108話 世界を変える その為に
よろしくお願い致します。
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──あの時。ノースデイ王国に侵攻中だったストラトス将軍を大将とした我が軍、ミッドガ・ダルの軍勢の中に俺の姿があった。
その軍勢が命を受け、突如として撤退の体勢に転じた時。その時に“あれ”が起こった。
突然、自分の意識の中に何かが侵入してきた……それに徐々に蝕まれ、取り込まれていく自分を感じた。自身の意思ではどうする事もできず、暴走する己の身体……。
やがて、自分という自我を取り戻した時、俺は既に人間ではなくなっていた。
周囲に散らばる、黒い鎧を纏った多数の屍。そんな者達に囲まれて、人間である事を奪われたかつての同胞で、人間以外の新たな存在となった、この場に呆然と立つ者達。
その中の幹部クラスでは、ヒューリ。ミランダ。ふたりの存在も消滅し、新たに『滅ぼす者』の尖兵。『右翼』『左翼』という存在へと変化させられていた。そして俺も『中核』という名の化け物に──
だが、俺には他のふたりとは違い、自我が残っていた……オルデガという人間の意識が──
やがて、身体に存在する中核が俺に言った。
俺の心が気に入ったと……何もない無の心。虚無が気に入ったと……だから、俺の自我は消されずに済んだのだと──
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中核は仮面に手を掛け、それを取る。
フワリと後ろに撫で付けた赤黒い髪が揺れた。顕となるその素顔──精悍な顔立ちの、少しのあご髭を生やした壮年の男。
その顔は、まるで感情がないかのような凍り付いた無表情だったが、その目はそんな表情にそぐわない程の力強い光を宿していた。
仮面を外した男はゆっくりと目を閉じる。
瞼の裏。暗闇の中で思い浮かんでくるのは美しい妻と、ふたりの幼い我が子──今はない、男の記憶の産物だ。
男はそれを守る事ができなかった。
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過去、レオンハルト率いる傭兵団に攻め立てられたノースデイ王国のある街の太守であった俺は、黒い傭兵団の凄まじい力の前に、到底守りきれないと悟り、敵から送られてきた降伏勧告を機に、自身の主であるラウリィ王へと、兵の撤退と街の降伏、明け渡し。その事を促す使者を立てた。
だが、帰ってきた王の返答は──
『徹底抗戦! 引く事を許さず、街と命運を共にする覚悟を以て、戦いに挑め!!』
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「な、何だと……俺は一体、どうすればいいのだ……」
「オルデガ様。我々はノースデイ王国にこの人在りと言わしめた、王国随一の勇将である貴方様に惹かれて付いてきて参った者達です。将軍の命と在らばこの命。いつでも捧げる所存です。ならば我らも共に──」
「いや、こんな勝敗が既に喫した戦いに命を殉ずるものではない! このような無謀な命を下す王の為の戦いならば尚更だ!」
「さすれば、我々は如何にすべきで……」
「……今一度、王に使者を送ってみよう」
やがて、再度帰ってくる王の返答。
『否! 応じる事敵わず! 敵の物となるくらいならば、街と共に滅びよ!!』
「ば、馬鹿な……何て愚かなんだ……」
そしてその日、王の使者と共に放たれた密偵となる暗殺者の手によって、降伏勧告に訪れていたミッドガ・ダル戦団の使者と──
──愛する妻と最愛の我が子ふたりが惨殺された。
引く事も叶わず、最早、降伏も認められぬだろう。そして本来、守るべき最も大切な存在を失ってしまったのだ。
俺は……もう死んだも同然だった。
それでもその事を暗黙としていてくれたミッドガ・ダル戦団の降伏勧告の期限が切れた。
戦う者と命に応じる者には恩恵を。それに逆らう者には罰則を──それは戦争という行為に関わる全ての者が認める決まり事。すなわち鉄則だ。
黒い鎧を纏った者の圧倒的力によって、街は戦火に呑み込まれる。やがて、時が経ち、槍を片手に奮闘していた俺の周囲も……辺りの全てが静かとなった。
街も部下も、そして家族さえも失った、からっぽとなった俺は、レオンハルトの元に引き出される。
漆黒の鎧を纏った黒い長髪の精悍な美丈夫。そんな姿の人物が言った。
「敵将オルデガ・トラエクス……お前は色んな“もの”を失った。だが、戦争─その名の行為の中、その出来事は常に在るひとつの事に過ぎん。そう、この世界は歪んでいる。そしていずれくる終焉……『滅びの時』──それに抗う力を得る為、俺は戦争という行為を行っている。我々、人間の手によって、それに打ち勝つ事ができるのならば、もしやすれば、この歪んだ世界を変える事に繋がるかも知れぬ。俺はこの狂った世界を変えたい。その為にまず、守らねばならんのだ」
レオンハルト……この人物は一体……。
「お前は今、何もない。だが、その強靭な精神力と強力な武力は失うには余りに惜しい……それにこの世界に虚しさ。虚無感を感じる者は大きな力となる。どうだ? 我が軍に加わり、俺の力となってくれないか?」
そう言葉を発しながら、俺から全てを奪った男が、その手を俺に差し出してきた。
──何もかも失い、からっぽとなった俺。今は何が正しくて何が間違っているのか、それすらも考える気力さえ残っていない……だが、ただレオンハルトという男が言った、“この世界は歪んでいる” その言葉に、心が大きく揺さぶられる。
そうだ。歪んでいるのなら正してみせればいいのだ──
俺は差し出された手を押し戴いた。
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オルデガという存在の男は、再びその顔に仮面を付けた。
心の中で響くような声が聞こえてくる。
『フフッ、さあ、行くがいい。人の子よ。汝が目指す道を、わたくしに示してみせて下さい。その為にわたくしは汝を生かした。思うがまま進んで、そしてこの世界を創り直しなさい──』
オルデガの身体に宿る『滅ぼす者』の尖兵。中核が語る。
『わたくしは汝と常に共に在る。いずれその時がくれば、呼び掛けるがいいでしょう。さすればその時、わたくしは殻を破り、黒き者となる──』
「………」
その声が終わるのを待ち、オルデガは右翼、左翼とはまた別の方向へと、馬の踵を返し、走らせた。
(……この歪んだ世界の象に変化を与える……何の因果か、人でなくなった俺はレオンハルト王とその道を違える事となってしまったが……)
「──せいっ!」
馬の腹を蹴り、その速度を加速する。
「俺はこの世界を変えたいのだ!!」
オルデガという名の男の意識は、考える思考をその言葉で終わらせた。