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【2】

「お兄ちゃんって不良なの?」


 脈絡のない質問に、柊木ユーゴはゆっくり目を開いた。


 寝起きの頭が動作不良を起こしたらしい。ほんの一瞬、目を閉ざしただけなのに、妙に長い時間が経過したように思える。だが、そんな馬鹿なことはないだろう。ユーゴは気分を変えるようにあくびをした。


 日曜日の朝、ユーゴはキッチンに立っていた。


 それにしても、目玉焼きを作っている最中に夢見心地になるなんて、変な病気ではないだろうな。順風満帆な人生を送っているユーゴは、こんな所でつまずきたくなかった。


「レンリ、何か云ったか?」


 リビングの方にいる妹に向けて、ユーゴは問い返した。


「だから、お兄ちゃんって不良になっちゃったの?」


「県下一の進学校に行く不良がいるかよ」


 ユーゴは先週、中学を卒業したばかりである。


 進学先は全国レベルの進学校だった。


「じゃあ、どうして金髪にしたの?」


 もうすぐ小学六年生になる妹のレンリは早起きである。春休みの最中だから、朝早く出かける用事はない。詰まる所、休日でも早起きしてきっちり支度を済ませるような、そんなしっかり者に妹は成長していた。


 小さい頃は甘ったれだったのに、とユーゴは時々思ったりする。


「まあ、卒業記念みたいなもんだよ」


 おざなりに、ユーゴは答えた。


「髪を染めるのがなんの記念になるかな」


「せっかくだから、みんなの心に深く刻まれようと思いまして――」


「そりゃまあ、元生徒会長が卒業式の日にいきなり金髪でやって来たらインパクトはあるだろけれど……悪印象じゃん。ヤベえやつじゃん。お兄ちゃんは真面目な優等生キャラだったのに。親が泣くよ?」


「母さん、大爆笑だったよ。大うけ」


「……いや! パパは泣くよ、きっと!」


「わかってないな。父さんの方があれでロックなんだぞ」


「嘘だ。優しくておとなしいだけが取り柄のパパがそんなわけない」


「ん? 地味にひどいこと云ってないか?」


 ユーゴは首を傾げつつも、両親に関する情報を付け足した。


「父さんと母さんの出会いを知ってるか?」


「大学の考古学サークルで知り合ったとか聞いたよ」


「それは建前だ。本当はディスコで踊り狂いながら父さんがナンパしたらしいぞ」


「う、うぇー。イメージないわー、引くわー」


 ちなみに、嘘である。


 レンリが云ったように、両親の出会いは趣味である考古学を通じてだ。


 そのイメージ通り、真面目な父と母である。柊木家は四人家族、両親は共働きである。一流の大学を出て、一流の企業で順調に出世し、それでいて家庭を疎かにしない両親のことをユーゴは尊敬している。


「何はともあれ、目玉焼きが焼けた」


「ありがとうお兄ちゃん!」


「これ、俺の分なんだけど?」


「ありがとうお兄ちゃん、その髪もよく似合っているね!」


 目玉焼きとベーコンが載った皿はそうしてレンリに奪われた。


 ユーゴは妹の背中を見送りながら、「しっかりしているな」と感心するものの、どちらかと云えば、これは「ちゃっかりしているな」と云うべきだった。彼女は最近、兄に対して生意気な言動がずいぶんと増えている。


「いただきます」


「俺が、俺のために作ったはずの目玉焼きを召し上がれ」


 柊木家の平穏な日常である。


 ユーゴが生まれた時から存在しているこの日常という奴は、当たり前のようにそこにあるため、普段は意識することもない。事実として、ユーゴは幼少の頃に自分が幸福だとか考えた事もなかった。


 今は、少し違う。


 ユーゴは、こうした日々こそが幸福なのだと感じている。


「それでお兄ちゃん、結局、なんで髪染めたの?」


「だって、似合うだろ。恰好いいだろ?」


 ユーゴはわざとらしく髪をかき上げ、気取ったポーズを取ってみせる。


「うわー、寒い人がいる」


「いや、引くなよ」


 妹は妹ゆえに青ざめた顔をするものの、実の所、ユーゴのこうした冗談で笑い(あるいは、失笑)が起こることは稀である。キャーという歓声が起きる可能性の方が高かった。


 端的に云えば、ユーゴはモテる。


 それはもう、モテる。


 ハーフと誤解されがちな日本人離れした顔立ち、中学生ながら大人顔負けに完成されたスタイル、自信に満ち溢れた所作と言動。繁華街を何気なくぶらつくだけで、年上のお姉さんから高確率で声をかけられる。校内でも有名人で、上級生、下級生を問わず常に注目の的だった。


 前述の通り、勉強もできる。


 運動神経も抜群だ。


 特定の部活には所属せず、助っ人として様々な大会で活躍してきた。


「お兄ちゃんって存在が嫌味だよね」


「お前ぐらいだぞ、そんなこと云うの」


「まあ、でも許してあげる。影の努力家だもんね」


 最近の妹にしては珍しく褒めてくれた。


「でも、やっぱり金髪はないね!」


 褒めてから、落とされた。


「もしかして本当に似合ってない?」


 ユーゴは前髪を引っ張りながら苦笑する。


 兄妹でしばらく笑い合いながら、休日らしいのびのびと和やかな空気。


 その一方でしかし、ユーゴは心の内で別のことに思いを巡らしている。


 表面的には妹に話を合わせながら、意識は常に身体の内にある空洞に向いていた。幸せである。何でもない休日、穏やかな朝、仲の良い妹と茶々を入れ合い、午後からの楽しい予定も色々ある。それなのに、ユーゴは本能的に沸いてくる飢餓感に身体を捻じ曲げたい気分に陥っていた。


 なぜか、満たされない。


 幸せかと問われれば、幸せと答えられる自信がユーゴにはある。しかし、何かが足りない。日常は滞りなく続いているのに、この日常を受け入れている自分の方に違和感がある。


 何かが間違っている。


 しかし、その何かがわからない。


 ユーゴは正体不明の衝動を解消する手立てもわからないまま、中学時代を突き動かされるように過ごした。勉強し、運動し、できるだけ多くの人々と出会い、関係を築き、己を磨き、知らないものをさらに知ろうとする。妹からすれば、それが努力家のように見えたのだ。


 髪なんて染めても、当然ながら何かが埋まることはなかった。


 そもそも、ユーゴに転機が訪れたのは随分前、小学三年生の時である。


 それ自体はまったく大した話ではない。


 ある朝、まだ小学校に上がる前のレンリがアニメを見ていた。休日は自堕落になってなかなか起きて来ない両親に代わり、ユーゴが妹に付き合っていた。すると、登場人物の一人が魔法の国のお姫様の生まれ変わりだったというシーンに出くわした。


 アニメのキーワードは『転生』。


 雷に打たれたような、というのはさすがに大げさだけど。


 しかし、静かな衝撃を受けたのは事実である。ユーゴはかつてない感覚に戸惑った。50メートル走を駆け抜けた後のような心臓の高鳴りを感じる。息が荒くなった。


 魔法の国のお姫様――異世界のお姫様――そう、異世界の――。




 ――『異世界』から『転生』した。




 テレビの中では前世の記憶を取り戻した主人公がパワーアップした魔法で敵をやっつけていたけれど、ユーゴはもうその時には一切の興味を失っていた。クライマックスに向けて盛り上がるレンリとは対照的に、ユーゴはひたすら黙り込んで頭を押さえていた。


 気が付くと、アニメは次回予告も終わっていた。


 妹が心配そうに自分の方を見つめている。


 何でもない。


 何でもないんだよ。


「んー? お兄ちゃん、なんか云った?」


 回想終了。


 ユーゴは再び、気がつかない内に瞳を閉ざしていたことに気付く。


 朝食を終えてソファーに寝転がる妹が顔を上げて、不思議そうにユーゴの方を見ていた。


「ああ、何でもない」


 リビングのテレビには、日曜日の朝だからアニメが流れている。ユーゴがちらりとそちらを見ると、現在のシリーズは現代に生きる魔女の少女たちによるお話のようだ。どうやら、異世界も転生も関係ないらしい。

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