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エディがジェンキンス伯爵の屋敷に着いたタイミングで、雨は激しくなり、雷がより近く、大きく鳴り響くようになった。
「やあ、エディ」
出迎えてくれたのは、ジェンキンス伯爵だった。ジェンキンス伯爵夫人と、ミアの姿はない。エディは、不安に襲われた。
「あ、あの。ジェンキンス伯爵夫人と、ミア嬢は……?」
なにか、粗放を働いてしまったのではないか。それとも、エディにとっては、我慢に我慢を重ねた二ヶ月だったが、再会には、早すぎたのだろうか。手紙で訪問の了承はもちろん得ていたが、本当は、迷惑だったのか。いろんな考えが、脳裏に駆けめぐる。
不安そうな表情に、ジェンキンス伯爵が慌てて声をかける。
「妻も、ミアも、きみに会うのをとても楽しみにしていたんだよ。けれど、ミアは雷がとても苦手でね。布団に包まって、出てこないんだ」
ふだん、感情を表に出さないようにしているエディだが、ここにくると緊張が緩むのか、傍目にもわかるほど、ほっと胸を撫で下ろした。
「そう、なんですね。確かに、雷が落ちるあの大きな音は、僕も怖いです」
「はは、そうなんだね」
「ミア嬢は、部屋にいるのですか?」
「あ、ああ。いまは、ホリーが傍にいるよ。雷が収まれば、じきに出てくる。それまで、待っていてあげてくれないかな」
「……傍にいては駄目ですか?」
「情けない姿を、きみに見られたくはないだろうからね」
「情けないだなんて、思いません。誰にだって、苦手なものや、怖いものは、あります」
ジェンキンス伯爵が、そうだね、と目を細める。エディ様。ジェンキンス伯爵の背後から、控え目な声で名を呼ばれたのは、そんなときだった。エディは嬉しそうにぱっと顔を輝かせたが、一方で、ジェンキンス伯爵は、少し驚いた様子だった。ミアの隣を歩くジェンキンス伯爵夫人に、ジェンキンス伯爵が目配せをする。
エディは、そんな二人のやり取りには気付くことなく、ミアの傍に駆け寄った。
「会えて嬉しいです、ミア嬢。でも、大丈夫ですか? 雷が苦手と聞きましたが……無理をしていませんか?」
「だ、大丈夫です。無理はしていません」
「雷の怖さより、エディに早く会いたい想いが勝ったみたいなの」
ジェンキンス伯爵に、困ったように肩を竦めてみせたあと、ジェンキンス伯爵夫人はそう言って笑った。ミアが、照れたように「お、お母様」と、頬を赤く染めながら小さく抗議する。
──ああ、家族だな。
自分も早く、一員になれたら。
そのとき。
外が眩く、一瞬、強烈な光を放った。続いて、ドーンッ、という音が屋敷を揺らした。
落ちた。雷が特別に怖いわけではないエディも、これには一瞬、息が止まった。ほっと息をついたあと、自分が知らずに、ミアを抱き寄せていたことに気付き、エディは焦った。
「す、すみません。つい……っ」
慌てて、ミアから離れようとする。ミアは、そんなエディの背中に腕をまわしてきた。ぎゅっと、力を入れて抱き締められる。力は弱いので、苦しくはない。ないが、ミアらしからぬ行動に、エディは困惑した。
「ミア嬢……?」
「やっとあえた、エディ。ずっと、こうしておはなし、したかったの」
口調が。雰囲気が。先ほどまでのミアとは、まるで違っていて。エディは助けを、答えを求めるように、ジェンキンス伯爵と、ジェンキンス伯爵夫人に、交互に視線を向けた。
「……あなた、ごめんなさい。わたし……」
ジェンキンス伯爵夫人は、口元を両手で覆い、震えていた。そんな妻の肩に、ジェンキンス伯爵は、そっと手を置いた。
「……いや。最近は、雷が原因でダリアが表に出てくることは減っていた。それに、エディに会いたがるミアを止めることなど、私にもできなかっただろうさ」
労るような口調で告げると、ジェンキンス伯爵は、一歩、前に出た。エディと視線を交差させる。
「驚かせてすまない。すべて、話すよ。その上で、今後のミアとの付き合いを、改めて考えてみてほしい」
「……付き合いを?」
呆然と、ただ繰り返すエディ。ジェンキンス伯爵は、もう一度、謝罪した。
「本当に、すまない。これは、まだ十のきみには、酷な話だ。きみさえよければ、これから王都に向かい、ルソー伯爵を交えて話を──」
ルソー伯爵。その名に、エディは正気に戻ったように、はっとした。
「い、いえ。僕なら平気です。どうか、話を聞かせてください」
「しかし……」
「お願いします。お願いします」
なにが起きたのかは、わからない。頭はまだ、パニック状態のまま。ただ、ルソー伯爵を交えることで、この出会いをなかったことにされる恐怖の方が、困惑を上回っていた。
「エディ」
舌っ足らずな声音に名を呼ばれ、エディは、引き寄せられるようにミアを見た。
「ダリア、わかるよ。ミアよりも」
「……ダリア?」
「そう。ダリアは、ダリアってなまえなの。ミアじゃないよ。だからミアってよばないでね」
「──駄目よ、ダリア」
気付けば、ジェンキンス伯爵夫人がダリアの背後に立っていて、そっとダリアの両肩に手を置いた。
「エディにちゃんと、ミアとダリアのことをお話して、わかってもらわないといけないの。おしゃべりは、それからよ。ね?」
「でも、ダリア。エディとおはなしするの、すごくたのしみにしていたの。たのしいことは、いつもミアばかりで、ずるい」
頭に疑問符を浮かべたまま、それでも二人の会話を、必死に理解しようとするエディ。けれど、すべてが耳をすり抜けていくように、なにも頭に入ってこない。
「……ディ。エディ」
ジェンキンス伯爵が、エディと目線を合わせるように、屈みながら、名を呼んでいた。気付いたエディが、うつむいていた顔を上げた。
「は、はい」
「立ち話もなんだから、応接室に行こう。数日の馬車移動で疲れているだろうから、少し休憩してからでも」
「! いえ。大丈夫です」
食い気味に声を出したエディに、ジェンキンス伯爵は、苦笑した。
「……そうだな。こんな状況で、ゆっくり休めるわけないよな」
行こう。
そう言って、ジェンキンス伯爵は、応接室に足を向けた。覚悟を決めるように、あとに続こうとしたエディの手を、ダリアが握ってきた。
「へへっ」
ダリアが、無邪気に、嬉しそうに笑う。
(……なんだろう)
似たようなことは、コーリーもしてくる。甘えるこの姿。コーリーと重なっても、おかしくはないのに。
不思議と、嫌悪感は湧いてこなかった。
「これから話すことは、きみの家族以外には、他言しないでほしい」
ジェンキンス伯爵とエディが向かい合わせで椅子に座ると、それぞれの前に紅茶とコーヒーが入ったカップが置かれた。ジェンキンス伯爵は使用人に、下がってくれ、と命じたのち、そう口火を切った。
「……はい。お約束、します」
応接室が、緊張感に包まれる。エディはごくりと生唾を飲みながら、固く、答えた。
ダリアとジェンキンス伯爵夫人は、別室にいる。応接室の前までは、ダリアとジェンキンス伯爵夫人も一緒だったのだが、ジェンキンス伯爵が、エディと二人で話したいと言い、いまに至る。
ダリアは不満そうだったが、ジェンキンス伯爵夫人が、絵本を読んであげるわ、となだめると、すぐに笑顔になった。
「エディ。あとで、ダリアとあそんでね。やくそくだよ」
それでも、不安そうに、哀しそうにそう呟いたダリア。コーリーとは、やっぱり違うな。それがなんだが、とても嬉しくて、やけにほっとした。
「──これが、私が知りうる、すべてだ」
そう締めくくると、ジェンキンス伯爵は、すっかり冷めてしまったコーヒーを、一気に飲み干した。ふうっと息をつき、目線を床に向けたまま、目を見開くエディを見た。
「……信じられないのも、無理はない。でもどうか、ダリアを否定したりしないでほしいんだ。使用人たちの中に、あれは演技ではないかと疑っている者たちがいるのも私たちは把握している。でも、少なくとも私とホリーには、あれが演技とは、とてもじゃないが、思えなくて……」
沈痛な面持ちで、ジェンキンス伯爵が吐露する。ミアはこれまで、屋敷からほとんど出たことがなく、屋敷の住人たち以外の人と、接したことがなかった。だから、ダリアの存在を、言わば外部の人間が知るのは、これがはじめてだった。
ミアを傷付けたくない。その一心で、ジェンキンス伯爵は訴え続けた。
「正式な婚約をする前には、むろん、これらのことはすべて打ち明けるつもりだった。だが、少しずつ、ゆっくりと理解してもらおうと……いや。すべては、こちらの勝手な都合だな。すまない」
エディは、まだ沈黙している。ジェンキンス伯爵は、どう声をかけようか悩んだすえ、こう切り出した。
「もう、ミアと会いたくなくなったのなら、遠慮なく言ってくれ。ルソー伯爵には、私から話すから」
数秒後。エディは、
「……そんなこと」
と、独り言のように小さく呟いた。
同じような経験をした人を探していたわけじゃない。傷の舐めあいをしたいわけでもなかった。
でも、ミアのこれまでの人生に、心が揺れた。身体が震えた。
だから、気付いてくれたのか。覚えていないのに、傷付く痛みは覚えていて。
『……わたしにとって、大人の男の人は、怖い存在なんです。そんな人と向かい合うとき、わたしの身体は、震えたり、強張ったりします。時には、泣いてしまうこともあります』
はじめて会ったとき、ミアはそう言っていた。ミアが忘れてしまった、大人の男の人を怖れる原因。それを知り、エディの目に涙が溢れた。
支えたい。抱き締めてあげたい。甘やかしてあげたい。この想いが同情からくるものなのか、なんなのか。自身でもよくわからなかったが、そんな想いが、一気に溢れてきた。
「……そんなこと、思うはずないじゃないですか」
エディは服の袖で涙を拭うと、決意を宿した双眸を、ジェンキンス伯爵に向けた。
「僕も、ジェンキンス伯爵と夫人のように、ミア嬢のすべてを受け止め、愛したいです」
決して偽りではない、あまりに真っ直ぐな言葉に、ジェンキンス伯爵は驚いたと同時に、困惑もしていた。
(……まだ、十の子どもが。私とホリーですら、すべてを受け入れるのに、時間を要したというのに)
ジェンキンス伯爵は、膝の上に置いたこぶしを強く握った。
「エディ。もう一度、同じ質問をしてもいいかな」
エディはてっきり、ミアのことについてのことだと思い、はい、と間を置かず首を縦に振った。でも。
「──なにか、悩みや、困ったことがあるのではないか?」
「……え?」
「きみがはじめてこの屋敷に来たとき、聞いたよね。なにか困ったことがあったら、なんでも相談していい。力になるからと。覚えているかな」
エディは目を瞠りながら、どうして、と不安げに呟いた。
「……どうして、そんなことをおたずねになるのですか。いまは、ミア嬢の話をしていたはずではないですか。それともなにか、僕はしてしまったのでしょうか」
「違うよ。そうではない。ただ、きみが心配になっただけだ」
「……心配?」
「そうだ。きみにとってルソー伯爵は、どんな存在なのかな」
「……どんなって……あの」
尊敬できる父親です。とでも答えるのが、正解なのだろう。けれど、口が動いてくれない。全身が、それを拒否している。
下を向いていても、ジェンキンス伯爵がこちらの様子を窺っているのを肌で感じる。どうして。ミアに相応しい相手かどうか。ミアを本当に幸せにしてくれる相手かどうか、見定められているのだろうか。
「……僕は」
考えがまとまらないまま、エディは、ゆっくりと口を開いた。




