お掃除話
天邪鬼ってなんだよ。
少名針妙丸、中々に雄々しい名前だ。しかし、この名前の持ち主は少女だ。
薄紫のショートヘアーにお椀の蓋のような帽子……いやお椀の蓋そのものを被っている。
赤い着物の背中には肩掛けの鞘に、剣であろうか、肩の後ろに銀色の……縫い針の糸を通すところに似たわっかが露出している。後でわかることだが、これは縫い針そのものだそうで。
腰には帯の紐と繋がった小槌がダランとぶら下がり、彼女が動く度に太ももとぶつかっていた。
木々の合間でこそこそと……隠れているのだろうか。にしても、小さな体躯だ。幼女とは違う……頭身が低いのか、霊夢の膝ほどの身長しかないようだ。
「何をしてるのやら……」
その針妙丸が見詰める先にいるのは鬼人正邪だ。だが針妙丸の知る正邪とは随分違う。
フリルのついた白いエプロンを身に付け、竹箒を両手で持ち、微笑んで神社の境内の埃を払う姿など……針妙丸には欠片も見せなかった。
「ぐぎぎ」
あいつは、あんな風に笑えるのか。
正邪にそんな姿をさせた誰かへ嫉妬を覚え、ぎりりと音が鳴るほどに歯を噛みしめていることに、本人は気付いてもいなかった。
何ら取り柄もない小人の自分に、あいつは教えてくれた。自身の知らぬ、“打ち出の小槌”の力を。
そしてその小槌の力で、弱者を救う為の世界を築こうと……ただ生きていた針妙丸にとって、正邪の言葉は革命だった。同時に、姫、姫と自身を慕う正邪のことを、少しずつ少しずつ、特別で大切な仲間だと……友達だと、そう思い始めていた。
なのに、なのに、なのにぃっ!
最近付き合いが浅くなった。ないがしろにされている訳ではない。茶菓子を持ち寄って談笑している最中、たまに微笑むことがあった。
針妙丸に向けるものとは別の……本能的にそれが彼女の本当の笑顔なのだと理解したが、どうでもよかった。
自身へ向ける笑顔が偽物だろうと、何か打算があって近付いてきたのだろうと、そんなことは気にするまでもない些末なことだ。
自身を必要としている、それが何よりも重要な芯だ。正邪の種族が何かはよくわかっている。天邪鬼の言葉を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。
でも、彼女は針妙丸を慕い、目的を与え、たまにお茶の相手をしてくれる。いつかは、偽物の笑顔も本物に変わるだろう。
そう信じていた。だから、そうなり始めたのだと思った。だが違った。
誰かが正邪をたぶらかしたらしい。お世辞にも男に慣れているようには見えない。天邪鬼といえど、女であるならば恋愛は己を変えるきっかけには充分になり得る。
恋愛をするのは自由だ。そんなことを報告しろとはいわない。だけど、知ってしまったからには見極める必要がある。
仮にもあいつは私の従者だ。例えばただの“ふり”で、本人にその気がなくても、私はあいつをそう認めている。
なら主としてあいつが騙されてるかどうか、あいつを笑顔にさせた男がどのような奴か、あいつが本当に幸せなのかどうか、見極めなければならない。
だから決して野次馬根性ではない。絶対に野次馬根性ではないのだ!
で、その男はどこにいるのだ。一向に姿を見せないぞ。
この神社に来てからは、正邪以外に二人の人間しか見ていない。
ご存知博麗霊夢は縁側で日向に当たりながら寝転がっているし、正邪にエプロンと箒を渡したのもやたら触り心地の良さそうな身体の女だった。
待てよ、その女に出会った瞬間正邪の表情が明るくなったような気が……。
女は正邪と離れたところで箒を掃いているが……まさか、いやそんな……しかし恋愛には様々な形が……。
たまに、正邪がそちらを見ているのは、掃除のやり方なんかを見学ぶ為かと思ったが……そうではないのか……?
あ、あの女なのか!? あのペルシアンドレスみたいな服を着た……どこぞの橋姫みたいな服を着たあの女が!?
針妙丸は衝撃を受けた。一瞬、友人として云々といった可能性も考えたが、正邪の顔は間違いなく“恋する乙女”だ。
「ど、どどど同性愛……か? ほ、本当にいるのか……」
戦国の世なら男同士は珍しくなかったと聞くが……子供を産むのが大事だという考えが、外の世界に比べて非常に強い幻想郷で……同性愛か……針妙丸は心底驚いた。
一時期は口減らしの間引きなんかもあったが、その反動もあるのだろうか、いや本能か……なんにせよ幻想郷には子供が多い。
昔は生贄だとかもあったし、妖怪に食われたりもしただろう。だから子供が一人では不安で、それなりに平和になり始めた今でも根付いた考えは変わらない。
妖怪に襲われることが減っただけで、人里の人間が犠牲になることがなくなった訳でもないし、なくなることもないだろう。
人が減ること自体が不安なのだ。そういう環境で同性愛というのは非常に珍しい、と針妙丸は思っている。
実際珍しいし、そういう人らは肩身の狭い思いをしている。これは外の世界でもそうかもしれないが。
だが、ペルシアンドレスの女は、女じゃない。ご存知彼だ。
正邪が恋をしているのは事実だが、同性愛ではない。ので、針妙丸の考えというか、想像というか、とりあえず先程のは全く無意味なことになる。
「まあでも結局は気持ちいいからやってるんだろうな」
などと、子作りの真理を突くような言葉を真顔で吐いたのは、小難しい考えから逃れる為の儀式的なものか。
針妙丸は正邪へ向けていた視線を彼へ向けた。
外見は良い。しっかり仕事をしているのも好感がもてるし、掃除の仕方も丁寧だ。
しかし内面を覗けるほどの情報はまだないな。
針妙丸は気持ちを切り替え、当初の目的である見極めるということを遂行しようとしていた。同性愛とか何とかは本人らの勝手だし、彼の本質にそれは関係ないはずだ。
ならばとにかく情報が必要だ。観察しなければ……。
しばらくして掃除を終えた二人は霊夢に報告し、寝転がったままの霊夢が何やら口を動かすと、正邪の肩がブルッと震えた。頬がやや赤くなっている。
針妙丸は霊夢の噂から脅されたのではと考えたが、正邪の表情は決して悪くない。彼が縁側から部屋に入ると、少しして鞄を手にして出てきた。
その後、彼と正邪はどこぞへと歩いていった。ああ出掛けるのか、二人でお出かけみたいなキーワードに反応して震えたのか。
かわいい。
針妙丸は身を隠しながら二人を追った。
「……あの小人、天邪鬼の知り合いかしら……? どうでもいいか」
霊夢にはバレバレだったようだ。
二人は人里の商店街で買い物をしていた。お出かけというよりはおつかいか。
商店街は人の流れが絶えず、商人達の怒声に近い呼び掛けが絶え間なく続いて、端的にいうと買い物を目的としない針妙丸にはただただうるさかった。
しかし、小人の針妙丸が隠れるには良い環境であった。すれ違う者が針妙丸を見て驚くことはあったが、一々騒ぎになるほどではない。妖怪見つけてびっくりしただけの話だ。
二人は食料品やら日常品やらを購入していた。あんなおつかいでも、正邪は楽しいらしく明るい顔のままで……腹立つ。
そんなに良い女か。正邪の言葉に簡単な相槌しか返さない口数の少ないあんな奴が……確かに、なんだか、あれは……なんだろう……雰囲気かな、そういうのが良い。
優しいというか穏やかというか……なのに情熱を刺激されるというか……されてるのか、私?
いやいやいや落ち着け。遠目に見ていただけで惚れるとか何か危ないし怖い。
見極める。今日の私の目的はこれだけだ。
商店街での用件は住んだのか、二人は喫茶店へ入っていった。間食にはよい時間だ。
さてどうしたものか。外から覗けるような場所はないし、内装によると入った瞬間バレる。
ま、バレても尾行してきたとは思われないだろうが、少し気まずい。だがあれこれ考えても仕方ない。
入ってしまおう。
高い位置にあるドアノブにやや苦戦しつつ、ドアを開けると可愛らしい衣装の店員が、小人という存在にこれといった驚きを見せずに針妙丸を席へ案内した。
周りを見渡すと、妖怪の客が多いようだ。それで驚かれなかったのか、店の方針か、店員の性格か、そもそも商店街で驚いてた人が希で、小人ごときに驚く者はそういないのか。
まあ今はどうでもいい。良い具合に二人からは死角になった席に案内された。
正邪の話は尽きない。ひたすらに口を動かしている。彼はそれに頷いたり、軽く感想を返したりしているが……あれで楽しいのかね。
楽しいのだろう。一日尾行するだけで人の本質がわかる訳はないが、少なくともたぶらかしているということはないらしい。
寂しいなあ。自分へ近付いてくれた正邪が遠く離れていくような……切なさに包まれた。
彼が誠実だというのはわかっていた。人里で不特定多数の人達……時には妖怪にも挨拶をされていた。
みんな良い顔をしていた。彼が好きだからだ。たくさんの人に愛されている彼が、悪人だとは思えない。
針妙丸はわかっていた。ここまで着いてきたのは、自分の気持ちに整理をつける為だ。
正邪は楽しそうだ。きっと彼もそれが嬉しいから正邪に付き合っているのだ。
まあでも万が一億が一ということもあるし、今日一日はしっかり監視しよう。そんで今度お茶する時に正邪をからかってやろう。
怒るかな……照れるかな……どっちにしろ、それは私が見たことのない表情なんだろうなあ。
悲しくなってきた。針妙丸は注文した飲み物を空にすると店を出た。同じタイミングで外に出るとバレてしまうからだ。
店の先に植えられていた木の影に隠れてじっと待つ。今日一日監視するとは決めたが、なんだかむなしくなってきた。
幸い十分もすると二人は出てきた。あ~あ腕なんか組んじゃって……積極的になったね正邪。
しかし周りの視線も……なんだ、そこまで気にしていないような……単純に仲の良い女の子同士くらいにしか見えてないのか?
表情を見ればそうではないとわかるはずだが……私の洞察力が優れているだけだろうか? それとも私が深読みしている? もしかして同性愛はそんなに珍しくない?
「あ、姫」
「うひゅっ!?」
突然かけられた声に奇声を上げて振り向くと、正邪が丸い目でこちらを見ていた。正邪を見ながら考え事をしていて、木陰から身を出していたのを覗かれてしまったらしい。
「なにしてんです?」
しかしこの天邪鬼、針妙丸が己を尾行してきたなど夢にも思ってないようだ。少し離れたところで待つ彼が、ジーっと針妙丸を見ている。
針妙丸はその視線を疑いの視線と勘違いした。実際はただ見ていただけなのだが。
「……ちょっと用事で」
「そうですか」
針妙丸がようやく吐き出した言葉は苦しい言い訳であったのだが、今の正邪には容易く通用した。問題は彼だ。
用事と聞いて彼の眉がピクッと震えた。これが針妙丸には嘘を看過されたように思え、更に動揺して身体を震わせ始めた。
無論、彼は尾行されていたことや、今針妙丸が嘘を言ったのに気付いていない。気付いていたとしても、そんなことで彼は怒ったりしない。
彼はおもむろに針妙丸へと近付き、そばまで寄るとしゃがんで目線を合わせた。針妙丸の震えが大きくなる。正邪は頭に疑問符を浮かべたまま腕を組んだ。
「大丈夫?」
彼は針妙丸の額に手を当てた。顔色の悪さと震えから体調が悪いのでは、と思ったからだ。眉が動いたのもそれゆえだ。
針妙丸は何かされるのを多少覚悟していた。頬を張られるか、正邪に尾行のことを話されるか……そんなことをする人でないとさっき結論付けたのにこれだから、相当焦っていたようだ。
実際、彼の行為は今後針妙丸の心の深い部分に植え付けられることとなる。ある意味トラウマより酷いかもしれない。
額に触れられた針妙丸を見て、正邪は何もかもを悟った顔で呟いた。
「ようこそ」
ぐにゃりと視界が揺れる。一瞬前の数十倍のスピードで鼓動する心臓が全身を巡る血液の速度を異常なまでに上げた。
急激な変化に追い付かない身体がふにゃあと溶けるように彼へ倒れ込んだ。彼は汚れるのも気にせず、地に膝をつけて針妙丸を胸で受け止めた。
「う……くぁ」
言葉にならない。というかうめくことしか出来ない。彼の胸に触れた頬が、彼の肩を掴む指が、彼の下腹部に当たる太ももが、血液の流れと共に快感を全身へと送り込んで……気が狂いそうになる。
「(あ、女じゃなかったんだ……)」
太ももからの感触でわかった。なんだ、色々想像した自分が馬鹿みたいじゃないか。いや今まさに馬鹿みたいな状況なんだが……無理、抗えない。
そうか正邪、お前もこうやって……横目にうつる正邪の優しげな顔で全てを察した針妙丸は……何も考えずに溺れていった。
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「ねえ霊夢さん」
「なに?」
肌寒さを感じるようになっても未だに脇を露出して縁側に寝転がるナマケモノに呆れつつ、射命丸文はシャッターを切る手を止めた。
「博麗神社が妖怪神社と呼ばれるのに、私が異を唱えるつもりはないんですがね」
「勝手に増えるのよ」
「天邪鬼の次は小人ですか」
霊夢の隣に座って、彼が淹れた茶をすする。先程までカメラを向けていた場所では、白いエプロンの天邪鬼と白いエプロンの小人が微笑みながら掃除をしていた。
「仕事とられて困ってるわー」
棒読みだ。
「……そうですか……そのうちこの神社で妖怪戦争が起こっても知りませんよ」
霊夢は文の脅しに一切怯まずに煎餅をバリッとかじった。
「(まあ彼がいる限りあり得ませんけどね)」
天邪鬼と小人の視線の先には、同じ白いエプロン姿の彼がいた。彼を見る二人の顔は実に幸せそうであった。
もううちの正邪はゲスロリ名乗れねえな。異変どうすんだよ。彼には抗えないからね、仕方ないね。
なんやかんや言いますが二人を可愛く書けてたら嬉しいです。
そろそろ霊夢とのイチャラブを書きたいと思うけど、それを言い始めるとゆうかりんとかアリスとか色々書きたくなっちゃうから困る。そろそろナズーリン分も足りない……。
でも次回はアホの子と料理する話になります、多分。
フラン「アホの子、一体なにのべのふとなんだ?」
私「げ、幻想郷にはアホの子たくさんいるから……」




