第三章『宝物』#4
車内は会話は無く静かだった。ただ、僅かにエンジン音が聞こえるのみ。
ロイスは窓に肘をかけて、窓のスモークで薄暗く見える車外の流れる景色を、物憂げに眺めていた
ロドルフを部活に行かせなければ…。
そんな後悔が胸を過ぎる。
でも、夏の大会が近く、大事な時期なのだ。判断は間違っていなかったはずだ。
そこへレイモンドが現れた。
安心はしたが、怪我をさせてしまった。
いや、彼は勝手に護衛を気取り、勝手に危険に飛び込んだのだ。
『それにスリル大好き!』
教室で、屈託無く笑った顔が浮かぶ。
そう──彼は勝手にやったのだ。
無理矢理納得させる。
『今後、坊ちゃんに指一本でも触れてみな。俺が許さねぇからな』
レイモンドの真剣な言葉を思い出す。
(……アイツ)
フッと口元が緩んだ。
「お節介なやつめ…」
思わず呟いてしまった。
「何かおっしゃいましたか?」
運転手が自分へ話しかけられたと思い、主人へ聞き返す。
「いや、こっちの話だ」
「本日は良いことがあったようですね」
運転手は穏やかに、ロイスへ話しかける。
普段は必要以上に話しかけてこない男だが、今日は珍しく口を開いた。
それは運転手の長年の経験で、ロイスとの距離感が判っているからだ。それに自分にも、ロイスと同じ年頃の息子がいる。だからこそ判ることもある。
思春期の少年は、黙っていても気付いて欲しい反面、無遠慮に土足で踏み込まれることを嫌う。
大切なのは『必要な時に、さりげなく寄り添うこと』──それが彼の流儀だった。
「まぁ…あれが良いことと言えば、良いことなのかな」
運転手は、ルームミラーで後方から不審な車が付けて来ていないかを確認する。
「左様で。お坊ちゃまの学校生活が楽しいもののようで、わたくし共も嬉しゅうございますよ」
ロイスは少し驚いた表情を見せる。
そして、人知れず穏やかに笑う。スカイブルーの瞳に、窓のスモークを通した夕陽が映る。
「…ありがとう、アンジェロ」
ボソリとロイスが呟くと、アンジェロも前を向いたまま、フッと笑った。
車は夕陽の中を、リチャードソン家へ向かって走り去って行った。
翌朝。
いつも通り、校門前にロイスを乗せた車が止まり、運転手が後部ドアを開ける。
「いってらっしゃいませ、ロイス様」
「うん、ご苦労」
ロイスが降りると、いつもは居ない人物に目がとまる。
「──ロドルフ?」
「おはようございます」
最敬礼のお辞儀をして、挨拶をして来た。いつもは敬語すら使って来ないのに。
「おはよう。どうしたんだ?」
教室へ向かいながら、ロイスはロドルフに尋ねる。
「昨日は護衛、失格でしたので」
ロイスの三歩後ろ歩き、ロドルフは最敬礼で出迎えた理由を告げた。
「昨日のことは気にするな。今は大会に集中しろ」
「いや…でも…」
メガネのレンズの下で、ロドルフは悔しそうに、表情を歪める。
「お前は十分に役に立ってくれているよ」
僅かにロドルフへ顔を向けて、ロイスは静かに労う。
「──そう言えば、今日のメガネはいつものと違うな」
今日のレイモンドのメガネのレンズは、日光の下でも透明のままだ。
「……これは…予備です」
「何だ、もしかして昨日、壊れたのか?」
「えぇ…まぁ…」
ロドルフは口を濁す。
違う、とも言えた。しかし嘘はすぐに見抜かれるだろうし、信頼を失うことになりかねない。
「じゃあ、すぐに新しい物を用意させよう」
「いや…そこまでしていただく訳には…」
ロイスがピタリと足を止めて、ロドルフと向き合う。
小首を傾げて、眉間に皺を寄せて、真っ直ぐなマリンブルーがロドルフを射る。
まるで、あの護衛を頼んで来た時のように。
「遠慮はするな。そういう契約だ」
僅かにロイスの口角が上がった。
その笑みに、ロドルフは赦された、と感じた。
「ありがとうございます」
ロドルフは頭を下げて礼を言う。
「──もう二度と…」
失敗はしない、と言いかけて、ロイスは再び前を向き、レイモンドの言葉を遮り教室へと足を運び始めた。
「だから! 昨日のことは気にするな。今は大会に集中しろ。私からはそれだけだ」
ロイスは大股歩きで、ズンズンと進んで行く。
すれ違う生徒達が、ロイスに向けて挨拶をしている。それにロイスはぶっきらぼうに応える。
ロドルフは大きく深呼吸し、気を引き締めると、ロイスを追いかけた。
教室に入ると、机に腰掛けてクラスメイトと談笑しているレイモンドが、真っ先にロイスに気が付いた。
「お! 坊ちゃん、おっす‼︎」
軽く手を上げて挨拶をするが、ロイスは真っ直ぐ向いたまま、レイモンドの横を通り過ぎる。
「あぁ、おはよう」
通り過ぎると同時に、チラリとレイモンドを見ると、右頬に貼られた湿布と、口端の絆創膏が痛々しかった。
「……え、そんだけ?」
ロイスはそのまま自席に着く。その後を、机から降りたレイモンドが追いかけて来た。
「それ以外に何がある?」
スクールバッグから必要なタブレット端末や筆記用具を取り出して行く。
「だって、昨日の俺、ヒーローじゃね? ご褒美欲しい~。俺のタブレット画面、もうバリバリ‼︎」
ロイスの前で、両手を合わせておねだりのポーズをする。
レイモンドの相手をしながら、ロイスは思う。
(昨日のレイモンド…、あれは?)
「それは前からだろう?」
「……あ、バレてた?」
「勝手にやっておいて、おねだりとは良い度胸だ。それだけは褒めてやる」
「もう! ロイスちゃん、酷い!」
ロドルフは自席から、戯けるレイモンドをじっと見る。
(昨日のレイモンドは明らかにおかしかった。もしアイツがまた同じ状態になったら…どうなるんだ? 次は…俺でも止めれるかどうか…)
ロドルフは予備のメガネを外して、それを見る。家に帰ってから、フレームから外れてしまった調光レンズのメガネを思い出した。
ホームルーム開始のチャイムが鳴った。
レイモンドは渋々、自席に戻り、担任が教室に入って来る。
担任の話を聞きながら、ロイスは頬杖を付いて窓の外を眺める。
校庭の木々はすっかり青葉に変わっている。
青葉の映るセージグリーンの目を細めて、ロイスは一人微笑んだ。
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