120話 ──無くなる
よろしくお願い致します。
俺とキリアが向ける視線の先。そこには身体に無数の傷を負った白い髪の女騎士が立っているのが確認できる。
かつて人間だった当時、ミランダと呼ばれていた者が──それはデュオの方に目をやり、今は呆然としていた。
そんな女の事を見つめていたキリアが、何かを思案するような素振りをみせる。俺はそれを悟り、彼女に声を掛けた。
「キリア、お前の手で自らの目的。それに終息を図りたいのは分かるが……もうその必要はない。デュオ──彼女がお前の代わりを引き継ぐ事になるだろう」
「口惜しいですが……確かにその通りですね」
「お前の目から見てどうだ。彼女、デュオの相手はできそうか?」
「ふふっ、レオンハルト様も異なことをおっしゃりますね。いくら強大な力を有しているとはいえ、私は自身は“人”である事を自覚致しております。ですので、“魔人”、そんな存在に敵うべくもありません。私など彼女の前では……そう、風口の蝋燭──」
そして俺達は二人の様子を見守る。行く末を見届ける──その為に。
ミランダ・オルフェス。彼女の姿をした者はゆっくりとデュオへと歩み寄る。
「……右翼、殻を破ってしまったか……しかもあまつさえ、自らの身体までも失ってしまうとはな……」
女はデュオを睨み付ける。
「先程の様子。私は見ていた……お前は何者? いや、何という存在なんだ?」
デュオは無表情のまま、言葉を発する事はない。
「……この人間の身体が、何かを求めるように感じ続けてきた疼き。その疼きにずっと悩まされ、その元となる元凶を滅するのを欲していたが……もうどうでもよくなった……」
白い髪の女騎士は足を止めた。
「中核。私も殻を破るぞ!……後の事は悪いが、あんたの好きにすればいいさ」
そして身に付けた黒い鎧ごと彼女の身体全体に、ピシッピシッと音を立てながら、ひび割れが発生する。それがボロボロと剥がれ落ち、そこから姿を覗かす黒光りのする新たな身体──
やがて、ミランダという人間を象っていたそれは、新たな異なる存在へと変貌を遂げた。
唯一前と変わらぬ美しい白い髪。続けて見えるのは金色となった両目、鋭い牙を持つ小型の顎、女性である事を保つ形状の頭部と黒光りのする、細身だが強靭さを感じさせる身体、そして鋭く尖った穂先を持つ槍のような長い右腕。
──バサッ─
羽音を立て、背で大きく広がる漆黒の左片翼──
『『滅ぼす者』の尖兵、“テルティウム”。私はその左の翼だ! お前が“何”かは知らんが、抑されていた殻を破る……その行為を行使させた責により、今から貴様を滅ぼす!!』
黒い女の怪物は、片方の翼を羽ばたかせ、宙高く舞い上がる。
浮遊し、空中に止まる女の怪物。地上で立つデュオに向けて自らの左腕を突き出し、手を広げた──出現する黒い魔法陣。
『──暗黒の追跡者!』
そして放たれる無数の黒い光弾。それらはデュオの元へ、追尾するように飛来する。
ドガッドガッドガッ─と音を立て地面に着弾し、発生する土煙により視界が悪くなった。やがて、それがなくなり目に捉えられる光景が鮮明に戻る。
『!?──馬鹿な……』
驚愕の声を発する女の怪物──それが見下ろす地面には、何事もなかったのように右手に持つ剣を下げたまま、平然と立つデュオの姿が──
『この化け物めがっ!!』
左片翼の女の怪物は、宙に浮きながら狂ったように、再び黒い光弾の連撃をデュオに浴びせた。
デュオに黒い光弾の雨が降り注ぐ。だが──
……ユラッとデュオの身体が微かに揺らいだ……そして何にも触れる事なく、ひとつの光弾が地面にぶつかる。
ひとつ、またひとつと次々に光弾の雨が降る。それに合わせるように、デュオが棒立ちの体勢を変える事なく、ただ身体だけがユラリと揺らぐ。
そして無数の光弾の雨は、どれひとつとして彼女の身体に触れる事なく、地面に着弾していった。
俺の目には……ユラユラと身体が揺らいでいるようにしか見えぬが、あれはもしや瞬時に避けているのではないのか?
“瞬間的に移動”……信じられん……。
俺は思わず唾を飲み込む。我ながら無理もない──彼女のその動きが全く見えぬのだから。
─────
『──おのれ! 死ねっ死ねっ、消えろ!!』
女の怪物は魔法の光弾を連射し続け、そしてそれを追うように槍の形状の右腕を突き立て、宙からデュオに向かい急降下による奇襲攻撃を仕掛けた。
デュオ。彼女は剣を下に向けた体勢のまま、立ち尽くしている。そして瞬間移動による回避、それを行う為に、僅かに身体が再び揺らぐ。
怪物から放たれた全ての光弾がかわされ、地面に着弾し、続けて彼女の上空から迫る怪物の右腕の槍、その尖った先端がデュオの頭部目掛けて接近する。
瞬間、彼女の姿が──消えた。
『!?──なっ、何ぃっ!!』
女の怪物が驚きの声を上げながら地面に着地する。
──その後方に突然、背を向けたデュオが姿を現した。ゆっくりと怪物の方へと振り返り、右手に持つ漆黒の剣を付いた汚れを払うかのように、一度真横へ大きく振り払った。
──ヒュンッ─
剣が空を切る音が耳に届く。
それが合図かの如く、同時に女の怪物の槍の腕が無数の肉片に切断され、辺りに飛び散った。
『──があああぁぁーーっ!!』
怪物の口から雄叫びが発せられる。
『おのれ……おのれっおのれっおのれえぇぇーーっ!!』
ズルリという音と共に、なくなった怪物の腕が伸びるように姿を現す。
再び出現した前より歪な形状の槍の右腕。そして女の怪物は黒い左の片翼で、再度宙へと舞い上がった──猛る怒りの金色の目。
空中で女の怪物は、再びデュオに向かい左手のひらを突き出す──また現れる黒い魔法陣。
次に発生する先程とは違う黒い光りの輝き。
『オラァっ! 逝っちまいな!!──暗黒の流星光!』
そして放たれる極太の黒い怪光線──地上に立つデュオにそれが迫る。
直撃しようかというその時──再び彼女の姿が消えた。
『また消えた……一体何処だっ!!』
そう宙で浮きながら声を上げる左片翼の女──その浮く後方にデュオは姿を出現させる。それに気付き、ハッと振り返る女の怪物。
デュオの持つ黒い剣が残像を残し、妖しく揺らいだ。
『──がああぁぁーーっ!!』
怪物の左肩が丸ごと切断され吹き飛び、クルクルと回転しながら地面に落下していく。
再び空中から姿を消すデュオ。そして瞬時に元にいた地面の場所へと自らの姿を出現させた。
そんな彼女の前に飛来し、着地する左片翼の怪物。
『……おのれえぇぇーっ!!』
なくなった左肩が、また新たに形状を変えて出現する。
槍の形状の長い両腕。怪物はその両腕を自身の胸の前で打ち合わせるように交差させた。
『──があああぁぁぁっ!!』
激昂の咆哮──そしてズブリと音を立て、身体の横腹付近から関節を持つ長い爪のような腕が、それぞれ片側から三本、計六本が伸びてきた。
──長い二本の槍と、鋭い先端の六本の爪─
全身凶器となった女の怪物。それが変わらず立っているだけの体勢のデュオに向かい、駆け出した。
そして自らの身体にある全ての凶器による連続攻撃を、目にも見えぬような速さで繰り出す怪物。
一方、対峙するデュオは、またも立つだけの体勢を崩さぬまま、自らの身体をユラユラと揺らめかせている。
瞬間移動による回避。
左片翼の怪物、その狂ったような猛攻は彼女の身体に触れる事すら敵わない。
そして──
黒い剣がユラリと揺れるのと同時に姿を消す──目に見えぬようではなく正真正銘、目に見えない剣の斬撃。
それにより、まず怪物の長い爪が吹き飛んだ。
次に右腕が、左腕が、胸の一部が、下腹部が……次々に切り裂かれ、消し飛ぶ。やがて、美しい黒い左の漆黒の翼がもがれるように切り飛ばされた。
そんな中、怪物の金色の目が見開かれる。
……あの者の中で、今感じているのは恐怖、或いは絶望か……。
怪物の口から言葉が漏れる。
『馬鹿な……この私が……『滅ぼす者』の眷族たるこの私が……』
途切れそうな打ち震える声。
『せめて身体を三つに割っていなければ……いや、それでもこの力の前では……敵わぬか……』
やがて、身体の大半を失った怪物は、力なく崩れ落ち、地面に両膝を着いた。
「………」
無言でデュオは剣を振り上げる。そして下方へと向けて剣が消えた──見えない斬撃。
両膝を着いた女の怪物。その全身に前のそれと同じように、網状に亀裂が生じ、そこから紅い光が漏れる──
亀裂に沿って、怪物の身体がずり落ち、細かい複数の肉片となって地面に崩れていく──
『……レオン……ハルト……さ……ま……』
女の怪物は最後にそう言葉を残し、そして紅い光に包み込まれ消えていった……。
……最後に俺の名を呟いて……。
──かつて俺と同郷の出身で優秀な部下だった、ミランダ・オルフェス……哀れな──
─────
デュオ。彼女は立ったまま、またも怪物が消えた場所へと、視線を落としていた。
そんな彼女の姿を見て、俺は思う。
──『滅ぼす者』それがもたらす『滅びの時』──それは決して抗う事のできぬこの世界のひとつの摂理。
そしてそれは我々、『人間』の感情による『行動』が生じる要因となっている。
『審判の決戦』──四大精霊が我々、人間の為、その存在を、この今ある世界を、存続させる事が許される事になる与えられた唯一の手段だ。
我々、『人間』という種族は創り出されてから、後の今に至るまで、それに打ち勝ち、存続する事を許されてきた。
だが、今回……いや、現在。『滅ぼす者』、その尖兵と称する存在が姿を現した。そしてアノニム──
間違いなく『滅びの時』は、もう既に始まっている。
俺はその昔、“ある存在”の様子に違和感を感じていた。もしやすれば、今思えば、あれは予感だったのかも知れない。
だから、俺は『力』を求めた。それに抗う為の人間による大きな力、強大な兵力を──
─────
ふと、デュオ。彼女の様子を伺う。
まだ手にした剣の切っ先を下に向けたまま、立ち尽くしている姿が確認できた。
彼女は、静かに空を見上げている。
「……デュオ・エタニティ……か」
何気なく俺の口から、その名が呟くように漏れた。
……俺は抗う為、大きな戦力を求める戦いの中で、その名の存在と出会った。
──“デュオ・エタニティ”、という存在が持つ力は、この世界の定められた理や運命さえも変える事ができる強大な力。この世界にはあり得ぬ異なる力。
先程の戦いを見て、俺の選択は間違いではなかったのだ。
──そう、確信した。
……ならば、いずれ訪れる事になるであろう俺の『役割』、それを果たす時が、近々くる事になるだろう。
─────
「──レオンハルト様」
その声に、俺は思考する事を止め、傍らで少年に治癒を施し続けているキリアへと目を向けた。
「この子の傷口は、ほとんど塞がりました。後は体力の回復を待つだけです」
地面に座り込み、少年を抱き上げているキリアが、その頭をやさしく撫でながら言う。
「すまぬな、ご苦労だった。礼を言うキリア」
「いいえ、とんでもございません。お役に立てて何よりです。ありがとうございます。レオンハルト様」
俺の言葉に答えながら、キリアはやわらかく微笑む。それに対し、俺も僅かに表情を緩め、目で相づちを送り返した。
そして俺は再びデュオへと視線を戻す──
彼女はまだ空を見上げていた。
身体に帯びていた紅い光も今は完全に消えて、右手に持つ漆黒の剣のみが、いつもの鈍い紅い光を放っていた。
やがて、デュオは俺の視線に気付き、ゆっくりとこちらへと顔を向ける。
彼女のその目も、青い瞳と紅い瞳。本来のオッドアイに戻っていた。
デュオは俺に無言で頷いてきた。俺も何も言わずそれに頷き返す。
『両目紅眼』──先程の想像を絶する強大な力は、なにか特別なものだったのだろうか……?
だが、どちらにせよデュオ・エタニティ。その名の存在は、自身が望む本来の姿を取り戻したのだ。
ただ、今の俺の目に映っている彼女……。
その表情は何故か、悲し気な雰囲気を醸し出していた。