4)やさぐれ中
「篠原ってさ、ほんと残念だよね。」
「…究極ではないけどね。」
飲み会開始から一時間が経過し、みんなが程よく酔って来た頃に篠原くんに爆弾が投下された。投下したのは幹事であり、篠原くんと同じ高校出身のサキである。
ちなみに今回はサークルに所属する2年生の七人全員が奇跡的に参加していた。男女の数は、マネージャーのサキを入れると女子が一人多くなる。
「何言ってんの、究極のへたれじゃん。」
「…。」
今のは完全に自爆だったと思う。自分で振っておいて篠原くんは撃沈したようで、放心状態のように見える。何だか焦点が定まっていない。
「ねえ、あやめはどう思う?」
いきなり話を振られて返答に困る。そもそもヘタレに究極などあるのだろうか。確かに篠原くんは煮え切らないところもあるけれど、少なくとも究極ではないと思う。
「確かに究極ではないと思うよ。」
「ははっ!あやめちゃん言うね!」
笑ったのは篠原くんたちと同じ高校出身の竹田くんである。そう言われても、私だってよく考えて返事をしたのだ。場の雰囲気と篠原くんの気持ちを天秤にかけ、そこから今日の彼の私に対する無礼を差し引き、上手く折り合いのつくところを探したつもりである。
「篠原、あやめにもヘタレだと思われてたんだ…」
サキの小さな呟きは居酒屋の喧騒の中に書き消され、誰にまで届いたのかわからなかった。すると、ずっと宙を見つめていた篠原くんが、隣に座っている私を見て苦しそうに言った。
「だから明日、なの?」
「え?明日?」
何を言っているのだろうか。本当に、今日の篠原くんはおかしい。
「明日なんかあるの?」
「いや、えっと…」
私はあたふたし始めた究極の篠原くんに代わり、何故か楽しそうなサキたちに彼のバラ色の私生活について話すことにした。
会計を済ませたり、帰り支度をしたりしているうちに、何故か篠原くんと二人になってしまった。どういうわけか他の五人に置いて行かれたようだ。
「送って行く。」
「いいよ、駅と方向逆だし。」
篠原くんは自宅生だから電車で通学する。私の住むアパートは、ここからだと駅と逆の方向になる。
「危ないから、送る。」
「ここから近いし大丈夫だよ。」
「送らせてよ。」
めずらしく篠原くんが強気だ…何というか、今日の彼は少し傍若無人かもしれない。しかし、私は篠原くんがヘタレを脱しようとしている可能性を考え、反抗するのを止めた。
「お願いします。」
「うん。」
私たちは並んで歩き始めた。学科もサークルも同じだから、会話に困ることはない。その内容は他の人に聞かせても面白くも何ともないような他愛のない話だが、私はそれが嫌いじゃなかった。しかし、今日は何だか余所余所しい会話になってしまう。これがバラ色と灰色の限界なのかもしれない…
そうして10分くらい歩いただろうか、あと信号一つでアパートに着く。私は自動販売機を見つけて駆け寄り、急いで120円を入れてボタンを押した。出てきたペットボトルが私の手をあたためてくれる。
信号待ちをしている篠原くんに、買ったばかりのお茶を差し出して言った。
「送ってくれて本当にありがとう。寒い中ごめんね。今度ちゃんとお礼するから。」
信号が変わったので、篠原くんがこれを受け取ってくれたら渡ろうと思った。しかし、彼は微動だにしない。
「篠原くん…?」
声を掛けてようやく手を差し出したかと思うと、彼は私の手ごと包み込んでしまった。
「やっぱり、やっぱり、本当に好きだ。俺と…付き合ってほしい。」
今度は私の方が動けなくなってしまった。篠原くんが私を好き…?考えたこともなかった。今日の篠原くんがおかしかったのは、このためなのだろうか。何か返事をしなければと思うが、今は頭が真っ白でそれ以上のことを考えられない。そんな私が絞り出した答えがとても残酷なものだなんて、私には到底わからなかった。
「ありがとう。でも、今すごくびっくりしていて…明日まで待ってほしいんだけど。」
「明日…」
篠原くんは絶望的な顔をした。その表情の意味を私は理解できない。
「…明日待ってる。」
「…うん。」
そう言うと唇をかみしめ、彼は去って行った。私はその姿をしばらく見つめていたが、一つ溜め息を吐いてアパートに向かった。
シャワーを浴び、布団に入っても未だに私は衝撃から立ち直ることが出来ていない。そんな私が考えていることは一つだけ。
―――明日が来なければいいのに。