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「ご理解いただけましたか? ミア・ジェンキンス」
晴れやかに微笑むコーリー。対してミアの顔色は、真っ青だった。
「……エディは、ルソー伯爵の、養子?」
どくん。
ミアの心臓が、一つ、跳ねた。
「ええ、そうです。エディお兄様は、あたしの従兄弟。つまり、法的に、結婚ができるのです!」
コーリーが興奮し、その場でくるりとまわる。まるでダンスを踊るように。
「あとはあなたが、愛する婚約者とあたしの幸せのために、婚約解消に応じてくれればよいだけ──まさか、愛し合うあたしたちを引き裂くなんてむごいこと、しませんよね?」
ゆっくりと近付いてきたコーリーが、ミアの顔を至近距離で覗き込む。口元に笑みを浮かべてはいたが、コーリーの目は、真剣そのものだった。
「……どうしてあなたは、この場にエディを交えることを拒んだのですか?」
ミアが小さくたずねると、コーリーは「は?」と顔を歪めた。
「そんなこと、どうだっていいでしょ? それより、早く答えてよ」
「本当にあなたとエディが愛し合っているのなら、二人でわたしを説得した方が、よいのではないですか?」
「はっ。お兄様は優しいから、弱っちいあなたに本音なんて、言えないわよ。すぐ泣いてしまいそうだし」
「……先にわたしを説得しようとしたのは、不安だったからなのでは?」
それまで自信満々な立ち居振る舞いだったコーリーが、動きを止めた。
「例えばそれがどれだけ小さなものでも、本当にエディに愛されているか、不安があったから。だから先に、わたしに話を──」
「うるさい! 知った風な口、利かないでよ! いつもあたしに嫉妬していたくせに! あんたなんか、ぜんっぜん、一つも、愛されてなんかないんだから!!」
図星を突かれたように、コーリーが一気にまくし立てはじめた──かと思えば、なにかを思いついたように、ニヤッと口角を上げた。
「ね、噂で聞いたんだけど。お兄様に、口付け一つ、されたことないってほんと?」
ミアの表情が強張る。その様子に、コーリーはケラケラと笑いはじめた。
「うそ! お兄様と付き合いはじめて、もう何年経つの? 女として見られてない証拠じゃない。かわいそう~」
ひとしきり笑ったあと、コーリーは、ほら、と再びミアに向き直った。
「お兄様とあなたは、政略的に婚約させられただけ。少なくとも、お兄様はそうなのよ。あなたのことなんて、愛してない。ただルソー伯爵家の次男として、我慢してあなたと付き合っていただけ。ま、あなたの片想いだったってわけね」
「…………」
「ね? 本当にお兄様の幸せを願うなら、おとなしくお兄様のことは諦めて、身を引いて。そうすればお兄様も、少しはあなたに感謝するはずよ?」
問いかけるも、ミアはうつむいたまま、答えない。コーリーが、イラッと舌打ちする。
「聞いてる? あたしとお兄様の幸せの邪魔、これ以上しないでって言ってるの。早く、わかりましたって答えなさいよ。あまりにみっともないわよ」
それでも、ミアは沈黙している。コーリーの我慢が、限界に達した。
「──いい加減にしなさいよ、このブス女!!」
ぱあん。
乾いた音が、部屋に響いた。
「…………?」
左頬を打たれたコーリーは、呆然としていた。生まれてからこれまで、誰かに打たれたことはもちろん、怒鳴られたことすらなかったコーリーにとって、これは、あまりに衝撃的な出来事だった。
「毒しか吐かない、わがままお嬢様。その汚いお口、少し閉じてくださる?」
落ち着いた、冷静な声色が、コーリーの耳に届いた。それは、誰かと疑うほどに、別人のよう思えて。けれどゆっくりと視線を向けると、やはりそこには、ミアがいた。
「安心して。本当にあなたとエディが相思相愛なのだとしたら、お望み通り、エディとの婚約は解消してあげるわ」
「…………っ」
「あら、どうしたの? これが、あなたの望む答えだったのではないの?」
ミアが、コーリーに一歩近付く。コーリーは打たれた頬を左手で押さえ、ぽろっと涙を流した。そして。
「……お、お兄様ぁぁぁっっ」
喚きながら、部屋を飛び出していった。ミアが、呆れたように息をついた。
「まったくもう。弱っちいのは、どちらなのかしらね」
──一方のエディは、玄関ホールにいた。ミアの部屋がある二階を見上げていると、突然、部屋の扉が開いた。中から飛び出してきたのは、コーリーだった。
お兄様。と、泣きながら階段を下り、エディの胸へと飛び込んできた。なにがあったかと問う前に、コーリーがしゃくりあげながら、必死に訴えかけてきた。
「……お、お義姉様が、あたしを、打ったのです……っ」
エディは瞠目すると、コーリーの両肩を掴み、自分から引き剥がした。
「──ミアに、なにをした」
殺気さえ込められた双眸に、コーリーは凍りついた。ただでさえぐちゃぐちゃな思考が、パニック状態になる。
「……どうして? 打たれたのは、あたしなのに……ひどいことしたのは、ミアなのに……どうしてミアを責めずに、あたしを責めるの……?」
ぽつぽつと疑問を投げかけるコーリーに、エディは舌打ちしそうになる。日頃の行いだろう。言ったところで、通じないのは身に染みている。
「──あら、嬉しい。コーリーではなく、わたしの心配をしてくれるのね」
慌てた様子もなく、優雅にすら感じるほどにゆったりと階段をおりてきたミアに、エディは目を丸くした。まとう雰囲気が、まるで違っていたからだ。
「……ミア?」
名を呼ぶと、ミアは、小さく微笑んだ。
「ねえ、エディ。あなたは、わたしとコーリー、どちらを愛してる?」
エディは頭にいくつもの疑問符を浮かべながらも「そんなの、決まっている。僕は」と答えようとしたとき、コーリーが遮るように「あたしに決まっているじゃない!」と叫び、エディを見詰めた。
「お兄様。あたしたち、本当の兄妹ではなかったのです。お兄様は、あたしの従兄弟だったのですよ!」
とたん、エディの全身が強張った。黙り込むエディに、コーリーは嬉々として続けた。
「あたしたち、結婚できるんです。兄妹だからと、もう我慢しなくてもよいのですよ!」
「……誰が、それを」
「お父様が教えてくださったのです。愛し合うあたしたちの姿に、黙っていられなくなったのでしょう!」
こつ。こつ。
一歩、一歩。エディたちに近付きながら、話を続けるようにミアが口を開いた。
「わたしが、エディとの婚約解消に快く応じること。それが、ルソー伯爵がコーリーに出した、二人の交際を認める条件だそうです」
「そうなのです。ですからあたし、一生懸命お願いしていたんです。愛し合うあたしたちを、どうか引き裂いたりしないでくださいって」
ミアが「あなた、息をするように嘘をつくのね」と呆れた眼差しをコーリーに向ける。コーリーは、打たれた恐怖を黙らすように、ぎろっとミアを睨み付けた。
「なにが嘘よ! この暴力女!」
「ブス女の次は、暴力女? 本当、あなたって下品ね」
「あなたよりずーっとマシよ! ついに本性あらわしたわね!」
ふっ。
ミアはゆるりと笑うと、エディに視線を移した。
「コーリーによると、あなたはわたしを女として見ていない。家のために、仕方なく、愛してもいないわたしと婚約しただけ。あなたが本当に愛しているのは、コーリー。これに間違いはない?」
そうよ。答えたのは、コーリーだ。くるりと振り返り、エディの腕を掴んだ。
「お兄様。ミアと口付け、したことないんでしょう? 女として見れていない、証拠よね?」
エディは、つかの間、沈黙した。かと思えば、一つの乾いた笑いをもらし、コーリーの腕を振り払った。
「──あるよ。もう、何度もね」
振り払われたことにも、突き放されたような態度にも、コーリーは、愕然とした。
「ルソー伯爵は、お前を溺愛している。僕たちの関係を明かしたからには、お前の願いを叶えるために、なにをするか、もうわからない」
「……お兄様……?」
「僕は、ミアを失うぐらいなら、この世に未練なんてない。同時に、お前と結婚するぐらいなら、死んだほうがマシだ」
「……やだわ、お兄様ったら。ほんとに、お優しいんだから……いくら、ミアを傷付けたくないからって……そんな、嘘……」
ふらつき、エディに寄りかかろうとするコーリー。そんなコーリーを、エディはすっと避けた。予想外の行動だったのか。コーリーが、べちゃっと床に転んだ。目を丸くし、上半身を起こしたコーリーが、エディを振り返り、なんで、と呟いた。
「お前の理想の兄を演じる必要が、なくなったからだよ」
冷たく吐き捨てられた言葉に、コーリーは動けなくなった。そんなコーリーにはもはや目も向けず、エディは、ミアの元に向かった。
「養子、だったのね」
ミアの第一声に、エディは、少し困ったように眉尻を下げ、両手を広げた。
「──抱き締めても?」
エディの問いに、ミアは、嬉しいわ、とエディの胸に頬を寄せた。エディはそんなミアを抱き締め、コーリーには決して届かない小さな声で、ひっそりと、ミアの耳元で囁いた。
「……きみは、ミアじゃないよね?」
ミアが──いや、別の誰かが、ふふ、と嬉しそうに笑う。
「そうよ、エディ。愛しいあなた」
「ああ、僕も愛しているよ。きみの名前を聞いてもいいかな」
「わたしの名は、ルシンダよ」
そう言って、まだ幼さの残るミアが見せたことのない艶っぽさで、ルシンダは笑みを浮かべた。