【6】
溺れて気を失ったままのシャーリーが目覚めるまで、パーティーは束の間の休息を取った。
最初から中継地点として決めていたのは、魔王城の中程にある大広間である。幸いにして、シャーリーは程なくして意識を取り戻した。普段は穏やかで、ふわふわとつかみ所のない彼女であるけれど、さすがに青ざめ、ぶるぶると震えていた。レンリエが寄り添って介抱している。バドンはそんな二人の様子をチラチラ見ながら、自分の道具の手入れを行っていた。
皆、静かである。
言葉は少なく、時折口を開いても、ささやくような小声。
「旦那、変わりましょうか?」
広間の出入り口で、クレイグは一人で見張りに立っていた。
いつも以上に背中を丸めたバドンが交代を申し出たものの、クレイグは首を横に振る。「これが最後の休憩だ。休めるだけ休んでおけ。俺はこれでも十分休憩になっている」と、パーティーで最年長のリーダーでありながら、クレイグは他の誰よりも余力を残していた。
パーティーにおける役回りで云えば、クレイグはレンジャーである。剣を手に取っての直接戦闘でもかなりの成果を出すが、それはあくまでクレイグが抜きん出た実力の持ち主だからだ。正面からの戦闘は決してレンジャーの本分ではない。現在のパーティー構成では仕方なく前衛に立っているものの、サポート役に徹した方が本来はさらに良い仕事ができる。
十五年前、クレイグは勇者の一行を魔王城に導いた。
あの一夜を忘れることはない。今も、一人で思い出していた。彼らを地下水路から城の中に送り込んだ後は、クレイグは負傷した仲間の救出と退路の確保に努めていた。いざという時に逃げ場がないのでは全滅する。最悪、計画が失敗した時には勇者だけでも逃がさなくてはいけない――。クレイグは城内で警備の手薄な所を探し出し、たった一人で身を隠しながら、次々と障害になる敵兵を片付けていた。
そんな最中で、大戦争は唐突に終結した。
クレイグが敵兵の一人を新たに発見し、背後から締め落とそうと忍び寄っていた所――その兵士はいきなり魂が抜けたように崩れ落ちた。そして、そのまま動かなくなった。クレイグが警戒しながら確認してみると、それはもはやただの死体でしかなかった。
いや、正確には――。
死体になった、ではなく――。
死体に戻った、と云うべきか。
魔王の力が消滅したという結論には、混乱した頭ではすぐに到達しなかった。クレイグは冷静になろうと努め、じわじわと勝利を理解した。がらにもなく、快哉を叫んだ。敵地のど真ん中で大声を上げるなんて、自殺行為にも等しいけれど、魔王が倒されたのであれば、もはや何の心配もいらなかった。
クレイグは魔王城の中を堂々と駆けた。
あちこちに死体が転がっている。
先程まで、まったく普通の人間のように動き回っていた死体が――。最初は勝利に興奮していたクレイグも、しばらく死体の山を見続けていると嫌な気持ちになったものだ。笑顔がしかめっ面に変わる頃、クレイグは今まさに休息地としているこの大広間にたどり着いた。
『……クレイグか?』
『アル! どうした、大丈夫か?』
広間には、怪我をしたアルベルトが倒れていた。
クレイグは急いで助け起こし、応急手当てを施しながら尋ねる。
『クオンは?』
クレイグは彼が勇者と共にいるものと思っていた。
『私を置いて、行ってしまった』
『俺はてっきり、お前たち二人が魔王を倒したと――』
『クレイグ……私は、ダメだった。最後に、あいつと共に行けなかった』
アルベルトは感情を失ったようにつぶやく。
『……これだけの傷を負っていたら、魔王との戦いでは逆に足手まといだろう。クオンがお前を置いて行ったならば、その判断は正しい。恨みには思うな。俺たちは勝った、だから、喜べ。それに、傷は深いが、どうやら死ぬほどではない。アル、悪いが、ひとまずお前を置いて行く。クオンと合流した後で、もう一度――』
『クオンは死んだ』
『……なに?』
『私が、あいつを――』
クレイグは目を閉ざした。
「旦那、大丈夫ですか?」
クレイグの意識が、現在に引き戻される。
「……気にするな」
アルベルト。
クオンの最初の仲間であり、親友だった男――。
クレイグはあの夜、クオンとアルベルトの二人を魔王城の中に送り込んだ。地下水路に突入するまでは他の仲間もいたけれど、道中の様々な戦闘、障害で脱落し、最終的には彼ら二人だけに希望を託した。
クレイグはその判断が間違っていたとは思わない。
自由都市群と帝国、両方が総力を上げての一大決戦だった。
あれだけの戦力の投入は一度きり――。
二度目のチャンスはなかったはずだ。
だが、もしも二人だけでなく、大勢の仲間でパーティーを組んだ状態で突入できていれば――クオンが帰って来られた可能性はあったのではないか。アルベルトは何も語らない。魔王城で二人がどのような戦いを繰り広げたのか、誰一人として知る者はいない。
アルベルトがあの時何を云いかけたのか、クレイグにもわからなかった。
彼の言葉は途中で遮られてしまったからだ。とても大きな、竜の吠える声に――。
「休憩は終わりだ」
クレイグはレンリエの元に向かい、出発を告げる。
彼女に震える肩を抱かれているシャーリーにも目を向けた。
「大丈夫です、クレイグさん」
空元気とバレバレだったが、シャーリーはいつもの温和な笑顔を浮かべる。
「ご迷惑をおかけしました。私だけでなく、クレイグさんとレンちゃんも濡れてしまって……」
「気にするな。仲間を助けるのは当然のことだ。私もレンリエも、これぐらいで風邪を引いたり、調子を崩したりする程にヤワではない。……いや、別に君のことを軟弱と云っているわけではないぞ。気にする必要はないんだ。ただし、まあ……そうだな、次からは足元に気を付けて欲しい」
言葉を選びながら、シャーリーを気遣いつつも注意するクレイグ。
レンリエが茶々を入れた。
「クレイグ、シャーリーさんには甘い」
「旦那は美人に弱いですからねぇ」
バドンが云い添える。
「まあ、足元に気を付けて欲しいのはその通りですな」
ニヤニヤ笑いを引っ込めて、バドンは一瞬だけ真顔になる。
「……次があれば、ですがね」
ここから先に待ち受けているものを想像し、皆、押し黙る。
クレイグは再び思い出していた。天空から降り注いだ、あの恐るべき声を――。