110話 兵士の定義
よろしくお願い致します。
響く馬蹄の中、俺は今、馬上のレオンハルト。いや、レオンの背中にその姿があった。
例の魔剣の触手によって絡ませ、彼の背中に固定してある。ちなみに剣の目である赤い宝石の部分は、視覚に入る様に縛って、バッチリ位置は調整済みっ、へへん──ドヤっ!!
目指す場所は、心の中で感じる紅い光で示されたノエルの居場所だ。その途中で俺とレオン、互いのここに至るまでの経緯や現状なども先程、済ませたのだった。
それにしてもフォリー、無事で良かった。後、レオン。素で普通にそんなだなんて、あんた、やっぱシブいっていうか、カッコいいな──正直、羨ましい……って、今はそんな事、考えている場合じゃない。
「デュオ、どうだ?」
『レオン、そのまま直進で。後、できたら少し急いで欲しい!』
「了承した」
俺の中で、僅かに焦燥感が生じている。というのも、少し前までこちらの方へと、同じく移動をしていたノエルの紅い光が、その動きをある場所を境に、突然ピタッと止めてしまっていたのだ。
……何もなければいいんだけどな……。
空は雲ひとつなく、穏やかに晴れている。周囲も大きな障害物などなく、過去の地割れでできた無数の川があるのみだった。
そんな平原の中を、俺を背中に背負ったレオンが馬を走らせる。
やがて、地平線の彼方に断崖絶壁が近付いてくる。そしてその間に、ひとつの大きな谷間があるのが確認できた。
ノエルがいる紅い光の場所はまだ先。この谷間を抜ける必要がある──だが、
近付くにつれ確認できる、その谷間の前方の平原で待ち構えるように、展開し、整列している集団の影……あれは──?
「……ほう。これは壮観だな」
馬の足を止め、レオンがそう呟く。
「展開する状況から把握して……その数、およそ八百から九百……まあ、千と考えていいだろう」
谷間を塞ぐ軍勢。風にたなびく軍旗から察するに、どうやらノースデイ王国の軍勢と見受けられた。それにしても凄い数だ。
千……って、そんな大軍勢。一体どうすればいいんだ?
『……どうする?』
「……ふむ」
生返事を返しながら、レオンがゆっくりと馬の足を進めて行く。やがて──
「待てい! そこの者、それ以上前に進むな!! これより先、我が王国により立ち入る事を禁じている。命惜しくば、早々にこの場から立ち去れ!!」
一体、突出した騎馬の隊長風の男が、馬上から大声を上げる。
「俺の名は“ブレイド”。見ての通り、ただの冒険者兼、旅人だ! 訳あって先を急いでいる。無理を言ってすまぬが、通しては貰えぬか? 俺ひとりならば問題ないだろう!」
レオンの凛とした声が周囲に響く。
「否! 応ずる事、敵わず!!」
「……相分かった。貴殿の顔、良く覚えておこう」
「──!?」
レオンは踵を返し、元きた所を辿る。そして馬の足を止め、再びあの大軍勢に目をやった。
「残された道は正面突破しかないが、さすがにあの数では抜けたとしても、目指す先が谷間だからな。さて──」
『………』
確かに、軍勢を切り抜けたとしても、その先、谷間を塞ぐ軍勢を抜けるのはかなり難しい。っていうか、ほぼ不可能に近い。下手をすれば囲まれて、如何に最強と称されるレオンでも、おそらくは人溜まりもないだろう。
どうすればいい? この状況の中、先に進むには一体、どうすれば……。
解決策に思考を巡らす。そんな俺の状態を察しての事か、不意にレオンはポツリと言葉を漏らした。
「奴らに死の恐怖を生じさせ、軍としての機能を壊滅させる」
『えっ? そ、それって、まさか……』
「ああ、そうだ。先程の隊長らしき男の顔は明確に覚えている。まず奴の首を討ち取り、その後、怯んだ敵の何割かを削り取り、恐怖という感情を刷り込ませ、軍勢としての機能を成り立たなくさせて敗走させる。少し時間を消費してしまうが……止むを得まい」
淡々とした口調で説明するレオン。
『違う! そんな事を言ってるんじゃない! それは人を殺すって言ってるんだろっ!!』
「お前は一体何を?……そうか、フォステリアがお前はそういう奴だと、確か言っていたな」
『……フォリー?』
レオンは低い声で、それでも彼にしては珍しく感情的な口調で、俺に問い掛けてくる。
「デュオ。いいか、良く聞け。レオンハルトと呼ばれている者は、何だ? そして今、俺達の目の前で展開しているあの集団は、一体何だ!?」
『……人間だ』
「そうだ、人間だ。だが、兵士でもある。兵士とは、いわば戦争をする人間だ──『戦争』 人と人が、持つ感情と関係なく互いを殺し合う最も罪深き行為。それが戦争だ。そして後に生じるものは負の感情と呼ばれるものだけで、他は何も残らない」
『だったら……なんで』
『だが……その行為に至るまでの我々は、何も『負』の感情のみに囚われ続けている訳ではない。ある者は自国の繁栄と国民の為、或いは愛する家族、恋人、同僚といった大切な者を守る為、またある者は理想の世界を志す主君の力となる事に己の全てを捧げる為──そして何より、自ら掲げた己の信ずる目的を達成させる為!──人を殺める許されぬ行為、『戦争』の中にも『正』の感情は存在するのだ」
『うっ……』
「かくいう俺も、少し前までは『滅ぼす者』と対抗する力を欲する為、戦争に明け暮れていた。『兵士』と呼称される存在はそういった者達だ。そして常に己の死、その覚悟も身に刻んでいる。当然だ……我々『兵士』の手は血と罪で汚れてしまっている。いつ何時、その忌まわしい『戦争』その行為によって自らの“命”を失う。『兵士』という者、人を殺める業を背負う自身の手を血塗られた者達。戦争と関わるが故にならばこそ、自ら自身の最後も『兵士』によって手に掛けられる覚悟を自覚している。そのような覚悟という名の業を常に背負って戦いに挑んでいるのだ」
『………』
「……まあ、そう言ってはみたものの、中には、ただ純粋に『負』の感情だけの衝動で戦争をする奴らがいるのも、また事実なのだがな」
『……それでも……』
「うん……?」
『……例えそうだとしても、人が人を殺す……そんなのは間違ってる……そう思う……』
おそらく絞り出すような念話の声だったのかも知れない。
『正だとしても負だとしても、死んでしまえば……なくなってしまえば、そこからは何も……生じない』
「………」
『俺には……できない……』
不意にレオンは、低く笑い声を漏らした。
「フフッ……フハハハハッ──成る程、フォリーの言った通り、お前はやはり希少な心の存在のようだ。了承した。俺はお前の血塗られた方の剣となろう。だが、自らの目的。それを達成させる為に、時にはその覚悟も必要だ。その事だけは必ず覚えておけ」
そしてレオンは腰の長剣へと手を伸ばす。
「今がその覚悟の時──」
──その時だった。
俺を背負ったレオンの後方から、ひとつの馬蹄の音が響いてきた。その音にレオンは振り向く。同時に俺の視覚にもそれが入ってきた。
こちらに向かって走ってくる一体の騎馬。黒いマントを纏い、フードを顔を隠すように目深に被っている。そしてはためくマントから垣間見える、身体にピッタリと密着するような細身の重鎧。見た感じからして女のようだ。その姿は、まるで何処の国で伝わる伝説の戦乙女を彷彿とさせた。
だが、そんな姿を確認した俺に戦慄が走った。
何故ならその身に付けている鎧が、ミッドガ・ダルの漆黒の鎧と酷似していたからだ。いや、今、チラリと胸の位置に鷲と剣の紋章も確認した! もう間違いない!
『まずい! レオンっ、挟み込まれるぞ!!』
「むっ……」
レオンは腰の長剣の束に手を添えたまま、後ろから迫ってくる黒い鎧の騎馬を凝視していたが、急に添えた手を元に戻し、興味をなくしたかのような素振りで、ヒョイっと前へと向き直った。
そうしている間にも、黒い鎧の騎馬は俺達との距離をどんどん縮めてくる。
『おわっーーって、あんた、一体何考えてんだよ! 冷静沈着にも程があるわっ!!』
「………」
『なあ、聞いてる? “冷静沈着”って、静かに沈んで凍り着くって意味じゃねーんだぞっ!!』
「……フッ、面白いな……」
『いやっ、冗談としても全然面白くない方だわっ!!』
そして──ドガラッ!
俺の必死の訴え掛けも虚しく、それは俺達の真後ろに辿り着き、馬の足を止めた。
それに合わせ、今度はレオンが馬の踵を返し、後ろへと振り返る。
「……久しいな──キリア」