107話 三つの黒き者
よろしくお願い致します。
──その時が──
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「その時がきた──」
赤黒い髪の仮面の男がそう呟く。
その男は今、ノースデイ国内である何処かの崖上にいた。そして馬上から眼下に広がる地平線を睨み付けている。
仮面をしているので定かではないが、少なくともその様に捉える事ができた。
そんな男の後方に、同じような仮面を付けた人物がふたり。そのふたりも馬上にいた。ひとりは黒い髪を逆立てさせている男。もうひとりは白いしなやかな長髪の女だ。
この三人はかつて“人間”だった。
ミッドガ・ダル戦国と呼称されている国に所属する軍人だ。身に付けている鷲と剣の紋章が施されている黒い鎧が、それを物語っている。
かつての名は、赤黒い髪はオルデガ。黒い髪はヒューリ。女はミランダ。そう呼ばれていた時があった。
だが、今は異なる存在へと、その生命の象を変化させている。
「幽世である精霊界。その場から、間もなく黒の御君が帰還される」
「……それで中核。あんたは俺達を呼び戻したって訳か?」
赤髪の仮面。『中核』と呼ばれた男の発した言葉に、黒髪の仮面の男が吐き捨てるように問い返す。
「ああ、その通りだ。右翼。いずれにせよ芳しくないのだろう?」
「─ちっ」
中核の言葉に馬上で舌打ちをする黒髪の仮面、『右翼』 その左隣で、同じく馬上にいた白い髪の仮面の女が声を上げる。
「私の方は、いい感じの罠が仕掛けれた所だったんだがな。せっかくこれから楽しくなる予感がしてたのにさ……」
「それは悪い事をした。すまなかったな。左翼」
仮面の女、『左翼』はフフンッと鼻を鳴らした。
「まあ、いいさ。それよりもさ。きてるんだろう? あの男が……」
中核が僅かながら振り向く。
「レオンハルト王の事か……?」
「あはっ、きてるのか……やっぱりきてるんだね……ふふっ、あはははっ……はぁはぁはぁ……うふふふっ」
「……その女の身体の影響……か?」
恍惚とした表情で、じゅるりと音を立てながら左翼は舌なめずりをする。
「さあ、どうだろうね。でもいいだろ? 男の方は私に相手させておくれよ~。もうガキの尻を追っかけ回すのは飽きたのさ……うふふふふ、あはははははっ!!」
そして──突然、左翼は笑うのをやめ、身体を小刻みに震わせ始めた。それを止めようと自身の両肩に手を回し、強く抱く。
そんな姿に、中核と右翼は視線を向ける。
「ううっ……あっはぁ~……ううんっ、はぁはぁはぁ……ぐっ!……ううっ、疼くのさ。身体が熱く疼くんだよおぉぉ~。あいつを激しく求めているのさぁぁ~……この私の身体がっ!!」
左翼は両肩を抱き締めたまま、大きく身体を上下に揺らす。その度に美しい白い髪が振り乱れた。
「あいつと、ひとつに繋がりたい繋がりたい繋がりたい繋がりたい繋がりたい繋がりたい──」
「……へっ、へへへ」
「──?」
「繋がって……あいつのはらわたを引きずり出して……それから心臓を抉り出して……それら全部を、あいつの口の中にぶっ込んでやるのさぁぁ~! 私とあいつが繋がったままでさあぁ~っ!……あはははははははっ!!」
身体の動きは更に激しくなっていく。
「ヒャハッ! こいつはイカれてやがるぜっ!」
「………」
ニヤリと口元に笑みを浮かべる右翼と、無言で睨み付けるように顔を向ける中核。
「ああっ、くふうぅ~んっ……あひぃ──っ……はぁはぁはぁ、ううんっ! あっはぁっ!!」
やがて、激しく振り乱れる彼女の身体は、最後にビクンッと大きく身を仰け反らした。
「──ああああぁぁぁーーっ!!」
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少し間が空き、身体を起こした左翼は、今度は前へとうつ向き、ワナワナと身体を震わせる。そんな彼女の口から漏れる唸り声。
「──おのれ! 私にこんな屈辱をっ!!……許さん。あの男もこの身体も……滅ぼす! 全部滅ぼしてやる!!」
「………」
その様子を無言で見ていた中核は、おもむろに手綱を握ってない方の手のひらを、天に向かい掲げた。
空間が歪み、バチッバチッと音を立てながら空中に黒い穴が開いた。その中からふたつの黒水晶が現れ、浮遊する。
神秘的な輝きを放ってはいたが、断続的に浮き上がる赤い血管のような模様が不気味で、目玉のそれを連想させた。
「御君からの賜り物だ。ありがたく受け取れ」
そう言いながら、中核は上に向けていた手を、ふたりの方向へと指すように向ける。それに従うように空中を動き出すふたつの黒水晶。
それらは浮遊しながら移動し、それぞれ右翼と左翼の顔の前で止まった。それをふたりは掴み取り、水晶を覗き込む。
「これはいいもんじゃねーか……目的の“心臓”どころか、例の女も一緒だぜ。やっぱ、あれぐらいじゃ、くたばってなかったんだな。ヒャハッ」
「……レオンハルト。くうっ……また身体が疼く──くそがっ!!」
中核はふたりに説明を始める。
「それは黒の精霊の力を宿した黒水晶、『貪欲の魔眼』と呼ばれる物らしい。先程受け賜った物だ。どうだ、お前達が今、一番欲している情景が見えるだろう?」
「………」
その言葉に、無言で左翼は馬の踵を返した。そして動き出そうとする後ろ姿に、中核は言葉を続けて発する。
「解く鍵は“心臓”─では、封印を解く方法とは? また、所在が秘匿され不明だった火の精霊石の在処は?──その疑が明らかにされたとの事だ──風と水の守護竜。それらの転換の儀も滞りなく終了された……我らの御君、アノニム様は“心臓”をご所望だ」
右翼と左翼は睨み付けるような視線を中核に向ける。
「新たに創り出された我らが身体。もうそろそろ馴染んだ事だろう……頃合いだ。目的は生きた“心臓”の確保。さあ、行け!」
言葉を終わるのを待たず、左翼は馬を走らせる。その背中に向かって中核が声を上げる。
「黒蟲兵の半分を連れて行け!」
中核の声に、左翼は馬上で手に持つ戟を振り上げた。
「ムシ! 半分私に付いてこい! 急げっ、モタモタするなっ!!」
激しい馬蹄の音と砂塵を上げながら、黒い水晶によって導かれた黒い集団のひとつが、その姿を消して行った。
それを見届けた右翼が、何気に呟く。
「はっ、ありゃあ完全に俺達の“昔の主”に向かってまっしぐらだな……恋は盲目ってか。いや、あれは依存だな。ヒャハッ」
「………」
「左翼の奴、放っておいていいのか?」
「構わん。放っておけ。己が目的……それを果たさねば、左翼。あやつは使い物にならん」
「まあ、あんたがいいってなら、それで構わねぇけどよ」
「お前も黒蟲兵、残り全部を連れて行け。我らが創り出された意義とその使命を忘れるな」
中核の発した言葉に、左翼は露骨に不機嫌な声を上げる。
「んなこたぁ、言われずとも分かってるぜっ! それよりも俺が蟲を全部連れて行っちまえば、あんたはひとりになっちまう。中核、あんたはどうするつもりだ?」
「……火の寺院。竜人族の軍勢が動いたと聞く。それに対して、王国も軍勢を送ったようだ。俺はその軍勢と合流し、それに対応する。その為に黒蟲兵は連れて行けんからな……“心臓”の方はお前達ふたりに任せた。御君のご意志に見事応じて見せよ」
「ははっ、まあ、あれじゃあ……な?──完成された蟲の兵。か……」
そう答えながら、右翼は自身の後方で控える黒蟲兵と呼ばれる者達に目を向けた。
「──ググッ、グァァ……」
「──グァッ、ガァルルル……」
不気味な呻き声ようなものを、異形と化し最早、確認できなくなった口とおぼしき箇所から漏らしていた。それら身体のあちらこちらから、飛び出すように繋がった蜘蛛のような足が不定期に蠢いている。
異形の蟲の怪物。そんな集団の姿が確認できた。
「さすがの俺でも気味悪ぃーな。まあ、そういう俺も化け物だけどな……ヒャハッ」
そして右翼は馬の横腹を蹴り、踵を返した。
「それじゃ、俺も行くわ。じゃーな、中核」
「念を押すが……くれぐれも“殻を破るな”! 絶対にだ! 元に戻れなくなる……その時は我々がひとつになる時だ。再びよく肝に命じておけ!」
中核が放つ言葉に、動き出そうとした馬の足を止め、右翼が馬上で振り向く。
「それは左翼に言ってやれや。あいつは完全にイっちまってるだろ? 殻なんて簡単に破っちまいそうだ。俺なんかよりずっと危ねーんじゃねぇのか?」
それに中核は否定する。
「いや、それは大丈夫だろう。左翼……奴が宿らされている身体の過去の『感情』という名の呪縛。それを断ち切らぬ限り、あやつはおそらく“殻を破る”その行為に及ぶ事はないだろう……いや、できぬ筈だ」
「──ふんっ」
面白くなさそうに、ひとつ鼻を鳴らす右翼。そして再び自身の前方へと目を向けた。
「おらあっ! 蟲どもっ、一匹残らず俺に付いてきやがれや!!」
大声を上げ、ゆっくりと馬の足を動かし始める。次に顔を前に向けたまま、後ろにいる中核に向けて言葉を発した。
「まあ、了解だぜ。肝に命じておく。あんたが本来の姿になった時に、俺が……右の翼がなけりゃ、あんたは羽ばたく事ができねぇからな……」
右翼はそのまま馬を走らせる。
「心臓の方は俺に任せておけ! 中核、あんたも気を付けてな」
「──!?………」
「おらっ、行くぞ! ヒャッハーーッ!!」
そして再び黒い水晶に導かれて、もうひとつの黒い集団。その姿がまた前とは違う方向へと消えて行った。
それが完全に見えなくなるまで目をやっていた中核。その口から──
「気を付けろ……か。まさか、化け物の口からそんな言葉が発せられるとは……な……」
いや、『中核』である事を演じているオルデガという名の人間の意識。それがその言葉を漏らしたのだった。




