5)怯える私
「おはよう。」
私にしてはめずらしく、早めに大学に着いてぼんやりしていると、同じサークルの篠原くんが教室に入って来たので挨拶をした。
*************************
「おはよう。」
私にしてはめずらしく、早めに大学に着いてぼんやりしていると、同じサークルの篠原くんが教室に入って来たので挨拶をした。
篠原くんはとても時間に正確な人だ。もちろん授業のために走ることはないし、サークルや遊びの約束に遅れることもない。
「…。」
ただし、絶対的に正しい人間だという訳ではない。少し煮え切らないところもあるし、時に失言することもある。つまり、篠原くんは長所と短所を持ち合わせた普通の人なのだ。
…何が言いたいかというと、彼は知人の挨拶を無視するような人間ではないということである。仮に何かの間違いで私の声が聞こえていなかったとしても、少なくとも人を凝視したまま唇をかみしめるようなことはしないはずだ。
そんな彼にどう対応するべきかわからず、私は少し首を傾げながら視線を逸らし、気まずさから逃げるために授業の準備に取り掛かることにした。
「おはよう…。」
このタイミングで返してきた…!と彼の間の悪さに内心つっこみながら、通り過ぎて行く背中を少し目で追った。いつもは顔を合わせれば少し話をするけれど、今日の篠原くんは少し機嫌が悪いのかもしれない。機嫌の悪い姿を見たのが初めてだったので、私は少し彼のことが心配になった。
せっかく早く来たのに何もすることがない。少し悲しい。スマホを取りだしてメールとラインを確認し、何も来ていないことがわかると、何故かさらに悲しくなった。
私は意味もなく、少し振り返って篠原くんのことを盗み見た。
*************************
今日の講義は4限までだった。友人と別れ、駐輪場に向かいながら飲み会までの二時間半をどう過ごそうかと考える。図書館に行こうかなと思いつつ、自転車を取り出して向きを変えると、駐輪場の入り口付近に篠原くんが立っているのが見えた。
「篠原くん。」
声を掛けると、彼は驚いたように私を見た。私の存在に気付いていなかったのだろうか。彼がこちらを見ているような気がしたので、当然気付いているものとばかり思っていた。何だか自意識過剰みたいで恥ずかしい。私は何も言えなくなってしまった。
「声を掛けてくれるなんて思わなかった。」
「何言ってるの…いつも話してるじゃん…」
「いや、そうだけど…」
今日の篠原くんは何だかいつもと様子が違う。元気がないし、どことなく影があるように感じる
「もしかして何かあった?」
「え…何で?」
「少し元気がないみたいだから。」
「それは―――いや、何もないよ。」
彼は何かを言おうか迷ったみたいだったが、結局何も言わなかった。もしかしたら彼は早く一人きりになりたいのかもしれない。
「引き止めてごめん。また後でね。」
「…うん。」
返事をすると篠原くんは足早に去って行った。本当に今日の篠原くんは大丈夫なのだろうか。
「本当に、何かあったのかな。」
私は心配になったが、どうすることもできないので図書館に向かうことにした。