105話 生きた『証』─その為に
よろしくお願い致します。
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………戦いは終わったみたい。僕は今、デュオさんに抱かれている。同じ腕の中にクリスさんもいた。
「良かった……クリス君。ふたり共、無事で……本当に良かったよ……」
涙混じりのデュオさんの声が耳に届く……うん? クリスさんが何か言ってる。
「……デュオ姉。とうとう僕のタマゴを産んでくれる気になってくれたんやな……」
……う~ん。ちょっと、意味分かんない。
突然、デュオさんがクリスさんを抱き締めていた手をほどき、勢いよく突き飛ばした。
ちなみに僕の方は、まだ抱き締められています……僕もじゃないかと、ちょっと怖かったです……ほんとに。
「ぷっ、あははははっ! やめてっ、こんな場面で私を笑わせないでっ!」
「だ~か~らっ、これは笑いを取る台詞ちゃうねんって!!」
「あはははっ。ごめんごめん」
「まあ、ええわ。さて……」
ここで急にクリスさんの表情が険しいものに変わった。
うん。僕ももう分かってる……でも、認めたくなかったんだ……。
クリスさんは無言でその場所へと向かう。椅子に座らされているキース先生の所に向かって……。
僕、怖かったんだ。それで、とっても悲しいんだ……椅子に腰掛けるキース先生。その人がもう、僕に話し掛けてくれる事はない。
だって……そのお腹の傷口が大きく裂けて、そこから蜘蛛の足のようなものが、飛び出し蠢いてるのだから……。
もう僕が知っているキース先生はいなくなってしまったんだ……。
クリスさんはキース先生の前に立って足を止める。あれは何をしてるんだろう? 目を見ているのかな……ここからでも分かる赤くギラついた先生の目を……。
そしてクリスさんは先生の口を塞ぐように巻かれていた布をほどく。
何かを話しているようだ──えっ、話をしている!?
「……コリィ君。クリス君の所へ行こうか?」
呆然としている僕の手をデュオさんは引いて行った。
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「……最後に会えて……良かった……クリス様」
「ごめんな。キースの事、助けられへんかった……」
えっ、キース先生の声が聞こえる……?
「その気持ち……だけで充分です……仮面の女……気を付けて……下さい……ここはそいつに……」
「……分かった。充分気を付けるわ。おおきに、キース……」
……先生はまだ、先生なの? だったら僕、先生に言いたい事が──
「……どうか、ご無事で……クリス様……最後は……族長である貴方の……手で……とどめを……」
「聞き届けた。勇敢なる火の一族、キース・ブラウン……」
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「待って! キース先生!!」
デュオさんに手を引かれ、クリスさんの元にきていた僕は、デュオさんの手を振りほどき、先生の近くへと駆け出した。
でも直ぐにクリスさんに手を取られ、止められる……何故……?
「くる……な!」
弱かった先生の声が、一度大きくなった。そして苦しそうに声を絞り出す。
「私は……もう直ぐ……君が知る……キースでなくなる……くる……な」
分かってる。子供の僕でも分かるよ。でも、それなら……これが最後なら、だからこそ先生に伝えたいんだ!
「先生、キース先生。僕、伝えたい事があるんだ。父さんも母さんも他のみんなも、兄ちゃんが教えてくれた生きている『証』を僕にくれなかった。だけど、アレン兄ちゃんとキース先生。ふたりからは、たくさんの楽しい思い出、記憶、目的……うん。生きている“証明”を貰ったんだ……ずっと、お礼を言いたくて。ありがとうございます……ありがとう」
ううっ……ぐすっ、こんな筈じゃなかったのに……笑顔でお礼を言いたかったのに……涙が止まらない。
「……ふっ、ふふふっ」
うっ、ううっ……ぐすっ──え? 先生、もしかしてさっき、笑って……?
「コリィ君……お願いが……ある……」
「せ、先生! 何ですかっ!?」
「……アレン君を……助け……頼む……」
「勿論! 必ず助け出しますっ!!」
「……そして……力を合わせて……共に……生き……ろ」
「はいっ!!」
ここで先生は話すのを止め、静かに目を閉じた……そして最後の言葉が、その口から発せられる。
「……コリィ……アレン……生きるという事は……素晴らしい事だ……ぞ……心に刻め……」
「……先生……」
……ぐすっ、ぐう……ぐぐっ、泣かないっ、もう泣くもんか! 強くなって……それで兄ちゃんを助け出すんだから──って、えっ?……あれ……?
「……ううっ、うわああああんっ、わあああああんっ!」
「……コリィ君」
デュオさんが僕の事を後ろから、キュッとやさしく。でも、強く抱き締めてくれる。
──バキッ、バキッ……グチャ……
顔をうつ向かせたキース先生の身体から、嫌な音が聞こえてきた。
次々と身体が裂け、そこから蜘蛛の足が姿を覗かせる……最後に先生の頭が──
──割れた。
「──グゥルギャアアーーッ!」
怪物と化した先生が奇声を上げる。ギチッギチッと、身体を縛られた椅子が悲鳴を上げている。
それでも先生だったその怪物は、身体を苦しそうに震わすだけで、僕達の事を襲ってこようとはしなかった。
そう、まるで自ら押さえ込んでいるかのように──
「ううっ、うあっ……せん……せい……うぇっ……」
僕の事を抱き締めてくれているデュオさんの力が強くなる……とても温かい……。
クリスさんが先生だった怪物に向けて、静かに左手の平を突き出した──浮かび上がる赤い魔法陣。
「──汝、勇敢なる火の者。赤き導きの炎の元、安息の地へと帰還せり──」
椅子に縛り付けられた……僕の大切な“思い出”が、赤い炎に包まれる。
「──されど、彼の者の魂は永遠に我ら、火の一族と共に在るもの也──」
炎に包まれた黒い影は、その原型を留めるのを終えようとする。
──僕の生きた『証』がまた、ひとつ消えていく……。
………。
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……もう涙は枯れ果てていた。
僕は今もデュオさんの腕の中にいた。傍らにはクリスさんも並び立っている。そして三人共に同じ所を見つめていた。
さっきまで先生という存在が腰掛けていた、燻りの煙を上げる無人の椅子……。
あれから、どれくらいの時間が経ったのかな。辺りに散らばっていた怪物の肉片も、ひとつ残らずクリスさんの青い炎によって燃え尽き、何もかもなくなっていた。
クリスさんが言うには、あの怪物達の魂は浄化され、いずれ戻るべき場所へと帰ったのだと言う。
涙は枯れてもう出ないけど……悲しい。凄く悲しいんだ。だけど──
それとは別に沸き上がる感情。強い思い。今、生きている僕の目的……そう、もうなくしたくない。これ以上大切なもの。生きている『証』を失いたくはないんだ!
僕はデュオさんの腕から抜け出し、クリスさんの正面に立った。そしていずれ言うつもりで、キース先生と何度も練習した言葉を声に出して言った。
「火の寺院の主、そして『守護する者』クリスティーナ・ソレイユ殿。我がノースデイ王国、第一王子アレン・ジ・ノースデイ救出の為、私、第二王子コリィ・ジ・ノースデイに力をお貸し頂きたい!」
「……言われんでもそのつもりや。でも……そやな」
クリスさんは僕の両肩を掴み、目を合わせようとする。真剣な面持ちだった。
「コリィ。お前、アレンを助ける為なら、何でもするってゆうとったな?」
「はい」
「アレンを救うちゅう事は、お前の父ちゃんや母ちゃん。いや、国自体を敵に回す事になるかも知れへんのやで! お前にその覚悟があるっちゅうんか?」
「はい」
「もういっぺん聞くわ。ノースデイ王家を倒す。その覚悟があるんやな?」
「はい。でも王家は倒しません。父上も手に掛けたくはない……改心させてみせます。それも含めて全部、僕の生きた『証』だから……兄さんを救い出して、ふたりで共にこのノースデイ王国っていう、今ある国をより良い国にしていきたい。そう考えています」
「………」
クリスさんは何も言わずに、じっと視線を合わせてくる。そんなクリスさんの肩に、デュオさんの手が添えられた。
「クリス君。君の負けだね」
「でもな。甘い、甘いわ。そんな願望的な考え方……」
デュオさんがクリスさんに詰め寄る。
「とか言って、そういうの嫌いじゃないんでしょ? それに──」
デュオさんは少し身を屈めて、僕と目を合わせてきた。
「何もかも守りたい。そんな贅沢なやさしい考え……とっても素敵だって思う」
そう言ってニッコリと微笑む。
「本当、コリィ君って、私が良く知ってる人と考え方が似てるよ。ほんと、おんなじ……くすっ」
その言葉にクリスさんが、ジットリとした目をデュオさんに対して向ける。
「むむっ、その良く知ってる人ってのが、前にゆうてたデュオ姉の好きな人なん?」
「……それは」
「それは?」
人差し指を口元に当て、デュオさんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「な・い・しょ」
「─って、またかいなーーって、もうええわっ!!」
片手を上げ、突っ込むクリスさん。ふふっ、何だか楽しいな。これも新しい僕の生きている『証』だ。
「まあ、それはさておいてや。コリィ、もういっぺんだけ聞くで。考え方や手段なんぞはもう問わん。お前はどうしたいんや?」
……どうしたい? さっき僕が言った言葉は……うん。何でも欲しがるわがままな子供のお願い事だね。兄ちゃんを助けたいっていうのも、結局は自分が大切なものを失う事が怖いだけなのかも……僕って、本当は何がしたいんだろう?……何だか訳が分からなくなってきちゃった。もう考えても余計にごっちゃになってくる。
だけど、これだけはハッキリと言える。僕は──
「大切なものを失いたくない! 兄ちゃんを助ける!」
それでも分からないのなら、それからまた始めればいいや。その時はきっと、兄ちゃんも一緒だ。
クリスさんが僕の両手を握り締めた。
「よしっ、よう分かった。一緒にアレンを助けに行こう。今、ここで反乱軍を結成するんや。アレンを救い出す為の反乱軍や! 勿論、頭はコリィ、お前や。僕はその指揮下に入る。よろしく頼むわっ!」
……反乱軍? 僕はポカンと呆ける。
「それじゃ、私もその反乱軍とやらに加えて。ふたりだけじゃ寂しいでしょ?」
僕とクリスさんが握り合った手に、デュオさんの手が加わり、三人の手が重なり合った。
こういう反乱軍があっても、いいのかも知れないね。
「クリスさん。デュオさん。僕に力を貸してくれますか?」
「今さら何ゆうてんねんっ、当たり前や!」
「勿論、任せてよ。えっへん!!」
ふたりが大きな声で答えてきてくれる。
「行くで! 三人で反乱を起こすんやっ! 小さな王子の小さな反乱や!!」