059.素材/口唇
ファブリカは……。今にも飛び跳ねそうな勢いで体を捻らせている「兎」の腹部を……。躊躇いもなく鷲掴みにする。後に確認出来た、屈託のない笑顔。それを見て、その「工程」に幾らか興味が湧く。一切の光沢はなく、ただ只管に濃黒である眼球。そこから底知れぬ暗闇を味わい、次なる変化に目を見張る。
「……使う……って、それは」
「移動に伴う素材としてー、だねー!」
ファブリかは感情の変化を見せず、ただ今まで通りの表情のままに……。口腔内下部へと、その物質を放り投げる。
「うええ、ファブリカー、早くしてよー」
「=うん。長居無用……。うん」
「はいはいー!」
そして……彼女は、自らが鷲掴みにしていた生き物を勢い良く地の部分に叩きつけると、手早く針のようなもので、上下左右の皮膚を突き刺す。可動部を抑えられたことによる自由の減少。畝るように体を荒ぶらせている為、鈍い音が鳴り響く。一定間隔にて聞こえていた音も次第に疎らになってゆき、その鈍い音は……徐々に、か細いものへと変化していった。
「これが、……その方法なのですか?」
「うん! 移動をするには、力が必要。そのためには食事による回復が大切になってくるんだ!」
「=うん。その、手に持っているものを……。うん」
「それを、どのように……」
「もちろん! 振り下ろすの!」
曇りのない笑顔を向けるオリヴァレスティを見るが、視界の中に映り込んでいる「小動物」を目にすると、その対象的な光景に身震いをすることになる。
磔にされている芋虫のようなものを目にしていると、ファブリカは杖という「鈍器」を振り下ろし、それを柔らかくしてゆく。その動作は何度も続き、もはや機関のように動く腕と崩れゆく形状とを同時に目にして、供物とはよく言ったものだと、ある程度の納得が出来た。
連続的に振り下ろされた鈍器によって最早その原型を留めず、これの元の姿が「動物」であったとは、到底思えない程に液状化した暗赤色のものを、悠々自適に掬い上げ……自らの体内へと取り込む。
「……っ、はぁっ……!」
艶やかな「口唇」から吐息が漏れる。かつて生きていた何かを頬張り、吸収してゆく。小刻みに体を震わせながら。指先にべったりとついた、食紅にも似たものを舐め摂る。元に戻そうとすればするほど光沢を孕み続ける甘美かつ妖艶な空気。細く伸びる指は、微かな光に反射している。砕かれた液状のそれを体内に入れるファブリカ……。そして、オリヴァレスティは先立った行いの後に、取り込んだ。
「っ……ぁあ……あっ……」
「……さぁっ、オネスティーくんも……っ」
「……わ、分かりました」
御馳走を頬張るが如く勢いで、満足げに吸収されてゆく液体。こちらへ向かい、体内へと取り込むことを指示したファブリカは小さく頷く。それを目にした時に、その動作をすることにより今後の道が開けるのだと半ば無意識かつ直感的に感じてしまったのだ。少しばかり身を引くようにして見ていた自らの位置。彼女らの側へと移動させ、首を動かし下を見れば……紛うことなく散りばめられた、液状化存在が、容易に映り込む。
視界が侵食されるように、たちまち広がりその存在を主張しているそれを手に馴染ませ、その微かな温もりと滑らかな感覚を感じながら口元へと運ぶ。嗅覚情報として伝わる鉄分の存在と、握りしめた掌から時間の変化とともに感じる粘度の増幅から、取り込むべきものに対する期待が大きくなる。────拳から液体が溢れ出す。一粒の液体が作られた握り拳の器から溢れ、次なる器へと飛び込んだ。乾きに溢れた液体は、その中で自らを鋭く飛散させる。
「……っ!」
口腔内から突如として感じた異物の存在。一度は閉じたその口を勢いよく開き、濡れた手を潜らせて、違和感の元凶を自らの視界の前に……引き摺り出した。いつの間にか生成されていた唾液が、潜り込ませた指に絡みつき、異物と共に陽の光を浴びながら、口元から滴る。
(……なんだ、これは)
湿った二本の指が捕らえていたのは、細長く尖りに尖った針であった。しかし、針とは言えども、それは形状のことである。外見こそ針であるが、その色彩から銀光沢など感じられないが故に、寧ろ無光沢かつ赤褐色の針の形をした「何か」と言った方が正しいのかもしれない。
「ファブリカさん、これを飲めば良いのですか」
「うんうんー! それを飲めばー大丈夫ー!」
「いや……ですが、固形化していて喉に────」
「それなら兄ちゃん! 私が入れてあげるね!」
オリヴァレスティは嬉々とした表情にて、こちらを覗き込む。向けられた鋭いものを目にして。繊細な内部を守るために、漏れるほどの唾液が生成されてゆく。
「=うん。少しだけ痛いかもだけど、力抜いて。うん」
その言葉から、咄嗟に掴んでいた彼女の腕を受け入れる。私は、固定させていた「力」を緩めてゆく。彼女達はこのようなものを易々と飲み飲んでいたのか、と考えながら、これから感じ、味わう「痛み」を前にして、連続的な動きは静止を迎える。
私は、彼女の顔に張り付いた、加虐的な笑顔に挨拶をする。嘸かし美しく、優しい言葉を孕んだその笑顔に向けて、ゆっくりと悦楽に浸るようにして迫る彼女の指先を……念入りに舐め上げる。そして、内部の入り口に鋭く触れたのと同時に口を大きく広げ、彼女に対し、異物を受け入れる態度を大いに見せつけたのだ。
「……美味しいー?」
「っ、っ……! ……っ……ん」
「うん! ……それではー、良い旅をー!」
────……旅とは、よくも言ったものだ。ファブリカの言葉を境として。脳内に溜まる水面に、水滴が落ちる光景が映し出された。




