6)怯え中
「篠原ってさ、ほんと残念だよね。」
「…。」
飲み会開始から一時間が経過し、程よく酔って来た頃に篠原くんに爆弾が投下された。投下したのは幹事であり、篠原くんと同じ高校出身のサキである。
ちなみに今回は七人全員が奇跡的に参加していた。男女の数は、マネージャーのサキを入れると女子が一人多くなる。
「顔は整ってるでしょ。」
「…。」
「でもさ、究極のヘタレじゃん。」
サキは見事に爆発を成功させたようだった。最初から元気のなかった篠原くんが完全に固まってしまった。
「ねえ、あやめはどう思う?」
いきなり話を振られて返答に困る。そもそもヘタレの定義に究極などあるのだろうか。確かに普段の篠原くんは煮え切らないところもあるけれど、少なくとも絶対に究極ではないと思う。
「そんなことないんじゃないかな。」
「ははっ!篠原良かったな!」
そう言って笑ったのは、篠原くんたちと同じ高校出身の竹田くんである。
元気がない上に、朝から様子のおかしい篠原くんを考えると正直に答えることが拒まれたため、私は篠原くんを弁護することにしたのだった。
「篠原、がんばって…」
サキの謎の呟きは居酒屋の喧騒の中に書き消され、誰にまで届いたのかわからなかった。すると、ずっと固まっていた篠原くんが、隣に座っている私を見て言った。
「何で今回は…?」
「え?今回?」
何の話だろうか。本当に、今日の篠原くんは心配である。
「前に何かあったの?」
「…」
私は究極の篠原くんを見つめることしか出来なかった。
会計を済ませたり、帰り支度をしたりしているうちに、何故か篠原くんと二人になってしまった。どういうわけか他の五人に置いて行かれたようだ。
「送って行く…」
「いいよ、駅と方向逆だし。」
篠原くんは自宅生だから電車で通学する。私の住むアパートは、ここからだと駅と逆の方向になる。
「送らせてほしい。」
「いや、近いし大丈夫…」
私が答え終わる前に篠原くんが歩き出したため、反抗するのを止めた。何だかいつもとまるきり様子の違う、今日の篠原くんが少し怖い。
「お願いします。」
「うん…。」
私たちは並んで歩き始めた。学科もサークルも同じだから、普段は会話に困ることはない。それなのに今は何も話すことが出来ない。いつもどうやって接していたのかさえ思い出せない。
気まずい沈黙の中、10分くらい歩いただろうか、あと信号一つでアパートに着く。私は自動販売機を見つけて駆け寄り、急いで120円を入れてボタンを押した。出てきたペットボトルが私の手をあたためてくれる。
信号待ちをしている篠原くんに、買ったばかりのココアを差し出して言った。
「ここまで送ってくれて、本当にありがとう。寒い中ごめんね。今度ちゃんとお礼するから。」
信号が変わった。篠原くんがこれを受け取ってくれたら渡ろうと思った。しかし、彼は動かない。
「篠原くん…?」
声を掛けてようやく手を差し出したかと思うと、彼は私の手首を掴んで引っ張った。
「好きなんだよ。ずっと、もうずっと。俺と付き合って。」
今度は私の方が動けなくなってしまった。篠原くんが私を好き…?考えたこともなかった。何か返事をしなければと思うが、今は目の前で泣き出しそうな篠原くんの様子ばかりが気になってしまう。どうしてそんなに辛そうなのだろうか。そんな私が絞り出した答えがとても残酷なものだなんて、私には到底わからなかった。
「ありがとう。でも、今すごくびっくりしてて…明日まで待ってほ…」
「もう待てない!」
私の答えは篠原くんの言葉に遮られた。それはこれまで聞いたことのないような叫び声だったので、私は告白の言葉以上に驚いてしまった。篠原くんが怖い。早く家に帰りたい。
「ごめん。でも、明日なんて来ないかもしれないから。今、思ってることを教えてほしいんだ。」
「…。」
怯えている私を見て彼は少し落ち着いたようで、私の手首を放して静かにそう言った。
それでも私は何も言えず、何も考えられない。とにかく篠原くんが怖くて、今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだ。それなのに、困惑と恐怖で身動きが取れない。
「困らせてごめん。俺、一人で焦ってて。明日じゃなくてもいいから、いつか返事を――いや、やっぱり、いいや。本当にごめん。…お休み。」
そんな状態の私を見かねてか、彼はそう言って去って行った。私は呪縛が解けるまでその場に固まっていたが、しばらくすると一目散にアパートに向かって走り出した。
シャワーを浴び、布団に入っても未だに私は平常心を取り戻すことが出来ない。そんな私が考えていることは一つだけ。
―――しばらく篠原くんには会いたくない。