007.捜索/探索
《変遷:安曇頼代》
「っ……あや……。ふ……ふゆ……の……? ふ……ゆの?」
「兄ちゃん、いきなり頭から倒れたかと思えば変な声出して……それにそんなところで、お尻つけてたら火傷するよ?」
「=うん。早く。離れるといいです。うん」
「まて……不悠乃はどこだ……見当たらない。まずい、こちらオネスティ。コードオネスティ応答せよ────。……使い物にならないか。通信手段はあの時復旧させたはずだが……」
「あなた、オネスティと言うのね……」
「? ……ああ、ああ……人が、いる。よかった先遣隊の方ですよね。あの、私は、ジト目で白衣の……彩雲あや……あれ? 違う……?」
「おいおい兄ちゃん! 私をどっかの新しい女と勘違いしてない? ……それとも頭でも打った?」
「=うん。怖いです。誰ですか。うん」
私は目覚めた。懐かしい記憶とともに。
それこそ、いつの日かに駆けたような森の中で。
だが、やはり。懐かしさとは異なる。なぜなら。この森林下部、足元には薄らと水が張り、辺りは正しく泥濘であったからだ。
そして、落胆するべきことは以上ではない。移動は無事完了したと考えられるが、問題が発生した。共に移動を終えた監視対象である「冬月不悠乃」の姿がないのだ。それに、出発前にあれほど念入りに点検をしたというのにも関わらず、機関との連絡が取れない。この不測の事態に、私は動揺する。
聞こえてきた声……私に喋りかける人影。
そこに意識を向けると次第にその全貌が明らかとなる。
「傘」を持ってはいるが差してはいない。光沢のある髪を引っ提げ、大きさの合っていない円筒形の軍帽のようなものを被った……少女。猫の毛並みのような柔らかな印象を抱かせる灰色の髪。それは肩に掛からず、首の中間辺りから内巻が入っている。
時折飛び跳ねるようにして見えた、緩やかな短放物を描く眉。彼女の表情から伝わる活発そうで食えない印象は、柑橘系の香りのする笑みを滲ませていたせいである。
首元を見れば白色の首飾りが主張をしている。金鈕で留められた白色の上衣。
黒色の女袴を纏った少女は一人で、私の前に立っている。
「あちゃーこれは、キオクソウシツって、やつかなー。まあでも可愛い女の人に囲まれてれば、いつか思い出すから……って、兄ちゃん! お尻、お尻! おしりにアルバスついてるッ!」
「=うん。大変です。うん」
ミルワームが肥大化したような生物。彼女は私の臀部から掴み取り、こちらに掲げる。煌びやかな笑顔。それは、まるで山の中で兜虫を見つけた夏休みの子供のようであった。
「あははっ、兄ちゃん、お尻に穴空いてる!」
「=うん。空いてます。しっかりと。直してあげます。うん」
「……それで兄ちゃん、このアルバス。噛まれた者の記憶を吸って生きる魔物でね、たぶんそれで何も思い出せないんだ……だ、か、ら。こうやって焼き殺すんだよ!」
「=うん。燃やします。うん」
掴んだ手から紫炎が噴き出し、その生物は香ばしい匂いと共に炭となった。細かく零れ落ちる様子だけ見れば、それがただの砂遊びと言われても何ら違和感はない。
「こいつは対象の体内魔素を利用して、生きている限り蓄積された記憶を吸ってるんだ。だから、こいつを殺さない限り永遠に記憶は溜まらない……」
「=うん。つまり、あなたの記憶は吸われ続けてました。あ、直しますね。うん」
彼女はその生物を消し去った手で……空中で紐のようなものを出現させ、編み物のようなものをしてみせる。次第に形作られていく正方形の生地。その完成を見ていると、彼女が後ろを向くように指示する。私はこれを受けた。
何をされているか分からない、といった恐怖。感じ取った感覚から、穴の空いた服を縫われているのだと分かった。私はこの時。自分が何を破いてしまったのかと気になり、初めて自らの姿に目を落とす。すると、「冬月不悠乃」と話していた時のままの装いが映し出された。
自ら消した紋無羽織。つまりここは、世界を保存し、再構築した別世界。魔術が消える前の複製世界。そこに私は、移動してきた。そうか。そう思えば、紫炎に魔素。あれが「魔術」というもの……それは現実に存在するのか。
いや、その反応はおかしいはずだ。今更、魔術が非現実的なものだと思い込んでいたなんて。私は、気づいていたはずなんだ。……あの霧、最後の魔術が「本物の魔術」だということに。
私の長期に及ぶ研究結果。最後の魔術を否定する過程で導き出された一つの答え。監視用撮影機に記憶されていた映像。分析したところ、霧が消え去る僅かな瞬間。極小の円が現れ、吸収と同時に熱反応を発生させていたことが分かったのだ。
熱反応を政府に登録された「生体固有温度」と照らし合わせて分析。結果、消えた人間の温度と発生した温度が合致した。現場に赴き熱感知装置を当ててみれば、何年も時間が経っている場所であっても、霧が発生した後の地面には微量の温度上昇が認められ、その熱は魔術書に載っていた記号をなぞるように表示されていたのだ。
機関は、霧の組成が人間そのものであることを隠匿していたことになる。
「終わったよー」
「=うん。お疲れ様です。うん」
私は彼女の言葉により終了を確信し、振り返る。
そして、改めて目にした光景に幾らかの取っ掛りが消えた。
「そ、そうだ……ここは……どこですか?」
「はあ。また惚けて。前もあったなーそんなこと……兄ちゃん、私オリヴァレスティ。私のことオリーって呼んでたんだよ? 覚えてない?」
「=うん。私はオービスです。私にはそれ以外の何もありませんです。うん」
────森の中。
目の前の少女の名は、オリヴァレスティ。彼女のことを覚えているはずもなく。オリーなどという愛称も今初めて聞いた。それに。彼女が話した後に聞こえる別の声は紛れもなく彼女自身の声帯から発せられたものである。
会話の際、手にしている「傘」を揺らす。
恐らく、それが「オービス」なのだろう。
「……はい、全く思い出せません。申し訳ありませんが、オリヴァレスティさん……? 私の他に女の人を見かけませんでしたか?」
「ん……いーや! 大きな落雷があってね、村の人達に捜索を頼まれて来たんだけど、ここにいたのは兄ちゃんだけだよ? それに、私のことを覚えてないなんて……まあ魔物は消滅したし、時間が経てば大丈夫だよ!」
「=うん。いつか思い出します。忘れたくても。うん」
しかし……根拠が無い。「オリヴァレスティ」とかいう少女によると。ここには不悠乃はいないらしいのだ。
……どこへ行ったのだろうか。不悠乃がいうには、ここに存在しているという「魔素」を持ち帰るには、私と彼女の同時作業が必要だとのことだったのだが、その本人が見当たらないとなると見通しがつかない。
私の任務は、冬月不悠乃の動きを報告し管理することである。更に言えば個人的な「目的」は、この世界のどこかにいるはずである「彩雲彩花」を元の世界に連れ戻すことだ。
そのためには、冬月不悠乃の計画である「魔素移動」に協力しながらも、行動情報を蓄積し、帰還時に有用な資料として提出、そして魔術書の回収を遂行する必要がある。それと同時に。先遣隊の捜索、然るべき対応を実行すれば、何かを残すことはないだろう。
……目の前の彼女は、得体の知れない生物のせいで記憶を無くしたなどと勘違いをし、私という人間を前から知っているかのような物言いだが、やはり、いくら記憶を辿れども彼女に一切の心当たりはない。
やはり、そのアルバスとかいう芋虫擬きの影響で私の記憶が消失、改竄されている可能性も考えられるが、しかし、元の知り合いがこの場所にいるという仮説に至っては、信じ難い。更に言うなれば、記憶の引き継ぎが彼女にあるとは考えにくい。
よって彼女の勘違いか。
本当に彼女を私は知っているのか、そのどちらかであろう。
「でも、根本的に人が変わったみたいになっちゃって……何かあったの?」
「=うん。怪しいですね。うん」
「────」
「女だな!」
「=うん。これは女ですね……。ああそうなると、アルバスによる記憶喪失ですか……寧ろ好都合かもしれません。うん」
「んーたしかにそうかもね!どうせそうするつもりだったんだし、ほんとにそうなら簡単だし」
「=うん。そうですね。明日が必ず訪れるなんて保証はどこにもありませんね。うん」
「……何の話をしているのですか?」
突然、オリヴァレスティは訳のわからないことを神妙顔で淡々と口にする。それに良く分からないが、彼女が認識している人物とやらは随分と「新しい女の人」というのが好きだったらしい。
「兄ちゃん。あの山にはね、このアルバスのように人の蓄積された濃密な記憶を餌にする魔獣の巣があるんだ。そこにある魔石を取りに行かなければならないんだけど……」
「=うん。元々記憶を失っている……という状態異常の人間は感知出来ず、簡単に巣穴に入ることが出来ます。なのでお兄さんには……。うん」
「……あの山に行けと言われても、ここがどこかも判明していなければ、あなた達が何者かも実感としては掴めていないのです。それに、それを……取ってこれるかなんて保証が────」
「あなただけが頼りなの! どうかどうか、私の母を助けて……」
「=うん。泣かないでください。うん」
「兄ちゃん、お願い! 母ちゃんその魔石で作れる薬がないとまずいの。だから! 魔獣に探知されない兄ちゃんに、山の山頂にある大穴から採ってきて欲しいんだ」
「=うん。そ、れ、に。うん」
「?」
「帰ってきたら新しい女の人たちも用意しておくからさ、兄ちゃん! 頼んだよ!」
「=うん。よろしくお願いします。うん」
情に訴えかけたごり押しか。だが……母。両親。家族。それらを大切にできるのは、素敵なことだ。それに、その提案に乗ることによって彼女からの情報提供を有利に進めたり、今後現地人との人脈を確立しておくことで行方不明の不悠乃、彩花の捜索、周辺状況の探索を比較的安全に行えるという点では悪くはない。
あの時……私は一世代前の代物であれば歴史における「齟齬発生」に抵触しないであろうと提言したが、火薬を使用した燃焼武器は持続的使用における懸念と概念化した形状は紛れも無いものであると一蹴されてしまった。
私が唯一持ち得た護身具は、左の手の甲に巻かれた水圧式小型射出器であり、未だ実験段階である代物だ。『液体閉鎖式加圧砲』の原理を利用をしているが、小型化に至っては未知の分野であり、信頼性は乏しい。
現在の私にとって。自らの身を守るには攻撃的手段を用いるのではなく、交渉もしくは交流を元にした譲歩からなる段階的懐柔策を展開させる必要がある。しかし。頭に入れただけ情報がこの場所で通用するとは思っていない。
目標の喪失。周辺地理情報の欠如。現状の知識量が著しく少ない中。こちらから動くことは、基本的に避けねばならないのだ。
「……そうですね。母親が大変なら仕方の無い……です。それに、もちろん。後でお礼は、して欲しいところですが」
「────うんっ! もちろんだよ! ありがと!」
「=うん。ありがとうございます。うん」
「じゃあ兄ちゃん! 早速計画について話すよ! 兄ちゃんはあの山、ラムダ山に登って、その山頂にある大穴から、光り輝く魔石を採ってきて! 取り終わったら早くここに帰ってきてね! 私とオービスはその間、加工の準備をするから!」
「……分かりました。あの山の頂上に行けばいいのですね。ちなみに、その魔獣ってのはどのような……」
「その魔獣の名は────イラ。黒い身体に嘴のようなものがついた、目も耳をもたず、記憶を辿る肥大化した感覚器官が頭部に付いている、そんな魔獣。だけど心配しないで! さっきも言ったけど、兄ちゃんのことはそいつ『見えない』から大丈夫!」
「=うん。見えない。そんな姿は見たくない。うん」
「……そうですか、分かりました。それでは待っていてください」
「あ、ありがとう────」
さて、登山の経験がないでもないし、見た限りそこまで高くない。この行為が彼女たちに好意を与え、今後を明るくするというのならば、私は惜しまない。結果として何らかの情を感じさせることが出来れば……。対等、それか有利な立場につける。信頼は失うのは、本当に簡単だ。だが、得ることは想像以上に難しく、誠に繊細なものなのだ。
「それでは、また」
ラムダ山に向けて一歩を踏み出し、去り際に手を振った。二人はその後すぐに、そそくさと走り去って行ったことから、魔石を砕く道具を求めて村へと向かったのだろう。当然、目的は変わらない。消えた冬月不悠乃を探し、魔術書の共有状態を確保する。達成することが出来れば、晴れて彩花を助けに行くことが出来る。
────私は足早に、魔石を求めて山の頂上を目指した。