第十章『秘事』#6
「…別に、いい」
ロイスはすぐにパスタに向き合うと、手を合わせる。
「──いただきます」
そう呟くと、両手にフォークとスプーンを取る。
「……いただきます」
シエンは照れているロイスを見て、自分も手を合わせると、ムール貝を少し退けて、オレンジ色の麺をスプーンの上でクルクルと巻き取った。
「…っ! からっ!」
突如、ロイスが小さく声を上げた。
「どうしました?」
シエンはパスタを口に入れようとしていた手を止めて、ロイスを見る。
ロイスが顔を歪めて、舌を出していた。
「唐辛子、食べちゃった」
ボンゴレ・ビアンコはそれほど辛くないはずだが、ロイスの目尻に涙が浮かんでいるように見えた。
「はい、お水です」
シエンはロイスが飲んでいた、半分ほど減ったレモン水のグラスを手に取る。
結露でグラスの表面を覆っている水滴を、自分のお手拭きタオルで素早く拭き取るとロイスに手渡す。
「ありがと…」
グラスを受け取ったロイスは、三口ほどゴクリと喉を鳴らして飲んだ。
「カルボナーラにするべきでしたね」
シエンは笑いを堪える。
ロイスがケホッと、軽く咳払いをした。
「お前が海鮮のパスタが美味しいって言うから、ボンゴレにしたんだ」
ロイスはフォークの先を器用に使い、麺に紛れている刻み唐辛子の捜索を始める。
シエンはロイスが自分の言葉を覚えていてくれたことに嬉しくなる。
メニューの中から、サンドウィッチやピッツァを選ぶことも出来たはずだ。
それなのに、苦手なトマトや辛いパスタの中でも、自身が食べれそうなものを選んでくれた。
「そんな無理なさらなくても」
巻き取ったパスタとエビを口に入れ、シエンはヨットハーバーより遥か遠く、水平線を眺める。
ロイスとの距離が六年という歳月を超えて、再び近くなるのを感じながら、中世の街並みを残した旧市街地に建つ教会を思い出す。
これは儀式だ…。
教会の天井から吊るされた香炉が振られるように、シエンの心も揺れる。
これで良いのか、と。
ロイスは神ではないが、従者が決して愛してはならない存在だ。しかし少しでも近付きたいと願うのは、教会で香炉から立ち上る煙に乗せて祈りを捧げていた信者と、一度は逃げておいて再び戻って来た自分も同じなのだ。それは祈りとなって、過去から現在へと繋がり、またまだ見ぬ未来へと続く。
「無理なんかしてない。唐辛子を食べなきゃ大丈夫だ」
ロイスの声に思考を絶たれる。
ふとロイスのパスタ皿を見ると、皿の片隅に刻み唐辛子の赤い塊が出来ている。
(相変わらず可愛らしい方ですね)
シエンは一生懸命に唐辛子を探すロイスに微笑むと、もう一口、パスタを口に入れる。
ロイスは唐辛子がパスタの中から全て取り除けたか、集中するあまり無言になる。
「………」
「フォークに引っ掛けて…器用に唐辛子、避けますね」
最後の一つを見付けたロイスは、それをフォークに引っ掛けると、唐辛子の塊に加えた。
「いつもやってるからな。…よし、もう無いな」
唐辛子の無くなったボンゴレ・ビアンコの麺をスプーンの上で、クルクルと巻き付ける。
そして、スプーンでアサリを一つすくうと、巻き取ったパスタの上に乗せ口に運ぶ。
唐辛子を探している間に、食べれる温度にまで冷めている。
ロイスは何度も頷きながら、咀嚼する。
「お口に合いましたか?」
満足そうなロイスを見て、シエンは感想を聞く。
「オリーブオイルとハーブの香りも良いし、アサリも新鮮なものを使ってる。白ワインの香りもちょうど良いし…うん、美味しいよ」
シエンはロイスの舌の確かさに、成長を感じる。トマト嫌いは変わらないが、リチャードソン家の後継者に相応しい教育がされて来た、自分の知らないロイスがそこに居た。
「それは良かった。私のも召し上がりますか?」
「要らない」
ロイスは考えもせずに、横目で即答して来た。
「そんなに毛嫌いしなくても良いじゃないですか。食べてみたら、意外と美味しいかもしれませんよ」
シエンはロイスのアイスブルーの瞳を平然と躱わす。
「……いい!」
ロイスはシエンのパスタ皿の中身を見ながら、先ほどより少し強い口調で再び拒否をする。
「フフフ…判りましたよ」
シエンはロイスが本気で拒否する姿に、愛おしさを感じる。
初めての授業の時に、明らかに緊張して、ドギマギしていた姿も、女子生徒達と話していただけで、嫉妬し拗ねていた姿も、久し振りの海に、無邪気に喜ぶ姿も、そして一生懸命に背伸びをして、自分に釣り合おうとしている姿も、全てが愛おしい。
「……んっ‼︎」
ロイスが突如、店中に聞こえるような声を上げる。
「──からっ‼︎」
慌ててグラスに手を伸ばして、ゴクゴクとレモン水を流し込む。
「どうしましたっ?」
まさかパスタを喉に詰まらせたのかと、心配になる。
ロイスがグラスをコースターに戻すと、大きく息を吐いた。
「唐辛子…残ってた…」
ロイスが眉尻を下げて、見上げて来る。
(か…可愛い)
その涙で潤んだロイスのスカイブルーに、シエンは心地良い目眩を覚える。
何とか全部食べ終えたロイスは、皿の右側にフォークとスプーンを揃えて、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
そして、まだ食べ終わらないシエンに向かって告げる。
「次はアンチョビとポルチーニのカッペリーニにする!」
「……」
ロイスの突然の意気込みに、シエンは慌ててメニュー表のパスタのページの記憶を辿る。
「──ここにはありませんよ」
「え?」
今度は、目を点にしたロイスが、見上げて来ていた。
【キーワード】
・中世の街並みを残した旧市街地に建つ教会を思い出す。
・アイスブルー
・スカイブルー




