まだこの胸に残る青
俺の幼馴染みであるユーリは天使だ。
絹糸のように美しい銀髪に、紫水晶の瞳。肌もきめ細かく、唇も桜貝のように色づいている。
だが、その中身は残念ながら、天使から程遠いものだった。
幼い頃の俺はユーリより背が小さく、いつもユーリの無茶に振り回されては身も心もボロボロになる毎日であった。
『アル!今日は木登りで勝負しよう!』
『アルは男なんだから、これぐらいの段差なら飛び降りれるだろっ!』
『あははは!力でユーリに勝とうなんて、アルにはまだ早すぎるよ!』
天使の外見をしていたユーリは、誰よりも野生児であった。村のガキ大将を締め上げたり、嫌がる俺を引きずって行った先で森の主と戦ってみたり、人間頑張れば飛べるんじゃないかなと言って木のてっぺんから飛び降りてみたり。
あれ?これって野生児の域越えてるんじゃね?と思うものの、まあユーリだしな、と納得してしまう辺り、俺も大分毒されているとは思う。
そんな野生児であるユーリに対して、俺はただのがきんちょだった。ユーリのような身体能力もな無く、むしろ真逆であるひ弱でチビだった俺にとって、ユーリと遊ぶ事は生きるか死ぬかの戦いである。
嫌なら断ればよかったって?
俺もそう思っていた。いくら問答無用で引きずり回されていたとはいえ、嫌ならちゃんと断ればよかったってな。だけど。
『アル!』
あの満面な笑顔で俺の名前を呼ぶユーリを、どうして断る事が出来ると思う?
だから俺は抵抗する事を諦めた。こうなったら、とことんユーリに付き合ってやる。その為には、このひ弱な体を鍛えなければならない。
そう決意した日から、俺は嫌いな食べ物を食べるようにし、筋力が鍛えられるよう特訓もした。まあ、ユーリの遊びに付き合っていたから、嫌でも鍛えられていったんだけどな。
その努力の甲斐あってか、チビだった俺はぐんぐんと身長が伸び、気づけばユーリの背を越していた。その時の感動と言ったら、筆舌に尽くし難い。そんな俺の優越感を悟ったのか、ユーリは不機嫌な表情で、自分の成長期はこれからだと叫んでいた。俺を見上げる形で。
何事にも俺の遙か上にいたユーリに初めて勝てたあの時から、俺の中でユーリに対する感情が少し変わってきた。
ユーリはこんなに小さかっただろうか。こんなに細かっただろうか。アル、と俺の名を呼ぶ声はこんなにも高かっただろうか。
自身の感情が理解出来ないままも、俺は変わらずユーリの隣にいた。きっと、こんな日が一生続くのだろう。この不思議な感情の意味は、そのうちにわかる。だから焦らなくていい。俺は、そんな根拠のない自信を信じて疑わなかった。
あの日までは。
ある日、薬師の親子が村にやってきた。何でも、旅をしながら希少な薬草を収集しては研究しているそうで、暫くの間この村に逗留するらしい。特にこの村近辺に生息している薬草は、この先の医療に役立つとか何とかで、成果次第ではこの村に居を構えるそうだ。
そんな難しい話はさっぱりわからないが、薬師が村にいるといのは心強い。当然村人は笑顔で、薬師の親子を迎え入れた。ちょうど、ユーリの家の隣に住んでいた一家が王都へと引っ越ししたばかりなので、薬師の親子はそこに住む事になったのも自然の流れだろう。
薬師の子供は俺達と歳が同じで、名前をヴィーと言う。本当はヴィなんとかと長ったらしい名前なのだが、呼びにくいのでヴィーでいいよね、と決められたのだった。もちろん、発案者はユーリだ。拒否権等あるはずもない。
父と子の二人きりである隣家を、ユーリの家族はよく世話を焼いていた。特にユーリは、旅の生活が長かったからか、無口無表情であるヴィーによく構っていた。構うといっても、俺の時のように引きずり回す事はせず、ヴィーが医学書を読んでいる側で自分も本を読んでみたり(あのユーリが!)ヴィーが家事をするのを手伝ってみたり(あのユーリが!)薬草を取りに行くヴィーの護衛をしたり(これはいつものユーリだ)まあ様々な手段で構っていた。
そうなると俺は面白くなくて。
何やかんや理由をつけては、ユーリを誘って引っ張り回すという、昔とは正反対の構図が出来上がっていた。
俺が誘えば、ユーリも笑顔で応えてくれる。けれど、その瞳はいつからかヴィーを追うようになっていた。まるで、大切な宝物を見るかのように、ヴィーを。
ユーリはヴィーに恋をしていた。
そして、そんなユーリを見て俺は漸く、長年俺の心に巣くっていた感情が何であるのか気づいたのだ。
俺は、ユーリが好きなんだと。
何て事だ。よりにもよって、俺がユーリにだなんて。あまりの事に、俺はこの世に絶望した。その日の晩ご飯も喉に通らなかった。そんな俺を見て、家族が世界の終わりかという慌てぶりを見せた。何故だ。
その後、家族にむりやり叩き込まれたベッドの中で、俺はユーリの事を考える。
ユーリ。ずっと隣にいた、俺の大切な幼馴染み。
もし、俺がユーリに好きだと告げたら、この関係は変わってしまうのだろうか。ユーリは、俺から離れてしまうのだろうか。
そんな事をもだもだと考えていたら、来週にはユーリの十五歳の誕生日がある事を思い出した。
ユーリの家は変わっていて、ご先祖様から受け継がれた大切な教えがいくつもある。その中には、十五歳を迎えると成人とみなされるというものもあった。
それを思い出して、俺は胃の中に冷たいものを落とされたような感覚になった。
成人を迎える。つまりそれは、子供という天使の期間が終わるという事なのだ。
その恐怖に、俺は布団を頭まで被って閉じ込もる。震えて怯えて、そうして。
気がついたらユーリの誕生日の前日、村の外れにある向日葵の丘に俺は立っていた。
この向日葵の丘は有名な告白の場所で、村のカップルや夫婦の殆どはこの場所で告白をして成功しているという、大変有り難くわかりやすい場所だ。まあその分、失敗している件も多いのだが。
そんなわかりやすい場所に、俺はユーリを呼び出した。
この場所の意味を知らない村人はいない。鈍感なユーリですら、この場所の意味を知っている。
だからこそ、俺は不安になる。
ユーリは来るだろうか。俺が何をしようとしているのかを知って、それでも来るのだろうか。
そんな事をぐるぐると考えていた俺は、こちらに近づいて来る人影に全く気づかなかった。
「アル!」
その声に驚いて振り返ると、俺は一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。
そこにはユーリがいた。
いつものような動きやすい服装ではなく、見たこともない真っ白なワンピースを身に纏ったユーリがいた。
色素の薄いユーリが白いワンピースを着ているとその色白さが更に目立つが、雲一つ無い青空を背にしたユーリのその姿は、今まで見た何よりも綺麗だった。
「アル、ごめん。待った?ちょっと準備に手間どっちゃってさー」
「……いや、平気。大丈夫」
「そう?なら良かった」
動揺を押さえきれず片言で返事してしまう俺だが、ユーリはいつものように笑顔で応えた。
もしかして。
もしかして、と俺は期待してしまう。
白いワンピースの姿でこの場所に来てくれたユーリは、俺を選んでくれたのではないだろうか、と。
「それ、似合うな」
「そうかなー?着慣れていないから変な感じだけどね」
そう言って笑いながら、くるりとその場を回ると、ワンピースの裾がふわりと揺れた。
そんな姿をを眩しそうに見ていた俺だが、続いた言葉に浮かれた気分は四散してしまう。
「この姿は最初で最後になるからね」
「……は?」
ユーリの言った言葉が、理解出来なかった。
最初で、最後。
最後、とは。
「アル、あのさ……。ユーリね……、ううん」
困ったような、だけど決意を秘めた瞳で笑いながら、ユーリは俺を見つめた。
「俺は、明日、男性体になるんだ」
心臓が、止まるかと思った。
ユーリは天使だ。それは外見的な意味合いではなく、ユーリという個が天使なのだ。
ユーリの一族は特殊で、その祖は神の御使いであったらしい。天命を受け地上に降りた御使いは、そこで人間と恋をして結ばれたそうだ。
本来、御使いは無性である。だが、人間に恋をした御使いはそこで性を得た。
その名残なのだろう。ユーリの一族は、性を持たずに生まれ落ちてくる。性に縛られず、己の望むように生きて成長し、そして人間が御使いと出会った十五の歳に、己の性を決めるのだ。自分が自分らしく、生きていけるように。
そして、今、ユーリは決めたのだ。
ユーリはこれから、男として、生きるのだと。
「……ヴィー、か?」
やっとの思いで、その名前を口にした。
ヴィー。ヴィクトリカ。あの、薬師の少女。
彼女と出会い、恋をして、ユーリは男性体へと変貌するのか。
「そうだなぁ。それも大きな理由の一つかな。ヴィーといると、守ってあげたくなるし、笑わせてあげたいって思うんだ」
少し恥ずかしげにユーリが言う。
「このワンピース、ヴィーのなんだよ。俺、こんな服持っていなかったからさ。いやー、家に乗り込んでワンピース貸してくれっ、て頼みに行った時のあの蔑むような目は凄かった。まあ、そんなヴィーも嫌いじゃないんだけどさー」
いや、後半の情報はいらなかった。こちらはいろんな衝撃が強すぎて突っ込まなかったけれど、そんなユーリの性癖情報はいらなかった。だが、そのおかげで俺は少し冷静になれたようだ。
「……何で、わざわざそんな格好で来たんだ?」
「アルが、ここにユーリを呼び出したからだよ」
ユーリの一人称が、また元に戻る。
向日葵の丘。ここに呼び出される意味を知らない村人はいない。
「さあ、アル!ユーリに告白しろっ!ユーリは全力でそれを受け止めて、完膚無きまでに振ってやるっ!」
「振られるのが確定しているのに告白させるなんて、どんな拷問だぁぁぁっっ!」
誰だ、こいつを天使だと言ったヤツは!俺かっ!コイツは天使なんかじゃない、悪魔も裸足で逃げ出すユーリ様だっ!
「だってアル、これが最後なんだよ?明日から男性体になる。ユーリがユーリでいられるのは、これが最後なんだ」
「ユーリ……?」
「さっき、ヴィーの存在が男性体になる理由の一つだって言ったよね?もう一つの理由は、アル……、君の存在だよ」
「……は?」
何を言われたのか理解出来ず、随分と間抜けな声を出してしまった。
「アルは来年、王都の学院に入ろうとしているんだろ?」
「あ、ああ……」
そう。ユーリのおかげで鍛えられた俺はいつしか、強さの象徴である騎士に憧れを持つようになった。将来は騎士になりたい。その為には、王都にある学院に入らなければならない。幸いにもその学院は、実力がある者なら庶民でも門を開いてくれるので、やれるだけやってみようと思っている。
「それを聞いて、アルと一緒に成長出来なくなるのが寂しくなった。ずっと隣にいたのに、アルがいなくなるなんて考えたくなかった。それで気づいたんだ。ユーリはアルとずっと馬鹿な事やって、喧嘩して、笑っていたいんだって」
「ユーリ……」
「アルに守られる存在じゃなくって、肩を並べて、背中を任せられる存在が一番なんだって。その為には女性体じゃなく、男性体が一番理に適っている。だから、ユーリもアルと同じ学院を受験して騎士になるって決めたんだ」
その言葉を聞いて、俺は大変まぬけな顔を晒しただろう。
「……初耳、なんだけど」
「今初めて言ったもん」
「……そこに俺の意見は含まれないワケ?」
「だって、これがユーリの望む生き方だもんっ!」
呆れたように言ってやると、何故か偉そうにふんぞり返りやがった。だからお前、何様なんだよ。あ、ユーリ様か。
だけど、俺は気づいてしまった。
何でもない態度を取っているユーリだが、その指先が微かに震えている事を。
ああ、ユーリ。お前も怖かったんだな。
成人を迎えて俺達の関係が嫌でも変わってしまうのが、お前も怖かったんだな。
俺と、同じだったんだな。
なら、いいか。
いいよ、ユーリ。
お前の望むように。
「……名前、教えてくれよ」
「え?」
「女性体になった時の為に、用意された名前あるんだろ?」
ユーリとは、本来持つ名前の愛称だ。いつか選択する性の為に、ユーリ達は二つの名前を与えられる。
「……ユリエル」
「ユリエルか。綺麗な名前だな」
俺は小さく笑うと、勢いよく息を吸い込んで、腹から大きな声を出した。
「ユリエル、好きだっ!俺と付き合ってくださいっ!」
「ありがとうっ!でも、ごめんなさいっ!お友達でいましょうっ!」
「本当に完膚無きまでに振りやがったっ!」
その気持ちよい振り方に、俺は思わず大声をあげて笑ってしまった。俺につられたのか、ユーリも腹を抱えて笑う。それはそれは可憐な外見から想像もつかない笑い方で、コイツは男性体を選んで正解だったのかもしれん、と俺はしみじみ思ったものだ。
「アルッ!」
学院の廊下を歩いていると聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
振り返ると、そこには見慣れた幼馴染みの姿。
「ヴィーから聞いたけど、君、リズと付き合うって」
「うわ馬鹿お前っ!んな事、デカい声で言うんじゃねぇっ!」
続きを言わせまいと、俺より少し背の高いユーリの口を両手で塞いだ。そう、俺より背が高いのだ。
男性体になったユーリは、今まで来なかった成長期が一気にやってきたようで、今では天使の面影もなく、ただのキラキラしたイケメン王子となっていた。何だ、この不条理は。
あれから、俺とユーリは無事に学院の騎士コースに入学が決まり、村中がお祭り騒ぎになった。まあ、娯楽の少ない田舎だからなー。
そんな村人達に見送られて、俺達は晴れて名誉ある学院生となったのだが、何故かそこにはヴィーの姿もあった。何でも、親に勧められて医療コースを受けさせられたらしい。渋々といった風を装っているが、これはアレか。ユーリを追ってきたとみなしていいのか。畜生、爆発しろ。
ところで、外見だけはイケメン王子となったユーリだが、入学した途端、そりゃあもうモテた。モテにモテまくった。親衛隊なるものも出来た時は、学院の女子達に目を覚ませと言いたかったぐらいだ。怖くて言えなかったけど。
リズもそんな一人で、本名はこれまた長ったらしい煌びやかな名前なのだが、面倒だからとリズと呼ばれている。当然、命名はユーリだ。貴族のご息女様なのだが、イケメン王子なユーリに一目惚れをしたらしく、それはそれは果敢なアタックを仕掛けてきたものだ。その勢いと熱意は、俺に貴族というイメージを粉砕する程である。しかしヴィーにベタ惚れなユーリが、そんなリズの好意に全く気づく筈もなく。
意気消沈している姿を見て、思わずリズを慰めたり、相談に乗ったり、八つ当たりされたりしている内に、何故か先日告白された。訳がわからん。
だが、顔を真っ赤に染めて涙目で睨んでくるリズを前にして、俺は容易く没落した。全面降伏だ。何だ、この可愛い生き物は。俺は衝動のまま、その小動物をの頭を撫でくり回してしまった。当然殴られたが、その日から俺達はお付き合いというものをしている。
「さっきヴィーに聞いて驚いたよ。そういうのは、親友である俺に真っ先に知らせるもんだろ」
「いや、付き合い出したのも先日からだから、まだ何か、こう、恥ずかしいと言うか……」
「まあ、アルは硬派だからなー」
いや、俺は硬派でも何でもない凡人だと思うぞ。しかし、常にユーリの隣にいる俺の評価は、硬派で勤勉な模範生徒である。何故だ。隣にキラキラしているが中身が残念な人物がいると、対照的に見えるものなのだろうか。
そんな事を考えながら、俺はそのままユーリと並んで廊下を歩いて行く。
「今日はやけに暑いなー」
「来月には夏期休暇だしな。暑いのは仕方がないだろ」
「そうだけどさ、今日は特に暑くない?」
たわいない会話のやり取りは、昔から全く変わらないものだ。あの後、多少はギクシャクするのかと覚悟はしていたのだが、それは杞憂に終わった。男性体となったユーリが、自然すぎたのが原因なのだろう。おかげで無性時代のユーリも、今では少年として俺の思い出に残っている。順応って怖い。
けれど。
「あ、わかったぞアル。ほら、今日は雲が無いから暑いんだよ」
そう言って、ユーリが指さした窓の外には、雲一つ無い青空が広がっていた。
「……ああ、そうだな」
けれど、こんな青が深い空の夏日には思い出してしまう。
あの一瞬だけ確かに存在していた、青い空を背後にして馬鹿みたいに笑っている、白いワンピースを着た、初恋の少女の事を。