009.誠実/提案
彼女はその言葉を皮切りに、こちらに向けていた杖を手元に戻す。地面と反発するかのように鳴り響いた金属的な音色を響かせながら、地に着いた端を二回ほど叩きつける。
落下してきた衝撃からこの身をもって体感した高さ。視覚情報から得られる奥行から判明した周辺情報。ここは、山の中にあるものとは思えないほど広々とした空間である。そんな空間の中で────彼女は杖先で円弧を描いた。
音と背中から伝わる空気。火柱によって山肌は破壊されたと推測出来る。つまり。ここから先には、私が目覚めた時に目にした「空」があるはずなのだが……。
それさえも覆い圧迫するかのような体躯をした巨大な鳥。未知なる存在が、彼女によって作られた「円」の中から姿を現す。私は、あのようなものから……。あそこまでの物質を形にするとは、思ってもいなかった。
「ギィ……ギチィ、ギチチィ……。ギギィ……」
とても聞くに耐えない、黒い音が空間を満たしてゆく。音としては平坦であるものが、震え幾重にも重なり合うことによって怪奇で醜悪な印象を増幅させている。
黒光りする羽根を隙間なく蓄えた翼。その翼には無数の円形の出張りが確認出来、発疹のそれを思い起こさせた。体に至っては黒い鳥そのものであるが、頭部と足は例外だ。目は、頭の形に沿って一直線に体の方向に向かう。そしてそれらは、首元まで連続的に多数存在している。
更に言えば。口元には四辺に割れた黄色い返しのついた嘴がついているのだ。足には羽根が生えていないがために皮膚が露になっているが、その大きさが体と比較して不釣り合いであり、尚且つ著しく肥大化している。しかも、それが皮膚なのかすら判明不可能な程に崩れ、蕩けているのが容易に判別できる。
また、よく目を凝らしてみれば。肥大化した足の表面に何本かの生えかけがある事に気づく。それぞれが別々に、予測は出来ない不規則で無秩序な動きをしている。目の前にて騒ぐものが何なのか、到底理解が追いつかない。故にといえばそうで、私は結局として、それを出現させた張本人に目をやるほかなかった。
「ほれ、とってこーい」
「ギィ、ギギィィ……!」
彼女は、小袋から取り出したものを私の背後に向かって投げた。いきなり何かが頭上を超えて行ったものなので驚き、それを追うようにして自らの向きを変える。そして嬉しそうに、地を震わせながらに。羽を激しく振って追いかける何かは「餌」と言われる物体を求めて、この空間から勢いよく飛び立った。
数々と訪れる不可思議な光景に私は混乱し、飛び立っていってしまった異形を目でぼんやりと眺めていると、後ろから聞き覚えのある甲高い音が規則的に聞こえ始めたのだ。
「君、空は何色に見える?」
「え、白だと思います」
「……ああ。────そうか。騙されてるぞ。空が白く見えるのは魔術の重複によるものだ。多数の術をかけられると付与者の空間が歪む」
「────」
「……おそらく突然現れた君を騙して、そいつらがしようとしていたことをやらされたんだよ」
「……」
「────偵察。我が基地の偵察。恐らく、後で戻って来るように言われているな」
「……い、いやでもオリヴァレスティさんは私のことを……。それにアルバスが────」
「アルバスがなんだって?」
「いえ、私がここへ来たのは、彼女の母はこの山にあるという魔石が必要でして、記憶を餌にする魔獣に見つからないで取ってこれる私が……」
「アルバスには記憶喪失の能力はないぞ。ただの吸血能力のみだ。しかもここに魔獣なんていないし、……私は使役しているが、魔石なんて代物もない」
「そんなの……あなたが嘘をついているかもしれないじゃないですか。私は、私は……」
「おいおい。お人好しが過ぎないか? 君がその二人の何を知っている? 出会ってまだ幾許かしか経ってないだろう? それで? もしその彼女が言っていることが本当なら、なぜ君の身体には視認阻害、痛覚遮断、精神介入、の術がかけられているのかなぁ?」
私は知らない。そんな言葉。私はどちらに……いや、誰に騙されようとしているのか。上げていた腕を下ろし、地面につける。背を抱え込むように曲げながらに地を見つめると、自らの腕が左右対称でなかったことに気づいた。
────ティブライユールO-3。
……私の腕には、時計が巻きつけられていた。これは、私の所有物だ。
「そうか。そうだな、術も切れかけている。私は推測するにお前は奴らの偵察として理由され、後に報告するそうだな……これは、好機だ。まだ気づかれていることを知らない。さて、我々に協力する気はないか? 身の安全は保証しよう」
「……具体的に私は何を?」
「君は騙されて、あたかもな理由でまんまと口車に乗せられた。裏を返せば、奴らにとっての印象は騙されやすい、いや。既に騙し終えた情に弱い男としか思っていない。簡単にいえば、警戒されていないわけだ。……そんな君に頼みたい」
「……ええ」
「まずここで幾らかの時間をこの中で過ごし、君はたんまりと情報をもった上で、石でも持って奴らの元へと帰ってくれ。君に持たせる予定の石には感覚共有を付与させておく。そうすれば、今まで足取りさえ掴めなかった襲撃者の姿が拝めるかもしれない……どうだ? やってくれるか?」
どうやら私は、最初から騙されていたようだ。それに、今度は私が彼女を騙さねばならないらしい。もし、私のことを騙されやすく、情に弱い男と思っているのならば。この人からしても、私の印象は同じようなものなのだろう。
つまり。私がここで彼女に従えば、これ以上の警戒をされずに済むかもしれない。……私は、その状態を得た上で二人に会いに行けば良いのだ。
さすれば、現状。
私はどちらの人間からも無視できない存在になれると考えられる。
「構いませんよ。持ち帰ることは最初から変わってませんから。ですが、本当に身の保証の件、お願いしますよ」
「ああ。そうだな、約束しよう。ならば、計画通り、我々の基地の情報を余すことなく蓄積するんだ」
『はいはーーい! それならー私っ、もう出てきてもーいーよねー!』




