割烹着話
アリス「これにしましょうか」
霊夢「いいわね。そそる」
魔理沙「霊夢は彼が何着てもそう言うな」
霊夢「そうね。魔理沙の服着ても言うわね」
魔理沙「……ゴメン、普通に気持ち悪かった」
霊夢「謝るのは私だと思った」
アリス「(私も霊夢と同じ感想だけど、ほじくりかえすのはやめておきましょう)」
朝の匂いだ。
布都は目覚めると心地好い布団からのっそりと抜け出し、寒さに耐えながら枕元の着替えを手に取った。
毎朝のことだが、冬の着替えは辛い。衣服が冷えているからだ。
こたつに突っ込んでおきたいが、布都の部屋にはないし、つけっぱなしにすると屠自古が酷く怒る。我慢するしかない。
冷たい衣服に震えながら布団を畳み、居間へとことこ歩き始めた。
居間から、正確には居間の隣から漂う匂い。布都にとってそれは朝の匂いであった。
眠たくて、布団から出たくなくて、でもその匂いがするとそれ以上にお腹が空く。
空腹は辛い。腹を満たす為なら布団から出よう。眠気も覚まそう。寒さにも耐えよう。
そう思わせてくれる“味噌汁”とは本当に素晴らしい存在であるな。
しみじみと感じながら居間の襖を開くと、ほぼ同時に口を開いた。
「屠自古、今日のおかずはなんであろう?」
「さあな」
屠自古はこたつに頬杖をついて新聞を読んでいた。
「むっ」
食事の用意をするのは基本的に屠自古だ。だからこの時間にくつろぐ屠自古など久方ぶりに見た。
では誰が朝食を作っているのか。青娥か? いや青娥は大怪我をして入院中だ。
考えるより見た方が早い。布都は台所へ首を向けた。
台所……といっても居間との間に扉はなく、腰ほどの高さの壁で仕切られているだけなので、居間から料理する者の様子はすぐにわかる。
「フフフフフフフーッン、フフフフフーッ、フフフフフーッ」
ミミズクを思わせる特徴的な髪を揺らし、鼻歌まじりにお玉を握る割烹着姿の豊聡耳神子がいた。
「え……っ?」
流石の布都もこれには驚いた。しばらくして居間に来たこころの寝ぼけ眼も見開いていたので、布都の反応は決しておかしくなかったのだろう。
二人が驚いた原因は同じだが、理由は異なっていた。
布都は神子が料理をしていること自体に驚いたが、こころは神子が料理を出来ることに驚いていた。
「もうちょっとで出来るから待っててね」
本人はいたって平穏にそういった。二人は何もいわずこたつに潜った。
しばらくして運ばれてきた料理達がこたつ机を埋めていく。
本日の献立。
炭火で焼いた鯵の干物。
小鉢はひじきの煮物。小さく刻んだ人参とこんにゃくが入っている。
机の中心にはガラスの器にドカッと盛られたサラダ。ミニトマトを取りすぎると怒られる。
汁椀には豆腐の味噌汁。そして席についた神子が各々のお茶碗へと艶々の白飯を盛って手渡してきた。
「はいどーぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「いただきます」
布都は未だに戸惑っていた。こころはそうでもないらしく、料理が並ぶと挨拶と共に食べ始めた。
「いただきます」
屠自古は新聞をゆっくり畳んで箸を取ったし、神子は少しそわそわしつつ、こころの様子をうかがっていた。
正確には味の評価を待っているのだろう。屠自古がひじきを口に運ぶと、そちらにも気がいっていた。
「い、いただきます」
他の評価を待ってから食べ出したと思われたくなかった布都は、戸惑いつつもとりあえず箸を手にした。
布都は右手で箸を取ると同時に左手で汁椀を取り、まず味噌汁を口にした。理由はない。習慣だ。
屠自古の味噌汁とは少し味が違う。基本の材料は同じはずだから、技量や手際、癖がそのまま反映されて味が変わるのだろう。
が、決して劣っている訳ではない。干物にしても煮物にしてもサラダにしても、屠自古の味とは微妙に違っていたが、やはり劣ってはいない。
つまり普通に美味しい。布都は神子に出来ないことはないと確信していた。それが証明されたような気がして感動した。
「美味しいですよ」
屠自古だ。そわそわしたまま料理に手をつけない神子に配慮して感想を口にしたのだ。
「良かった。久しぶりだからちょっと心配だったの」
久しぶりということは料理をしていたこともあったのか。布都の記憶にはないが、お互いを何から何まで知っている訳でもない。
「んっ」
「はいはい」
こころに差し出された空の茶碗を受け取り、おひつから白飯を盛る。
なんだか母親みたいだ。いや、神子が作ったお面が付喪神と化した存在がこころなのだから、母親というのもあながち間違ってはいない。本人もそのつもりだ。
布都にしても、母親までいかずとも姉のようなつもりで接しているのだろう。
そうやって何事も親身にしてきたから、布都も神子を尊敬しているのだ。
そしてまたこういう新たな面を垣間見て尊敬の念を強くするのだ。
しかし、何故今日になって急に料理をしようと思ったのか。これがわからない。
いや急に思い立ったなら屠自古の機嫌が悪いはずだ。屠自古に限らず、家事を担当している者は台所を弄られるのを嫌う。
それが善意からくるものだと怒ることが出来ないからストレスが溜まって尚更だ。
その屠自古が食べ終わった食器を流しへと運んでいった。こころも自分の食器を持って後を追う。
気付けば食べ終わっていないのは自分だけだった。神子が心配そうに眉を曲げて布都を見ている。
「美味しく……なかった?」
普段に比べると食べるペースが遅くて、口に合わなかったのかと心配になったらしい。
そういえば布都はまだ感想も口にしていない。
「い、いえっ! とても美味しいですっ!」
布都は慌てて答え食事を再開した。神子は布都の反応に笑顔になっていった。
「落ち着いて。待ってるから」
臆面のない言葉に、布都は赤面した。
▼
「フーフーフー、フーフーフー、フフッフフーフッフフー」
水音に混ざって楽しげな鼻歌が居間へ届く。布都は変に緊張して正座していた。
食後は洗い物をするのだが、普段それをする屠自古は鼻歌なんかは口ずさまない。食器同士が当たって鳴る音が淡々と続くだけだ。
だが、茶を嗜みながら聴く甲高い鳴り音に居心地の悪さは感じなかった。心地好い音色とは到底いえないが……慣れだろうか。
慣れだとしたら、聞き入れやすくリズミカルで妙に上手い尊敬する人の鼻歌であっても、普段と異なる状況に困惑するのは当たり前だ。
その不慣れな状況で、神子が家事をしている理由に考えを張り巡らせたりするから、余計に頭がこんがらがる。
のびのびと寝転がるこころを見習うべきだ。
というか、なぜ家事をしているのか。そう神子に質問すれば済む話なのだ。
実際神子はそういう質問を心待ちにしているのだ。頑張ってる自分をアピールしたいのだ。
念のためいっておくが、普段何もせずに怠惰を貪っている訳ではない。
勧誘、弟子への稽古、自身の修行。衆人の前では気を張りつめる。宗教家としてみっともない姿は晒せないからだ。
肉体的にも精神的にも疲労があるはずだ。だから屠自古は家事をするのに文句一つ言わない。神子に限らず布都に対してもだ。
家事を弟子にさせたり、使用人を雇わないのも、気を抜ける場所を作ってやりたいと思ってのことだ。三人の間には深い絆がある。
だから、実のところ、多少のワガママなら屠自古は許してくれるのだ。
きっと布都のワガママは多少では済まないのだろう。布都が台所を弄って怒られるのはそういう訳だ。
布都が緊張している隣で、極々自然体の屠自古が新聞を読んでいた。
いつもなら昼を過ぎた頃に読み始めるのだが、今日は神子のおかげで余裕があり、神子が洗い物を終える頃には読み終わっていた。
新聞を畳みこたつの真ん中へ置くと、半分ほどまで減った湯呑みの茶を一息に飲み干した。
「では、今日はお願いしますね」
「はぁーい! 行ってらっしゃーい!」
屠自古が立ち上がる――正確には浮遊した、だが――と、こころが口を開いた。
「出掛けるのか?」
「ああ」
屠自古は素っ気なく答えると居間を出ていった。
「ん?」
屠自古らしからぬ――こころに対しての――態度に、こころは首を傾げた。
「フフ」
神子が微笑を浮かべる。
「なにがおかしい?」
自分が笑われたのかと思い、頭の面で怒りを表して神子を見る――無表情だが、睨んでいるのだろう――。
「こころを笑ったんじゃないよ」
慌てずにいう。なんだか今日の神子には普段以上の包容力がある。
「じゃあなんだ?」
疑問の面に変えていう。
「屠自古……余裕が無かったり、緊張したり、照れたりすると、あんな風に素っ気なくなるの」
神子は微笑のまま続ける。
「屠自古も照れるんだって嬉しくなっちゃって、フフフ」
疑問の面が外れない。それはそうだ。神子は肝心なところを説明していない。
「何に照れてるんだ?」
「えっ? ……ああ言ってなかったかな」
神子はこころや布都が知っているものだと思っていたらしい。
「彼とお出かけだって」
「それなら仕方ないな」
こころの面が一瞬で納得に変わった。
「仕方ないよねー……で、布都はさっきからどうしたんだと思う?」
「さあな」
その夜、布都は知恵熱で寝込んだ。
▼
公園のベンチに腰を掛け、腕を組む。
屠自古の目付きは鋭い。本人が普通にしているつもりでも、周りには威圧的な印象を与えてしまうこともある。
今日はただでさえ素っ気ない態度の強い屠自古が、更に素っ気なく冷たさまである。
今日は寺子屋が休日なのか。辺りではこの寒い中を子供達が走り回っていた。子供は風の子とはよく言ったものだ。
その中から、ちらほらと屠自古へ目線を向ける子らがいた。
なんだか、きれいだけど怖い人がいるなあ……足無いし……。などと思って目線を向けているのだが、本人はそれに気付く様子もない。
眉間に溝を作り、たまに空を見上げて、早すぎたか、などと考える。
いや公園の時計を見てみれば、約束の時間まで後十分。早すぎもせず、遅刻もしていない。
そろそろ来るだろう。というか来た。子供達の歓声で気付いた。あいつ、本当に好かれているな。
彼は子供らに手を振りながらこちらへゆっくり歩いて来た。より多くの視線が屠自古へ集まり、ここで初めて視線に気付いて少し恥ずかしくなった。
彼は羊の毛のようにモコモコとした白いファーのついたフードを被っていた。着ているダッフルコートに付属しているものだ。
下半身はゴシック調の黒いショートパンツ。そのすぐ下で太ももを少し露出させてからニーソックスが足元の黒いブーツまで続く。ブーツはリボン結びにした赤い紐で飾られていた。
「……ここも隠せよ」
屠自古が寒いだろうと露出した太ももを差す。
そそる。と思わないでもなかったが、寒い中でわざわざ露出する必要があるのかという疑問の方が勝った。
「おしゃれなんだって」
「ああ、なるほど」
誰かに着ていくように頼まれたらしい。断れよ。
「相変わらず、子供に好かれてるな」
なら彼に言っても仕方ないことだ。未だに彼へ注目している子供達を一瞥して言う。
「子供は可愛いよね」
やっぱり子供好きなんだな。差別はしないが、明らかに布都やこころには態度が違うしなあ。
ややそれを寂しく思わないでもなかった。
「屠自古は美人だね」
唐突になに言ってるんだコイツ。
「行くぞバカ」
屠自古は振り向き、歩いて行った。彼はすぐ後を追い、屠自古の手を取った。
「温かいね」
「ポケットにカイロ突っ込んでるからな」
屠自古は彼から顔を背けていた。自分に対し顔を背ける者が多いので彼は特に気にしなかった。
また屠自古が顔を背けていた理由も、他の者達とそう変わらないものだった。
屠自古の顔色に変化は無かったが、表情、特に口の形には大きな変化があった。
相手が子供じゃないと思えば、こういうこともしてくるのか。と嬉しくなって、ニヤつくのを抑えられなかったのだとか。
家庭的な神子様が書きたい人生だった。




