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世界よ...彼女に祝福あれ  作者: 語話 紡(かたりわ つむぐ)
8/10

第三の公演~続~

過去の記憶にとらわれ、酔っていた自分に気付き我に帰る。

 角膜には赤々と燃え盛る炎が映り、鏡のような役割を果たしていた。

 父の言いつけを俺は…また破るというのか。

 それでも三島の体は躊躇うことを知らない。それ以上に大切な思い出が、三島の追想の先に待っている展開が、今も三島を走らせる。なおも歩みを進ませる。

 彼女との出会いから俺の狂った人生は人の持つべき輝きを帯びたことを、つい先ほどより先の過去が語る。

 今はそんなこと悩んでいる暇なんてない。出来るだけ早く彼女のもとに―――――――

 上空百メートルから地面へと降り立った。今の跳躍で家屋を数十単位で飛び越えた。

 眼前には火の海が広がる。

 生き物のように動くそれは確かな熱を発し三島を拒むように揺れていた。

 着地した場所には多くの野次馬がごった返し、消防に連絡したり、携帯で写真を撮ったり、ただ眺めているだけの人や家からバケツを持った人が出てきて懸命に消火したり、それぞれの目的のために行動していた。

 ただ、共通して野次馬たちはあらぶる火が家屋をなぎ倒し、灰へと変える音に気をとられていた、一人も三島の出現に気づく者はいない。

 着地の衝撃でめくれあがった道路。

 気づかれる前に立ち去ろうと赤と橙に彩られた熱の世界を通り抜けていく。

 そして、三島は目的地にたどり着いた。

 小揺木という表札がある以外に代わり映えのしない家。

 家は火災で今もなお炎が駆け回り、火の粉を振り撒いている。

「あの子が、天音がまだいるんですよ、どうして助けに行かせてくれないの」

「駄目じゃ、わし等のような年寄りでは死んでしまうだけじゃ。消防を待とう。それしか…それしかないんじゃ。それより水を、水をかけるんじゃ」

 小揺木家の前で見知らぬおじいさんと、おじいさんに体を羽交い絞めにされて止められるおばあさんがいた。

 父が小揺木さんは祖父母と暮らしていると言っていたことを思い出す。

 つまり、ここは間違いなく彼女の家だろう。

 おじいさんとおばあさんの横を通過していく。

二名の老人はなぜ突然少年が現れたのかわからず、呆然として三島に目を奪われる。

三島はというと、躊躇うことなく小揺木家の敷地内に入り、高温で熱せられたドアノブに手をかけた。手のひらに突発的に増長する痛みがじわじわと広がる。しかし、身体にダメージはなく、火傷一つ負うことはなかった。

「おい、何をしとるんじゃ。戻れ、若いもん。死ぬぞ」

 一般人からしたら無謀に映るその行動に、おじいさんは驚愕し、三島の背中に大声を浴びせる。

 だが、三島は振り返ることなくドアを開け放ち、玄関に足を踏み入れた。

 玄関を基点に前を向くと両隣に一つずつ部屋があり、そのまま真っ直ぐ進むと階段、その隣にバスルームがあることがうかがえる。

 三島は左右を簡単に確認しすぐに階段を目指す。なぜか二階に彼女がいる予感がした。

 階段は熱でとけ、焦げの黒と炎の赤に染まっている。

 かなりの熱が三島の体の周りで渦巻き、この家の内部はかなりの熱さに包まれている。強靭な肉体を得た三島でさえ地獄と感じる環境。

この地獄を彼女は耐えられるのだろうか。

三島は焦りを隠しきれず熱以外の理由で玉の汗を流す。

もし彼女が二階にいるのなら生きている確率は大幅に低くなるだろう。

例え、火にのまれていなくとも煙の性質を考えると絶望的だ。煙は上へ上へと向かう。

すると煙に含まれる一酸化炭素が呼吸した人の体内に存在するヘモグロビンと結合し死にいたる。ヘモグロビンは酸素を運搬し、人が取り込んだ酸素を全身に送る役割を担う。

一酸化炭素はヘモグロビンとの結合力が強いことは生物で学んでいた。

 一度結合したら離れないといわれるほどなのだ。一酸化炭素が結合したヘモグロビンは永遠に一酸化炭素を離さず、酸素を運搬する働きを失う。

 それらの結果が生み出す答えは、呼吸できずに死ぬという末路である。

 そうなっていれば残念ながら手遅れだ。

 三島は倒壊を心配し、ゆっくり進んでいたが、そんな場合ではないと階段を利用することなく一回のジャンプのみで二階に到達する。

 すぐさま、一番近い部屋に駆け足で飛び込むと、そこにはすすで顔を汚した小揺木さんが倒れていた。

 水玉模様のパジャマに身をつつみ燃え盛る部屋の中央にうつ伏せになっていた。

 奇跡的に部屋の中央は燃えておらず、三島は安否を確認しようと小揺木に駆け寄る。

 恐る恐る口元に手をやるとまだ浅い呼吸をしている。彼女は生きていたのだ。

「よし、生きてる。早く外に出ないと」

 彼女を仰向けに倒すとひざ裏と背中に手を回し、お姫様抱っこをする。

 安堵のため息をつき、立ち上がり部屋を出ようとした。

 その時、天井が砕け灼熱の赤く輝く木炭が落下してくる。

 その中でも一際大きい柱が三島を襲った。

 三島は小揺木の頭をかばい抱えると右手で灼熱の柱を受け止める。

 重さは全くなかったが、燃える木炭は三島の右手のひらにすさまじい激痛を与える。

 手の感覚は麻痺し始め、耐えることのない傷みに三島は歯を食いしばる。

 片方の膝をつくことで何とか持ちこたえた。しかし、現状が打破できるわけではない。

 火は今も広がり小揺木を死へと近づけていく。

 この程度の木炭、吹き飛ばすことは容易い。だが、吹き飛ばした木炭はこの部屋のどこかに接触する。その衝撃で家が崩落する可能性があった。

 三島は大丈夫だろう。しかし、彼女が家の倒壊によって、雪崩のような火の海に埋もれれば必ず傷つき、その際の火傷が原因で死ぬこともあるだろう。

 この状況から抜け出すことができない。打開策もない。

 なおも続く痛みと焦りは三島の思考能力までも奪う。

 このままでは本当に小揺木さんが死んでしまう。

何をどうすればここから出られる。考えるんだ、考えろ。

だが、結局終わりを迎えた。

激痛で耐え切れなくなり下を向いていると、上から木の軋む嫌な音が響き始める。

痛みで失神しそうな中、額に汗を浮かべ荒い息を吐くことしかできない。

そんな情けない自分を奮い立たせ、何とか視線を天井に移すと、三島の受け止めた木炭が構成していたであろう部位がぽっかりと穴を空け、そこには代わりに星空が覗いている。

しかし、そんなことではなく真の危険に目がいく。

残りの天井がきしみながらゆっくりと近づいてきている。

燃え盛る天井は小さな木屑と火の粉を振りまき崩壊し始めた。

「何でこうも俺や小揺木さんばかりに……どうして運命はこんなにも残酷になれるんだ」

 死の直前にも味わった目の霞が視界をぼやけさせる。

「奇跡でも何でもいい。頼む、神様。小揺木さんだけは助けてくれ」

 そんな三島の願いも虚しく一層大きい音で軋む天井。それはまるで三島を嘲笑っているかのようだった。

「どうして、どうしてなんだよ。俺は小揺木さんを守りたいだけなのに。ただ恩人の幸せを願ってるだけなのに。なぜ世界はこんなに都合悪く事が運ぶんだ。俺の周りは不幸しかないのか」

今までの人生、彼女の送った人生、今も続く苦しみ、非常な運命。

この全てに怒りを抱き、凶悪な笑みを浮かべる三島。

世界を嫌悪した少年と守られる少女に、とうとう耐え切れなくなった天井が落ちる。

刹那、三島の心を塗りつぶしていたどす黒いものが体外に溢れ出し、辺りに紫色の波動を拡散させながら動き回る。

三島の黒色の瞳が紫の輝きを帯び、周囲の空間が紫に凍てつき侵蝕されていく。

火は一瞬で消え、落下してきた天井は風化し、黒い灰に変化して空気に溶けた。

三島を中心に広がった紫は家屋の二階全てを消し飛ばした。

何が起きたのか。

死を覚悟した三島の上には限りない星空が現れ、強い風が衣類をもてあそぶ。

状況を理解しようと周りを見渡すと、町全体の火は消火され、薄暗い夜が所々に点在する白い煙とともに佇む。

二階の消滅は見事なもので壁はおろか何もない。小揺木家は一階のみになってしまった。

多くの疑問が頭を殴りつけるが、抱えられた彼女が生きているのを見ると全てがどうでもよくなってくる。

何とか生き残った。

「よかった。生きていて本当によかった」

 彼女が静かな寝息をたてていることで生を実感すると生きていてくれた喜びと彼女に告白する際に交わした守るという約束を果たせた充実感で目頭が熱くなる。

 感極まるのは後にしよう。

 三島は立ち上がり、小揺木を抱きかかえたまま更地になった二階の床に唯一埋め込まれた階段を下りていく。

 そして火災が原因で壊れかけ歪むドアをくぐり外へ出た。

 外には何が起こったのか把握できず、闇色の街を見回すおじいさんとおばあさんがいた。

 彼らは三島が小揺木を抱えていることに気付くと不安そうな顔が一転、ほんの数十分の出来事のはずなのに長年離れて生活してきた人に再会した時のように喜びの涙を流し駆けよる。

「おじいさん見てください。天音は生きていましたよ。この少年が助けてくれたに違いないですよ。もう、大変勇気のある子じゃありませんか。本当に孫をありがとう」

「いや~何が起きたかわからんが孫が無事で本当によかったのう。お前さんには感謝せねばならんのう。わしらの孫を助けるために命も顧みず飛び込んだ勇気を馬鹿もんといって申し訳なかった。孫をありがとうよ。でも、もうあんな危険なことはしちゃいかんぞ。それでお前さんが死んでしまったらわしらはどうすればええんじゃ。お前さんの家族にも顔向けできん。家族も悲しむじゃろう。今度からはその命、簡単に投げ出してはならんぞ」

「はい」

「なら、ええんじゃ」

 険しさがとけ、柔和な老人に戻ったおじいさんはよかったと一筋の涙を流し微笑む。

 火に気を取られていた他の野次馬や被害者達も家族の安否、火事の鎮静化によって、穏やかな空気に包まれていた。

 それぞれが涙を流したり、喜びの声を上げ、いたわり合って消防と救急の到着を待ちわびていた。

 三島も改めて抱えている少女の寝顔をのぞきこんだ。

 俺でも救えた。役に立つことができたんだ。

 異常な身体能力を授かったことを実感したときには、この先どうなるのか、一生後悔を背負って生きていくことになるのかと不可思議な現実を客観的に考察していたがそんなことはなかった。

 後悔なんてない。胸を埋めるものは守る力を得たことに対する幸せだった。

 三島は己の力だけで始めて大切なものを守れることが証明出来てうれしかった。

 けたたましいサイレンの音とともに白塗りの救急車が赤いランプを点灯させ到着した。

 トランクを開け一人の救急隊員が降りる。すぐさま駆けつけようとこちらに近づこうとした。

 だがそれは叶わない。

 遠方から黒い波動が押し寄せる。温い風が悪意に押され周囲の人々の髪を揺らす。

 最初は何かわからなかったが三島は幾度となくその吐き気を味わってきた。

 続いて吐き気を越える何かが体を突き抜け後方へと広がっていく。

 直感が警鐘を打ち鳴らし、三島は小揺木をかばうようにうずくまり守った。

 黒い何かは音速で三島を含む辺り一帯をすべて飲み込み通過しきった。

 まがまがしい黒に触れた瞬間、三島の意識は途絶えたが、何とか持ちこたえる。

 それは眠気で瞼を一回閉じてしまったようなものだった。

 黒い波動が何であるか。触れたときに気づいた。これは死だ。それも冥府で味わった死とは比べ物にならない明確な殺意のこもった暗い感情であり、視界が揺らぐほどにその黒から発生した死は肌に突き刺さった。

 慌てて顔を上げ、周りの状況を確認する。

 活気を取り戻していた人々は制止し、静寂が世界の全てになっていた。

「だ、大丈夫ですか」

 目の前にいた老夫婦も虚ろな視線で停止していたので声をかける。だが、反応はない。

 虚ろな瞳には何も映っておらず、生気は消え失せていた。

 ただ見られた変化は瞳の内側で瞳孔が小刻みに震えて、突然開ききることだった。

 老夫婦は口から唾液、いや泡を吹き出し、その場に何の手などの補助をつくことなく三島の足元に倒れると痙攣し、数秒後停止した。

 異常な姿に三島は恐怖し、助けを求めようと救急隊員を見たが、近づいていた彼らも時間が止まったかのように静止して同じく倒れ、泡を吹き痙攣する。

 その背後には先ほどまで喜びを味わっていた人々までもが白目をむき、横たわり地面の上で踊るようにのた打ち回り痙攣する。

 悲惨な光景を目の当たりにし、三島は小揺木の様子に目を向ける。

 彼女は依然として安定した寝息を立てている。彼女に黒い波動の影響はなかったようだ。

 しかし、喜べるはずはない。

 自分と彼女以外の人はもう動かなくなっていた。

 恐る恐るおじいさんの近くにより呼吸の有無を確認しようと耳を近づける。

「確認しても無駄だ。そいつはもう生きてねえよ」

 まだ生きていた者がいたのか。声のした方向に、半ば反射的に首を向け目線を傾ける。

 生命を感じさせない静寂を崩し、逆立つ髪を掻き毟りながら、煙草の白煙を撒き散らす長身の男が、平然とした雰囲気でこちらを目指し歩いてくる。

 その赤髪は珍しく、一度見たことがあった事が手助けし、誰であるかすぐに分かった。

 あの鋭い顔はここに来る途中ですれ違いざまに不可解な言葉を吐き出した男だ。

 奴はこの異常な環境を当然のように受け入れ、動揺することもなくむしろ微笑んでいる。

「言ったよな、女はあきらめろって。耳が悪かったわけか。それとも女はダチだから見捨てられなかったのか。ほっとけば勝手に死んだのによ。変な気配がしたから戻ってきてみればこのざまか。何助けてくれちゃってるんですか。仕事増やしてんじゃねえよ。」

 な、急に何だ…誰だこの男は…?

「慈悲くれてやったのによ。てめえも死にたい口か」

 男は呆れ顔に変え近づいてくる。

 男からは形容しがたい恐怖が溢れ出ている。この一帯に地獄を生みだしたのはこいつだと心が叫ぶ。

男は接近する過程で苦笑し「おい、なんか言えよ」と眉間にしわを寄せる。

「誰だ。一体何をした」

「おっ、喋ったねえ。まあ、今ならまだ許してやるよ。その女を置いていけ。そうすればてめえの命、二、三日なら保障してやるよ。悪い取引じゃねえだろ」

「だから、お前は誰なんだよ」

 三島の大声に男は警戒し立ち止まると頬を吊り上げ不気味な笑いを披露する。

「俺はお前と同じタナトスの末席だ。て言ってもわかんねえか。大変だな、お前はまだ何が起きたかわかってないんだろ。俺らも最初そんなもんだったよ」

 タナトス、俺と同じ…タナトスとは一体何なのか。全くの聞きなれない単語だ。

「でもせめて殺される前になんでこうなったのか、何が起きたのか知りたいだろうけどよ、生憎俺はそんな暇じゃねえの。つうか、ダルい。早く終わらせてえんだ。もう何人か殺したし、飽きちまった。ってことで。じゃあな、ガキ」

 引っかかることは多かったが男はのんびり言葉の意味を熟考する時間を与えない。

 ポケットに手を突っ込んだまま、男は口を開くと煙草が落下していく。

 煙草が地面に接触した。それと同時に男の姿はかき消える。

 三島にはなぜかわからないが漠然とした恐怖に襲われる。

 感覚は逃げろと騒ぎ立て、無意識のうちに体は一歩後ろへと下がっていた。

 すると三島のいた場所に男が出現し右手を伸ばしてくる。

 男の腕全体からは黒い空気が噴き出し、その気配は生とは反対のベクトルを放出する。

 幸いにもこの一歩が三島と抱えられた小揺木を救った。

 凶悪な男の手は後少しの所で空を切り、三島の前髪の端をかすめた。

数本の前髪は塵となり、不自然な崩壊を起こす。

接触部が死滅した…? 

 男は避けられることが予想外だったのか、目を丸くしていた。が逆にそれが面白かったのか、再び嬉しそうに笑みを浮かべる。

男の姿がかき消えたあの現象、あれは瞬間移動だったのか。

 あまりの速さにとらえきれなかったことに危機を覚え、額から汗が吹き出し流れ落ちる。

 体中に震えが伝播し、慄然に何もかもがどうでもよくなる。だが、彼女を抱えていることが三島の心を奮い立たせた。

 何があっても守りきるんだろ。

「いい感覚してるじゃねえの。しかもそいつを殺さねえだけのいい力も持ってる。タナトス因子持ち同士の戦闘はなかなか出来ねえからな、久々に楽しくなるねえ」

 三島は警戒を緩めずじっと男を見つめ続ける。

 またタナトスとか言っている。それにあの速度での移動。何が同じ合点が言った。

 俺と奴はきっと同じ身体能力を有しているのだろう。

 どんな動きにも対処できるように足は少し軽めにつま先立ちにする。

 男は前屈みの体勢になり手の力をぬく。腕はぶらぶらと揺れ力が入っていないことは一目瞭然であった。

「なあ、女は降ろせよ。そんなもん抱えてたら全力出せねえだろ」

「降ろしたら小揺木さんを殺すんだろ。俺は絶対にお前の言うことを聞かない」

 三島が言い終わるかという時だった。

 姿がまたも完全に消えた男は三島の頭に左手を、小揺木さんの頭に右手をそれぞれ置いていた。三島はその時の男の表情を忘れないだろう。男の瞳に静かな殺意が浮かぶ。

「殺すんなら今やってんだろ。なあ早くやろうぜ」

 三島は目を見開き、触れられたことに驚愕、恐怖して心が押し潰されそうになる。

 守るなんておこがましい。反応すらできなかった。

 こいつは同じだと呟いたが実力差は今の動作ではっきりとした。小揺木さんを抱えていては抵抗する間もなく殺されるだろう。

「ああ、わかった」

 死を覚悟したが、男は一向に殺そうとはしない。よって信じることにする。信じようと信じまいとこの状況で奴に背くことは死亡率を大幅に上昇させる要因になる。

 その場にゆっくりと彼女を降ろす間、男は「早くしろ」と焦りと苛立ちをむき出しにして目を血走らせながら笑い続けていた。

 男の眼中にはもう三島しか映っていない。男は三島と戦うことにのみ興味を持っていた。

 ここにいたら小揺木さんを巻き込むことになる。

 三島は彼女を降ろしきり、指を離すと同時に右側の細い路地へと走る。

 足元で爆発が起きた。

三島は凄まじい脚力で地面を蹴り上げ、残像をいくつも生み出し、出来るだけ遠くへ逃げようとする。

「いいぜ、地の果てまででも追いかけてやるよ」

 男の声がしたが、振り返っている余裕などなかった。

 加速し風圧が押し寄せ、街並みが霞む中、自分自身もここまでの速度が出せるとは思わなかった。短距離疾走の感覚で全力で走る。

 この速さだ。逃げきれるのではないか。

 後方へ振り返ると男の姿はない。

「なんとか逃げ切れたか…平凡な解決方法だけど警察にお世話になるしかないな」

 行政機関が役に立つとは思えないが日本国が味方になってくれるのならひとまず心配ないだろうとも思う。しかし、奴は一体何なのだろう。

 奴の言うタナトスの末席というワード。あの口ぶりから一枚岩ではないだろう。それに奴の纏うなれた風格は確実にここ最近生まれたような存在ではないことを語る。

「何とか振り切った。このまま警察に駆け込めば…」

 三島の表情は幾分安心の色を浮かべる。彼女が狙われない事実は三島の肩を軽くする。

 勝つ必要なんてない。適当にいなして出来る限り遠方に逃げられればいい。時間さえ稼げればいいんだ。

 三島の表情に希望があふれた。

 だが、前を向いたその時、それは単なるおごりであったことがはっきりと理解できた。

 三島の右側の風景である家屋が一斉に黒色に染色されると砂のように細かく崩壊し、その中から赤髪の男が大口を開けて飛び出し直進してきたのだ。

 三島は咄嗟にブレーキをかけると引き返すことに時間がかかることを考慮に入れ、咄嗟にだが一か八かバク転をイメージして繰り出す。

 男の右手は三島の頬をかすめるだけではずれる。三島は間一髪のところで攻撃を避ける。

接触した瞬間、頬に黒い傷が生まれその部分が音もなく崩壊し煙となって空気に溶ける。

男は高速だったため減速することができず、そのまま三島の視界の左側の方向に建てられた住宅同士を仕切る壁に突っ込み右手をめり込ませる。

壁には凄まじい亀裂が生じたが、それだけでは終わらない。

男の手から何の前触れもなくドス黒いオーラが発生した。それは数百メートルにわたり延長線上に位置する街並みを黒色に染め上げる。

黒く変色した部分は全て砂のようになり、風に吹かれただけで形を失い空気に溶けた。

普段の三島の運動能力では成功の片鱗も垣間見ることはできないはずの技は見事に成功し、何度も鋭いバク転を連続して繰り出し、家屋の変色していない安全な範囲まで下がる。

 三島は黒煙の噴き出す頬を拭う。そこから生まれた新たな傷口から数秒後、鮮血が滴る。

 男は目を血走らせこちらを振り向くと笑みを裂けんばかりに強調し吊り上げる。

 だがこの男、目は笑っていない。獰猛な猛禽類の如き鋭い相貌が三島を射抜く。

 男が放った黒色の波動は、三島が小揺木家の倒壊の際に発生させた紫の波動に酷似した気持ち悪さを伝える。同じだと言ったのはこの謎の力のことも含めてということだろうか。

 実力だけ上回っているだけでなく、この謎さえも自らの武器として行使できるのか。

男の姿が再び消えた。

 どの方向から現れるか判断できない。三島は咄嗟に移動規模が制限された近くの電柱の頂上に向けて跳躍し、辺りを警戒することであの特殊攻撃を回避しようと最善を尽くす。

 男はまたも三島のいた位置に一瞬で移動し、その余力を用いて三島の昇った電柱に接近すると黒い死を腕に纏わせる。その黒色の炎のようなものは伸長し、長さにしておよそ百メートルにまで成長する。

その状態で辺り一帯をその場で一回転することでなぎ払う。

電柱から離れ安全な場所に着地しようとするが、男の攻撃で男を中心とする約百メートル圏内は黒いオーラを纏った手刀によって壊された。土台を失った一帯の家屋、電柱、塀は重力に従い崩壊していったために飛び移るべき足場を三島は失っていた。

最悪の結果だ。男の攻撃で地面に降り立つことを余儀なくされる。

三島が着地の反動で俯く。即座に対応できるよう男の姿を探そうと顔を上げた。

 顔の近くには男の不敵な笑みが一メートルの隙間もなくズームで現れる。

 待っていたかのような即座の先制攻撃。

三島の顔面を鷲掴みにし、近くのコンクリート塀にたたきつける。

塀は本来の役割を果たさず発泡スチロールと同等の強度と錯覚する勢いで脆くも崩れる。

 なおも残る破壊力は二件分の家を吹き飛ばし跡形もなく粉砕すると、三島は三件目でやっと失速し、火事で焼け焦げたその家屋を抉り、砕け散った瓦礫の海の中心に倒れた。

 全身を突き刺す痛みの中、三島はぐったりと頭を垂れ、めり込んだ瓦礫に寄りかかる体勢になっていた。

 吹き飛ばされた軌跡がもとからあった一本道のように開けていた。

 その道を通り、不気味な笑みを張り付けた男はゆっくりと三島に近づいていく。

 三島の昏倒と時を同じくして街中の炎は息を吹き返した。

「空気抵抗と重力を殺める理論を行使して、一瞬の長距離移動を実現している所を見るとこの能力の使い方がわかっていると思ったのによ。お前、もしかして無意識でやってんのか。お前のタナトス制御は全くの素人みたいだな。酷いなんてもんじゃねえ。今生きてんのが偶然過ぎて逆に感心するレベルだぞ。お前、どうやってこの力を使っていいかもわからねえ雑魚だったのか。初速でこいつは久しぶりにおもしれえって思ったのによ。期待はずれもいいとこだな。つまんねえ」

 男は三島の前髪を掴み、体に力の入らない三島を両膝立ちになるよう持ち上げる。

「これじゃあよ、あの女いたぶってる方が数段おもしれえ。もういいわ、あの女殺すか」

 男は三島が発する、小揺木に対する並々ならぬ深い感情を察知し、軽い挑発を交え脅しをかけることで戦いへの意欲を煽った。

 だが、もう三島の目に戦意は窺えない。

「こりゃ、つまんねえ」と心中呟くと、男は三島をつかんだ腕を右へ左へ振り子運動のようにぶらつかせる。それに従い三島の体も徐々に右に左に振られ始め、その速度は上がる。

男は手を離した。

その軽いモーションとは対照的に弾丸の速度で三島は射出され、塀、家、塀、家、塀、家の順に突き破り男の視界から消え失せる。

粉塵が幾重にも巻き上がり重なり辺りは何も見えなくなった。

破壊の余波が男の髪をなびかせる。

「あっけねえな、さてどうすっか」

 男は来た道を引き返し、あくびをすると煙草の箱をポケットから取り出し、片手で一本抜き出し口に銜える。

 一方、三島は粉塵の中でいったい自分に何ができるのかを問う。

 実力は天と地ほどに隔たり、立ち上がるのが馬鹿らしくなるほどに圧倒的だった。

 奴は何なのか。未だにわからないが俺と小揺木さんを殺しに来たのははっきりしている。

 正直に言えば怖いし、戦いたくはない。

 逃げてしまおうとも考える最低な自分がいた。しかし、逃げてどうしようというのだ。

 彼女を見殺しにする結果に終わるだけだ。

 生きている方が疑問に思うほどの攻撃を受けた。通常の人間は三島が食らったものと同じ暴力を受ければ確実に命を落とす。

 ここで寝ている場合か。

何のために蘇った。何のために彼女を守るんだ。思い出せ。

またも回想にその身を任せた。


やっとバトれました。読んで下さった方はありがとうございます。誤字脱字指摘お願いします。

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