057.物質/侵入
「それは……つまり、牢獄の中身のことを示している……のですよね」
……変色し、亀裂が入った木材調の素材で形成された立方体。外部からは一切中身が見えないことにより、不穏な雰囲気を醸し出している。外見だけが確認出来る牢獄状の形。その物体には、鉄格子という隙間があるはずであるにも関わらず、そこにはあたかも、何も存在していないかのような淀みが映るのだ。
そして、一つしかない牢獄の周囲に……。蔦のような植物が、触手を伸ばすようにして広がっている。また、そこから滴り落ちる半透明の液体と水溜まり。それら全てを一同に視界に収めていた私は……。彼女達の言葉と混ぜ合わせながら、今後の行われる事柄が身構えなければならないことであると、二つの感情の中で思っていた。
「まーそーゆーことだねー! それじゃー、どーん!」
ファブリカは手にしていた杖を大きく振り、立方体の牢獄を勢い良く叩く。そして杖と牢とがぶつかり合ったことによって。それに伴った音を発生させると思いながら身構えていた私は、面を食らう。なんと、杖が触れるその直前。立方体は、杖を飲み込むようにして姿を変えたのだ。まるでその様相は、粘着性生物のようであった。
「……ん?」
停止し、両足を地につけたその状態で。私に備わっている二つの眼球が、前に広がる景色を鮮明に捉える。視覚情報として入り込んでくる「それらのもの」に対して、特別なことをする訳でもなく、あくまでも直感的に声が漏れる。生憎も目にしてしまった光景に目を疑う。そのことから先程、意気揚々とした心持ちによって歩みを続けていた、少し前の自分を悔やみ始めたのだ。
「オネスティーくん、どうしたのー?」
「その……。……あれが接続地点というのですか?」
「……あそこにあるのがー、正真正銘のー、地下へと続く接続地点だよー!」
乾きを心底嫌悪する二つのもの。それらが逃げ出したいと、口々に告げているような感覚を微かに感じる。広がりながら留まることを知らない光景に、意識は半ば強制的に動かされる。ファブリカが軽く首を傾げながらも示した……。地下へと続く接続地点……のはずなのだが。当初こそ牢に見えていたその立方体は、姿形を変えた。
自らの視界が鮮明な程に捉えているものは。それこそ、正真正銘の「唇」なのだ。歩みを止めた先に見えたのは、一軒の家程の大きさをした人間の口だ。最初こそ、上下に分かれた血色の良い半月的な肉塊の正体を疑ったが、それが紛れもなく目指していた地点なのだと知ると……何故だか、得体も知れぬ悦びに呑み込まれ、支配されそうになる。これが……。扉を隔てた先の大衆と隣り合わせに存在しているというのだから、驚きだ。
中身の乾燥に対する心配は、全くと言っていいほど必要のない。それほどまでに大きく開かれた厚皮。噴き出しては溢れ、吸い込まれる淡黄色の液体。唇の周りは痙攣した鶏のように震え、その先に広がる口は、まるで園児が遊ぶ砂場のようなものにて囲まれている。さらに砂にて囲まれた周囲を見れば、真っ赤に染め上がった円柱形の物体が縦六つに分かれ、繋がることを繰り返している。
また、回転していたり飛び跳ねたりを続けている拳大の「賽」ようなものも確認出来、それらは数を増やしては、減るという連続的な動作を続けている。視界に映り、極めて不規則な運動をしている「何か」を目にすることにより、彼女らによって示された「接続地点」が明らかに異次元的なものであることは、滲み出るが如く知ることが出来る。
「なんというか……拠点への入り口が遠く感じました」
「ははーん、兄ちゃん、怖気付いたのかな? これから何をするか分からないままで、留まってて良いんだ?」
「その……あんな見た目が出てきて、まだ何かあるということなのですか……? それはそうですよね。ここからさらに移動をしないと『拠点』を見ることすら出来ないそうですし……」
「=うん。その方法はなんとー。うん」
「頼まれましたー、オービス殿ー! なんとオネスティーくん! あそこにあるー接続点を潜り抜けることによってー! 移動が完了するんだよー!」
「え? 潜る……? あそこを……ですか?」
脳内にて認識し、後から得られた嗅覚情報。そこに、特段目立った変化はない。しかし。粘性の液体やら、辺りを取り囲むようにして存在している濃白色の細かな出っ張りを目にしていれば、嫌悪感のようなものも視覚的に伝わってくる。……確か、鯨の潮吹きとは、このようなものであった。
絶えず噴き出されては吸い込まれ、そんなことを繰り返す動作から、巨大な海の生き物の動作を連想させたが、それが、どうしても似ても似つかないものであることには……気づいてはいた。だが、そう重ねて見なくては……。自らも、それと同じような動作をしてしまう気がしてならないのである。
視界の大半を占めるその光景。そこから、目を離すことが叶わなくなってしまったが故に。興味からなる独特の嫌悪感と、期待とはまた異なった異質なる感覚に塗れた状態で、それが「唇を含んだ人間の口」であると認識してはならないのだという不思議な防衛本能が無意識的に働いたのだ。
器官とは素晴らしきものであると思いつつも、本能からは拒絶される。実際の姿に吐き気催すも、映像を別のものに差し替え、自らを保った。視界の映るものに、そう繰り返されていてはならない。それはここへ辿り着いた時に、もう既に確定していた事象であり、地下へと向かう、足を踏み入れるには、この地点を越えねばならないことは既知である。つまり、これから。巨大な接続地点へと……体を潜らせねばならないことは、明らかだったのだ。




