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          ◆


 休み時間、廊下で並んで壁に寄りかかっている男女をみれば、きっと誰もが付き合っているのだなと思うだろう。


 愛歌と柊はたしかに、彼氏彼女の関係だ。決して浮き足立ったものではない雰囲気が、二人の関係の長さを表していた。しかし廊下でおにぎりやパンを立ち食いしているというのは如何なものだろうか。


「マミってば、ぜんぜん笑ってくれないの。わたしがすっごいボケをかましてるのにさぁ、突っ込んでくれないんだよ?」


「いや、そんなこと俺に言われても困るんだけど」


 悪口、というよりも、愛歌の口調は悩みを相談しに来た人のものに近い。拗ねているようでもある。


 柊の流すような声は彼の意識が別のところに向いているからだろう。


 朝、司を追いかけたもののすぐにチャイムが鳴り出し、結局柊は追うことをやめて教室に戻った。あれから四時間経つが、同じクラスである司が教室に戻ってくる様子はない。


「えっ、シュウなら女の子の気持ちわかるでしょ? 妹いるんだし」


 愛歌がぼうっとしている柊の眼前に寄った。彼女の前にいるのだということを再確認させられた気分になって、柊は苦笑する。


「幼女の気持ちしか分からないよ」


「うわあすごい犯罪臭が漂うシュウ」


「うまいこと言ったと思ってる? なんにも面白くないからな?」


 むっとしたように、愛歌の頬が膨らむ。そんな彼女の顔を可愛いなと思うくらい、柊は彼女の顔が好きだ。


「ちぇー……シュウなんか囚人になっちゃえばいいのに」


「俺に罪を犯せと!?」


「違うよ、習字だよ」


「人は文字にはなれない」


「文字になりたがった人間」


「すごいなその人。文字のなにに魅力感じたんだろう」


 呆れ半分で返すと、愛歌がおにぎりを持っていない方の手の人差し指だけ立てて踊るようにステップを踏む。魔法使いが魔法陣を描く手つきに似ていた。


「とめ、はね、はらい」


「じゃあきっとその人は永遠の永の字になったのかな」


「これからシュウの挨拶は『早く文字になりたい』だからね、いい?」


「待って、俺が文字になりたがった人間なの?」


「だってわたしは猫になりたがってるの。にゃあーん」


 猫の声真似をしているにしては上手くなく、教科書を読むような言い方。それでも猫を表しているようなポーズと上目遣いが、柊の心を揺さぶった。


 だが慣れているのか、柊は表情ひとつ変えない。


「可愛いと思ってるのか?」


「彼女に対してその発言はないと思います。何目当てでわたしに付き合おうって言ってきたか覚えてます?」


「顔」


 間髪入れず堂々と答える。するとすぐに愛歌の声が廊下に響き渡った。


「すごいよね! そんな第一印象最低な男と付き合ってるわたし! さすが魔女っ子クサーヤー!」


 恥ずかしくないのだろうか、と柊はよく思うが、彼女にとって周りの人間など今はどうでもいいのだ。


 誰かと話している時、彼女の世界は彼女と話し相手だけのものになる。だからこそ、恥ずかしさは生まれない。その時は、だ。


「仕方ないだろ! 当たり障りの無いことを言うつもりが口に出てしまったんだよ!」


「まあそんなことは置いておいて」


 エアボックスかなにかを手でどかすと、神妙な面持ちで腕を組んだ。


「どうすればマミ、笑ってくれるかな。というか、どうすれば……喋ってくれるかなあ」


「……そんな顔するなよ」


 彼女の辛そうな顔を見ると、こちらまで辛くなってくる。愛歌がそんな顔をするのは真実の話をする時だけだ。大切な友達だということは柊もよくわかっている。


 愛歌が真剣になるのは、決まって真実の話をする時。


 おにぎりを食べ終えて、愛歌はそれを包んでいたゴミを丸めてポケットの中に突っ込んだ。


「だって……さ。悲しいもん。ずっと一緒にいてさ、いつも下らない会話して馬鹿みたいに笑ってたのに、小学生のときから何もしゃべってくれなくなって……」


「……アイカ……」


「…………分かるよ、マミが辛いの。だって、お父さんもお母さんも亡くなって笑っていられるほど強くないの、知ってるから。でもさ!」


 ぐいと詰め寄られ、息を呑む。唐突な叫びは耳と心臓に悪い。お化け屋敷でギミックが動いた時くらいの動揺をなんとか落ち着かせて、柊は愛歌を見返す。


「な、なんだよ」


「でも、さ……そうやって、いつまでもずるずると引きずってさ……それでマミは、そんな風に生きててマミは、生きてるって言えるの?」


「……俺には、分からないよ」


 和泉愛歌は、良くも悪くも真っ直ぐだ。柊はその真っ直ぐさが好きな時と、そうでない時がある。


 誰かが自分の意思でしている行為を、愛歌自身の正しさ基準でそれは違うと言ってみせる。それは、その誰かの為になるのだろうか。柊はふとそう考える。


「……だから、わたしは諦めないよ。マミが喋ってくれるまで、笑ってくれるまで、……わたしに気持ちをぶつけてくれるまで、何度だって話しかける」


「……」


「だからシュウ! わたしに、すっごいギャグを伝授して!!」


 彼女は真っ直ぐだ。馬鹿なくらい、自分の信じたやり方で真っ直ぐ挑む。だからこそその発言が、柊にため息を吐かせた。


 こんなに真剣な目をした彼女を、柊は放ってなどおけない。


「……あのさ、お前はまずやり方を変えるべきだと思う」


「どういうこと?」


「笑わせたいからってギャグばっかいっても意味ないだろ。お前が見たいマミちゃんの笑顔って、ギャグで笑う顔なのか?違うだろ。本当は、そうじゃないだろ?」


 愛歌の顔がだんだん俯いていく。言葉が返されない。沈黙なんて、柊は許さなかった。「なあ、アイカ」強い口調で、開口を促す。


「そんなの、分かってるよ。違うなって、こうやって笑わせたいんじゃないなってことくらい、分かるよ。どう言ったらいいか分からないけど……わたしは、昔みたいな、マミが見たいの。わたしの押し付けかもしれないけど、今のマミは……マミじゃないみたい」


 上げられた顔は、叱られた後の子供みたいな顔をしていた。あと少しで泣き出してしまいそうな目に、柊は口調を弱くした。


「……俺さ、思うんだけど……お前が無理してるの、マミちゃんに伝わってるんじゃないか?」


「なにそれ、わたし別に無理してない」


「でもなんとか笑わせようと試行錯誤してるだろ?」


「……うん」


 けどそれは無理をしている訳では無い。そう言いたげな目が柊を射抜く。気にせず柊は続けた。


「それってさ、なんか、気を遣わせてるみたいで、俺だったら申し訳なくなってくる」


「……マミが、わたしのせいで傷ついてるかもって言いたいの?」


 愛歌はどんどん拗ねていく一方だ。可愛い顔に似合わず、目つきも鋭くなっている。柊の言い分が気に食わないと物語る表情を緩めたくて、柊は苦笑する。


「俺はマミちゃんじゃないから分かんないけど……俺だったら、自分を情けなく思ってくるな」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「もっとさ、強引になってもいいんじゃないか?」


 口だけ開いて、何も言わずそれを閉ざす愛歌。


 強引になるということくらい、彼女の考えの中にもあったのではないだろうか。実行しないだけで案の中にあったとしてもおかしくはないだろう。


 柊が言っていることは、それくらいすぐに思い浮かぶものだ。


「だってお前、気を遣ってるだろ。悲しいだろうから、辛いだろうからそれで触れないほうが良い所には全く触れないだろ?」


「じゃあ、なに。いつまでもうじうじするなって、両親が死んだことをいつまでもひきずるなって、言ってやれって言うの? そんなの――」


「親友なんじゃないのかよ?」


「!」


 言葉に、柊の真っ直ぐな瞳に、愛歌は息を呑んだ。


「本当に思ってることも言えないまま、思いをぶつけ合うことも出来ないまま、馬鹿みたいに一人で道化を演じて何が楽しいんだよお前は。本当に親友なら、気を遣う必要なんてないだろ。大雨を降らせて地面固まらせてみせろよ。お前とマミちゃんの仲は、ちょっとのことで切れてしまうものなのかよ?」


「……切れない。切れないよ! わたしとマミは仲良しなんだよ! 絶交なんてしてたまるか! 切れてもわたしが繋ぎなおしてやるし!」


「じゃ、次お前がマミちゃんに言うべき事は決まったな?」


 火がついたのか、愛歌の握りしめた手には力がこもっている。それを体の横に落として、大きく頷いた。


「うん。ちょっと下ネタ入ったギャグ」


「違うそう言うことじゃない!!」


「ふふっ……」


「なに笑ってるんだよ?」


 チャイムが鳴った。五時間目の授業が始まる合図。柊は内心慌てたが、笑った愛歌にそれ以上の動揺を誘われた。


 自分の好きな女の、悪戯っぽい笑顔。いつもなら平静を保てるのに、タイミングが唐突すぎてどきっとしてしまう。


「ありがとう、シュウ。分かってるよ、ちょっとふざけただけ」


「あ、ああ」


「シュウのおかげでミジンコ一匹分くらい勇気ついた」


 人差し指と親指で空気を挟んで柊に見せるが、柊の顔は呆れていく。ツッコミたいところは数点あるが、とりあえず一点だけ言っておくことにした。


「いまいち分からないけど全く勇気がついてないことは良く分かった」


「冗談だよ、冗談」


「お前、口を開けば八割くらい冗談が飛び出すよな」


「じゃ、めずらしーくアイカさんが冗談じゃないこと言いますね? いいですか?」


「わざわざ俺の許可がいるのか?」


 数歩柊から離れて、愛歌は振り返る。


「いいみたいなので言いまーす。……シュウのおかげで、わたし踏み出せそうだよ。っというか、踏み出してやる!ってカンジだよ。……ありがと、シュウ」


 太陽みたいな笑顔を残して、愛歌は小走りに去っていく。既に授業が始まっているであろう教室へすぐさま飛び込んで行った。


「……なに偉そうなこと言ってんだろう、俺。俺だって、怖くてなんにも出来ないくせにさ。……俺も、踏み出さないとな。思いを、ぶつけてやらないと」

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