表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『私は断罪されて死ぬ予定でしたが、ヒロインがやってきません』  作者: 月白ふゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話 始まらなかった理由

 代役の儀式から、数日が過ぎた。


 城は再び、静けさを取り戻していた。

 いや、正確には――静けさを装っていた。


 失敗は公にはならなかった。代役が務まらなかったことも、儀式が空転したことも、公式には何も語られない。語られないことで、なかったことになる。それが、この城の作法だった。


 だが、空気は変わっている。


 わずかな視線の揺れ。

 会話の途中で途切れる沈黙。

 「次」の話題が、誰の口からも出てこないこと。


 皆が、気づいている。


 正義は止まり、代役も効かず、では次に何をすればいいのか――誰も分からないということに。


 わたくしは、久しぶりに書庫へ向かった。


 明確な理由があったわけではない。ただ、答えがあるとすれば、記録の中だろうと思ったのだ。人が口を噤むなら、紙はまだ何かを覚えているかもしれない。


 書庫の奥は、ひんやりとしていた。石壁に囲まれ、外の時間から切り離された空間。埃と紙の匂いが混ざり合い、過去がそのまま保存されている場所。


 司書は、わたくしを見て一瞬だけ躊躇したが、止めなかった。もう止める意味がないのだろう。


 「閲覧制限のある棚を、確認したいの」


 わたくしはそう告げた。


 司書は、しばらく迷うように視線を彷徨わせ、それから小さく息を吐いた。


 「……お一人で、ということでしたら」


 それだけ言って、鍵を渡した。


 鍵は、重かった。物理的な重さではない。持つべきでないものを持っている感覚。その感覚を、わたくしはよく知っている。


 棚の奥。

 年号ごとに整理された帳簿。

 宗教記録、巡礼記録、奇跡報告。


 聖女に関わるはずの書類は、そこにあるはずだった。


 だが――ない。


 正確に言えば、「途中まで」しかない。


 ある年を境に、報告が途切れている。聖地での出来事、候補者の選定、神託の記録。そのすべてが、ある一日を最後に、唐突に終わっている。


 日付は、はっきりしていた。


 わたくしは、その日付を見て、動きを止めた。


 それは、わたくしの断罪予定日より、少し前の日だった。


 偶然ではない。


 胸の奥で、何かが静かに噛み合う音がした。


 さらに帳簿をめくる。

 巡礼路の封鎖記録。

 安全確認未了。

 原因不明の事故。


 事故。


 その言葉は、淡々と書かれている。詳細は伏せられ、関係者の名前は省かれ、責任の所在は「調査中」のまま止まっている。


 だが、日付だけは消せなかったのだろう。


 同じ日。


 聖女候補が「現れるはずだった」日。


 わたくしは、帳簿を閉じた。


 音が、やけに大きく響いた。書庫の中で、その音だけが、確かな現実だった。


 理解してしまった。


 聖女は、来なかったのではない。


 ――来る前に、終わっていたのだ。


 事故。

 不慮の出来事。

 誰も悪くない不幸。


 それは、この城が最も得意とする分類だ。責任を問わず、哀悼だけを示し、前に進むための便利な箱。


 けれど、その箱の中身は、空ではない。


 命が一つ、確かにそこにある。


 わたくしは、しばらくその場に立ち尽くしていた。悲しみは湧かなかった。怒りもない。ただ、理解があった。


 だから、物語は始まらなかった。


 ヒロインが来ないのではなく、来られない。


 それを誰も言わないのは、言えば物語そのものが壊れるからだ。


 聖女がいない断罪は、成立しない。

 聖女が死んだ断罪は、なおさら成立しない。


 誰も悪くない事故で失われた命を前に、悪役を裁く正義は、どこにも居場所を持てない。


 だから、すべてが止まった。


 だから、善意が積み重なり、判断が延期され、代役が試され、それでも動かなかった。


 わたくしは、書庫を出た。


 廊下の窓から、夕日が差し込んでいる。赤く、穏やかな光。何かを責める色ではない。すべてを包み込み、境界を曖昧にする色。


 王太子が、回廊の先に立っていた。


 偶然ではないだろう。彼もまた、何かに気づき始めている。あるいは、気づいていて、確認を避けている。


 「……見てしまったのか」


 彼は、そう言った。


 否定はしなかった。知らなかったとも言わなかった。


 「ええ」


 わたくしは、正直に答えた。


 王太子は、目を伏せる。


 「公にはできない」


 それが、彼の最初の言葉だった。


 「分かっていますわ」


 公にすれば、誰かが責められる。事故の管理者。判断を下した者。あるいは、神そのもの。


 どれも、彼の理想が許さない。


 「……だから、断罪は」


 彼が言いかけた言葉の先を、わたくしは知っている。


 断罪は、できない。


 「殿下」


 わたくしは、静かに口を開いた。


 「わたくしは、役目を果たせない理由を、ようやく理解しました」


 王太子は、顔を上げる。


 「わたくしは、悪役として完成していました。ですが、対になる存在が失われた以上、物語は成立しない」


 それは、責めでも抗議でもない。構造の説明だ。


 「誰も悪くありません。事故だったのでしょう。誰も意図していない」


 王太子の正義を、否定しない言葉。


 「……だが」


 彼の声が、わずかに震える。


 「それでも、君は……」


 わたくしは、微笑んだ。

 いつもの、悪役の笑みではない。

 ただ、理解した者の顔だった。


 「殿下。わたくしは、憎まれずに死ぬことを、望んでいません」


 彼は、何も言えなかった。


 夕日の中で、正義は沈黙している。

 動かないまま、しかし崩れもしない。


 わたくしは、その沈黙の理由を、すでに知っていた。


 始まらなかったのではない。


 始められなかったのだ。


 それだけのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ