7)揺らぐ私
私は三日前のあの夜から篠原くんに会っていない。同じ教室にいるのはいるのだが、こうタイミング的に、顔を合わせる機会を持たずに済んでいるのだ。今まで教室で顔を合わせない日はなかったので、それが三日も続くなんて少し奇跡的である。
とは言え、学科もサークルも同じだし、ずっと顔を合わせないままでいることは出来ない。こういうことは時間が経つほどこじれてしまう可能性もあるので、早めに篠原くんに返事をするべきなのかもしれない。しかし、『やっぱり、いいや。』と言った彼は、もしかしたらこの三日間、私を故意に避けていたのかもしれない。…時間の解決を待つべきだろうか。
そんなことを布団の中で悶々と考えながら、私は溜息を吐いた。ここ数日、何だか篠原くんのことばかりを考えているような気がする。今までこんなことはなかったのに。よくわからないけれど、何だか悔しい。あの日の怖い篠原くんと、そんな彼に一人振り回されている自分に少し腹が立つ。
私は寝返りを打ち、もう一度溜息を吐いて決心した。
―――明日は篠原くんに返事を…いや、話し掛けよう。
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そんな決心をした翌朝、私は何故かアラームの鳴る三十分も前に目が覚めた。7時に寝たわけでもないのに、こんなことは初めてかもしれない。私は何とか布団の誘惑を断ち切り、準備をして家を出た。
大学までの道を歩きながら考える。きっと、今日は私の方が篠原くんよりも早く教室に入るはずだ。だから、あの日の朝のように挨拶をしようと。
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「おはよう。」
私が教室に着いてから10分くらい経ったとき、篠原くんが入って来たので、精一杯いつも通りに挨拶をした。篠原くんは本当に時間に正確な人だ。
「…。」
返事がない。もしかしたら無視されたのかもしれない。私の昨夜の決心が急激に揺らぐのを感じた。
彼にどう対応するべきかわからず、私は少し首を傾げながら視線を逸らし、気まずさから逃げるために授業の準備に取り掛かることにした。
「おはよう。」
いつかのように微妙なタイミングで挨拶を返すと、篠原くんはさっさと席に向かって行った。そんな彼の後姿を少し見て、私は膝の上で掌をぎゅっと握りしめる。
今までは顔を合わせない日は無かったし、顔を合わせれば何でもないような話くらいしていた。それなのにあの日から、4日前のあの日から、私は上手く篠原くんと話せない。それが何故か、すごくすごくもどかしい。こんな気持ちは初めてでどうすればいいかわからず、言い表すことの出来ない苛立ちが私を襲う。私はもどかしさと苛立ちでぐちゃぐちゃになった気持ちを怒りに変え、せっかく篠原くんのために早く来たのに、と彼にぶつけてみる。
少し睨んでやろうと振り返って篠原くんを見ると、意外にも彼はスマホ片手に私を見つめていた。そして、4日ぶりに目が合って、私は漸く気が付いた。この気持ちは怒りなんかじゃない、と。掛け値なしに笑い合える、心地の良い存在を失いかけていることに私はただ焦っていたのだ。
結局目が合っていても何も言うことが出来ず、目を逸らして下を向く。今は後悔しかない。私はどうすれば良かったのだろうか。私は小さく溜息を吐くことしか出来なかった。
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その後は篠原くんと顔を合わせることもなく授業を終え、何とかバイトも済ませて家に帰った。今は11時である。布団に入っても、あの夜私はどうすれば良かったのかと繰り返し考えるばかりだ。私は間違えてしまったのだろうか、と今の私には後悔することしか出来ない。そして、私は切実に思う。
―――あの夜をやり直したい。