震えて眠れ
プロローグ
そう遠くない未来・・エルコインETF(Exchange Traded Funds)、つまり、エルコイン投資信託がローンチされ、膨大な量の資金が一気に暗号通貨市場になだれ込み・・・SECが、エルコインとイーサリアムの投資信託を容認し、この2つの主流暗号通貨の需要は一気に跳ね上がった。
国際銀行家たちが仕掛けるヒューマンエラーによって引き起こされる世界各国の通貨の崩壊がきっかけとなり、特大規模のバブルが発生した。
世界各国の中央銀行は、すでに通貨のコントロールを失い、ドルを基軸とする世界の金融システム、株式市場、債券市場、そして、悪徳なグローバル金融エリートたちによってバブルに誘導されたり操作されてきた全ての市場が粉砕した。
世界中から紙幣が廃止されるまで、あっと言う間であった。
エルコインは理想的な「one world currency」=世界通貨であるばかりでなく、法執行機関がネットワーク上のすべてのトランザクション(暗号通貨を使った取引)を完璧に記録することを可能にした。
ブロックチェーンは、人工知能にとっては人工ニューロン。やがて、人工知能はブロックチェーンによって無限増殖を始めた…。
更にそう遠くない未来、国家も国境も消滅し、宗教さえも消滅して、すべての偏見から解き放たれた世界が創造された。
新世界秩序統一政府、エル。
人工知能が法を整備し、交通、建設、法務、娯楽、医療等、あらゆる職種が人類の手から離れた世界。
20××年、日本自治区。
世界の様相は、そこまで変化していない。剥き出しのコンクリート、きらびやかなネオン、簡素な住宅街、多くの人類は人生を不自由無く暮らせる余裕と時間を手に入れていた。
トランスヒューマンフォーム
1
「次の方~」
甲高い女性の声が殺風景な廊下に響いた。
壁づたいに木目調の太い手すり、廊下の中央には白線が敷かれ左右行き交う人の仕切りになっている。壁に埋め込まれた背もたれ、腰が埋まる程の柔らかさが分かるソファーから、重い腰が上がる。
スラッと伸びた背筋、それなりの肩幅、黒の短髪、整えられた眉毛、
ゴツゴツした拳、少し焼けた肌の成年が立ち上がった。
「失礼します」
その成年が、個室入り口の少し開かれたカーテンに手を伸ばす。
「さ、掛けて」
白衣を身に付けた中年の女が簡易ベッドへと成年を促した。
「さて、先ずは成人おめでとうかな?」
白衣を身に付けた壮年の男が、丸椅子を回転させながら成年の方へ振り向くとペコっと、成年は頭を下げた。
「じゃ、早速左手を出して貰えるかな?人差し指と親指の間を大きく開いといて」
「はい」
成年は、左手を差し出し言われるがままに指の間を大きく開いた。
壮年の男がそっと成年の左手を抑える。
「ちくっとするよー」
少し成年の顔が強張った。
壮年の男は、注射針を人差し指と親指の丁度真ん中に合わせ射し込んだ。ゆっくりと中の物体が成年の左手へと挿入される。
「はい、終わり」
壮年の男の声の後、直ぐに白衣の女が成年の左手に消毒薬の着いた脱脂綿を当てた。
「付け根の部分触ってみて」
壮年の男に言われるがまま、成年は人差し指と親指の付け根辺りに右手を持って来た。
「しこりみたいのあるでしょ?それ押し込むと起動するから、やってみて」
チラッと壮年の男の顔を見上げ、言われるがままにしこりを右手の親指で押し込んだ。
すると、左手の甲が発光し、掌サイズのプレートの映像が浮かび上がった。
手の甲から数センチの高さ、プレートには´nowroading…´の文字が浮かぶ。
「マイナンバーとエルコインの使用履歴の確認、それと生年月日の確認が出来たら次だ」
壮年の男がにこやかに語り掛ける。そうこうしてるうちに、ピラミッドの中心に描かれた目のロゴが浮かび上がり映像が切り替わった。
デスクトップに貼られている初期画面のアプリの1つに成年は指を当てると、更に映像は切り替わった。
14桁の数字が左上に、エルコイン残高が右上、その下には少し大きくなったフォントでエルコイン利用履歴が縦に並んでいる。
成年は、一通り目を通して右下の記号に指を向けると表示されている映像はデスクトップに切り替わった。
「確認は出来たかね?」
「はい、問題無いです」
「じゃあ、次いこうか。ベッドに横になって」
「はい」
成年は、おもむろにベッドに横たわる。白衣の女が枕元に立ち成年の頭を軽く抑えた。
壮年の男が、更に注射器を手に取りゆっくりと成年の眉間に針を近付ける。
「はい、ちょっとチクッとするよー」
成年は、自然と歯を食い縛っていた。
ゆっくりと注射針が成年の眉間に刺さり、丁度骨に当たる瞬間から身悶えする様な音が頭の中に響き渡る。
「う、ぐ、」
「大丈夫だよ、直ぐに終わるからねー」
壮年の男は、優しく微笑んだ。
骨を削る音が止むと、成年の眉間の奥にえもいわれぬ感覚が走る。
スッと注射針が抜かれ、成年の肩の力はガクッとぬけた。
「これね、皆苦手なんだよね、ま、仕方ないんだけどもね」
冷たい汗が成年の額を滴り落ちた。
「はあ、はあ」
先程の感覚が、成年の全身に鳥肌を立たせていた。
「じゃ、これで終わりだから」
軽い感じで壮年の男が成年に言い放つと同時ぐらいに成年はベッドから起き上がった。
「進藤さん、では、ネット接続しますので次の診療室へ移動しましょう。」
進藤と呼ばれた成年は、疲れた表情で立ち上がった。
「ども」
軽く会釈し、進藤はこの診療室のカーテンを開いた。
2
左手の甲から浮き出る映像を指でスライドする男、右手の人差し指と親指を広げてプレート文字を拡大させる老人、自身の左手から出る映像でテレビ電話をしてる主婦、様々な人間模様が伺えるオフィス街の一画にある、スタイリッシュなカフェ。
その前の歩道はレンガが敷き詰められ、ガードレールは腰程の高さがあり、等間隔で街路樹が植えられている光景。
その脇に赤いオープンカー、車内にはブロンドが良く栄える瑞々しい程の色白の肌、瞳はブルー、分厚い唇が印象の女と、長い黒髪に角張ったサングラス、左耳には輪っかのピアスが特徴の茶色い皮のジャケットを身に付けた男。
フラフラと赤いオープンカーの前方から青冷めた顔の進藤が近付いて来た。
「ハピバ!進藤乗れよ!どうだった?インプラ手術はよ?」
長髪の男が大声で車から身を乗り出した。
「駄目だ、まだ、頭がクラクラするよ」
「最初はねー、ま、慣れだよ慣れ!」
ブロンドの女が進藤にカフェのロゴマークが描かれた紙コップを差し出す。スッとそれに手を伸ばす進藤。
「ネット接続で、頭がぐるぐるして吐きそう」
フラフラと進藤は後部座席の扉に手を伸ばす。
「直ぐに慣れるよ」
ブロンドの女が進藤に微笑みかけた。
「かあっー、俺も来年かー。早生まれだから長ーく焦らされてる気分だったけど、進藤見てたらマジ恐怖だわ!」
「いや、直ぐに慣れるだろうけどさ、その、慣れる迄はキツイなかもな」
「そんなー?私の時もそんなんだったけかなー?」
ブロンド女がとぼけた様に天を仰ぐと
「いやいや、エリーの場合5秒に1回ぐらい死ぬ死ぬ言ってたし」
長髪の男が、直ぐ様エリーと呼ばれたブロンド女に返した。
「そうだっけー?」
とぼけ顔のエリーに、鼻で笑いを飛ばす進藤の仕草。
「で、で、どーなのよ!進藤センパ~い、全知全能になられた気分はよー!」
「最悪っす、虎さん」
眉間にシワが寄せられ、顎を突きだしながら虎と呼ばれた長髪の男が後部座席に振り返る。同時ぐらいに後部座席に進藤は腰を下ろした。
「進藤、GPSアクセスして行き先決めてみな!何事も慣れだよ」
「え、先ずは車に同期するんだっけ?で、車体番号を打ちこむっと」
左手の甲からの映像を進藤は指で淡々と触れて行く。
「同期した?したら、左目に集中して、眼球の動きでマップがスクロールするから」
「お、おう。ん、ん、駄目だ、行き過ぎる!ピタリとポイントに止まらん」
「うわー、なんだか面倒臭そうだな」
「そうでも無いよ、要は慣れよ!」
「ふーん」
虎は、口を少し尖らせた。
「お、おし!止まった~!」
「んで~?行き先は何処にしたの?」
「ふふ、チャイナタウン!」
3
「なあ、18年代の音楽何かかけてくれよ!」
「お、おう、ちょっと待ってよー」
虎が軽く後部座席に顔を向ける。進藤は、眼球を、コロコロ動かしながら何やら検索してる様子。それを不思議そうに眺める虎。
「一体、どんな映像が広がっとるんですか?進藤パイセン!」
「ん、んー、20インチぐらいの画面が目の前に映ってて、それを眼で追いかけると言うか、アイコンが眼と同期していて……」
虎の眉間にシワがよる。
「要はあれだ、あれ。眼球マウス!」
「お、おう」
「キャハハハ、眼球マウスって!ウケるんだけどー!」
「な、じゃあエリー説明してくれよ!」
エリーも後部座席に身を乗り出した。
「ハイハイ。さっき進藤が言ってた20インチぐらいのってのが、仮想パッドと言います。」
「うんうん」
「頭の中で、強くイメージした事を検索出来ます。その検索でヒットしたサイトを閲覧するのには、そのアイコンを3秒見続けます。」
「ほうほう」
「でね、目が疲れて来た時とかには、左手を使うと。そもそも脳のトランスヒュームオペは、数年前迄は義務化されていなかったのよね、いつの間にか義務化されているけど」
「へー、流石全知全能っすわエリーパイセンは」
「ま、全知全能って言っても所詮使う側の人間次第だからねー、ネットに繋がってるからと言って全ての知識を持つのと少し違うのよね。必要な時に必要な事だけを引き出すわけだから、記憶力なんて殆どいらないんだし」
「成る程なー」
「で、進藤パイセン、音楽の方は?」
「え?何?もう、俺じゃなくてエリーに頼めば良くね?俺、もう疲れたっすわ!」
均等に並ぶ車列、均等な速度、代わり映えの無いコンクリートの景色が代わり映えし出す頃、赤いオープンカーは、チャイナタウンの標識を通り過ぎた。