第十一章『姫事』#2
ロイスのスプーンを握ったままの右手が、シエンのジャケットの左袖を掴む。
ロイスからの二度目のスキンシップ。
最初の彼からのスキンシップは、あの温室だった。その時以外のエスコートや学院の駐車場へ向かう時も、手を差し出していたのは、いつもシエンだった。
それが今、彼の方から──ジャケットの袖ではあったが、触れて来ている。
シエンはドキリとする。
「──うん、やっぱりソフトクリームにして正解だったな」
当の本人は、無意識にそう言って、もう一口口に入れる。
シエンも溶け始めたソフトクリームの頭頂を口に入れる。
コーヒーの香ばしく少しの苦味とバニラの混ざった、ほろ苦くも甘い味が口の中に広がる。
やはりバニラは、香りも味も自分には甘過ぎる。
これは罪悪感の味だ。シエンは自嘲気味に薄く笑う。
「…そうですね」
ロイスが言った通り、ソフトクリームは口内を適度に冷やしてくれる。
先にロイスがベンチに座り、「ほら」と自分の左側の座面をポンポンと叩く。
シエンは少し離れて座る。
「──お味はいかがですか?」
「うん、美味しいよ」
ロイスはスプーンを使って、ソフトクリームを口に入れた。
そして、シエンの持つソフトクリームをジッと見る。
「──シエン、それ…ちょっと食べてみたい」
シエンは思わず吹き出す。
「ふっ…そう仰ると思いましたよ。どうぞ」
シエンがソフトクリームを差し出すと、ロイスはその手首を掴んで、コーヒーとバニラの境目に直接かぶり付いた。
その瞬間、潮風ではない、ほんの少ししょっぱい香りが鼻を抜ける。
けれど海の匂いではない。もっと、身体に近い。
それに混じって、森の中の湿った木々を思わせる、落ち着きと透明感を併せ持つ香り。
それが、掴んだシエンの腕から立ち登った。
「…やっぱり苦いな」
ソフトクリームのコーヒー&バニラの香ばしさと、シエンの香りが混じる。
それは甘さの奥に苦味を秘めた、まさに“大人”の匂い。
目を逸らしたくなるほど惹き込まれそうで、ロイスは急いで口直しのストロベリー味を、スプーンで二口続けて口に入れる。
シエンはロイスの行動に、しばし呆然となる。
(これは…もしかしなくても…)
ふとロイスの頰に茶色のクリームが付いているのに気付く。
「──ロイス様、ほっぺにクリームが付いてますよ」
そう言って、シエンはソフトクリームを左手に持ち替えて、ロイスの頬に付いているクリームを右人差し指ですくい取り、それを舐めた。
「え? 嘘…」
かぶり付いた時に付いたのだろうが、相変わらず、ソフトクリームの上手な食べ方は判らない。
家でアイスクリームを食べる時は、必ずガラスの器に移されて、スプーンで食べるからだ。
また子供扱いされたロイスは憮然となる。
ソフトクリームをスプーンですくい取り、口に入れながら、シエンを上回る仕返しを思い付く。
チラッとシエンを見上げる。
「──シエン、お前も付いてるぞ」
少し呆れた顔のスカイブルーの瞳と目が合った。
シエンは、大人の自分がそんな食べ方はしないはずだと動揺する。
「え? そんなはずは…」
ロイスの目を見て瞬時に、それは嘘だと見抜いたが、その瞬間、シエンの右頬に柔らかく冷たいものが微かに触れた。
ロイスの思い掛けない行動に驚く。
思わず右頬に手を当てる。ロイスの感触だけが頰に残り、冷たさは体温に溶けて消えた。
ロイスを見ると、いたずらっ子のように、可愛らしい舌を少し出して笑っていた。
「さっきのお返しだ」
そう言って海に視線を戻して、ロイスはソフトクリームのコーンをパリパリと食べ始めた。
「………」
まさか彼がこんな仕返しをしてくるとは思いもしなかった。
波の音も、潮風の音も、海鳥の鳴き声も聞こえない。
一瞬の出来事だったが、シエンを取り巻く全ての時間が止まったような気がした。
シエンは想定外のロイスの行動に、しばし硬直する。
「早く食べないと、残りは俺が食べちゃうからな」
ロイスは何も無かったかのように、海を眺めて、コーンを食べている。
「もう二度と顔は洗えませんよ」
シエンは冷や汗を流しながら、何とか精神力を立て直し、溶けかけたソフトクリームを食べ始める。
「汚い奴だな。仮にも人気教師なんだから、顔くらい洗え」
ロイスのソフトクリームは、もう残りはコーンの三分の一程度まで減っていた。
「え…それは」
冗談が通じているのか、いないのか。
「食べ終わったら、次は浜辺だ。ほら、早く食べろ」
シエンの言葉を遮るように、浜辺に誘うロイスが満面の笑みで見上げていた。
(今日はあなたに振り回されっぱなしですね)
こんなはずでは無かったのに。
「──海には入りませんよ。また水をかけられるのは御免ですからね」
シエンもロイスに追い付くように、急いでソフトクリームを食べる。
「…何だ、覚えていたのか」
少しつまらなさそうに言いながら、コーンの最後を口に放り込んだ。
「あなたと最後に行った海ですよ。忘れるわけないじゃないですか」
ロイスから少し遅れて、シエンもソフトクリームを食べ終わる。
「よし、食べ終わったな。浜辺に行くぞ」
ロイスはそう言うと、シエンの手を引っ張った。
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・ロイスの目を見て瞬時に、それは嘘だと見抜いた
・こんなはずでは無かったのに。




