010.気配/提案
────見えない、人などいない。
私は気づかなかった、人の気配に。黒い鳥のいなくなった空間。
声を発する黒い霧が、入れ替わるかのように被さっている。
「おいファブリカ。お前が出てくるのはまだ早いぞ……まあいい。こいつはファブリカ。我々、トーピード魔導騎士団の目であり攻撃役だ」
「へーネル団長ー……それはまずいですよー。私の貴重な貴重な情報をー……そのっ、丸裸にー……!」
「おいそれは勝手に出てきたからだろう」
『そうですそうですそうですとも。ファブリカが先走って出てこなければ、団長のお手を煩わせずに済んだのですよ』
霧の中からもう一人、別の声が聞こえる。
「……ダルミ。なんの惜しげもなくそれを言ってくれる人材は貴重で有難いが、ファブリカのように進んで認知されにいっているところを思うと、何とも言えないな。……それはそうとして、お前、名前をまだ聞いていなかったな」
名前、名前か。
私は安曇頼代……いいや。その名前は、あの世界のものだ。
あの世界で────そう呼ばれたい。
「私は……オネスティです」
「そうか……オネスティ。よろしくな」
そう言って彼女は、私の頭を撫でる。更に、間髪を容れず、肩を両手で掴んで「体」を持ち上げる。……手に持っていた杖を地面押し当て、こちらの目を見た。
「私の名前はイラ・へーネルだ。アヴィルガント王国所属の魔導騎士団を率いている。そして、私の自慢のファブリカとダルミだ」
尊厳揺らぐ行為の後、何事もなかったように自らを「イラ・へーネル」と名乗ったその女性は、その立ち込める靄を指すが、私はその人達を正確に認識することは出来なかった。────イラ・ヘーネル。たしか、オリーが大穴にいるといっていた魔獣の名前に似ている。
「……よろしくお願いします」
「はは。よろしくお願いします、か。中々面白いことを言うものだな君は。まあ、私達も人が足りなくて困っていたんだ。丁度いいといったらそうだし、それにもし。君が敵であっても、私は何一つ困りはしないからなぁ」
「ですねー。あ、私はファブリカ! よろしくねー! オネスティーくんはーこれから同僚ってことになるのかなー? 楽しみだねー? ダルミー!」
「……ええ。私はへーネル団長の意思に従うので、特にありませんが、くれぐれもお体を大事にしてくださいよ」
これから何が始まるのだろう。オリヴァレスティの母の為というお題目をもとにした信頼獲得作戦を展開。様々な思いを複雑に絡ませつつも、外の景色を見ながら踏ん切りをつけて、底知れぬ大穴へと一歩を踏み出したはずだったのだが。足を滑らせ落ちた先では火柱を放たれ……。貴婦人が現れ……。見たことの無い鳥がその女性から生み出され、喋る黒い霧を目にした。
知らなかったのだ。あの大穴のすぐ下はこんな空間に繋がっていて、こんなことになるとは。イラ・ヘーネルが言うように。「これは好機だ」なんて考えられる程に訓練はされていない。結果、当初の心持ちとは大きく異なる変化に違和感を感じている。
彼女が率いるトーピード魔導騎士団というものの実態は未だ掴めず、この空間は彼女らの基地である事くらいしか予想が立てられていない。また、仲間が足りなくて困っていたとも言っていたが、今の私には、それ以下の扱いをされないことを切に願うことしか出来ない。
────ああ、何故……魔石がないのだろう。
下を向いて小さく俯いた私は、少しの間考え込んだ後、静かに顔を上げた。




