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小指は契約の香りー秘密の二人編ー  作者: 弥都 史誠


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第十一章『姫事』#5(★)

 シエンの勝ち誇ったようなセピア色の目に、ロイスはまたムッとした表情を浮かべた。

 だが砂浜に裸足を置いた瞬間、熱いのは判っていた。それでもシエンと手を繋いで波打ち際を歩きたくて、そのまま突っ走った。

「まぁ…あの熱さは地獄だったな」

 少しの後悔と、やはりシエンと歩きたかった未練が混じる。

 シエンはレザーパンツの裾を出来るだけ上げると、ロイスの前に据わる。

「足を失礼します」

 まずはロイスの左足を手に取ると、まだ落ち切れていない砂を、丁寧に指の間まで洗う。

「アハッハッ! シエン、くすぐったい」

 逃げようとするロイスの足を、シエンはがっしりと掴んで離さない。

「我慢して下さい。はい、右足も」

「だっ、だって! アハハハハ!」

 シエンは右足も丁寧に洗って行く。ロイスの足や集水マスで跳ね返った水滴が、シエンの服を濡らす。

「──…シエン」

 波の音と足を洗う水音だけが響く中、ロイスは声のトーンを落として名を呼んだ。

「──気持ち良いよ」

 触れられる、シエンの指先の感触が。

「水が冷たいですからね。はい、終わりましたよ」

 違う。そんな事を言って欲しい訳じゃない。お前に触れられているから、気持ち良いんだ。だから…この先だって──して欲しい。

 心に針を刺されたようだった。立場という見えない壁に阻まれて、伝えたいのに伝えられないもどかしさに、少しだけ悲しくなった。

 告白された時は自信が無かったけれど、今ならはっきりと言えるのに…。

 手を繋ぐだけじゃない。足を洗うだけじゃない。俺の心の奥の奥でさえも、全部、お前に触れて欲しい。

 昨夜の自分の行為を思い出して、顔が熱くなった。

 でも、今はまだ我慢の時。教師と生徒の関係が解消されるまでは。

「──あぁ…タオルがありませんね。これは失敗しました」

 シエンが立ち上がって両腕を振り、水滴を飛ばす。

「…タオル、ある」

 そう言って、ロイスは小さなバッグから、大判のタオルハンカチを取り出す。

 白地にペールオレンジとブルーのチェック柄のシニョール織のタオルハンカチだった。

「それを使う訳には…」

「無いんだろ、タオル」

 ロイスはシエンに向かってそう言うと、サッサと自分の足を拭き始める。

 シエンは溜め息を吐くと、再びロイスの足元に腰を下ろして、そっとロイスの手に自分の手を重ねる。

「私が…」

 そしてロイスからタオルハンカチを受け取ると、砂を洗い流した時のように、丁寧に、決して擦らずに、少しずつずらしてタオルに水を吸い込ませる。

 クックッと押さえられる度に、タオルハンカチ越しに、シエンの手の大きさと体温を感じる。

「クッ…フッフッ…ダメだって! くすぐったい!」

 ロイスは笑いを堪え切れずに、足を引く。

 それをシエンは逃さないように捕まえる。

「では、今のうちに慣れて下さいね。いざという時の為に」

「…いざ、って?」

 ロイスはキョトンとして問い返す。

「はい、また濡らさないように、足上げて下さい」

 ロイスは拭いて貰った左足を踏み台に乗せて、片膝立ち状態になる。その左足を抱える。

「──いざという時は…いざという時です」

 シエンが上目遣いで、含み笑いをして来た。

 そしてロイスの右足から、同じように水滴を拭き取って行く。

「やっぱ、くすぐったい!」

「今日は熱かったり、冷たかったり、くすぐったかったり、忙しいですね」

(それだけじゃないけど…)

 今日は朝から、ロイスにとっては冒険の一日だった。

 朝から沢山ドキドキもした。心の底から笑ったのは、何年振りだろう。

 学校生活に不満は無い。ロドルフもレイモンドもアマンシアも、気の置けない仲間達だ。

 でも、今日は何もかもが特別だった。

「はい、終わりましたよ。靴をお持ちしますから、濡らさないようにお願いしますよ」

 シエンは立ち上がり、再び両手を振って水滴を飛ばした。

 そしてベンチ下に置いた、ロイスの靴を取りに向かう。

「うん…」

 ロイスは右足も踏み台に上げて、今度は胡座をかいた。

 その後ろ姿を追う。

(……⁉︎ ちょっと待て。いざっていう時って…やっぱりセッ──?)

 やっとシエンの含み笑いの意味に、脳が追い付いた。

 頭の中がパニックになり、シエンの「足を上げて下さい」というワードが、変な意味に聞こえて来る。

 ロイスは頭を振って、不埒な考えを消そうとする。

(──でもレイモンドは経験済みだって言ってた。俺…もしかしたら、遅いのかもしれない)

 何故か溜め息が出た。

「溜め息なんか吐いて、どうしたんです?」

「えっ⁉︎」

 いつの間にか、シエンが戻って来ていた。

「──ちょっと…疲れただけ、だ」

 咄嗟に目を逸らしてしまった。

 まさかシエンとの“いざ”を想像していたとは、絶対に言えない。

(──耐えろ、俺…‼︎)

 胡座で開いていた足を閉じて、膝を抱え込んだ。

「そうですね。あれだけはしゃげば疲れるでしょう」

 シエンはロイスの靴を揃えて置くと、くるりとひっくり返して、踵側をロイスに向ける。

 そして中に入っている靴下を取り出す。

「靴下くらい、自分で履けるぞ」

 座っていれば、何でも使用人がやってくれる年齢は過ぎているのに、シエンの中では今でも“お坊ちゃま”なのだろう。

 これからは、シエンに成長した自分を示して行かなくてはならない。そして、肩を並べても、恥ずかしくない自分にならなければ。

 ロイスはシエンに手を差し出す。

 シエンは少し間を置いて笑う。

「それは失礼しました。どうぞ」

 クシャクシャの靴下を、そっとロイスの手の平に置いた。

【キーワード】

・昨夜の自分の行為

・レイモンドは経験済み

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