020.搭乗/偵察
イラ・へーネルは自らの口に指を入れ、赤黒い球体を地面に投げる。
設置したそれは瞬時に煙を生み出し、車輪のついた四角い物質が現れる。
「これは……」
「これは魔術駆動車……の形をした魔物だ」
(……)
「魔術駆動車といえば、進行に伴う動力は乗車している者の魔素なのだが、私が生成したこの魔物は二人の魔素を使用しないで良い。手網を握って場所さえ思念で伝えれば、あとは勝手に進むんだ。これからたんまり魔術を使う者達にはこれ以上のものはない……オネスティ、ファブリカ。くれぐれも気をつけて、しっかりと情報の信憑性を高めてくれ」
「はいー」
「……気をつけます」
「ファブリカ。オネスティのことは任せたぞ」
「了解ですー! 責任をもってー最後の最後までー任務を全う致しますー!」
「……また会おう。────さあ、始めるか」
そう言い残すと、私とファブリカを背にし、へーネルとダルミは歩を進める。
二人が消えた奥の間の扉が閉じられたことを確認した後、魔物であるという魔術駆動車を見る。
「私達二人でーこれから訪れる帝国の奇襲をー、この目で見なきゃいけないーってことねー!」
実体化し、黒い靄が消え去った面付きのファブリカは、外を見ながらに呟く。
「ですね。この魔術駆動車というものに乗り込んで、行商人を装いながらに進むと」
「さすがに堂々と空を飛んでいく訳にもいかないしー目立ち過ぎるもんねー。とりあえずは偽装してー、彼らが向かった方向に進みー、頃合をみて待機かなー。……じゃー早速乗ろっかー!」
ファブリカは二回程その場で飛び跳ねた後。身軽な動きで魔術駆動車の窓から飛び乗った。その後に続いて。私は、地面より高くなった駆動車の足掛けに足を乗せ、上へと上がる。
扉を開け、馬車に例えると客席部分へと入る。一足先に着座していたファブリカの隣で腰をかけた。席の柔袋に臀部と背がふんわりと包み込まれ、合致する。心地の良い正体不明の仄かな香りと相まって、僅かながらの高揚感を覚える。
隣を見れば、ファブリカが何やら嬉しそうに肩を揺らしている。それは面をつけたままでも十分なくらいに分かるものだ。そして、そのまま彼女は私の方に身を乗り出す。その手には、前方から伸びた紐のようなものが握られている。
「……これは?」
「たーづーなー」
彼女はその言葉の後。手綱を握って大きく体を震わせる。「しっかり掴まってー」と告げた彼女だったが……。そうするや否や、私の乗り込んだ駆動車はいきなり車輪のついているものらしからぬ……あり得ないほどの勢いで動き出したのだ。
◇ ◆ ◇ ◆
超速度にて山を降り、一瞬でも目を閉じようものなら。今乗っているそれが……。移動用のものであることは分からなくなってしまうだろう。私はその馬車の中で、有り得ないほどの速度を受けながら狂乱のファブリカを横目に一人、耐えている。
生物には思えないような大きな音が鳴っている。それこそ、絶叫加速機器の様な魔術駆動車を操る彼女。満足気味な体の動きと面の奥より溢れだしている表情のまま、激しく動き出した駆動車の手綱を力強く握る。
「とーうちゃーくー!」
「も、もうですか?」
「あとちょっとー」
「え」
「────はいー! とうちゃーくー!」
何にも代えがたい衝撃だった。彼女に前もって声をかけられていなければ、唐突なる衝撃によって別の衝撃を受けていたところだった。
後輪が浮いてしまうのではないかと心配になる程の急停止。そんな現象に多少の疑問を抱きながらも……。私はやっと留まった視界に注力する。
「ここですか。目的地は」
「だねー。少し小高い丘ー。ここからならー、特に怪しまれもせずー、確実に帝国の人に会えると思うよー!」
私とファブリカは後ろを見ても前を見ても、特に何も無いところに存在する幾つかの丘の内の一つに陣を張る。
「じゃあーこの子はー、お返却しようねー」
駆動車から降り、丘の土を踏みしめた後。そのような言葉の後に、ファブリカは手網を握る。すると。今まで私達を乗せてきてくれた魔物はその姿を黒い靄へと変化させ、跡形もなく消え去ってしまう。
「その、これ私達、どのように帰れば……」
「確かにー、それ心配だよねー。でもー、ここに隠れるならこの子は目立つしー。今のところ他者から見える速度域も調節していたしー、偽装していたせいかー行商人に思われるだろうからー。……襲撃がなかったこのあとは自力でーみたいなかんじかなー!」
「なるほど。ここに駆動車を置いたままでは目立ちますね。しかし帰るのが自力とは」
「文字通りだよー私に任せてー。だから心配しないでー、偵察に専念しようー!」
「ですねファブリカさん」
「ちょっと……待ってー?」
……突然、今までの空気が変化した。作戦行動中なので完全に和やかというわけではないが、先程の会話の空気とは明らかに一転して、彼女の全く狂いのないその一言から、今までに感じたことのない不穏を感じ取る。
躊躇いもない彼女の言葉にある種の疑問を覚えるが、その突如として明らかに変化した空気により、それこそ迷わずに彼女の目の辺りに視線を向ける。
「オネスティーくんってー。この魔術駆動車がどういう風に進むのかー、みたいなー原理とかってーすぐに飲み込めましたー?」
現在のファブリカと私の位置は対になっている。
その位置から彼女は、私の肩の先の方に「面」の向きが釘付けである。
「駆動車の原理ですか? ……対象の魔素を使用することによって動力を得ているということかしか聞いていないので何とも……」
「……そうなのー。そうだったらーこれから見える光景にはー、少しだけ身構えておいた方がー賢明かもねー!」
ファブリカの言葉。
言い終えると、彼女は今まで見続けていた場所に向けて指を指す。
「あれだよー……」
私には見えない彼女の目。しかし、その面の奥から向けられられている視線は「何か」に釘付けになっていることが分かる。私からは見えないその先には何かがある。彼女がそんな状況の中で発した言葉と、指された未だ見ぬ後方の光景……その先に何があるのか。
私は確かめなければならない。圧倒的に変わった雰囲気と、切迫的なこの空気。どこからともなく湧き上がってくる第三の衝動の波が自分自身という体に押し寄せる前に、俺は察知したの波を自らの行動で示す。
「────あれは……」
言葉が区切られ、上手く口が動かなかった。視界に映り込んだ光景が硬くなった口を自然と動かしてしまうように、私が発した言葉は文字通り意図せず発せられていた。
「ファブリカさん。先程のされた駆動車の話……それとこれは……やはり関係があるのですね」
「そうそうー……。実はー駆動車の技術は単なる移動手段に留まらずー、すぐさま騎士団に転用されたのだよー!」
私がこの光景を目にする前に、彼女が放った言葉。それは原理の理解についてであり、理解は出来ていてもその質問の意図は全く分からなかった。だが。今こうして彼女と同じ光景を共有しているならば。その意図が自ずと分かってくる。
「魔術駆動車の原理はー、体内に存在している魔素を使用してー、速度的時間の概念を調節しながらー、遠くの場所に時間を使わずに辿り着くことが出来るものなんだけどー。それは勿論ー、何度も無尽蔵に使える訳では無いのねー……ただ『移動する』それのみに特化するとー、魔素を与えるだけの機関としてしまった方が効率が良くてー、ましてやそんな貯蔵庫をー……人の形にしておく必要はないんだよねー!」
「────」
私は考えていた。予想はしていた。さらには答えは出ていたのだが……。
それでも、それに関しては間を開け、無言を貫くことを決めたのだ。
「私には魔素から分かるんだけどー。あれら全てがー、人の命で走っているねー!」
私は目にした。粉塵を立ち上らせながら進行する幾多数多の魔術駆動車を。稜線を埋め尽くすような数に私は圧倒されていたのだが、ファブリカが口にした言葉から身体全身が膠着する感覚を覚える。
彼女ははっきりと言った。駆動車を動かすのが体内魔素であるならば、それを供給するものは人の形をしている必要は無いと。
「……ど、どうしますか? 情報の正確性はこれで証明できますし、前線基地に戻って報告を────」
「ううんー、へーネル団長への報告はー思念伝達で終わってるよー。返事は偵察を続行ー後に頃合いを見て王国へ向かってー、その情報をー団長名義で伝えろだってー!」
「つまり、この後も我々は偵察を続けるのですね」
「そういうことー!」




