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第五章『記憶』#2

「──何だよって、聞いてるんだ!」

 ロイスの語気が少し強くなる。

 シエンは小さく溜め息を吐く。

「…あなたから…離れる為、です」

 顔を背けたまま、シエンは伏し目がちにコーヒーを一口飲む。

「俺から…離れる為?」

 ロイスの胸がズキリと痛み、唇を真一文字に噛む。

 友達だと思っていたのは、自分だけだったのか。

「えぇ」

 そんなに嫌われていたのか。

 マグカップを包み込む指先に力が入る。

「じゃあ、何で…今になって、戻って来たんだよ」

 何だか惨めになって来て、泣きそうになる。

「やはり、あなたに会いたくなったからです」

 シエンはもう一口コーヒーを飲む。

「はあ? 意味が判らない…」

 しばし、二人の間に沈黙の時間が流れる。

「あの時の私は高校三年生。思春期の真っ只中でした。それでお察し下さい」

 やっと口にした理由がそれか?、とロイスは納得出来ない。

 目をきつく閉じて、俯く。

「俺には全っっ然、判らない」

 次第に怒りが込み上げて来る。

 思春期だったから、離れたかった? 大人になったから、また会いたくなって戻って来た? 何だ、それは。

「──俺はお前が居なくなって、寂しくて、悲しくて…捨てられたと思っていたんだぞ。お前の親父おやじに聞いても、使用人に聞いても、誰も何も教えてくれない」

「それは…誰にも言いませんでしたから。ただ、大学は外に行く、とだけ」

「俺は…」

 ロイスの声が震えていた。

「──俺はお前のこと、友達だと思っていたのに…ずっと傍にいてくれると、思っていたのに…」

 マグカカップを包み込む指先が震える。

「それは父から聞いていました。あなたが寂しがっていると。でも、戻る訳にはいかなかった」

「もう、いい。判った! お前はそうやって、俺の気持ちをもてあそんで楽しんでいるんだ。今日だって…」

 ロイスは昨日の地理の授業から、ずっと一喜一憂していた事を思い出して、バカらしくなって来た。

「──今日だって、ずっとお前とどんな顔して会えば良いのか、何を話せば良いのか…眠れないくらい悩んでいたのに…」

 こんな姿をシエンに見られたくなくて、ロイスはスクールバッグを掴むと立ち上がる。

「待って下さい。それは違います。とりあえず、ここには防犯カメラがありますから、落ち着いて座って下さい」

 シエンもロイスを止める為に立ち上がる。が、彼を掴もうとした手が止まる。

 映像を監視している警備員が、教師と生徒の間に何かあると判断すれば、飛んでやって来るに違いない。

 ロイスは渋々座り直す。

 シエンも座り直して、ロイスと正面から向かい合う。

「──何から話せば良いのか…困りますが、結論から言いますと、私は……私はあなたが、好きなんです」

「え?」

 シエンが潤んだ渋茶の瞳で、真っ直ぐに見つめて、微笑んでいた。

「あなたのことが好きなんです。だから、あなたに迷惑がかからないように…逃げたんです、私は」

「……」

 思いもよらないシエンの告白に、ロイスは頭が真っ白になる。

「最初は自分が小児性愛者なのかと悩みました。しかし、あなた以外に反応しないんです」

「……」

 ロイスは何か言おうにも、言葉が出て来ない。

「向こうでは女性ともお付き合いしました。でも違うんです。あなたじゃなきゃ…ダメなんです」

 ロイスの目の前には、すっかり冷めてしまったお茶が入った青色のマグカップ。

 反応しない…って、“そういう”事なんだろう。

 自分はまだ誰かにしか反応しない、“そういう”経験は無いけれど、確かな事はある。

「…シエン、ごめん、俺…」

 俯いて、それだけ言うのが精一杯だった。

「そうですよね。男が男を好きだなんて…」

 シエンは全てを受け入れたように笑った。

「違う!」

 ロイスは顔を上げて思わず叫ぶ。

「──違うんだ…。お前のこと、誤解してごめん。俺もシエンのこと、ずっと好きだった」

 俯いて唇を噛み、膝に乗せた拳をギュッと握る。

「私の好きは、あなたがいだく“好き”とは違いますよ?」

 ふわりと甘く少しだけ甘酸っぱい香りが、シエンの言葉の中に混じっているように感じる。

 ロイスは胸の高鳴りを感じると共に戸惑う。

「──私はあなたとキスがしたい。親愛のキスではなく恋人としてのキスを。その先だって…したいんです」

 シエンの吐露は、淡々としており、それが長年の苦悩を感じられた。

 それを考えると、心臓を掴まれた痛みを共有したと錯覚させられる。

 シエンの穏やかな声を聞きながら、ロイスは自分はシエンに対して、どう思っているのかを考える。

 シエンとキス…幼い頃はお互いの頬によくキスし合っていた。あれは感謝や挨拶などの親愛のキスだ。恋人としてのキス…つまり唇同士を合わせるキスは?

 答えは…多分、出来る。

 では、その先は?──それはまだ考えられなかった。

 保健体育の授業で習っただけの、“男性と女性が子供を作る為にする行為”。身体的の構造が違う男同士の仕方は習っていない。果たして自分に“それ”が出来るのか。

 シエンと甘い焼き菓子を無邪気に食べていた、あの頃とは違う。シエンがずっと心に秘めていた想いを聞いた今は、どうするべきか。

 ロイスの中で、野生の花がゆっくりと花びらを開いて行き、甘い蜂蜜が焦げたように胸が熱くなる。

 そして、はっきりと何かが芽吹くのを感じる。温められた大地から、力強く顔を出した新芽は、ロイスの奥で何かが確かに動き出す。

「シエン…」

 ロイスは頬を紅潮させ、きつく目を閉じて勇気を出す。シエンも長年秘めた想いを告白してくれたのだから。

 少し深く息を吐いて、身体の力を抜く。でも、シエンの顔を見ることは出来ない。

「──俺の“好き”も…お前と同じ…だと、思う…多分」

 最後は、付け足したような、小さな声だった。

 ロイスは上目遣いで、シエンを恐る恐る見る。心臓の鼓動が、飛び出して来そうなくらい早い。

「ありがとうございます。やっと伝えられました」

 シエンが目を細めて、満足気に笑った。

「俺も、やっと言えた」

 昨日からの不安と緊張から解放されて、ロイスも満面の笑みをシエンに返した。

【キーワード】

・甘い焼き菓子

・野生の花

・蜂蜜が焦げたよう

・温められた大地から芽吹く新芽

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