪物の攻撃をいなしていた。
「……レオお兄」
クリスはその声に気付き、彼の方へと振り替える。
「……瞬間的に修復する身体と、強固な障壁に護られた頭部を持つ『滅ぼす者』に属する者か……成る程。思わぬ筋違いになってしまったな」
俺はレオンに声を上げる。
「レオン! こいつの弱点は? 何か対策はある!?」
「ふむ、そうだな……」
そう言葉を発するレオンに、後ろから近付くひとつの影──
レオンは、まるで最初から気付いていたかのように、後ろへと振り返った。
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「ほう、再び合間見えると申してはいたが、意外に早かったな。確か『中核』と呼ばれる存在だったか?」
それはかつてのミッドガ・ダルの漆黒の鎧を纏ったひとりの男だった。赤黒い髮を後ろに撫で付け、顔には全面部を覆う仮面を着けた騎士。
手には身の丈を越える長槍を手にしていた。
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……こ、こいつは確か、俺が崖下に突き落とされた時にいた三人組のひとり。何故こんな所に……やはりアノニムもこの場所にいるのか?
───
「………」
男は無言でレオンの問い掛けに答えない。そんな男に視線を向けたレオンは、軽く失笑する。
「ふむ。やはり今のお前という存在は、どうやらかつての我が同胞、オルデガに相違なさそうだな。生じる雰囲気で察する事ができる」
「………」
「ヒューリとミランダは、既に自我を完全に奪われたようであったが、やはりお前はまだ自我を保っていたのだな……いや、残されたか」
その言葉に初めて男が言葉を返した。
「レオンハルト様。お久しゅうございます」
レオンにオルデガと呼ばれた仮面の男が、胸に手を当て、騎士の礼をとる。
「して、お前がここにいる目的は?」
オルデガは騎士の礼をとったまま、しばらく沈黙を保っていたが──
「レオンハルト様。“世界を変える”──我は貴方様とは向かう道を違う事となり申したが、今もそれは我が心に刻み込まれており、決して変わる事はありませぬ」
「……そうか」
「ならばこそ、我は己が選んだ道を突き進み、最早それを望むだけの所存──世界を変える──それを求める為の行為。貴方様におかれましても、その望みが叶い、この世界に変化をもたらす事を、切に願う次第でございます」
オルデガが騎士の礼を解き、振り返る。
「“鍵となる心臓”……我の一応の目的は達する事に至った。貴方様は自身が求める目的に対して、現状を如何に対処なさるのだろうな……」
「………」
そして歩き出し、この場から離れようとする、オルデガの背の黒いマントに、レオンは視線を向ける。
「それではご健闘を、かつての同士。レオンハルト様──」




