精神話
アリス「しおりをはさむっていうでしょ?」
魔理沙「うん」
アリス「あれ、挿むって書くでしょ?」
魔理沙「うん」
アリス「彼に私のしおりを挿む」
魔理沙「無理があるんじゃないかな」
アリス「私もそう思う。でも興奮はした」
魔理沙「そっスか」
古明地さとりの左胸部にある“第三の眼”に流れ込んできたのは、恐怖であった。
これはさとり自身のものではない。周辺にいる他者のものだ。彼女の“眼”は他者の考えを読み取るのだ。そして彼女が恐怖されるのは珍しくない。心の内を問答無用で晒されるのだから当然だ。
しかし、今彼女へ流れ込んできた恐怖は、彼女に対するものではなかった。
原因は正面のスクリーンにある。巨大なスクリーンだ。それゆえ、映った映像にも迫力がある。
一際大きな恐怖がさとりに流れ込んできた。スクリーンでは、青白い顔色の女が無表情で鉈を振り下ろしていた。
さとりはそれほど怖いとは思わなかった。青白い顔色の女の正体が人間でないとわかってからは、なおさら怖くなくなった。陳腐に感じるくらいだ。
内容もそんなに面白くはない。BGMの緩急で驚く事はあるが、恐さはやはり感じない。まあこのBGMの緩急、絶叫や突然の大音量、なんかが周辺の他者が恐怖してる原因なのだろうが。
人里で映画館という施設が出来たとペットから聞き、興味本位でやって来て、とりあえずオススメの作品を選んだらこの有様だ。俳優の演技は良いし、映像にリアリティはあるが、シナリオがこれではなあ。
だが、さとりは現状に満足していた。何故か。
この映画が上映されてる部屋は百人程度なら軽く収容出来る広さで、スクリーンから座席が扇状に広がっている。その座席の真ん中最後尾にさとりは座っていた。
その右側にはペットの霊烏路空、に抱き着かれてる彼がいた。
このペットには感謝しなければいけない――普段からそれなりに感謝はしているが――なにせ、彼を誘ってくれたのだから。
外の世界では映画館デートはわりと一般的と聞く。にも関わらず、さとりの中に彼を誘うという発想がなかったのだ。男性経験は皆無に等しいので仕方ないが。
お空のようにわかりやすく怖がってみせれば、自然に彼に抱き着けるのだろうが、スクリーンの中の役者達のような演技力はないし、第一自分のキャラじゃない。
そして、さとりは現状に満足しているのだ。
さとりの容姿はパッと見ると、子供である。薄紫のショートカットに赤いカチューシャ、水色のゆったりした服にピンクのスカート、“第三の眼”は数本のコードで身体と繋がっている。身長は彼より頭一つは小さい。
そんなさとりのゆったりした服の、肩の部分にいびつなシワが寄っていた。
さて彼に抱き着いて半泣き状態となっているお空の容姿だが、これは外見だけなら大人の女性だ。
長く外ハネが目立つ黒髪に大きな緑のリボン、白いブラウスの第一ボタンは外れており、深い谷間が晒されている。緑のスカートに黒いハイソックスが、みずみずしく膨らんだ太ももだけを見せている。背中の黒翼は小さくたたまれ、白いマントも本日は身につけていない。身長は彼より頭二つ分は高い。高身長だ。
そんなお空により、彼のいつもの服にはシワが寄っている。ちょうど、胸の辺り、お空の片手がしがみついてる部分だ。ギュッと握り込む事で出来てるシワだ。恐怖の余り力んでいるのだろう。
シワに形などあってないようなものだが、さとりの服のシワと、彼の服のシワはよく似ていた。
同じような掴み方をしてるのだから当然だろう。
彼の表情は変わらない。いつも通りだ。さとりの“眼”でなければ、普段との差異に気付けなかっただろう。
彼は恐怖をおくびにも出さない。決して、それらに無頓着というわけではないのだ。彼には喜怒哀楽がしっかりある。だが、表現は得意ではないかもしれない。
さとりはそれを読み取る事が出来た。だからこそ、服を掴んだ彼の手に文句一つ言わずに付き合ってるのだ。いや文句などあるはずないのだが。
さとりは無表情だ。彼も同じで、お空は彼にしがみついててわからないがまあ泣き顔だろう。
でも彼はしっかり恐怖してるし、お空は恐怖以外に彼の温もりを感じている。そしてさとりは、気を抜けば鼻血が出る程度には興奮していた。
映画が終わると薄暗い部屋にぼんやりと明かりが灯り、次々と客が席を立ち、出口へと歩き始めた。皆、とても悪い顔色をしている。
途中、席を立ったまま帰ってこない者もいた。さとりにはたいして怖い映画ではなかったが、実際はそうではないのかもしれない。
妖怪と人の感性の違い、というわけでもないようだ。部屋を出た客の中には知った顔が何人かいたが、同じように恐怖していた。何なら人間より恐怖していた者も……。
普段人間達を恐怖させる彼女達が人間の作った物で恐怖する、というのは皮肉めいた面白さがあるな。とさとりは小さく笑った。
そしてそのさとりを見た客の一人が更に恐怖した。ホラー映画の上映後に笑ってる幼女、わりとテンプレートな恐怖演出だ。
「さ、私達も行きましょうか」
あらかた客が出たのを確認して、さとりが口を開いた。彼はさとりの方を見て頷いたが、お空の体勢が変わらない。
「お空、あなたが立たないと“お兄さん”が動けないわよ」
「う、うにゅ……」
ぐずつきながらもお空は立ち上がった。片手で目を擦って涙を拭っている。同じように立ち上がった彼が、さとりの肩から手を離し、ハンカチを取り出してお空の涙を拭い始めた。うらやましい。
私も涙を流すくらい怖がりたいものだ。
▼
映画館のロビーは円形になっており、中心にテーブル席がいくつかある。その周りにパンフレットやお菓子の販売所と、チケットの販売所、カフェやレストラン、そして出入口と試写室への通路がある。
「ほらお空、次はアレ観ましょう」
と言ってさとりが指差したのは、壁に貼られた大きなポスターだ。
「どれぇ?」
涙目で顔を上げるお空。傍らでは彼が頭を撫でていた。
「アレよ。あの、どう見てもタヌキにしか見えない猫型ロボットの映画よ」
「あ、観たい!」
お空のテンションががらりと変わった。反転したと言ってもいい。涙で濡れてた瞳は、キラキラと太陽の如く輝いた。現金なものだが、子供の特権ともいえよう。
「次の上映は二時間後、ね。ちょうどお昼だし、ご飯でも食べに行きましょうか」
「うん!」
お空が元気よく返事をした隣で、彼もほんのささやかに口角を吊り上げて頷いた。
「(本当に子供が好きなのね)」
心を読むまでもない。ささやかだとしても、彼が表情を変えるなど大事件だ。子供が関わっていなければ、だが。
館内のレストランはそれほど大きくないが、それゆえに混雑していた。ホラー映画を観ていた客の大半は食欲を無くして帰ったらしいが、他の映画を観ていた客で賑わっているようだ。子連れの家族が多いのも、喧噪に一役買っている。
さとりは人が多い場所が苦手だ。以前の自分ならこんな所には絶対に来なかったろう。
第三の眼から流れてくるのは、この場では楽しげな事ばかりだ。娯楽施設なので当然ともいえるが、この楽しげな事でも疲れるのだ。悲しい事や辛い事よりはマシだが、それでもやはり疲れる。
基本的に自動でどんどん読み取ってしまうからだ。制御が全く効かないわけじゃないし、読み取るのはあくまでも表面的なものだ。だがその表面的というのがくせ者なのだ。
読書とはいいものだとさとりは思う。単純に様々な知識が身につくし、面白い作品は自身の感性へ影響するものだ。そこから想像力の成長に繋がるのだろう。少なくともさとりは想像力豊かだ。
その想像力が、表面的な所から深い部分を勝手に推測してしまう。今は楽しげでも、普段は恐ろしい思いをしてるのではないか。今は愉快でも、普段は狂気に身を委ねているのではないか。今は笑っていても、それこそ表面的なもので、本当の笑顔など深層に潜っても決して存在しないのではないか。
さとりは恐れられている。誰しも心を晒されたくないから。さとりは恐れていた。決して心を晒せない自分の能力を。
いっそ心の奥底まで読み取れれば、自分はもっと変わっていたんじゃないか。妹が……こいしが“眼を閉じる”ことなど、無かったんじゃないか。
その答えは彼だった。彼はあまりにも無防備に心を晒した。喜びも怒りも悲しみも楽しさも、見た目には無表情でも彼はとても人間らしく、触れたものに対して、とても素直に自己を表現していた。
第三の眼を彼に向けると、さとりはこれまでに感じたことのない幸福に包まれた。精神への接触。さとりだけが体験出来る幸福だ。
この幸福の前では、他者の考えなど何でもないものと変わらない。私は彼の心に触れる為だけにこの能力をもって産まれたのだ。
さとりは自信に満ちていた。不安など陰りもない。ただ真っ直ぐを見つめる強さを得ていた。たった一つの出会いがこうも自分を変えるとは……やはり何としても、私は……彼が……。
「はいあーん」
「あ~ん」
ぱくっ。
脊髄反射に近いものだった。彼がスプーンにプリンを乗せて、こちらに差し出したのだ。心を読んでいたが、思考に気を取られ寸前まで気付かなかった。
ので、この動きは反射だ。その反射までは良かった。だが、反射的に口を開いて閉じたので、少々目測を誤り、口のはじからプリンのかけらがこぼれてしまった。
優しい彼はそれを指で拭うだろう。さとりは彼の精神に接触している。このまま通常の、その上彼からの接触があったらどうなるだろう。
その場は取り繕うことが出来た。冷静にありがとうと答えれた。映画も楽しめた。お空も大喜びだったし、先程のホラー映画よりは自分も楽しめたと思う。そして彼が楽しんでくれていたのも精神への接触で感じていた。
レストランで食べたきつねうどんの味も覚えている。濃厚な甘めの出汁が染みた油揚げは非常に美味しかった。お空の食べていたオムライスも、半熟の卵とデミグラスソースに絡んだチキンライスとの相性は想像するだけでよだれが溢れる。そして彼が食べていたあのプリン。市販のものとは一線を画した食感、ふわふわとした歯ざわりとほんの少しの弾力、カラメルは甘過ぎず、それだからこそ濃厚なプリンの味を際立たせていた。
よっく覚えている。映画の内容は一字一句間違いなくそらんじてしまえるほどだ。映画の後だ。問題は映画の後。
なんと、彼が地霊殿へ泊まってくれるとのこと。正確には今日は博麗神社に泊まって、翌日地霊殿へ向かい、その翌日の夕方まで滞在なのだが。
どうやらさとりに限界が来たらしい。映画の後は人里で買い物ついでに遊び回る予定だったが、さとりは参加出来そうになかった。しかしせめてお空には楽しんでもらいたい。
さとりはちょっとした用事を思い出したと二人に言い、財布を彼に渡して買い物を任せた。彼は少し不思議がっていたし、お空も少しだけさみしそうだったが、すぐに済むと強引にその場を抜けると、全力で飛び立った。とにかく人里から離れた。そしてどこぞの森にたどり着くと墜落する勢いで着陸し、
「アアアアアアアアアアァー! きもちいいいいいいいいいいいいぃー!」
叫んだ。
土や枯れ葉に紛れるのも構わずその場を転げ回った。
「アアアアアアアアアアァー! ほっぺに! ほっぺに指が! 指が! アアアアアアアアアアァー!」
満面の笑みである。普段のけだるさはどこへ行ったのやら。
「ああもう決める! 明日決める! 絶対決める! 押したおおおおぉーす!」
自信だけは一切失っていない。むしろ強化されている。さとりはその後身体のほてりが落ち着くまで叫び転げてから、二人の元へ戻った。土や葉で汚れた身体のことを忘れていたのは痛恨のミスだった。
なぜミスだったのか。汚れを指摘されたから、ではない。汚れが原因で近くの銭湯に寄ろうという話になったのだ。着替えも何もなかったから実際には寄ってないが、どうもその銭湯混浴だったらしく、想像力豊かなさとりは想像してしまったのだ。
裸の彼を。
その日は結局、彼とお空の二人だけの人里観光となってしまった。そして、夕方頃に博麗神社に帰ってきたさとりの声はがらがらだった。
私「もうちょっとで月二更新だったなあ」
フラン「誰だお前は!?」
私「え!? どしたの?」
フラン「いつもの作者がこんなに早く更新するものか! お前偽物だな! 作者を返せよ! やっぱりいらないから捨てといて!」
私「たまに頑張ればこの仕打ち」
というわけで頑張りました。今月はもっと頑張ってみようかと思います。地霊殿組をメインに話を進めていきまして、あと二、三話ぐらい続きます。
やっと勇儀姐さんやパルスィを書けるんやなって、超楽しみで仕方ないですね。じゃあ私はこれで。
フラン「死ね偽物ぉ! 本物と一緒に消えてなくなれぇ!」
私「ちきしょうフランちゃんはバカだ……」




