9)困惑中
「篠原ってさ、ほんと残念だよね。」
「…。」
飲み会開始から一時間が経過した頃、やはりサキが篠原くんに爆弾を投下した。続く言葉を思い出して篠原くんを気の毒に思う。ちなみに今回も七人全員が参加している。
「顔は整ってるでしょ。」
「…。」
「でもさ、究極のヘタレじゃん。」
篠原くんは微動だにしない。強靭な心を持っているようだ。
そういえば最近、篠原くんが笑っているところを見ていない。何だかあの日からずっと篠原くんの元気がないような気がする。でも、今日はあの「月曜日」のはず。―――いったい、「いつ」から彼は笑わなくなってしまったのだろうか…。
「ねえ、あやめはどう思う?」
「わからない。」
今はヘタレのことも、場の雰囲気も考えられない。頭にあるのは篠原くんのことだけ。隣に座っている篠原くんがこちらを見ているのがわかったが、私は彼を見ることが出来なかった。
やはり今回も他の五人に置いて行かれ、篠原くんと二人になった。あの瞬間が刻一刻と近付いて来ているのはわかるが、私は未だに自分がどうするべきか答えを出せずにいる。
「送って行くから。」
「…ありがとう。お願いします。」
篠原くんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに歩き始めた。彼の歩みは速く、私は斜め後ろを追いかけるようなかたちになる。気を抜けば置いて行かれそうになるその後ろ姿に、本当に篠原くんは私のことが好きなのだろうかと不安になる。
黙々と歩き続け、気が付けばアパートまであと信号一つとなった。終にここまで来てしまった。私は「あの日」と同じように自動販売機に駆け寄り、120円を入れてボタンを押す。そして信号待ちをしている篠原くんに、買ったばかりのココアを差し出して言った。
「寒い中ごめんね。ここまで送ってくれて、本当にありがとう。今度ちゃんとお礼するから。」
信号が変わった。ここまでは間違えていないはずだ。この後の答えはまだ出ていないけれど、篠原くんの言葉を聞いたら今の私ならきっと―――
「…ありがとう。」
―――え?
彼はそう言うとココアを受け取り、私が待っていた言葉をくれることなく向きを変えた。
ちょっと待って、そんな言葉が口から出そうになる。どうして言ってくれないの、どうして告白してくれないの、私は戸惑いを隠せずに彼の背中を見つめる。今すぐにでも振り返って、あの日のように手を取ってくれると、私はまだ信じている。それなのに彼はゆっくりと、しかし一歩ずつ確実に私から離れて行った。
私はただ呆然とその後ろ姿を見つめていた。見えなくなってもその場に立ち尽くし、いつまでも信号を渡ることが出来なかった。
どのくらい時間が経っただろうか、涙が首元を伝ったことで自分が泣いていたことに気が付き、私は漸く動き出すことが出来たのだった。
家に帰り、私はシャワーを浴びながら声を出して泣いた。涙も声も、すべて洗い流してくれているような気がした。だから、私は涙が出なくなるまでそうしていた。髪の毛も乾かさずに布団に入る頃には、私は妙に開放的な気分になっていた。
怒り、焦り、戸惑い…すべての感情の正体は一つのものだった。それなのに私が別々に引っ張ろうとしてぐちゃぐちゃになっていたのだ。誤魔化しを洗い流すと面白いように絡まりが解けて、隠れていた気持ちがきれいに浮かび上がってきた。今、はっきりと言える。
―――私は篠原くんのことが好きだ。