130話 アノニムの帰還──そして始まる
今回もよろしくお願い致します。
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周囲を森林で囲まれた薄暗い断崖の上──その崖下には、遠く離れた王都バールの姿が目に取れる。またその城門前に展開されたノースデイ王国軍勢の姿も、遠目ながら確認する事ができた。
そんな断崖となる場所で、ひとりの男が何もない空間に対して跪き、畏まっていた。
黒い鎧に赤黒い髪、そして仮面──『中核』と呼ばれていた男だ。
やがて跪く男の前の何もない空間に歪みが生じ、バチッバチッと音を立てながら黒い球体が姿を現す。
そしてそれが消滅し、ひとりの影のような者がそこに立っていた。
「──ご帰還、お待ち致しておりました」
仮面の男がそう声を発する。
『用意していた手駒はお前のみとなってしまったな──“異端の者”デュオ・エタニティ──どうだ、実に興味深い存在だろう?』
それに答える影のような者。黒い法衣に黒いマント、そして頭部全体を覆い隠す例の漆黒の鉄仮面──
──黒の魔導士アノニム。
「黒の御君。わたくしは彼の者に自らの両翼を消滅させられる結果に至りました──あの脅威なる力、我らと異なる力──早々に排除すべきかと、畏れながら苦言を呈させて頂きます」
跪いた仮面の男がそう進言する。
それに対し、アノニムは静かに音のような声を返した。
『三番手“テルティウム”、お前に問うた訳ではない。その身体に存在しているお前が残した人間の自我に、私は問うたのだがな──だが、何故滅さずに残した?』
「………」
その問いに仮面の男は返答の言葉を発さない──今、この身体を支配しているのはテルティウムであって、本来の主であるオルデガではなかった。
「……畏れながら、御君と同じくこの人間の思考が、わたくしにとって深く興味を感じ得たので残しております。お気に召さぬのならば、直ぐにでもなき者としますが?」
その答えに、アノニムは無機質な低い笑い声を上げる。
『フッ、フハハハ──お前にもそういった思考ができるのだな。ふむ、益々興味深い。やはりお前達に自我を与えたのは、無意味ではなかったという事か』
そしてアノニムは空を見上げる。
『──『感情』を持つ“自我”、元々は私が創り出し、与えた物なのだが……さて、この滅びゆく世界で、それ達は私に一体何を示してくれるのだろうかな?』
天に向かってそう問い掛ける黒の魔導士。
やがてその姿は動き出し、断崖の端へと向かった──その眼下には変わらず王都バールの姿が確認できる。
広がる下方の情景を捉えながら、アノニムは呟いた。
『私が求める“心臓”も、そして“異端の者”も、もう間もなくこの場に集う事となるだろう──では、そろそろ始めるとしようか──』
アノニムは右手を天に掲げる。
その手から通常とは異なる、魔法陣に似た紋章の描かれた発光体が現れた。そしてそれは、アノニム身体全体を囲むようにして次々と出現していく──大、小、大きさ、発光する色、現れた魔法陣のようなものは、それら全てが異なっていた。
──最後に天に掲げた右手のひらから一際大きな黒い魔法陣が出現し、上空へと浮き上がっていく。それを追従するようにアノニムを囲っていた発光体が次々と重なり合い、積み上がるように天へと伸びていった。
それはまるで天に伸びる塔さながらのようであった。
そしてその光輝く発光体の塔は、やがて上空の雲の間を突き切り、上空へと辿り着いたと同時に消滅した。
それと同時に、青く晴れていた空が一瞬、暗闇となった──続いてくる大地を揺るがす地震。
だが、それも瞬時に収まり、空も元の青く晴れた空へと姿を戻す。
──まさに夢か幻、もしくは神という存在が実在するのならば、それが起こした気まぐれの天変地異──普通の者ならば、そう考えるのが妥当な異常な光景だった。
しかし今はその事がまるで何もなかったかのように、以前と変わらない光景が崖下に広がっていた。
その光景に一度一瞥を向けると、ゆっくりと踵を返し、歩き出す黒の魔導士アノニム。
『さあ、我々も行くとしよう。王都へ──その場にて私のこの地での目的は終わる』
「──はっ、仰せのままに我が黒の御君」
仮面の男も立ち上がり、その後に続く。
『──『滅ぼす者』、具現化。まずは火の守護竜エクスハティオ。その力を得る為に──』
◇◇◇
──同刻。王都バール内城下街──
「──うおっ! 地震かっ!!」
「おわっ─って、あれ?……収まった……地震だったのか?」
「ああ、そうだよな……それにさっき一瞬、空が真っ暗にならなかったか?」
「おう、やっぱりお前もそう感じたのか?」
「俺もだ……やはり気のせいじゃなかったんだな……」
そう互いに声を掛け合う三人の王国兵士達──彼らは今、王都内に発せられた戒厳令に従い、巡回警備の途中であった。
彼ら警備兵は基本、三人一組で行動を共にする。先程の奇妙な一瞬の異変に呆然としていた彼らの所へ、別の三人組が傍へと寄ってきた。
「おおっ、お前ら、さっきの凄かったなっ!!」
「ああ、全くだ……くそっ、ただでさえ気が滅入っているのによっ!─ったく、勘弁して欲しいぜ」
「まあ、今は緊急事態だからな……命あっての物種だ。お互い気張って行こうや」
「おう! お前達も気を付けてな!」
そう声を掛け合った六人の兵士達は、互いの三人組となって離れ、本来の自分達の任務に戻っていった。
──王都バールに発せられた戒厳令──
理由は火の寺院、炎の一族の集団が、ここバールに迫ってきている事。そしてもうひとつ、コリィ王子の名を騙る者を頭とした、詳細不明の自称“小さな反乱軍”、それもここに向かってきている。
この事実から発せられた戒厳令であった。
そしてそのふたつの勢いは凄まじく、事前に防衛の為に配備、布陣していたノースデイ王国軍勢を次々と突破しているとの事だった。
詳しい情報によると、この王都バールに至るまで残された王国軍勢は後ふたつ。
王都前に展開している軍勢二千弱──そしてその離れた場所である山間の前、実質最終決戦の場になるであろう場所に陣取っている軍勢約五千。
(……後は王都内に残された警備に当たっている兵と、王宮の近衛兵……合わせて三百くらいか……)
そう考えながら、警備に当たっている背に丈の長いクレイモアを背負った、三人組のひとりである警備兵、ゲイツが不意に前方で、何かを目にする。
「──!?」
目の前の石畳の街道、その地面にひとつの黒い染みのようなもの──そしてそれは、黒い水溜まりとなっていく。
「……な、何だ……あれは──?」
そこからせり上がるように、漆黒の骸骨が姿を現したのだった。
──黒い骸骨の眼窩に赤い光が妖しく灯る──