002.第二/計画
《研究室》【第二計画、偵察】
彼女は建物に入るや否や。壁に掛けられていた白衣を纏い、黒く縁を塗られた朱色の四脚に鎮座した。和装の上から白衣を羽織る姿。視界に映し出された空間も相まって「彩花」を連想させる。
「ようこそ、私の研究室へ」
首元で鈍く光る色彩が一際強く輝くと、入り口の僅かな光源のみで構成されている薄暗い空間は、一瞬によって照らされた。
瞳は左へ右へと交互に二回ほど動いた後、その場所を定める。左の眼は軽蔑的な沈黙に、卑劣な嘲笑を浮かべ、右の眼は羨望の中に虚無があり、底知れぬ淀みを浮かべている。口を三日月のように裂き、顎を上げて私を見下ろす。彼女の人差し指は口元に当てられている。
今度は小動物を愛でるような、それこそ何かに期待するような、慈愛に満ちた笑みを見せた。
「あなたは私にとって六番目の縁談相手。他の人達はこれを見て発狂してしまった……あなたはどうかしら」
「なんだ……これ」
目にした空間の内装。明らかに人骨、正確には頭蓋の部分のみを正面に向け壁一面に並べてある様は、教育機関で学んだ大量虐殺のそれを連想させる。
『髪、首、腹、心、足』
どのような目的でそれらを選んだのかと頭を悩ませる質問から、私はその真意を探ろうとしていた。だが。その疑問も、その選択肢の全ての部位が彼女の周りで実際に転がっているのだから、あまり意味を成さないだろう。
「私のこと怖がらないって……約束して?」
「ああ……約束するよ。これは、……実に魅力的だ」
「最高……っ、ついに、ついに見つけたわ……っ」
所々から垣間見えていた彼女の本質に、私は気づいていた。加虐的な表情は、冷めきった心に火を灯すように、それこそ、偽りの蝋人形を溶かして蒸発させてしまうくらいの事実に、高揚感を得る。
私は思っていた。自分自身の深い所に酸素は必要ない。それこそ、深いところから無理に掘り起こさなくてもいいんだ。寧ろ徹底的に蓋をすべきだと。外に出さないことが確立した時点で、その中でじっくりと熟成していけば良いのだから。
「私は一年前、この魔術書を見つけたの」
「魔術書……?」
その単語を耳にすれば、身体が自ずと反応してしまう。今すぐにでも現物の所在をこの目で確認せねばならない私とって、現状の訪れは違和感なる苦痛以外の何物でもなかった。
「そう、魔術書。ここには以前この世界には魔術が存在していた事実や、いかにして消失してしまったのか、こと細かく記載されているの。それに、人が消え去る最後の魔術、そこに残された霧についてもね。……だから私は、この魔術書をもとに研究しているの。過去の世界の保存。その世界の入り口が、ここにはあるから」
「待ってくれ。なぜそれを私に? 君には大いに関係があるが、魔術書にどのような……」
魔術の消失。それに、最後の魔術への展開。
彼女の口ぶりから、その深さの詳細を得る。
「関係あるわ。私と関係があるような口ぶりだけれども、結婚を望んでいない。言いなりになって跡取りを育てることも望んでいない『あなた』にとっていい話なの。……それは私も同じよ。こうして結び交わされる運命を、あなたの手で変えたくは……ない?」
「な────その魔術で、この現状を変えられるというのか? もし、そうだと言うなら……。……いや、待ってくれ」
私と彼女との関連性、それは偽りなるもの。それこそ、一方的なものであると事前情報として理解していたのだ。しかし。今をもって思えば……。幾らかは、彼女が捉えている現状と共有している箇所があるのではないかと、考えさせられる。
「……ええ」
「魔術がかつて存在していたことは、歴史を学べば分かる事だ。だが、たしかに何故消えてしまったのか、その理由については未だに明らかにされていない。もし本当だというなら……。……どうしてなんだ?」
彼女が本当に現物を目にし、解読してしまったというのならば。魔術が潰えた現状。その理由についても有益な情報を吐き出す可能性は十分に有り得る。
「それはね、この世界に元々あった『魔素溜り』が枯渇したことによる、供給力衰退が原因よ。魔術が消失した根本の原因は争いによるもので……魔素さえあれば、魔術を再び使うことが出来ると思うの」
「魔素溜り……供給力衰退。だが、もうここには、その魔素っていうのが、……いや。君はその魔術を使って何を────」
「私の夢は、魔術が消えてしまった現代に魔術を復活させることなの。魔術の消失は魔素の枯渇によるもの、かつて存在した大賢者は次なるものにそれを託し、体内全魔素を消費し世界を保存し、没した。私は残された世界を調査し、魔術の源である魔素を持ち帰る。そのために条件にあった人間を探していたの……。……そして今日、やっと適合者を見つけたわ」
「……それが、私……なのか」
魔術の復活、現段階において潰えた魔術を再興するということ即ち……。現社会の再構築を意味する。魔術など存在し得ずに発展した独自性。魔術という異物を投入することによって、どのような結果が訪れるのか。極めて危険性の高い……夢であると考えれる。
しかし────その適合者を私と捉えているのであれば、話は別だ。比較的なる発言性を得られるとすると、彼女のその計画を元に、舵を切れば幾らか余地はあるだろう。
「そう。私との運命。かつ、現状に不満を抱いている御方全てに、貴方と全く同じ説明をしたわ」
「……ということは、あそこに並んでいるものや、ここに転がってるものは、その魔術のための」
当初こそ、なぜそのような選択肢の中で言葉を発したのだろうと疑問に思ったが、『髪、首、腹、心、足』まさか、これらが……。そう……元は人間であったのだと改めて認識すると、あの時の質問に意味はあったのだろうと実感する。私と同じような会話をした御方。この縁談より以前。……名家による彼女への誘いは、勢いを緩めていない。
「そうね。それを見て、全ての御方は発狂してしまいましたの」
「そうか、だからか。だが、そのような込み入った姿や話を聞いてしまった以上。私が彼等と同列と判断されれば……即、処理されかねないのでは」
「いえいえ。そんなことはいたしませんわ。やっと見つけましたもの。頼代さん。あなたは、私にとっての希望なの。あの世界から魔素を運ぶ、器なのだから」
「……どういうことだ?」
「そうよね。説明もなしに、この状況ではあまりに酷だわね。まあでも、戻れば跡取りの為に結婚をさせられ、いずれは子をもうける、定められた運命を歩む方が遥かに気の毒でしょう」
「────」
・・・・・・
「ええっと、私達の世界とは別に、魔術が残されたままの世界が存在するわ。つまり、あちらの世界は大賢者によって保存された過去の姿であって、元ある世界を転写・模倣して創り出した魔術世界、ということになるわね」
「……魔術が保存されたもう一つの世界。そんな場所があるのか」
「その世界にはね、魔術書に記載された条件を満たせば行くことが出来るの」
「訪れる手立てが確立しているということか。その条件は……なんだ?」
「それが、最後の魔術。霧なの。現世に存在する最後の魔術とは文字通りの残された魔術、それが、そう。移動するための条件……かな。でね、それが魔導書の入手なの。だけど、どうしても二人いないと持ち帰れないことが分かったのよ」
「それは……」
ここまで聞いていれば、現状を掴み取ることが可能となる。全てを把握することは不可能ではあるが、その一部分さえ垣間見え、形作ることが出来れば、あとは考えようだ。彼女……かなりの情報を保有している。あとは、いかに私がそれを聞くか、ということに関わってくる。
「一人の移動だと帰る時に時間が元に戻されてしまう。どうやら時間の流れは片方しか進んでいないそうなの。つまり、私一人が移動すれば残してきた方の世界の時間は止まったまま。それが障壁となって魔素の移動が出来ない……加えて、ものを持ち帰る場合には、互いの移動を確認する目が必要という難しさ……」
「それじゃあ、二人をもってして、その『魔素』の移動が初めて可能になると。そしてそのための人員を許嫁の中から選定していたんだな」
「そうね。なかなか、受け入れ難いことでしょうけどね。確認を取ることが、保存された世界と現世界の二つの世界の天秤を釣り合わせる方法……。つまりは、二つの世界に置かれた点と点が結ばれ線となれば、強固になったその身体間で共有出来、物を持ち出すことが可能……だわ……。────あ、見る?」
「これが魔術書……ってなんだこれ、なんて書いてあるんだ?」
私は冷静だ。至って、冷静だ。私は見た。────現物だ。これが……ここに彼女がいるという事実を知れば……。今後においての行動が定まる。
「あら、頼代さんには読めないものなのね。でもここにははっきりと、この本を見つけたものには移動の権利が与えられる。霧は私たちが残した最後の魔術、選ばれた者にはそれが門となる。熟読した上で、実行せしめよ……と。そうね。そうね。早速だけど、読んでいたら今すぐにでも……そろそろ行こうか?」
「い、いや、さすがに……待ってくれ、不確定要素が多すぎる。少しだけ時間をくれ。私もその最後の魔術について、研究をする。だから私との約束の日までに必ず……」
先決なる行動は避けねばならない。あらゆる可能性を考慮して、対処をせねらばならないのだ。当然、如何にして今後を過ごすのか、最後の最後まで「私」を精巧に形作り続けなければならないはずだ。
「……はあ。私はすぐにでも向かいたかったのだけど……まあ、仕方ないわね。でしたら、もう少しお話し……しましょうか。いつか訪れる『最後の日』まで、ね」
・・・・・・
「頼代さん……あちらでは、私たちの世界と区別するためか、名前を────。もう一つの方法は現実味がないから却下として、魔素をあちらからこちらへ持ち帰る方法は────。そして私たちがこの世界から、離れるには────」
移動可能な世界。それは大賢者によって保存された過去の姿であると彼女は告げた。世界を転写、そして模倣の後に創り出された魔術世界……そんな世界で彼女は現世には存在しない魔術の復活のために「魔素」を持ち帰る。それにどうやら彼女が言うには、魔素の研究には、新しい人間の同行が必要なようなのだ。
私は六番目に現れた縁談相手。冬月不悠乃は魔術書を発見し、解読。彼女の元へ何度も許嫁が訪れているが、彼女の研究室を目にして発狂している。
当然彼女は気づいていない。ことが軽やかに進むことに大層喜んでいたようだが────私は知っている。「冬月不悠乃」の計画。それらを悉く破綻させる企てが、水面下で実行に移されていることを。
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