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【3】

 一週間後、ユーゴは高校の入学式の日を迎えていた。


「じゃあ、行って来ます」


 努めて、クールに振る舞う。


 ユーゴがそんな態度を取るのは、家族のテンションが異様に高いからだ。


「お兄ちゃん、爆笑コメントを期待しているからね!」


 レンリがこぶしを突き上げて応援してくる。


 もはや言葉もなく、ユーゴはため息で返した。


 本日、ユーゴは新入生代表として檀上で挨拶しなければいけない。


 晴れ姿と云えばそうなのかも知れない。だが、ユーゴはこれまでも華々しく活躍してきた。入学式で代表を務めるなんて、まあ、大したことではない。わざわざ家族総出でやって来て、ギャーギャー云いながらカメラを回さなくてもいいだろう。ユーゴはそう思うのだけど、家族のテンションはバベルの塔のように高かった。


 両親はこの日のためにわざわざ有給まで取ったらしい。ユーゴは事前の準備もあるため、余裕をもって朝早く一人で電車に乗って行くが、両親と妹は式の時間に合わせて車でやって来る。


「お兄ちゃん、ネクタイ曲がっているよ。なおしてあげる……とか、一度ぐらいやってみたいんだけどね。お兄ちゃんのネクタイが曲がっていたことがない。完璧なキャラを演じるのもいいけれど、面白みがないと忠告しておきます」


「アドバイスを真摯に受け止めつつ、だからと云って入学式の檀上で笑いは取らないぞ」

 真新しい高校の制服はブレザータイプ。このままカタログ雑誌の表紙を飾れそうなぐらい、ユーゴはきっちり着こなしているけれど、ひとつだけ大きな問題が残っていた。


「結局、金髪やめてないし」


 レンリがジト目でにらんでくる。


「どうするのそれ? 新入生代表が金髪でやって来るなんて」


「あれ、知らなかったのか? 高校生になると髪染めなんて校則違反にならないんだぞ」


「なるよ! 小学生だってそれぐらい知ってるから」


「大丈夫だよ。先生の一人や二人、簡単に云いくるめてみせる」


「すごい自信だけど、どんな言い訳を用意してるのさ?」


「遠い祖先に外国人の血が混じっていてそれがこの春休み中に覚醒しました、とか」


「それならもう、親友が宇宙人に殺されて怒りのあまり髪が金色になりました、とかで」


 玄関で馬鹿々々しい会話を繰り広げていると、母親に早く行けと怒られる。


「じゃあ、今度こそ、行って来ます」


 ユーゴは家を出た。


 駅に向かいながら、金色に染めた髪を指先で撫でる。


 別に、これが気に入っているわけではない。


 実の所、妹の云う通りだったりする。面白みがない、というダメ出しだ。レンリに指摘されるずっと前から、ユーゴはその点をひそかに考えていた。別に、キャラクターを演じているつもりはない。だが、真面目な優等生も飽きたし、何より中学時代と同じことを繰り返していてもつまらない。


 人生はいくらでもやり直せる。


 失敗を前提に色々な自分を試すのも悪くない。


「さて、どうするか?」


 これからの高校生活に対する具体的なプランがあるわけではない。


 だが、だからこそ、ユーゴは気ままに夢想する。


「部活に励むか、恋愛に勤しむか……いや、もうむしろハーレムでも作ってみるか」


 何をやるにしても、皆がハッピーな結末を迎えられるようにだ。


 ユーゴは己が聖人君子であるとは思っていない。欲はある。むしろ、欲深いとすら思っていた。だが、それと同じぐらいの矜持もある。誰も貶めない、誰も傷つけない。己の目標を達成するために他者を犠牲にするのは、それこそ自分自身に対する敗北だと感じるからだ。


 皆を幸せにしてこそ、自身も満たされる。


 心にある空洞を相変わらず意識しつつ、それでもユーゴは前向きだった。


 新生活の始まりというのは、無条件に心躍るのかも知れない。


 何より高校生というのが拍車をかけている。


 人生に一度しかないと云えば小学生や中学生の間だってそうであるけれど、やはり高校生活というのはあらゆる物語の王道でもあるし、現実的に考えても青春の只中、期待感が否応なく高い。


 野球部やサッカー部で全国一を目指しても良いし――。


 はたまた、奇人変人、アウトサイダーが集う意味不明の部活で日常を満喫するのも悪くない。


 恋愛をするにしても、誰か一人とスマートに仲良くなるのか、三角関係に陥るのか、恋が成就したとしても相手が実は不治の病で余命幾ばくもないという展開もあり得るし――。


 高校生の可能性は無限大である。


 まさか、学校の地下に広がる迷宮から秘宝を探す、なんてことはないだろう。


「……ちょっと、浮かれているな」


 家族の気に当てられてしまったかも知れない。


 何にしろ、髪をまっとうに染め直さなかったのは高校生活に向けてのフックである。


 未来に向けて先制攻撃を仕掛けて、どんな反応が待ち受けているか、どんな展開に繋がるか、ユーゴはそれなりに期待している。己の内側に対する疑問は消えなくても、将来に不安を覚えているわけではないのだ。


 河原沿いの桜並木を見ながら駅に向かった。


 肌寒い今年の春、桜はまだ残っている。


 乗り換えを一度挟んで、満員電車で約十五分、それからまた少し歩く。


 入学式のための飾り付けがなされた校門を抜けて、他の生徒よりも一足早く到着する。事前に指定されていた事務室に向かい、代表として挨拶するための簡単な事前レクチャーを受ける。


 その後のスケジュールは普通の生徒と同じだ。


 中庭に張り出されたクラス分けの用紙を確認し、これから一年間を過ごす教室に赴く。独特な緊張感が漂う教室にて、前後左右の机に座るクラスメイトと挨拶し、当たり障りのない話題でお互いを探り合った。


 そして、入学式である。


 いよいよユーゴの新しい日々が始まる。


 新入生代表として名前を呼ばれ、壇上に上がるまでのわずかな時間に思い出したのは朝の妹からの叱咤激励である。爆笑コメントを期待する、だったか――。スピーチの内容は事前に用意し、しっかりと暗記してあった。もちろん、笑いを取る箇所なんて欠片もない。


 檀上にて、口を開く前に保護者席をぐるりと見渡した。


 家族の姿を探してみる。しかし、見つからない。


 別に、大したことではない。


 単に見落としただけだろう。そう思った。


「春のやわらかな日差しの中、桜も歓迎するかのように舞う今日という良き日に――」


 挨拶はつつがなく終わり、ユーゴは檀上を降りようとする。


 家族の姿は結局見つからなかった。


 どうしたのか、と――。


 初めて、嫌な予感を覚えたのはその時である。


「柊木くん!」


 舞台の袖から、かなり慌てた様子で誰かが駆けつけて来る。


 先生か、事務員か。どちらにしろ大差ない。問題は、入学式の最中なのにお構いなしということで、それはつまり、それだけの何かが起きたということである。


 入学式の会場がざわつく。火急の要件でも、ここまで体裁を気にしないというのは珍しい。ユーゴはそのまま強い力で服の袖をつかまれた。「落ち着いてください」と、ユーゴの方が大人な態度で相手を制止する。「何かあったんですか?」と静かに尋ねた。挨拶をしていた時と同じように、ユーゴの姿は傍目には非常に冷静に見えていたかも知れない。


 だが、その時にはもう予感は確信に変わっていた。


 三年間の高校生活、その可能性が急速に閉じていくような気がした。




 × × ×




 詰まる所、大したことではなかった。


 日本中、毎日どこかで起きているような話である。


 交通事故だった。


 両親と妹が死んだ。


 入学式に車で向かう途中に居眠り運転のトラックに突っ込まれて、三人が乗る車は滅茶苦茶になった。後日、スクラップとして処分されるその車を確認した時には、あまりに見事な壊れっぷりにユーゴは場違いにも笑ってしまった。家族はほとんど即死だったらしく、ユーゴが病院に駆け付けるのを待っていたように医者が死亡時間を記録した。


 その日のことはよく覚えていない。


 親戚が色々とやって来て、未成年であるユーゴの代わりに様々な手続きを取ってくれた。


 事務的な説明の数々に関し、ユーゴは表面上あれこれしっかり反応していた。警察や病院の関係者から、若いのにしっかりしている、大変なことがあったばかりなのに取り乱していない、等々の好意的な解釈をされているのには気づいていた。


 正確には、何も感じていなかったというのが正しい。


 辛くもない、悲しくもない。ざらりとした無機質な時間だけが流れていく。


 本を読んでいて、退屈でどうしようもないページをパラパラと読み飛ばすように、記憶も感情もほとんど残らない一日が繰り返されていく。学校は休んでいた。葬式の準備はできるだけ自分で行った。これからの生活に関して親戚と何度も話し合い、ユーゴは適当に誤魔化しながら己の未来というものを語っていた。


 それから一週間ばかり経った。


 日常がゆっくり戻ってくる。


 ただし、まるでゴミで詰まった小川のように、時間の流れは不純物と化した感情にせき止められ、ひたすら緩慢である。生まれ育った家で、両親と妹のいない日常。親戚の申し出を断り、ユーゴは一人だけで自分の家に留まり続けている。周囲に対してはそろそろ学校に行くつもりだと告げてあった。本心は違ったが、とにかく元気にやっていけると示しておいた方が干渉されなくて済む。


 ユーゴはリビングで、その時が来るのを待っていた。


 ソファーではなく、床の上、だらりと足を伸ばして座っていた。


 昨日からずっと、クマのぬいぐるみを抱きかかえている。ぬいぐるみは妹のもので、何年も前から彼女のベッドに置かれていたものだ。最初、手に取ったのに理由はない。しかし、手に取ってみると妹の匂いがした。いっしょに暮らしている家族に対し、その人の匂いを感じることなんて一度もなかった。


 いなくなるとあっさり、その人が生きていた証なんて消えていく。


 ぬいぐるみに顔をうずめた時、ユーゴはようやく初めて泣いた。


 今は落ち着いている。それでもぬいぐるみは抱いたままだ。


「あの時……」


 ユーゴが幾度も飽きることなく思い返しているのは、病院の霊安室で変わり果てた家族の姿を見た瞬間のことだ。両親と妹の死体。医師から説明されるまでもなく、ユーゴは一目見た瞬間から家族が全員死んでいることを悟った。


 それぞれの身体に順番に触れてみた。


 冷たかった。そう、死体は冷たいものだ。


 ユーゴは知っていた。


 なぜならば、死体なんて見慣れているからだ。現代日本では日常的に死体を目にするなんてことはない。それなのに、ユーゴは死体を友人のように身近なものとして感じていた。忌避はない。もしかすると、その時既に意識下の変化は完了していたのかも知れない。


 ユーゴは家族の死体を眺めながら思った。


 どうして、と――。


 それは本能的な疑問である。


 どうして、三人は目覚めないのか――。


 己がどれだけ常識を逸した思考をしているのか、気付いたのはしばらく経ってからだ。


 霊安室の冷えた空気が、なぜか懐かしかった。


 死体のためには寒い方が良い。当たり前だ――だから、随分と昔の事になるけれど、寒冷な気候の北部の方が良いだろうと考えた。主要な街道からも外れた、手付かずの大平原。最初の拠点となる土地を選んだのは安直と云っていいぐらいのシンプルな理由からだ。


 もちろん、寒冷な土地であろうと死体はとにかく新鮮な方がいい。腐り始めてしまうと、その部分は機械と取り換えなくてはいけなかった。しかし、皆が皆、綺麗な形で死ねるわけでもない。五体満足だった頃と同じ動きができるように、多くの技術者が試行錯誤を重ねた。義肢の技術は格段に向上し、鍛冶も含めて工学系の技術力は他国の遥かに先を行くようになったものだ。


 現代の知識を加味して説明するならば、まるでサイボークのような――。




 ――さて、なんの話だ?




 ユーゴは自分が何を考えているのか、時折わからなくなる。


 家族が亡くなった日のことを思い出していたはずなのに、ノイズのように心に映り込んで来る記憶は何だろうか。知らないはずの風景や街並み、どうやら現代日本のものではない。時代も文化も、そもそも地球上のいずれの場所にも該当しないように思える。映画か何かの光景を無意味に思い出しているのだろうか。最初はそんな風に無理やり納得しようとした。


 しかし、混乱は日々深まっていく。


 再び、あの日を思い返してみる。


 ユーゴはそっと、家族の死体に触れてみた。


 冷たい。誰も、目覚めない。


「おはよう」


 声をかけてみた。


 返事はない。


 ユーゴに付き添っている病院の人が痛ましい表情をしていた。それがとても心外だ。頭のおかしい行動を取っているつもりはまったくない。悲しみに突き動かされているわけでもない。ユーゴは己が理にかなった行動をしていると考えていた。


 それなのに、どうして――。


 どうして、誰も生き返ってくれないのか。


「わからない」


 ユーゴは絶叫しそうになるのを必死に堪えていた。


 悲しみではなく、怒りが何よりも先にやってきた感情だった。


「どうして――」


 両親と妹は生き返らないのか。


 ユーゴはようやく、己が力を失っていることに気付いた。


「俺は……でも、俺は……」


 その時は云えなかった。


 だが、覚悟を決めた今ならば云える。


 ユーゴはぬいぐるみを強く抱きしめた。一人、生まれ育った家の中で、ありふれた幸せを与えてくれた家族に感謝を捧げる。神さまには祈らない。そんなものは何もしてくれない。家族はユーゴに幸せをくれた。何かを信仰するならば、ユーゴは家族の愛を何よりも信じる。


 両親は優しく、いつでも尊敬できた。レンリは最近、ますます生意気になっていたけれど、それでも可愛い妹だった。家族がいたから、ユーゴは幸せだった。幸せに支えられて、ユーゴは普通の人間で在り続けられた。


 ユーゴは今、己の心が完全な空洞であることを自覚する。


 幸せに満ち満ちて、わずかに埋まってくれない空洞を気にしていた自分がもはや愚かしい。パズルのピースを埋めるようには行かなかった。幸せに完成形なんてものが存在するのだろうか。見失っていた己を発見したとしても、それで心が埋まったのかはわからない。


「俺は……」


 今ならば――。


 いや、今だから云える。


「俺は、魔王である」


 時は満ちた。


 最近、ユーゴの視界は色を失っていた。感傷によるものではない。色を失ってから間もなく、今度は何もかもぼやけ始めた。さらに、視界にメロンの表面の皺のような線が走るようになった。身体中の感覚が鈍くなり、春なのに肌寒さを感じる。何かに触れても、感触がつかめない。テレビを付ければニュースキャスターが何を云っているのか、時折聞き取れない。


 ユーゴはこの世界から遠ざかっている。


 どうやら、ここにいられる時間は残り少ないと気づいた。


 だから、ユーゴは一人だけで待ち続けている。


 覚悟は決まった。


 思い残すことはない。


「さよなら」


 振り返らない。決して振り返らない。


 眼を閉じれば、身体が浮かんだ。それから、落ちた。


 何処までも落ちていく。果てしなく、世界の縁からも滑り落ちていく。


 

 さよなら。


 ありがとう。


 大好きでした。



 家族への別れの言葉と共に、ユーゴは抱きしめていたクマのぬいぐるみを手放した。

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