112話 粉砕皇女 キリア・ジ・アストレイア
よろしくお願い致します。
──ドガラッ
その命を受けるや否や、キリアは単身、怒涛の勢いで馬を走らせた。
目指すは谷間の前に陣取ったノースデイ王国の軍勢、その数、およそ千の大軍勢。
『──えっ、ええーーっ!! あの軍勢にたった一騎で? 無茶だ! レオン、私達も行こう!!』
俺の言葉に、レオンは向かう事を拒否する。
「助けは不要……そうだな。俺が助けに向かうとすれば、あちら側の陣営。さすれば、この戦況も少しは面白いものになるだろうよ」
『はぁ? あんたは一体、何をっ』
「まあ、取りあえずは黙って見ておけ」
そう俺に促すレオン。彼が言うのだから、何かの秘策、もしくは裏があるのだろう。信じて見守る事にした。
勢いよく駆ける馬上で、キリアは右手を黒いマントによって、隠れる自身の背中へと伸ばす。そしてその手に、棒状の取っ手が付いた何か大きな塊のような物を取り出した。
余りにも武骨。そう思えるシロモノだった。次に彼女は、それを大きく右上へと振り上げる。
──ガシン! ガシン!─
二回そう音を立てた瞬時、その武骨なシロモノは大きく変貌を遂げた。
キリアの身の丈を軽く超え、そこから更に頭ふたつ分飛び出るくらいだろうか。その先に独特な形状の金属製の板が何重にも重なり、巨大な鎚を形成している。その対極の先には同じ形状だが、一回り小ぶりの鎚。
白銀色の巨大な戦鎚
その重量もいかほどのものだろう? 全く想像も付かなかった。だが、彼女は片手で、いとも簡単にそれを風車のように振り回してみせる。
手に持つ得物の準備も完了させ、馬を走らせながら、彼女は次に魔法の詠唱を始めた。
「──光の防御壁」
「──魔法の防御壁」
「──風乙女の吐息」
次々にその口から魔法が紡ぎ出され、彼女の身体付近に、白、青、緑、三種の魔法陣が同時に浮かび上がる。
そしてそれら、全てが、キリアを包み込む光となって、彼女の身体に吸収されるように消えていった。
その間にも両者の距離は縮まっていく
─────
「な、何だ! たった一騎で我が軍に突っ込んでくるとは!!」
「何かの策か! とても正気の沙汰とは思えん!!」
「しかも女ではないかっ、くそ! 我が軍をなめておるのか!!」
キリアが敵軍勢に接近するにつれ、周囲のどよめきの声が大きくなる。
そして彼女はノースデイの大軍勢の前で足を止めた。
「私はミッドガ・ダル戦国、第三軍団長、キリア! キリア・ジ・アストレイアだ! 遠き者には音に聞きなさい! 近くば寄って目に見るもいいでしょう!」
彼女は右手に持つメイスを天にかざし、大音声を上げる。その気迫にビリビリと周囲の空気が震える。
「我らは故あって、貴軍が封じている谷間を通る必要があります。黙って我らを通すのであれば、それで良し。敵わぬ場合は──」
キリアは右手に持つ巨大なメイスを片手で、ヒュンッヒュンッと音を立てながら、風車のように振り回す。そしてそれを、ピタッと止めた。
メイスが差す先は、ノースデイ王国軍勢の中心だ。
「全て粉砕する──その後、押し通るのみ!!」
彼女の放った声を口火に、誘発されたように王国軍、兵士が突撃を開始した!
轟く数多くの怒声と馬蹄、それと目が霞むような土埃。
─────
「俺とキリアが初めて会ったのは、その昔。俺が自身の領地を手に入れる為、このノースデイ王国に攻め入った時だった」
今にも激突しようとしているキリアと王国軍兵士。その様子に目をやりながら語るレオンの言葉を、俺は彼の背中で聞く。
「その戦いの中で、王国の援軍として姉妹国アストレイアから一軍が到着した。それを率いていた将が、アストレイア王国第一王女、キリア・ジ・アストレイア。その人物だったという訳だ」
……という事は、彼女はあのリオス王の姉なのか。そういえば行方不明の戦姫っていう人がいるって言ってたっけ。
「その当時から、俺は世間では人間という種族で最強と呼称されていた。自惚れではないが、俺にはその自負もあった。だが……彼女と剣を交えて、それが自らが世間知らずだったと、この世界は広かったと思い知る結果に至った。キリア、彼女と戦闘を終えた俺はそう悟った──膂力、瞬発力、洞察力、判断力。そして戦闘に於ける冷徹さ。彼女はその全てを人のそれを遥か上に超越している」
やがて、キリアと王国兵士が激突する。
迫ってくる騎馬の一群に対し、彼女は右手に持つ巨大なメイスを、下から右斜め上へと大きく薙ぎ払った!
そのひと薙ぎで、数十体の兵士が吹き飛ばされ、身体ごと高く宙を舞う。そしてまた、ひと薙ぎ、ふた薙ぎと──
その度に数え切れない数の兵士と、身に付けていた鎧片、武器などが、血飛沫と共に空高く放り出されるように、飛び散っていく。
「手向かない者まで命は奪いません! 再度勧告します! このまま手を引き、軍を退けなさい!! 尚も抵抗を続けるのであれば──」
キリアは更にメイスを振るう。
金属音も交じり、無数の物体が宙高く舞い上がる。最早、放り出される物体は数が多過ぎて、何が飛ばされているのか。その種類の全てを確認できないが、驚く事にその中に空中を舞う複数の馬の姿も確認できた。
「──全て粉々に砕けてしまいますよ!!」
「な、何だ、あの女騎士はっ、化け物か!!」
「……手に持つ鉄鎚で壊される! 何もかも壊されて粉砕されちまう!!」
「ひっ、ひいぃぃぃーーっ!!」
「……あ、俺、聞いた事がある。全ての物を粉々に破壊する女の将……確か、『粉砕皇女』……」
「えっ、あれが、アストレイアの『粉砕皇女』!?」
「マ、本気か……ひいっ!! ひいぃぃぃーーっ!!」
─────
弓兵を率いた部隊長らしき兵士が大声を上げる。
「あのれっ、化け物め! 遠巻きに射殺してやるっ、弓兵! 目標に向けて一斉射撃!!」
号令に合わせて複数の弓兵が、その弓を引き絞る。
「放てぇいっ!!」
キリアに向かって雨のような弓矢が降り注ぐ!
それに対し、彼女は手に持つメイスを風車のように回転させ、その全てを弾き返した。
「な、なんと!……怯むなっ、第二射、放てっ!!」
再び弓矢の雨が彼女に向かって降り注ぐ。だが、今回は彼女は、それに一瞥を向け、向かってくる大量の弓矢を無視するように視線を外した。
「学習のない……くだらないですね。もう面倒です」
無数の弓矢が彼女の身体に──瞬間、緑色に輝く光が、キリアの身体を包み込むように発光し、放たれた全ての弓矢は、直撃する寸前に軌道を変え、あらぬ方向へと飛んでいった。
「お、おのれ、防御系魔法かっ、くそ! 第三射だ!!」
自身の直ぐ後方に隊列する弓隊に顔を向け、そう命令の声を放つ弓兵部隊、隊長。しかし、次に彼がその目標となる者に視線を戻した時、自身の目に映った映像は、右手に持つメイスを振り上げたキリアの姿だった。
そして振り下ろされる粉砕の一撃!
そのたった一度の攻撃によって、彼は自ら率いる弓兵一小隊もろとも、空中へとバラバラに放り出され、飛散される。
次に確認できるのは、遠距離からキリアを狙う王国魔導部隊。
だが、不的確に放たれる火球や電撃などは、彼女にとって、その敵の居場所を示す格好の合図でしかなり得なかった。
避ける事など、至極簡単。しかし、彼女は敢えてそれをしない。
“何をしても無駄”──キリア、彼女単身と王国軍、軍勢。その力の差を見せ付け、敵に恐怖を刷り込ませる。その為に──
火球に続き、電撃がキリアの身体に直撃する寸前、彼女を包んだ青い光が具現化し、その魔法を打ち消し、無効化する。
やがて、弓隊に続き、王国にとって貴重な魔導部隊までもが、彼女の放つ巨大な鉄の塊によって粉砕される!
『………』
……何ていうか、凄まじい。その一言だった。それと……ただ虚しく、ひたすらに悲しかった。互いに感情というものを持つ人間、それが存在しているこの世界を、俺は守りかったのに……それなのに……守るべきその人間達が、塵のように飛び散って、無くなっていく。その様が……。
『兵士』とういう者達は、戦争という行為の中で鉄則に従い、自らの死を覚悟した者達……非業な死、理不尽な死。そんな自身の死さえも覚悟の範疇だとレオンは言った。
戦争に関わって生きる『兵士』はそういう者だと……。
目の前での戦場では、キリアがその手に持つメイスを、縦横無尽に振るっていた。その度に彼女の周囲から上方にむけて、何かのたくさんの物体が飛び散っていく。
「三度目の勧告です。引きなさい!!」
再度、引く事を促すキリア。それにしても彼女のあの異常な強さは、一体何なのだろう?
「キリア──彼女が敵に突撃する際、途中で自らに複数の防御系魔法を施していただろう? 彼女は自身の持つ強大な力に気付くその前までは、母国、アストレイア王国に於いて、強い魔力を持つ慈悲の尊重としての高司祭だったそうだ」
レオンが俺に、そう語ってきた。
「人間を遥かに凌駕した戦闘能力。それに併せ持つ天賦の才の司祭としてのその力……今、この世界に於いて人間という種族における最強の存在は、俺などではない」
レオンは戦場を駆け巡るキリアの方へと目をやる。
「キリア・ジ・アストレイア。彼女だ」
そしてレオンは僅かに顔を振り向く。俺を意識するかように。
「まあ、彼女もまた、この世界に於いて希にみる特殊な存在という訳だ。しかし、あくまで人間という種族の中での事……だが、デュオ。我々が目指す敵は『人間』ではない。だからこそお前のその力が必要なのだ。先程も言ったが、避ける事ができぬ人間の穢れた行為は、俺が引き受ける。お前は自分の信じる道を変える事なく、ただ前へと突き進むがいい……」
レオンのその言葉に、彼とはまだ知り合って間もないが、熱い何かが込み上がってくるのを感じた。勿論、戦争という行為を俺はまだ理解してないし、許す事もできない。
だが、彼は信頼のおける自身の戦友。そう感じた瞬間だった。
『……ありがとう。俺、いや私、不器用だからこんな時、どう言っていいのか分からない。だから、そんな言葉しか浮かんでこない……』
「フッ……」
微笑の声が漏れたのが聞こえてきたので、彼の方へと剣の視線を向けるが、その時にはレオンは、もう前へと向き直っていた。
互いに確認し合う友情。そんな感動的な場面の筈なのに……。
俺は黒い剣であって、しかも彼の背中におんぶときた。そこはさすがに俺。全く様になってないな……トホホ。
「デュオ、どうやら終わったようだ。俺たちも行くとしよう」
彼の言葉に、俺は前方に見える戦場を確認した。
その目に、馬上で手にしたメイスを下へと下げているキリアの姿が目に入ってきたのだった。