目覚めたら大草原
目が覚めたら大草原の真っ只中にいた。
どこよ、ここ。周囲の景色にはまったく見覚えがない。
自分の格好はと見下ろしてみれば、えらく簡素な白いワンピースにサンダルのみ。下に何か履いてる感触はない。ピクニックにしても、もう少し格好ってものがあるだろう。
わたしは重病を患って、病院で寝たきり生活をしている。たぶん、あと何日も持たない。なので、こんなところに出歩いているはずがないのだけど。
夢か?
……いや、これはもしかして、異世界転移とか転生とか!?
ということは、私はとうとう死んでしまったのか?
そういう小説が大好物だったわたしは、夢がかなったと有頂天になりかけた。
だが、そこで違和感に気づいてしまった。
遠目には判別つかないが、しゃがんで草を見てみると、なんか妙に薄っぺらいのだ。厚みがないというか、ガラスに草の絵を描いて立ててあるみたいな。しかも絵は荒くて、ドットが見えてる。この草原に生えている草すべてがそれだ。
おまけに、脚が当たってもすり抜けてる。草に触れる感触がまったくない。
その下の地面も見た目は土のようだが、さわってみるとのっぺりとしていて硬い。金属でできてるんじゃね、というくらいに硬い。
そういえば、風や、草とか土の匂いがまったく感じられない。
空はこれでもかというくらいに晴天なのに太陽にはまぶしさが感じられず、浮かんでる雲は書き割りチックだった。
ものすごく不自然だ。というより、ゲームの3DCG画面みたいだ。そのわりには体の感覚もあるみたいだが。
いや、皮膚を触った感触はわかるんだけど、温度が感じられない。視覚と聴覚は普通みたいだが、味覚や嗅覚は活きてるのかよくわからない。
なんなんだろう、これは。
その時、「ひゅあ~~ん」という音と共に、すぐ近くで円筒状の光の柱が立った。
光はすぐに消え、代わりに一人の男の人が立っていた。まるで某SFシリーズの転送装置みたいだ。
男の人は20代後半くらいだろうか。眼鏡かけてて、きっちりとスーツを着こなしていて、(わたしの主観的に)若い企業家とかエリート公務員を想像させるような風体だった。顔はなんとなく見覚えがあるけど、思い出せない。
「こんにちわ、佐藤桐子さんですね」
彼は確認するように聞いてきた。
「……あ、えーと、はい、そうですけど」
やばい。一瞬、自分の名前が思い出せなかった。そう、たしかにわたしは佐藤桐子だった、はず。いや、いくらなんでも自分の名前を間違えるはずがない。記憶もおかしくなってるのだろうか。
「私はピックマン・イーアン・ネットワーク社の田中です。覚えておられます? 契約とスキャニングに立ち会ったのですけれど」
「えーと……なんか、いろいろ記憶があいまいなんですが……」
「ああ、それは大丈夫です。最初は記憶が混濁するものなので、焦らなくてもいいですよ」
安心させるように、彼は柔らかく微笑んだ。
契約、スキャニング……。
「ああ、病院で……?」
そういえば、何日か前に実験だかなんだかに協力する契約をして、それで頭になにかごっつい機械をとりつけて……。
「記憶を取り出して、その人の人格をVR内で再現する、でしたっけ……?」
「思い出していただけたようですね。じつはですね、もうすでにあなたはその再構築された人格、『仮想体』になってまして」
「え?」
人間の記憶その他をスキャンしてデジタルデータ化し、コンピュータシミュレーションで仮想空間上にその人を再現する。それにより、当人が死した後も『仮想体』は仮想空間で生き続ける。そういう触れ込みのサービスだった。
まだ実験段階だったが、それ故に金銭的負担はすべて向こう持ち。まだ若すぎるけれど余命残り少なかったわたしは、一風変わった遺影代わりとして家族の慰めになるのならと、それに応募していたのだ。
思い返してみると、この草原に現れる前の記憶はそのスキャン装置が動き出すところまでだった。
「コピーってことは、元のわたしはどうなったんです?」
「残念ながら、スキャンの一週間後に亡くなられました。現在はそれから半年近く経過しています」
「そう…ですか……」
正直なところ、多少五感に違いがあって、記憶にもあやふやなところがあるけれども、それでも気分的には自分は自分であって、違いがよくわからない。
にもかかわらず、今の自分は偽者で、本物は死んでるということになる。なんかひどく気持ちの悪い話だ。よくSFでクローン人間の葛藤とか描かれたりするけれど、それと似たようなものだろうか。もっとも、肉体のあるクローンと違って、わたしの場合は肉体すらなくて、完全な紛い物なのだけれど。
記憶を元に人格をシミュレーションで再現しているということは、今のわたしはAIそのものなんじゃなかろうか。元があるとはいえ、すべてがコンピュータによる演算の結果なので、「人工の知能」と呼んでも間違いではなさそうだし。
この意識や思考も、演算によって生み出されているだけだとしたら。
わたしは機械が人間の振りをしているだけの、魂のない人形にすぎないのではなかろうか。
こんな風に感じるなんて、契約したときには想像もしていなかった。どうせコピーなんだから自分とは別物だろう、と軽く考えていた。コピーの側がどう感じるかなんて、まるで想像できていなかったのだ。
そうして今、コピーの側を実体験しているのであった。
「わたしは……『佐藤桐子』だと言えるんでしょうか?」
「それは……、なんとも言いがたいですね。肉体としては完全に別物です。しかし、記憶は間違いなく継承しています。別物であると同時に、同じとも言えるのでしょうけれど。
ただ、残念ながら、法律上では佐藤桐子さんは亡くなっており、権利なども消失しています。こちらは継承はできません」
自己同一性で悩んでたのだけど、なんか固い話になってしまった。
法的には、わたしはPAN社の無形固定資産という扱いになるんだそうだ。当然、人権などの法的な権利もない。選挙権なんてないし、そもそも日本国籍も認められない。完全にモノ扱いなのね。
身近なところでは、たとえば今のわたしが何か創作した場合、その著作権はPAN社が保有することになる。
また、仮想空間からネットを介して外部とやりとりできるけれど、その際にトラブルが起きた場合はPAN社が対応する。炎上だとか訴訟騒ぎにでもなるとめんどくさい話になりそうなので、外と関わるところでは慎重にやったほうがよさそうだ。まあ、ネットの注意点は現実社会でも変わらないけども。
その他、生前使っていたメールやSNSなどのアカウントは使おうと思えば使えるけれど、規約で権利譲渡が認められていない場合、厳密にいえば規約違反となりかねない、など。
なんか、権利とか今までほとんど意識したことなかったけど、無くなってからその大事さに気づくというのもなんか馬鹿なのかもと凹む。
「なんか、しんどそうですねえ……」
「国が保証する人権というのはありませんが、契約の通りにこの仮想空間内での活動については我が社が責任をもって保護いたしますので、ご安心ください」
「はあ……」
とりあえず、ここにいる限り、衣食住の心配はなさそうだ。それで納得するしかない。
「今後の参考としたいので、どうお感じになったのかなど、後ほどレポートをお願いしますね」
「は、はあ……」
その後、ここでの生活の仕方、メニューやヘルプ機能の説明を受けた。
「困ったこととか要望がありましたら、私のアドレスなどにご連絡ください」
「よろしくお願いします~」
「では~」
田中さんは手を振ると、転送されていった。
こうしてわたしの仮想空間生活は始まった。