98話 真紅の女神乱舞
よろしくお願い致します。
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男達がその声に反応し、声がした方へと目を向ける。そして目を見開き、驚いていた──
「な、何だ?」
「おほっ、これはこれは……」
男達の驚愕の表情が、次第に何かいやらしい笑みへと変わっていく。
僕はもう一度、女の人の姿を確認する。
そこにはやはり、あの赤いワンピースを着た美しい女の人が、片手を腰に当てながら仁王立ちをしていた。
腰に当てた右手首には……やっぱりあった。兄ちゃんと同じ銀のブレスレットが!
女の人は左手のひらをフルフルと音を立てるように振りながら、およそ、その綺麗な顔とは不釣り合いな歪んだ笑みを、口元に浮かべている。
そして赤いパンプスの足元には、ひとりの男が倒れていた。
「……何かけったいな奴らがおるな思て、気になって尾けて来たら……成る程。中々おもろい事になってるやんけ──このど畜生共がっ!!」
女の人の口から、大きな罵りの声が吐き捨てられる。そんな姿を見て、無精髭を生やした男が卑屈な声を上げた。
「へへっ、こりゃ、すっげえ上玉だ! まだ少しガキっぽいが、まあ、これはまさに棚からぼた餅って奴だな。へへへ……」
筋肉質の男が、腰に付けた剣を抜きながら続けて声を上げる。
「お頭ぁ、この小娘。勿論頂くだろう? 何なら裸に剥いちゃってもいいよな? くくっ」
最後に頭に布を巻いた男が、女の人に向けて声を上げた。
「まあ、そういう事だ。娘。恨むんなら、この場に居合わせた事と己の美貌を恨む事だな。ははっ、まあ、心配しなくても売り飛ばす前に、俺達が充分にやさしく可愛がってやる。だから、大人しくこっちにこい!」
その声を聞き、女の人は振っていた左手のひらをピタッと止め、次にその手を握り締めて拳を作った。
「……おい、汚いおっさん共! 僕……いや、うちの足元に倒れて転がってるこの小汚い物体は、一体なんや思てんねん─って、ちゃうちゃう。え~っと、思ってますの? あんた達は自分の置かれている立場が、良く分かってらっしゃらないのではなくて?──おーほっほっほっほっ!」
強烈な罵倒の声が、女の人の口から放たれる。
「……うえぇ、調子狂うわぁ……」
続けて小さく呟くような声が漏れてきた。
その言葉に驚き、男達は彼女の足元に転がる男に目を向ける。
男は口から泡を吹きながら、気を失っているようだった。
信じられないけど、その男は僕の目の前にいる綺麗な女の人によって、倒された事になる。
「……姉ちゃん。何もんだあ?」
頭に布を巻いた男が、そう問い掛ける。
「ホンマゆうたら、その姉ちゃんってのも、めっちゃ腹立つんやけどな……まあ、この際ええわ」
またも小さな呟きが、女の人の口から漏れた。そして──
「おーーほっほっほっほっほっ! うえぇ……こほん──汚いおっさん共。うちが誰かなんて、あんた達が知る必要はなくてよ。何故なら……ここでうちが、今からあんた達、全員をぶちのめすんだもの。おーほっほっほっほっ!……うえぇ……」
女の人は口に手を当てながら、高笑いの声を上げている。だけど、さっきからこの人の言葉使い。何かおかしいような……。
すると、突然女の人の後ろに回り込んだひとりの男が、両腕を広げ、捕らえようと彼女の背中へ襲い掛かる。
僕はそれを知らせようと、必死で声を上げる為にがんばってみる。
「……むむ、むぅーっ! むぅーーっ!」
男の両腕が、今まさに彼女の背中を捕まえようとしたその時。
──タンッ─
上方へと跳躍した女の人の身体が、フワリと宙に浮く。
そして男の迫る両腕をかわし、重力に身を任せ、彼女は地面に足を着ける。
その際、赤いワンピースのスカートが空気の抵抗によって、まるで蕾から開いた花びらのように、大きく捲れ上がった。
その時に、見ちゃいけないと思いつつも僕の目に飛び込んでくる、女の人の白いかぼちゃパンツ……。
彼女は地に足を着けたと同時に、大きく身体を捻りながら、かわされて隙だらけの男に向けて、白い足を振り上げてのしなやかな回し蹴りを放つ。
「──ぐぼっ!!」
再び目に入ってくる白いかぼちゃパンツ──だから、見ちゃダメなんだってば……。
蹴りを食らった男の身体は、後ろへと吹っ飛んでいく。地面に叩き付けられゴロゴロと転がり、そして再び立ち上がる事なく、そのまま気を失うその男。
「……むっーーっ!」
僕は度々目に入るかぼちゃパンツに、子供ながらに顔を赤くしながらも、その強さに心を踊らされ、思わず声を上げていた。
……口を塞がれて声は出ないのだけれども……。
他の男達はそんな光景に目を見開きながら、驚きで身体を震わせている。
「一体、何なんだ……このガキがっ!!」
頭に布を巻いたお頭と呼ばれていた男が、他の三人に命令をする。
「おう! おめぇら、多少手荒くしても構わねぇ。最悪足をぶっ刺してでも、とにかく大人しくさせろっ!」
その声に、無精髭の男。筋肉質の男。長身のざんばら頭の男。三人のならず者達が、それぞれの得物を手に取りながら、いやらしい笑みを顔に浮かべる。
「へっへっ……へへ……」
「じっくりとなぶってやる。覚悟しろよ、ガキ!」
「……刺してやる。ぶっ刺してやるぅぅ~!」
そんな男達の様子を、女の人は腰に手を当て、堂々とした風貌で立ちながら睨み付けていた。
再び綺麗な顔の口元が、不敵な笑みによって歪にゆがむ。
「元気なおっさん達やなぁ……おーほっほっほっほっ!」
そして小さく。
「……うえぇ」
聞こえくる、ため息のような呻き声……やっぱり。
彼女は不敵な笑いを浮かべたまま、左手を前に突き出し、その手をクイックイッと2回、手招くように動かした。
「くすっ、ええで。うちがやさしくお相手して──」
ここでパチッとウインクする女の人。
「──あ・げ・る」
その言葉が終わった瞬間。怒った男達が、一斉に彼女へと襲い掛かった。
「くそがっ! なめんなっ、ガキ!!」
女の人はまず最初に飛び掛かってきた無精髭の男の攻撃を、屈んでかわしながら、そのまま足払いを繰り出す!
それを受け、無精髭の男は派手に転び、顔面から地面に叩き付けられる。
「ぶほっ──!!」
ほぼ同時に襲い掛かってきた筋肉質の男が振り下ろす剣を、大きく身体を反らしてかわす。そしてがら空きになったみぞおちへと、自身の左の拳を叩き込んだ!
「──ぐはっ!!」
食らった男は、堪らずその場に崩れ落ちた。彼女は崩れ落ちた男の顔面を蹴り上げる!
「ぐおぉ……」
筋肉質の男は、血を吐きながら気を失った。
「そや。ヒゲのおっちゃんに止めすんの、忘れとったな」
苦しそうに顔を押さえながら、地面を転げ回る無精髭の男。激しく動く頭を、女の人が放つ蹴りが、正確にその場所を捉える。
彼女が大きく上方へと振り抜く足と共に、男の口から血反吐が飛び散った!
「──かはっ!!」
「……くすっ、うちってホンマ、忘れんぼさん。ふふっ」
女の人は楽しそうに笑いながら呟いている。
無精髭の男は地面に再び転がり、ピクッピクッと痙攣を起こしていた。
「うおおぉーっ! てめぇは一体、何なんだあぁーーっ!!」
背の高いざんばら頭の男が、狂ったように剣を振り回しながら、女の人に襲い掛かる!
「おおっ、おっちゃん。凄っ! めっちゃええ剣捌き! でもな──」
彼女は剣を振り回す男の真正面に立つ。そして次にガシッという音が聞こえてきた。
「!?──嘘だろ……てめぇ、本気か……」
男の剣を持つ腕が小刻みに震えている。その腕の先にある光景を目の当たりにして、ざんばら頭の男は驚きの視線を凍らせていた。
無理もない。だって、めちゃくちゃに剣を振り回していた自分の腕が、綺麗な女の人の細い腕の手で受け止めてられていたのだから……。
「ふふっ、いくら、ええ剣捌きちゅうたってな。あんた、それじゃ遅過ぎっ! 丸見えやで!」
ざんばら頭の男は全体重を掛け、剣を持つ右手に力を込めているようだったが、その腕はガッチリと捕まれて、男がどう足掻いても微動だにしない。
「……ぐぬぬっ!」
眉間にしわをよせた男の顔が真っ赤になっていく。
「それに、か・る・す・ぎ。ですわ……ふふふっ」
不意に女の人が受け止めていた腕を離した。
バランスを崩した男が前のめりになる。そこに彼女の飛び膝蹴りが炸裂する!
「──がふっ!!」
短い呻き声と共に、男の顎が吹っ飛ぶように上半身を仰け反らせる。更に──
「ほな、おっちゃん。お疲れさん」
女の人は、男の顔を地面に叩き付けるように左拳を振り下ろした!
それを受けた男の顔面が歪み、血を撒き散らしながら地面に倒れる。そしてその男も気を失い、動かなくなった。
「むっーー! むっむっむっ、むっーーっ!!」
この人凄い! 凄い強いよ! 全部やっつけちゃったよ!
僕は思わず感動の声を上げる。やっぱり声は出なかったのだけれども……。
女の人は僕に背を向けた状態で、何処からかハンカチを取り出した。血でも付いたのだろうか? 自分の左拳を熱心に拭いている。
やがて、その作業を終えた彼女は、最後に残ったひとりの男。頭に布を巻いた男の方へと振り返った。
「さあ、後は親分のおっちゃん。あんただけですのよ──おーほっほっほっほっ」
女の人は相変わらず、少しテンションのおかしい高笑いを上げている。
「……す、すまねぇ、俺が悪かった……頼む! 見逃してくれっ!」
「おーほっほっほっ……うえぇ……って、へ? 何やて??」
その声に女の人は高笑いを中断した。
「俺には帰りを待っている、妻と幼い息子がいるんだ。ほら、ちょうどそいつのくらいの……」
そう言いながら男は、猿ぐつわをされて両手を縛られた僕の事を指差した。
……そんな事言うんだ。白々しい、そんなの誰が信じるもんか!
「ふ~ん。おっちゃんにもそんな人おるんや……もうこんな事、絶対にせえへんて誓える?」
女の人から発せられるそんな言葉。
えっ? 信じちゃうんだ。こんな奴の言う事……。
「ああ、誓うっ、誓うとも! もうこんな悪さは絶対にやらねぇ! 俺は真っ当になる。頼む! 俺にもう一度、やり直すチャンスをくれ!」
必死の言葉に、女の人はやさしく男の肩に手を乗せる。続いてニコッと浮かべられる美しい微笑み……。
「うん、ええ心掛けや。よう分かった。おっちゃんにチャンスをあげるわ」
「えっ、本当か! ありがてぇ……」
彼女はゆっくりと左手を振り上げ、再び握り拳を作る。
「ちゃんとやり直して、真面目に生きるんやで──」
そして美しい笑顔の口元が、歪につり上がった。
「──気が付いた後やけどなっ!!」
「えっ、何て……?」
女の人が放つ左ストレートが、男の顔面にめり込む!
男は何本かの歯と血を吐き出しながら、仰向けに地面に倒れた。
「ごめん。ちょっと強うやり過ぎてもた。もしかしたら、ご飯食べにくくなってもうたかも……って、まあ、別に構へんか。おーほっほっほっほっ」
……何か、ちょっと惨い。
「……うえぇ」
またも発せられるテンションのおかしい笑い声に、何だか僕も可笑しくなって、口から笑い声が漏れた。
「むーっ、むっむっむっ、むむーーっ!」
そんな声にならない僕の笑い声に気付き、彼女は僕の方へと視線を向けてきた。
初めて合う目と目。
やっと僕の目と合わせてくれる人に出会えた……この街の人達、みんな僕とまともに目を合わせてくれなかった。ちゃんと僕の事を見てくれなかった。でもこの人は──
女の人は無言で僕にニコッと満面の笑顔を向けてきた。僕を安心させるように……。
──怖かったね。もう大丈夫だよ──
そんな声が聞こえたような気がした。
彼女は猿ぐつわと縛られた腕を外してくれて、次に自由になった僕の事を、やさしく抱き締めてくれた。
何とか我慢してたけど、ごめんなさい。もう……無理です。もう泣いちゃいますね……。
「ううっ……うわあああああん!」
女の人がやさしく僕の背中を擦ってくれる。
「うわあああああん!」
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「……うえっ……ひっく、ひっく……すん……」
僕が泣いている間、ずっとやさしく背中を撫で続けてくれてた女の人……。
「……良かった。よう頑張ったな……何か懐かしい感じやわ……」
「……すん……ひっく」
「昔にも一度、こんな事あったなぁ……」
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思いに更けるような女の人の呟き声を聞きながら、僕はひたすらに泣きじゃくっていた。